154.暴虐王女は別れる。
「それでは、書面の確認が出来ましたら双方の署名を。」
互いに羊皮紙に書き込まれた文面を目でなぞり、頷く。ステイルに目で確認を取れば、ちゃんと羊皮紙の素材からその中身まで何の偽りもないことを確認してから頷き、私にペンを差し出してくれた。
書面の内容は双方合意での婚約解消と、定期的な来訪を行うことに関しての条約。
これに女王代理として私と国王のサインを書き込めば、私とレオン様の婚約は今日付けで解消される。
私達を見守る衛兵や騎士達が固唾を飲んで私の一挙一動から目を離さない。ステイルから差し出されたペンを受け取る。インクが十分に浸ったペン先を私は躊躇いなく羊皮紙につけて、指先を滑らせた。
〝プライド・ロイヤル・アイビー〟
我が国の第一王女の名を私はそこに記した。
書き終わり、国王が調印する中ふとレオン様を見上げる。涙で腫れた目が、少しぼんやりと私に向けられていた。泣き過ぎたせいか、未だうっすらと顔が火照っていた。
「…レオン様。これからも宜しくお願い致しますね。」
同盟関係、そして盟友。何よりこれからは互いに国を来訪し合う関係になるのだから。私がそう思って笑ってみせると、レオン様は少し切なそうに顔を曇らせて、それから笑ってくれた。…まだ色々とショックが抜け切れていないのだろうか。
「それでは、私はこれから国に帰り母上に今回のことを報告致します。」
私がゆっくり立ち上がると、ステイルが段取り良く調印の終えた羊皮紙を丸め始めた。まずはこの条約書を母上と父上に見せなければいけない。
もう帰られるのですかと、やんわり引き止めてくれたが、今からならば今日中に帰れるのでと断った。嵐のように人の城で好き放題言いたい放題した上にこれ以上長居したら申し訳ない。
「…プライド第一王女殿下。」
ふと、国王も立ち上がったと思ったら名を呼ばれた。
「一つ、お聞きしても宜しいでしょうか。」
少し険しくも見える眉間に皺を寄せた顔は少し私の父上にも似ている。そんなことを思いながら「喜んで」と答えて姿勢を正す。
「…貴方は我が国が衰退することも、エルヴィンとホーマーの愚行も、レオンの無実も知っていた。…ならば、何故わざわざ我が国にレオンを無条件同様のまま返して下さったのか。レオンを婚約者に置き、衰退した我が国を吸収することもフリージア王国ならば容易い筈。」
調印して頂いた後に尋ねて申し訳ないが、と呟く国王に私は笑みを返す。そんなこと、決まっている。
「大事な同盟国ですから。」
それだけです。そう言って見せると国王の目が大きく見開かれ、…そして静かに優しく細められた。「感謝します」と緩やかに頭を下げられ、私も同様に挨拶をする。
そのままお互いに見つめ合ってから、私から「ひとつ、お願いがあるのですが」と国王に望んだ。
頷いてくれた国王に私は横に一歩移動して、私の背後に控えてくれているステイルと騎士達が王の目に入るようにする。
「私をこの国へずっと護りながら同行し、レオン様の保護にも協力してくれた弟と騎士達です。どうか、その手を取って挨拶をさせて下さい。」
勿論です、と国王が笑って数歩前に進んだ。レオン様も自ら「僕も、是非」と言って、国王に続くように前へ出た。
突然話を振られて驚いた様子のステイルと騎士達も、笑顔で国王に伸ばされた手をそれぞれ掴み、挨拶を交わす。
最初にステイルがその手を握る。これからも同盟国として協力を惜しみません。そう言いながら堂々とした態度で国王とレオン様に笑みを返した。
次にカラム隊長だ。畏れ多そうにその手を取りながら、礼儀正しく頭を下げて挨拶を交わす。国王の後にレオン様から「何から何までありがとうございました」と礼を言われて、とんでもありませんと返していた。
アラン隊長も、流石に国王と王子相手に少し恐縮したらしく、凄く緊張した様子で国王の手を握り返していた。任務中はあんなに堂々と振る舞っていたレオン様相手にもすごく畏れ多そうだった。
エリック副隊長は両手でしっかりと握られた国王の手を握り返し、光栄です。と嬉しそうに、はにかんでいた。二人と握手を終えた後にその嬉しそうな笑みのままチラリと私の方に目をやってバッチリ目が合った。恥ずかしそうに頬を染めながら私にも急ぎ頭を下げてくれた。
そして最後にアーサーが、既に恐縮しきった様子で国王の手を取り
…固まった。
さっきまでとは違う、驚いたような表情で国王に握られた手を凝視し、次に国王へ顔を上げた。国王も不思議そうな表情にはなったが、それでもアーサーに一言送り、他の騎士達と同じようにゆっくりと手を離した。その後にレオン様と握手を交わした時には、向けられたレオン様の笑顔を正面から受け止め、少しホッとしたように笑い返していた。
そのままレオン様とも挨拶を終えたアーサーは、何か確認するように私へ視線を送ってきた。私がそれに頷くと、目をパチパチさせて握手された自分の手と国王を見比べていた。ステイルもアーサーのその様子に何か勘付いたように私とアーサーを見比べた。
これで、国王も病で急死する心配も無くなった。
ゲームが始まるのは、今から二年後。その時には既に国王は病で急死してあの弟達の王政だった。
酒場での騒ぎの責任を取らせてレオンを国外追放してフリージア王国に送った後すぐ、病で急死してしまった。国王は弟達を更生することも、他の王位継承者を指名することも叶わず息を引き取ってしまったのだ。
でも、これで大丈夫。レオン様ならきっと今からでも立派な王になれるとは思うけど、わざわざ死ぬ必要がない国王を見殺しにする理由もない。レオン様だって早く王になることよりも、父親から色々もっと教えて貰って、…そして長生きして欲しいに決まっている。
アーサーの特殊能力は、万物の病を癒す力。アーサーのあの表情をみるからに、きっと今の数秒で国王の病も治ったのだろう。数年間寝たきりだったマリアの奇病だって速攻で完治させたのだから。アーサー曰く、軽い病ならお互い気付かないけれど病の症状が重いとアーサーからも特殊能力を使った実感があるらしい。つまりは国王もそれなりに重病だったということだ。…国王の重病を握手一つで治してしまうって、よく考えるとなかなかの大事件だ。
そのまま挨拶を終えた私達は馬車の前まで国王、王妃、レオン様と衛兵や城の人達に見送って貰えた。
アラン隊長とエリック副隊長が馬車の運転席に乗り込み、カラム隊長とアーサーが私とステイルの背後に控えてくれる。
本当にこの度はありがとうございました。御迷惑をお掛け致しました。と王妃が私とステイルの手を握ってくれた。レオン様の色気は母親譲りなのだなと確信するほどに綺麗な女性で、蒼い長い髪を揺らしながら何度も私達に挨拶をしてくれた。
国王とも改めて最後に挨拶を交わし、近日中にレオン様と一緒に我が国に挨拶とお詫びに行くと言ってくれた。お待ちしています、私もまたアネモネ王国に伺います、と答えると威厳のある国王の表情が優しく和らいだ。
「…プライド、…様。」
レオン様の言葉で顔を上げる。どこか少し言いにくそうに最後に〝様〟をつけてくれるレオン様に思わず笑ってしまう。
「今まで通り〝プライド〟で大丈夫です、レオン様。私達は盟友なのですから。」
私の言葉にレオン様は小さくはにかんだ。でもどこかまだ憂いを帯びた気がするのは何故だろうか。
「…なら、僕のことも〝レオン〟と呼んでくれ。君にはそう呼ばれたい。」
そう言いながら、ゆっくりと私の手を取ってくれる。その手を受け止めながら、私はそれに頷く。
「わかったわ、レオン。また、会えるのを楽しみにしているから。」
〝盟友〟と自分で言ってはみたけれど、こうして敬語敬称無しで呼び合えると本当に友達という感じがして嬉しくなる。
私の言葉に少し驚いたように「また…?」と首を傾げるレオンに私は「ええ、また。」とそのまま返す。これからは互いに国を行き来し合うことも増えるし、きっと今まで以上に彼とは親交を深めていくことになるだろう。互いに同盟国の第一王位継承者なのだから。
また…、と小さくまた呟いたレオンが、数秒経ってから滑らかに私の前で笑った。その笑顔を正面から受けて、思わず私がビクリと肩を揺らして顔が少し熱くなる。
あまりにも、眩しく妖艶な笑みを私に向けてくれたから。
今まで向けられた中で、最強といっても良い程に強い笑みだった。色香が彼を中心に広がるのを感じた。あまりに直撃を受けたせいで、固まってしまう私の手をそのまま彼は持ち上げ、流れるように手の甲に口付けをした。
「嗚呼…また、会える。」
嬉しそうにそう口ずさみながら言う彼に、手の甲から電気が流されたように全身が震えた。今までの妖艶さの比じゃない。その翡翠色の瞳で覗かれるだけでドキドキしてしまう。
「プライド。…元婚約者として、一つだけ無礼を許して欲しい。……良いかな?」
ええ、どうぞ。と色香に惑わされて頭がちゃんと機能しないまま答えてしまう。レオン様が口付けした私の手を取って馬車までエスコートしてくれる。
カラム隊長によって扉を開けられ、私とレオンの背後をステイルとアーサーが付く。レオンは私の肩を優しく抱いて止めると、アーサーとステイルに「どうぞ、お先に。」と先に馬車に乗ることを勧めた。二人とも少し躊躇いながらも促されるまま私より先にステイル、そしてアーサーが馬車に乗り込み、扉の傍に待機した。
そのままレオンが最後に私の手を取りながら、馬車まで上げてくれる。馬車の高さ分、私の方がレオンより高い位置になり、彼の顔を覗くような体勢になる。プライド、とまた名前を優しく呼ばれて私は真っ直ぐに彼の顔を覗く。
「この恩は一生忘れない。もし、君に…フリージア王国に何かあった時は必ずアネモネ王国が、僕が、…何が何でも駆け付けるから。」
そう言って手を伸ばし、私の髪を搔き上げるようにして耳にかけてくれた。優しい手付きと、その妖艶な瞳にまた顔が熱くなる。
「また、会おう。何度でも、君に会いにいく。そして何度でも、この愛する国で…君を待つ。」
心から私達との別れを惜しむように語ってくれるレオン様の指がそのまま私の髪を撫でた。
「さようなら、愛しき我が婚約者。」
カンッ、とレオンが馬車の入り口へ片足を掛ける。そのまま扉を掴むようにして上がってくる。私と同じ位置に立ったことで、また私が彼の顔を見上げる体勢になる。突然彼が馬車に乗り込んできたことに驚いて、自分でも目が丸くなっていくのがわかる。
彼が優しく私の両頬に手を添える。妖艶なその瞳に捕らえられて身動ぎ一つできなくなる。そのまま、彼の綺麗な顔が静かに私の顔に近づき…
唇のすぐ真横に、口付けをした。
本当に、すぐ横に。私が少しでも顔を動かしたら唇に触れてしまったのではないかと思うほど。
彼の唇が私の頬にあたり、湿ったそれが優しく頬を吸い上げた。離す間際にちゅっ、と前世のゲームでしか聞いたことの無い甘い音が耳まで響いた。そのままレオンの顔が離れ、滑らかな微笑と妖艶な瞳が私の顔をじっと見つめた。
「…僕の、初恋だった人。」
バタン。
レオンが馬車から身を引くと同時に、扉を閉めた。目の前で閉まった風圧で、その場に崩れるようにお尻から倒れ込んでしまう。
「ぷっ、プライド様⁈」「姉君‼︎」と丁度私の両脇に控えてくれていたステイルとアーサーが受け止めてくれたけれど、私を覗き込んだ二人の顔は真っ赤だった。でも、私も恐らく同じかそれ以上に真っ赤だろう。顔が熱すぎて湯気が出てもおかしくないくらいだ。恥ずかしさとレオンの色香に当てられて未だに声すら出ない。喉が干上がって目が回る。思考がまとまらない中、レオンの言葉の意味と疑問だけが頭を回る。
……初、恋…⁇いつから?プライドに⁇私に⁇⁇
間も無くして馬車が動き出して、突然揺れ始めたけれどそれが気にならないくらいに未だ頭が纏まらない。
二人と同じように顔を赤くしたカラム隊長が水で湿らせたハンカチで額を冷やしてくれるけど、頭の火照りが消えない。更には途中、馬車が何度か酷く揺れた。その度にカラム隊長が「アラン‼︎エリック‼︎お前達も今は運転に集中しろ‼︎」と窓から運転席の二人に向かって怒鳴っていた。
「姉君⁈あの、今どこをレオン王子に口付けされッ…」
「バカ!ステイル‼︎思い出させんな!ンなことより今はプライド様の顔色が」
「〝ンなこと〟なものか‼︎口付けの箇所によっては今度こそ本当に姉君に傷が」
「〜〜っ‼︎頬だ頬‼︎‼︎俺に言わせンな馬鹿‼︎」
「アーサー⁈ステイル様に向かって言葉が乱れ過ぎてはっ…」
「あッ⁈」
何やらステイル、アーサー、カラム隊長が騒いでいるけど、全く頭に入ってこない。完全にレオンの色香に当てられてしまった。
…キミヒカシリーズ第1作目のお色気担当。
馬車が昨夜泊まった宿に到着するまで、最初に思い出したレオンのゲーム設定がぐるんぐるんと頭の中を巡り続けた。