Ⅱ569.不浄少女は降ろされ、
「俺様に黙って学校を辞めるとはどういうつもりだ?」
フンと、ふんぞり返ったレイからの苦情二声目がそれだった。
約束の今日、家の中ではなくわざわざ玄関前で仁王立ちと言っても良い体勢で佇んでいたレイは、久しぶりにも関わらずのご機嫌斜めで私達を迎えた。
待たせたことを怒っているということはもうわかった。でも、なぜ学校を辞めたことまで苦情を受けるのだろう。実際挨拶しようと思って運悪く会えなかったのは私の落ち度だけれども。どちらにせよそんなに苛立ちを煮立たせるなら家の中で寛いで待っててくれれば良かったのにとこっそり思う。
会って早速喧嘩腰のレイに眉間へ力が入ってしまうのを注意しながら私は「どちらにせよ今日会うでしょう」と先ずは断る。というか私達が辞めたのもクラス離れてるし絶対暫く気付かなかったでしょうに。
グレシルと無事合流を果たした私達は、その足で真っすぐにレイの家へと向かった。
当然以前の御屋敷ではない、中級層にあるファーナム姉弟のお向かいさんの方の家だ。今日訪れることは事前に約束していたレイだけれど、時間まではこちらも指定していなかった。グレシルと合流を果たせるのも、そこからレイの家までの所要時間も全く読めなかった。
結局暗くなる前に訪れることはできた私達だけれど、そうでなかったら夜中まで彼を待たせたのだろうかと考える。最悪、約束していたのに忘れて留守にされていたらと心配に思ったくらいだったのに。
私から最初に両者の仲介を始めようとすれば、その前にレイから「さっさと入れ」と扉を開けられた。まさかレイが人に扉を⁈……と思ったけれど、直後には誰よりも先に自分が家の中に入っていく。
取り敢えず家の中に入れてくれるだけ感謝しよう。
「入って良いの?」
「外じゃ双子共に見つかった時が面倒だ」
なるほど。またご近所トラブルを起こす前に家の中に避難というのは正しい。
双子、と言われるとディオスとクロイ、そしてファーナムお姉様やネルも皆仲良くお元気かしらとちょっと気になった。時間があればお向かいさんにも挨拶に行きたいけれど、やっぱり時間的にこのままだと難しいだろうか。ファーナム兄弟には会おうとすればセドリックのところで会うこともできるし、ネルにも仕事を通して会えるけれど、ファーナムお姉様なんてそれこそ一か月ぶりだしご挨拶できれば嬉しいのだけれど。
レイに続き中へ入ろうと扉に手をかければ、背後からアーサーが手を伸ばす形で扉を開いてくれた。ありがとう、とお礼を伝えてからゆっくり玄関から中へと入る。
玄関扉を開けば廊下もなく居間へと入る家は、予想した以上にこじんまりとした印象だった。
一目で見渡せる程度の規模の範囲に、ちょっと違和感を覚えるくらいに場所をがっつり取る上等なソファーやテーブル。絨毯やカーテン類が全部見覚えのある重厚的な布で、きっとお屋敷で使っていた防火布を全部持ってきたのだろう。部屋の大きさにそぐわない装飾が乱雑に置かれ、さらには部屋の隅に追いやられた箱の山が目を引いた。
レイ達が引っ越してからもう大分経っている筈だけれど、もしかしてまだ引っ越しの片付けも済んでいないのだろうか。明らかに使うものだけ引っ張り出してそれ以外はそのままです感が凄まじい。
装飾は豪華なのに、家具のゴテゴテさと箱の数の所為で元御貴族の家とか一般家庭というよりも男の秘密基地感が強い。まぁこの家の人が整理整頓を怠りませんという方がびっくりだけれど。何せここに住んでいるのは俺様レイ様の元御貴族ともう一人は……
「ライアー!!!いつまで寝てやがる!!」
部屋の奥へと進むまでもなく立ち止まったレイに、思わず続いていた私はつんのめる。
同時に背後に続いていたステイルも僅かに私の背中へぶつかるように触れた。玄関が二人分程度の幅しかないから、一人が止まるとそのまま連鎖するように全員つんのめってしまう。せめてもっと部屋の中に入り切ってから立ち止まって欲しかった。
二階へと繋がるのだろう階段へ向けて怒鳴るレイの声は、すぐ背後に続いていた私には見事に不意打ちで耳まで響いた。
直後には階段の向こうから「はいはいはい」と早口での返事と共にドタバタとした二階の足音が天井を通してこちらまで届いてきた。……ライアーはともかくトーマスさんは整理整頓抜かりませんタイプだったなぁと、なんだか懐かしい気持ちで思う。
けれど、今のライアーにはこの秘密基地感のある部屋がお似合いこの上ない。
そんなドッタンバッタンの最中、背後からか細い声で「あの……もう……」と躊躇いがちに聞こえてきて振り返る。
見れば、グレシルがアラン隊長の腕から降ろしてもらうところだった。もしかしてこのドタバタ感に逃げてしまうのではないかと一瞬心配だったけれど、下ろされたグレシルはそのままアラン隊長の背後に隠れるだけでそれ以上の後退はなかった。じっと覗くように騒がしい階段の方向へ目を向けている。
心配になって見つめていると、アラン隊長がニカッと笑いながら私に軽く手を振ってくれた。言葉以外での「大丈夫ですよ」の合図にそれだけで肩を降ろせる。アラン隊長が見ててくれるなら、問題もない。
最後まで扉を開ける係をしてくれたアーサーも、扉を閉じた位置のまま佇んでいて、二人の騎士の目に少なくともグレシルが盗むか逃げるかの心配はなさそうだと胸を撫でおろす。
「やぁっと来たか~ジャンヌちゃん!レイちゃんまたやらかしてねぇだろうな??」
ガタガタと階段を鳴らしながら降りて来たライアーは、大きな欠伸を零しながら短髪の髪をかき上げた。
脚から胴体、そして顔まで見えたところで「おおー来た来た!」と楽しそうにこちらを見て笑うライアーはヒラヒラと手を振ってきた。……途中、アラン隊長もいるとわかった途端に若干動作がぎこちなくなったけれども。
アラン隊長とはもう色んな意味で顔見知り相手ではあっても、やっぱり騎士の訪問というのは元裏稼業としては落ち着かないのだろう。
エリック副隊長に会った時もそうだけど、本当に騎士相手だと身構える。いっそ記憶を取り戻してからは条件反射に近いだろうか。アラン隊長の場合は、私と同じで〝トーマス〟としての記憶があることを知っている人だから、そういう意味で話しにくいのもあるかもしれない。
今もさっきまで近所の子が遊びに来たくらいの軽さから、後頭部に右手を置いて「あーどうも騎士様まで」と姿勢も声も低くなっている。
若干トーマスさん味のある礼儀の正しい御方への変わり身の早さはやっぱりなんだかんだいって当時の記憶もある証拠だなとこっそり思う。……実は洗脳中の自分を確保したのもアラン隊長だと知ったらどうなるのだろう。
アラン隊長から一言返されると、その後は階段から降りたまま一歩も近付こうとしない。
「いやーレイちゃんが待ち遠し過ぎるあまり玄関でずぅぅ~~っと忠犬みてぇに待っててよ。俺様は家の中でぬくぬく待ってりゃあ良いだろって言ったのにレイちゃんってば、かれこれ半日も俺様心配で心配で」
「そんなに待つか馬鹿が。よりにもよってジャンヌに俺様を犬呼ばわりするんじゃねぇ」
吞気にベッドで昼寝していたくせによく言いやがる、と。腕を組みライアーを睨むレイは相変わらずだ。
流石に半日も待っていたは嘘らしくてほっとする。そんなに待たせていたらそれこそ謝罪しないといけない。いやどちらにせよ待たせたことには変わりないのだけれども。
私から改めて「待たせてごめんなさい」と声を掛ければ、その途端「待っていない!!!」となかなかの強めな否定が入った。
少なくとも「遅い」と私に第一声で言うくらいには待っていた筈なのだけれども。
誰一人椅子に落ち着くこともなく立ち話を続ける中、レイの隣まで歩み寄って来たライアーが「まぁまぁ」と間に入る。そのままポンポンとレイの肩を叩きながら、「でっかくなったなぁジャンヌちゃん」とまだ一か月程度しか経ってないのに親戚のおじちゃんの言葉で笑いかけて来た。
「で、ジャンヌちゃん。前に言ってた子ってのは?」
やっと始まった大本題。
紹介する絶好のタイミングを投げてくれたライアーに感謝しつつ、私は改めて背後へ振り返る。突然自分の名前が呼ばれたからか、今は完全にアラン隊長の背後に隠れて小さくなっているグレシルは私にも姿が見えない。壁にされているアラン隊長本人が苦笑気味に首を向けているから、多分そこにいるのだろうけれども。
ええ、そこに。と、目で示せば、姿は見えずともアラン隊長の背後ということをライアーは汲んでくれた。「あー……」と、初対面から面会謝絶の彼女に半笑いをしながらもその場で立ち止まってしまう。ちょっと背伸びしたり姿勢をかえたり首を角度を変えて覗き込もうとするけれど全く見えないらしく、そのまま肩を落として諦めた。アラン隊長が盾のこともあり、いつものように図々しく近距離アタックができないのだろう。
ステイルが軽く「貴方の話ですよ」と声を掛けてくれたけれど、それでも彼女は全く動かない。最後方にいるアーサーの目線もグレシルを追っているけれど、私達の方へ向けた途端首を横に振ってしまった。どうやらグレシルに姿を表す気はないらしい。
まぁ、仕方がない。まだ彼女にもここへ連れていくことと、目的は話しても詳しくレイとライアーのことまでは話しきれていない。
レイに至ってはまるで早くも興味を失ってしまったように「どこだ」と、何の意図も食わずに言葉を振りながら大股で誰より先に一人用のソファーに座り出した。
足を組み、手すりに頬杖を突きそこで改めて上目に私を睨む。
「さっさと俺様の〝使用人〟をここに出せ」
『安けりゃ誰でも良い。衣食住は保証してやる代わり労働する奴を紹介しろ』
俺様レイ様相変わらず。
さっきアラン隊長に彼女が抱えられていたのを見たにも関わらずこれだ。
心の中で唱えながら、私は口の中を飲み込んだ。
この、屋敷とも呼べない一般家庭用のお家の中で、新生活の中で早々にレイが欲しがったお手伝いさん。
私は最悪の圧迫になるかもしれない就職面接を覚悟しつつ、当時レイにそれを依頼された時を昨日のことのように思い返した。