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そして去る。


「ジャンヌ、その男はお前の知り合いか?」

「いえ、……私のではなく、知人の。ですが逃げたのならば一先ず安心ですので気にしないで下さい」

「馬鹿が。奴隷で行方不明のどこが安心だ。そのサーカスの名前は何故知ってる?」


まだステイル達に言う理由付けも纏まっていないのに変にここで断言したくない。

サーカスの名前だってつい口に出てしまったけれど、そんなサーカスがまだ我が国に来たことはないのだから知っているのがおかしいに決まってる。アーサー達だって間違いなく勘付いているだろう。


「まぁまぁ良いじゃねぇの兄弟」と踏み込まずにいようとしてくれるライアーの言葉にも耳を貸さないと言わんばかりに、レイは鋭い眼光でこちらを睨んでいる。

お茶会を台無しにして、ライアーにここまで記憶を掘り起こさせているのに「言えません」じゃ絶対許されない。あまりにも誠意に欠けている。

レイ達にも、そしてこの後話すアラン隊長達にも嘘にならない答えをと。必死に悪知恵働く優秀な頭を働かせ、最適解をいま決める。


「……。その人に会いたがっている人と、所縁のあるものなので」


具体的には思い出せない。けれど私が会いたい人も、そこにいる。

それを胸の内に留めながら断言すれば、レイも目を見開くだけでもう言及をしなかった。

頃合いを見るように、アラン隊長が「お、そろそろ帰らねぇと」と今気が付いたような声色で時計を見ながら言ってくれた。

帰るきっかけをくれたその流れへ身を委ねるべく、私はゆっくり席を立つ。ジルベール宰相もエリック副隊長も待っている。

ステイルが椅子を引いてくれ、まだ足元がふらつきそうなところをアーサーが肩へ腕を回すようにして支えてくれる。


そうですね、そろそろ帰りましょうと皆が口を合わせてくれる中、私は胸が膨らむほど息を吸い上げ吐き出した。

呼吸を整え、それから改めて挨拶する。今日は本当にありがとう、グレシルを宜しくと言葉を並べ、ぽかりと口が開いていたグレシルへも「さようなら」と言葉を掛ける。今後、彼女に会えるのがいつになるのかそれとも無いかもわからない。

「ぁ……」と何か言いたげに一度グレシルが音を零したけれど、見返せばすぐに口を閉じて首を横に振られてしまった。

一度決めても、やっぱり間に入った人がいなくなるのは不安も沸くのだろう。けれど、本当にこの先は彼女の選択次第でしかない。

頑張って。と、冷たいと聞こえるかもしれないけれど、その言葉を最後に扉へ向かう。

ライアーが「まぁまた何かありゃあいつでも」と短い髪を掻きあげながらアラン隊長の後に続いて玄関の開けた扉を支え




「待て」




…………また、あの低い声が掛けられた。

命令形の言葉に、足を止めて振り返ればレイだ。更にその背後にはひょこりと小さくグレシルも見送りについてきてくれたのか顔を出す。

そんな中、レイは全く気付いてもいないように前に出る。扉を開けるライアーより前に出て、私達と同じ外まで出てきた。


やはりこんな形でお茶会を切り上げたことに怒っているのだろうかと、甘んじて私も両足を揃えて向き直る。

少しいつもより大股で歩いてくるレイは、今にも黒炎を出しそうな気配だった。アラン隊長達が止めるべきか腕を伸ばしてくれたけれど「大丈夫です」と私から短く断る。今は怒られても仕方ない。

レイはアラン隊長を横切り、アーサーとステイルを避けずに肩をぶつけながら一直線に私へと接近してくる。最終的に私から彼の腕一本分くらいの幅を取って立ち止まった。ここで火を放たれたら流石の私も避けられるか不安だと、一瞬でも過れば口の中が乾いた。


「……俺様に、他に言うことはねぇのか」

「ありがとうございました。お茶会中に本当に失礼を」

「違う」

「……!退学のこと、本当に言えなくて申し訳ありませんでした」

「他は?」

てっきり感謝と謝罪が足りないと思ったら、一言で切られた。

私がまだ混乱している所為か、レイの尋ねる声が微弱に二重のように聞こえてくる。ちゃんとしっかりレイの話を聞けと頭の中で自分を叩く。

最初にも怒っていた、退学のことについての謝罪は遠からずだったようだけれど感謝でも謝罪でもない。ならばあとは、グレシル関連のことだろうか。だけど、それも退席前に告げている。

それでも一応「グレシルを」と言いかけたらそこでもすぐ「違う」と言葉を切られた。まるで答えのない謎かけをされているような感覚に足の指先が疼く。

少しでも雑念を持つと、早く城に帰って記憶の確認をと考えたくなる。あまりにも失礼過ぎる。

ただでさえ今のレイは沸点の手前に見えるほど目が怒りに満ち始めている。


「報告が遅くなってしまい申し訳」

「違う」

「さっき頂いたお菓子美味しか」

「違う」

「学校頑張っ」

「違う」

「ディオス達と仲よ」

「違う」

「お元気で」

「……………………………………」


思いつくことを一つ一つ上げながら、外し過ぎた所為で最後は黙して顔を俯けてしまった。

このまま去るわけにもいかず、首を捻りながらレイからの返事を待つ。私だけじゃない、ステイルやアーサーもわからないように困惑に眉を寄せては互いに顔を見合わせ、そして私とレイを見比べている。

アラン隊長は少し察しがついたのが、半分苦笑いのような気まずそうな表情を浮かべてこちらを見ていた。私が目で訴えても、視線に気付いた上に言葉が出ないようだった。


ライアーもレイの沈黙に異変を感じ取ってくれ、開けたままの扉から手を離し歩み寄ってくる。「おーいレイちゃん??」と少し慎重に聞こえる声で投げかけるライアーの声はやはり届いたのか、次の瞬間にはギリッを酷く歯を食い縛る音が聞こえて来た。……どうしたのだろう。


おもむろに両手が動いたと思えば、そこで私の胸ぐらを掴み出す。

彼が動くと同時にアーサーとアラン隊長が動こうとしてくれたのが見えたけれど、私から手で止めた。大丈夫、炎でなければ首を絞められるわけでもない。

私の意志に従って、ピタリと動きを止めてくれた近衛騎士だけどそれでも既に身体が前のめり、二歩目まで二人とも足が進んでいた。ステイルも身構えながら黒い覇気を漂わせでレイを睨んでいる。


レイは、動かなかった。

隣でライアーが目を見張り呼び掛けても、今度は反応がない。

ギリギリと痛そうな歯の食い縛る音と共に、私の胸元を掴む手が震えるほどに力が込められていく。仮面の下を見せてくれた時と同じく、これもまた振り解いてはいけないものだと右半分の表情だけでわかった。……それに。


「…………」

今だけは目の前の彼のことしか考えられず待ち続ければ、掴んだその手のまま引き寄せられる。

持ち上げられるように踵が浮き、今の私よりも背の高い彼の頭が逆にお辞儀よりも低く降りてくる。掴み引き寄せた手に額を埋めてきた。整った歯が軋むような音をまだ立てている。

沈めた顔に、仮面をつけていない方もどんな表情かわからなくなる。ただ最後に見た顔は、黒い炎を暴走させていない方がおかしいくらいに険しかった。


ライアーもレイを引き離そうとしたように肩に触れようとした手が、彼の手前二センチくらいで浮いている。ぱちりぱちりと瞬きを繰り返すその様子はもしかして彼もわからないのだろうか。


一分近い沈黙の後、レイが手を緩め顔を上げるのもまた何の前触れもなくだった。

するりと力が抜かれ、踵が再び地面につく。顔を上げたレイの顔は、決して最後に見た時より緩んでもいなければそれ以上怒っても泣いてもいなかった。ただ、どこか屈辱を感じさせるように歯を食い縛る彼は顎まで震えていた。

最後は手を離す直前、背中から倒れんばかりの勢いで突き飛ばされた。

服が掴まれた形に皺くちゃのままよろめきかかれば、すかさずアーサーが回り込んで受け止めてくれた。「大丈夫ッすか⁈」と声を荒げてくれる中、一言お礼を返した私はレイから目が離せないままだ。


顔を強く私と手元に押し付けたせいで、前髪を乱した彼は自分の髪を耳元にかけ、至近距離の私に掛かるくらいの強さで息を吐いた。

内側から熱の逃すような音に、いつ彼が特殊能力を暴走させても立ち回れるようにだけ準備する。


「……その男でも、なんでも良い。お前ごときで叶わないことが起きたら俺様達へ報告に来い」

「報告?」

低く、どこか嫌々にも聞こえるような声でそれでも言葉ははっきりだった。

その男、というのはレナードのことだろうかと検討づけながら首を捻る。お茶会を中断されたことに怒ってるのではなく、情報をくれたのにそれについての感謝が足りなかったということか。それとも、……少なからずライアーと立場の似たように聞こえる彼を気にかけてくれているのか。


そう思えば余計、あんなところで話すべき内容じゃなかったと反省する。

平気そうに話していたライアーだけじゃなく、レイにとってもきっと色々も辛いことを思い出させる話だったのだろう。

ごめんなさい、と。そう口を動かそうとしたら、先にレイの口が動き私は声を止めた。


「理由はない」


はっきりと断言に近い声はさっきよりも遥かに迷いがなかった。

見返せば、歪められていた顔が少し和らぎを取り戻していた。変わらず眉間に力も入り半分でもわかるくらい顰められた表情だけど、さっきみたいな憤怒を滲ませたものでも、……どこか傷付いてしまったようにも見えた。


今度は手は降ろされたまま、顔だけが前のめりに近付けられる。

背後からアーサーが私を支える手のまま僅かに引かせるように力を込めてくれたけど、そのまま私は意志を持って立ち止まる。ちゃんと受け止めなきゃいけない彼の真剣な眼差しに、私からも顎を上げれば彼の仮面がぶつかりそうなほど近付き、そして私の耳元で僅かに触れた。

頬に彼の芸術的な仮面が当たり、そして耳へと彼の唇が近付き息が触れる。放つ前の僅かな息遣いにぞわりと思わず背筋がざわついた。

そして、レイは。




「────────────」




……ああ、そうか。

息と同じ、僅かに擦れるくらい小さな声で彼が囁いてくれた言葉は、きっとアーサーにもライアーにも拾えない。

私にしか拾えない声で、確かに届いた。その瞬間やっと気付く。知らない間に彼をずっと傷つけてしまっていたのだと。


ごめんなさい、が最初に頭に浮かぶ。だけどその言葉が一番失礼な気もして。

言い切ったレイが顔を引いていく。瑠璃色の瞳に私を捉え、唇を結んだ彼は大人びても見えたけれど、……年相応にもまた見えた。

眉の寄った彼に、ライアーが聞こえてなかった筈なのに「どうした兄弟!」と笑いかけながら腕を肩へと回す。今はライアーより私に意識を集中する彼に、こちらからも答えを返すべく心から笑んでみせる。

ちゃんと、今度こそ受け取った。


「ありがとう、レイ。……そうね。私も同じよ」


純粋に、ただ嬉しい。

彼に対してこんな風に笑えたのはもしかして初めてかもしれないと思いながら、さっきまで強張っていた力が全部抜けていく。

今までずっと、少なくともレイにはライアーやディオス達がいればもう充分だと思っていたけれど違った。

当たり前だ。どれだけ凄絶な過去でも、元貴族でも、まだ十五歳の男の子であることも事実なのだから。たった一つで満足せずに、もっと欲しがって少しずつでも前に進んで世界を広げていく。

口を結び、私の言葉に目だけを見開く彼から息を引く音が聞こえた。

ライアーがどこか嬉しそうに肩にかけた腕でわしわしとレイの頭を撫でる中、そんな彼がやっぱり一番嬉しいと私が思う。



「いつか、次もまた。ありがとうって言わせてね」



返事はない。

ただ限界まで見開いたレイの眼差しがそのままの答えだった。

それでは、また、その時までお元気で。そう頭を下げ、軽く手を振って今度こそ私達はその場を去った。

お向かいのディオス達にも顔見せ程度の挨拶をと、ここに来た時は考えもしたけれどやっぱりやめた。ファーナムお姉様やネルにひと目も会えないのはすごく残念だけど、まだこの後も急がないといけない。そしてなによりも、今日は


お別れができなかった〝レイ達に〟会いに来た日にしたいと。

そう、思ったから。



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