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〈書籍八巻発売決定‼︎・感謝話&特殊話〉騎士隊長は香り、


── うわーーーー……死ぬ。


そう、アランは行き場もなく視線を彷徨わせた。

隣に並ぶエリックも気持ちはわかる分、顔が半分笑ったままどうしても護衛対象よりも隣に立つ上官に目がいった。これがいつか、自分にも来るのかと今から覚悟する。

壁際に立つ自分達の正面には、第一王女であるプライドが昼食後の教師の勉学を受けているところだった。今は窓も閉じられた空間で、いくら王女の部屋が広くても香りは充満する。

悪臭ではない、むしろ気分転換にもなり得る柑橘系の良い香りだ。しかし、その香水の意味をわかってしまった今はどうにも目が冷めるどころか目が回る。プライドが


自分の構想の香水をつけているという事実に。


予想以上にやばい、と。アランは今日一日何度も考えたことをまた思う。

二ヶ月ほど前にプライドがジルベールから贈られた香水。今年は自分達を構想した香水を望んでくれた彼女が、わざわざ自分達の前でお披露目してくれた。最初香った時にはどれもただただ良い香りで、そして恐ろしいほど三人ともどれが誰の香りか目を閉じても判断できたなと思う。

鼻が良いアランだが、汗臭い匂いには慣れきっていても香水のむせかえる香りは未だに慣れない。しかしそんな中でも、自分の香水はやはり良い匂いだと……思うのが自分の好みに合っているだけかそれともプライドがつけているからかも今ではあまりわからない。

少なくともその香りを彼女が気に入ってくれていることは未だにガッツポーズをしたくなるほどに嬉しい。


『なんというか……ひまわり畑みたいな明るい光景がパッと見えてきそうな香りで。気持ちまで前向きになりそう!』

本当にアラン隊長そのものですね、と。そう、深みのある香りも含めてプライド本人から花のような笑顔を向けられたことが、香る度に脳裏に浮かぶ。それがプライドの中の自分への印象なのかと、直接言われたようなものなのだから。

じわりと顔が熱くなった感覚はよく覚えている。確かに好ましい、自分がつけるのも良いなと思った香水だったが、その後にまさかジルベールから本当に購入することになるとは思わなかった。


カラムやエリックの香水のお披露目の間にいくらか落ち着いた筈だったが、多分まだ頭に血の巡りが良すぎてたなぁと思う。

プライドと同じ香水と聞けば純粋に嬉しいし、欲しいとも思った。しかしまさか本人から真正面に提案されるなど想像もしなかった。

しかもプライドの希望は「消耗品として」と近衛任務中にでも気軽にという言い分だったが、今の状態になるなら絶ッッ対無理だなとアランは思う。

もともと香水に興味もない自分は、匂いさえなんとかなれば良いやと使い回しや余り物ばかり騎士達に譲ってもらって誤魔化していた。香水の違いも大して気にとめたこともない。プライドの香水も、珍しいなと鼻で気付くのはそれこそ配達人の香水くらいだ。


そんな自分が、今この香水だけは完全に覚えてしまった。

今まで語られた他の人間の構想の香水は言われないと気付かなかった。恐らく今後もエリックやカラムの香水がつけられたところで、嗅覚だけでは気付かないだろうと自分でも思う。

しかし今この香水だけは今朝プライドから言われる前に気がつけてしまった。


朝食の前に、プライドを迎えにティアラとステイルと共に閉ざされた扉の前で合流した時点で、扉の隙間からふんわりと鼻を擽った柑橘系の香りに、それだけで肩を思い切り強張った。

いやいや、他にもそういう香水の日もあっただろと、今まで大して気にもとめなかったプライドの香水を思い巡らした。しかし扉を開けば、もうこれ以上なく覚えのある香りだった。柑橘系の中でもオレンジだけでなくシトラスのような印象もアランには強く、そして一番気に入った香りだった。

「おはようございます」の言葉もひっくり返し、熱が上がった。ただ香水を香った時には感じなかった、プライド本人から香る破壊力は段違いだった。


近々この香水が自分の手元に来ると思えば、今から恐ろしい。地雷原を走り抜けろと言われるのと近い心臓の危うさだ。

いっそジルベールに断られてしまえば気が楽だったアラン達だが、ティアラとプライドも介した申し出に「お望みとあらば」と上機嫌で快諾されてしまった。もう再来週には各自の香水を受け取る予定である。


『気付きました?!今日はアラン隊長の香りなんです!』


そしてあの言い方はやめてほしいなぁ~~と切に思う。

自分の反応を見て、プライドが目が輝かせて教えてくれたまでは良いが、自分の「香水」と言ってくれないと心臓に悪くざわついてしまった感覚は今でもよく覚えている。せめて一年前までだったらこれほど全神経面白いことにはならなかっただろうと自分で思う。


お陰で、未だに落ち着かない。朝食も終わり、昼にさしかかりもうすぐで交代の時間になる筈なのにプライドからの香りを無意識にでも嗅覚が追ってしまう。

授業が終わり、教師がいつものように穏やかな笑みで部屋から去って行く。自分達に一礼をくれた教師は、プライドとも雑談程度はする相手だ。しかし彼が香水に一度も触れなかったことを考えても、やはり自分にとっては際立って脳に刺さっている香りでも、意識をしてしまっているだけで実際は普通の香りなのだろうなとアランは思う。


一呼吸を終えたプライドが伸びをし、ソファーにかける。

専属侍女であるマリーとロッテが空気の入れ換えの為に窓を開ければ、部屋に充満していた香水の香りも少し和らいだ。

同時に、風に流れるうっすらとした香りが何故か遠い気持ちにまでさせられる。……嗚呼良い香りだな、とぼんやり思えば直後にプライドの香水だと気付く。そしてまた熱が上がっての繰り返しに、アランは一人で後頭部をガシガシ掻いた。

これは交代になったら一回水浴びしようかなと思う。こんなことで本当に発熱だったら笑えない。


同性のエリックにとっても、良い香りには違いない。こうして隣に立ってアランほどの嗅覚はなくとも香るものは、甘ったるさがなくて良いと思う。普段のプライドの花の香りも良いが、男性も好む今の香りは今後アランがつけても問題はない。

寧ろ、時間が経過した今は。とエリックは思いながら緩んでしまいそうな唇を小さく噛む。今それを言ったら火に油を注ぐようなものだとよくわかっている。


コンコン、と。ノックが鳴らされた時には、アランにしては珍しく肩が上下に激しく揺れた。近衛騎士が交代にと、近衛兵のジャックの報告にプライドも一言で許可を出せば、交代のカラムとアーサーが入ってきた。

交代に窺いましたと、プライドと挨拶を交わしてからすぐ引き継ぎの為に歩み寄る二人はそこで初めてアランの顔色に気付く。一瞬熱かと、アーサーは大きく目を開いたが隣で苦笑を零すエリックにそうでもないのかとも思う。カラムも一言尋ねようとしたが、……直後に最近あった出来事を思い出した。

そこで初めて嗅覚に意識を向けてみれば、プライドにしては男性的な香りがオレンジの名残と共にふんわり風に乗ってきた。


ハァ……と深い溜息を吐いたカラムはエリックが説明するまでもなかった。

確かに、五感の良いアランなら余計に濃く感じたのだろうとは理解する。今まで大して気にとめるどころか興味も持たなかった香水の破壊力を、恐らくは人生で初めて思い知っているのだろうとも。

「アラン……」と呆れと共に、その顔を見る。顔が真っ赤に茹だるアランは、手入れのしてない鎧のように動きも固かった。


「何故お前はそんなにも極端なんだ」

「いやいやいや!!無理だぞ結構これ⁈」

言葉も少し文法のおかしい気がするアランは、プライドに聞こえないように声を潜めつつ両手を伸ばし突っ張るようにカラムの肩を掴む。

やっと待ちに待った交代の時間に、僅かに俯きながら気が抜ける。さっきより熱が上がってくるなと思いながらこれはもう逃げると決めた。エリックに報告は丸投げすることにする。

あまりにもわかりやすいアランの反応に、アーサーも遅れて「あっ」と気付く。自分もプライドが香水を使われている時はこんな感じなんだろうなと思えば、全く他人事にも感じない。

嗅覚に意識すれば、確かにアランの香水だったかなとぼんやり思う。つまり自分の香水も気になってしまうのは自分だけで、きっと周囲には気にならないのだろうと数年かかって今アーサーは気付く。しかしそれでもプライドから自分の香水が香る心臓の危うさは痛いほどよくわかる。


「エリックお前報告任すけど良いよな?!な?!」

「あっ。アラン隊長!あのっ!」

構いませんがと、エリックが返したのと殆ど同時にプライドの引き留める声が被さった。

ギクッッ!!とわかりやすくプライドの声に反応するアランは心臓と完全に同調するように足先が跳ねる。バクバクという心音が耳の手前まで聞こえてくる。

第一王女に引き留められ、無碍に逃げるわけにもいかない。背中を彼女に向けたまま固まっているアランに、肩を掴まれるカラムはその握力が強まりだしたことに早々に無理矢理手を剥がさせる。自分の腕力ではびくともしないほど力が入りすぎているアランに、特殊能力を使うまでに至った。


アランがすぐに去ってしまうらしいことだけ聞こえたプライドは、勉強中にふと気付いたことをまだ共有しそこねていることに気がついた。勉強が終わったらすぐ言おうと思ったのに、勉強に集中して途中で忘れてしまった。

ギギギッ……と振り返るアランの笑顔が今だけはぎこちないことにも気付かない。急いでいるなら早く言うだけ言っちゃおうと意思の方が先立った。


「この香水!時間が経つとまた違ってアラン隊長らしい香りです。男らしいというか、温かみのある香りで」

時間が経過し、香りがまた変化した香水は最初の柑橘のさわやかさから今は樹木のような落ち着いた香りとなってプライドの嗅覚に届いていた。

柑橘系は勉強中にははかどって良いなと密かに思っていたプライドだが、時間が経った今の香りもまた違った一面のアランらしさがあると思えた。

香水にあまり造形が詳しくはないらしいアランに、これは香水のもう一つの魅力としても伝えたかった。もともと興味がないからこそ、本人の好む香りとして提供を提案したのだから、ジルベールから届くまでに彼に香水の良さを主張する。


それを、既に一度緊張の糸を切ってしまったアランには恐ろしく届いた。

満面の笑みを浮かべるプライドに、ボッ!!と顔が火になる音を至近距離にいたカラム達は聞こえた気さえした。香水だけを香った時は本人の発言を聞くまで自分達の中では最も平然としていたアランのあまりの反応に、エリックもアーサーも言葉が見つからない。

「そ!うですね?!ハイ!!」と裏返ったアランの声に、どう誤魔化せば良いかも判断付かなかった。


「あっ、それだけで!急いでいたのにごめんなさい。また明日、よろしくお願いします」

早口と無駄に声が大きくなるアランに、プライドもそこで一歩引く。顔まで赤いことに気付けば相当急いでいるのにくだらないことで呼び止めたのを焦らせたか、もしくは怒らせてしまったかしらとまで考える。どうぞどうぞと促すプライドに、アランも頭の微かな意識では申し訳ないと思いつつ、挨拶だけ告げ素早く逃亡した。


あとでエリックに謝ろうと思いつつ、気がつけば走りきった先は王居からも離れた騎士団演習場だった。

うっかり団服を着たままなのも忘れたと我に返ったのは、水場で井戸の水を頭から被った後だった。

ゼェッ、ハァッ……と息を切らせ、大きく息を吐き出した。カランッといつもより粗雑に桶を置く。団服は濡れただけなら乾かせば良いかと思いつつ、やっと頭が冷えたことに安堵する。最後の台詞は本気で反則過ぎると、また思う。

香った時は良い匂い程度しか思わなかったのに、プライドの言葉や彼女から香るだけで全然違う。そこまで思えば、一度置いた桶をまた手に取り、水を汲んだ。一度濡れれば二度濡れても一緒だと結論づける。同時に自分の団服にあった残り香まで洗い流してしまったことに、少しもったいないことをした気分になった。


─……ま、次から俺もつけるんだけど……。


ハァァ……と深呼吸とも溜息ともつかない息を吐き出したところで、他の騎士達に呼びかけられた。

「ア、アラン隊長……?!」「どうかされましたか?!」と全て整えられた声ばかりなのに振り返れば、全員新兵だ。まだ本隊が演習を一区切りつく前に帰ってきたらしいことに気付いたアランは、そこで大分速度を出して帰ってきたんだなと理解する。「いや大丈夫」と笑って手を振るまで自然な動作でできれば、もう調子は戻ったかなぁと他人事のように思う。


心配する新兵をそのまま人払いし、濡れた顔を両手で覆いそのまま垂れてた髪を全て後ろに流す。

まずは服を着替えないと演習に戻れないと、上着を脱ぎながら騎士館へと歩き出した。香水を買う程度までは良いが、こんなんじゃ付けるの無理じゃないかとまだ心配になる。しかしプライドの厚意も無碍にはできない。


─ いや、……寧ろ俺がつける分は平気か?


ふと、そんな疑問が浮かび、一人首を傾げる。

別段香水自体には良い香りだと、自分の構想とした香水だと納得されたところで嬉しいとしか思わなかった。プライドに褒められたこと自体は顔が熱くはなっても真正面で受け止められた。

自分から香っても、悪いことはなんでもない。むしろ問題は自分が普段使いすることではなく


「……その分、あの人がつけた日は今日以上に死にそうだけど」


ぼそり、と。口の中で呟いた言葉は外には出なかったが、じわりとアラン自身の胸には広がり苦笑した。

自分にとって慣れた香りになってくれた時には自分の緊張もマシになるか、むしろプライドから自分の慣れた香水の香りがしたことの方に死にかけるか。それはアラン自身にもまだ理解できない。

何故プライドから香るだけでこんなにも違うのか、彼女への気持ちには自覚してもそこまではわからない。今まで香水に興味どころか必要性も大して思わなかった自分だ。


少なくとも、お揃いの香水なんかバレた日には他の騎士達には殴りかかられるなぁ~と、アランは逃避のように考えながら部屋へと戻った。


Ⅰ600

ラス為書籍8巻がとうとう来月4月2日に発売致します…!

鈴ノ助先生の素晴らしいイラストと共に是非お楽しみくださ


また香水も予約受付中です。https://myfav-cosme.jp/products/list?category_id=128

受付は今月の18日まで。予約終了間近ですのでご注意ください。

アランの香水もございます。

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