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Ⅱ568.不浄少女は見つかり、


私達が訪れた時は既に、グレシルはボロボロだった。


「お母さん、あの子痛そうだよ。背中すっごいの」

「あら……ねぇ大丈夫?この辺じゃ見かけない子だけれど、もしかして逃げて来たの?」

ジルベール宰相から聞いていた、グレシルの釈放日。

アラン隊長にお願いして城から釈放されるグレシルを尾行してもらった。彼女が城下のどこかに落ち着いた時か、もしくは彼女の身に何か起きたら呼んで欲しいと。

打ち合わせを控えていたジルベール宰相にも先に協力してもらい、一か月ぶりに十四歳の姿になった私とステイル、そしてアーサーは着替えを済ませてアラン隊長の合図を待った。


釈放されてからの彼女が何処へ向かうのかは私もステイルも全く見当がつかなかった。

アラン隊長からの合図があったとステイルが教えてくれた時には、予想より早かったなとすら思った。エリック副隊長に留守を頼み、アラン隊長のもとへ瞬間移動した。


情報協力者とはいえ、罪人として罰せられたグレシルは今後安易に裏稼業へ戻るかどうかもわからない。

もし、騎士であるアラン隊長の前で裏稼業へコソコソ再び犯罪の協力なんてしていればその場で再逮捕もあり得た。ケメトを捕まえようとした裏稼業も厳しく罰せられたけれど、向こう見ずに彼女に報復を考えないとも限らない。彼女がその報復も恐れず裏稼業と再び繋がるか、それ以外の道を選ぶかもわからない。

村を襲撃した人身売買の野盗だって、結局雇われただけで雇い主の正体は謎のままだ。村の人を攫った後の引き渡し予定場所にも当然のように誰も来なかったし、尻尾切りをされたことは間違いなかった。


裏稼業にも、そして我が国で人狩りを秘密裏に行っているような人身売買にも恨みを買っているグレシルがどこへ向かうかは、いくら考えても読めるものではなかった。

いっそ城下から離れるつもりかもとも考えたけれど、資金もない彼女が簡単に城下や国外に出れるとは思えない。可能性としては貿易用の荷馬車に忍び込むことくらいだ。

けれどアラン隊長が呼んでくれた時の彼女は、私達の想像をはるかに超えていた。

地面に倒れ伏していた彼女は、遠目でもわかるほど背中の傷が衣服から透けていた。あんな薄い服じゃ、近づけば焼き印も見えてしまうんじゃないかと思うくらいにはっきりと。今は彼女の青みがかった緑の長髪が隠してくれているだけかもしれない。


「なんかちょ~っと落ち着くどころじゃなさそうだったんで」

そう言って右肩だけ竦める動作をするアラン隊長の説明を聞けば、彼女は城から釈放されてすぐ人の注目を浴びてしまい逃げ出したらしい。

まだ市場の手前だったらしいけれど、それでもこの時間帯は人が多いから無理もない。特に顔の傷はどうしても目に入りやすいし、背中もあんな恰好じゃ振り返る人だっていただろう。シルクのように透けたワンピースは、着て時間が経ったからか転んだ所為か汚れが染みつき色も濁っている。むしろそのお蔭で背中が見えにくくぼやかしてくれているくらい、元の布地が薄い。その下にも来ているらしいキャミソールもショーツ程度の丈しかない内側のスカートも、汚れが染みついていなければもっと彼女の傷を露わにしていた。


ぱっかりと開いた背中を露出するようなデザインも、今は惨たらしい鞭の跡で色香の一つも感じられないだろう。刑罰の鞭は軽ければ数日で消えるけれど、罪の重さによって一か月経っても消えないものもある。特に彼女の場合は焼き印をされるほどの重罪だ。


しかもアラン隊長曰く、人の目を恐れている様子だった彼女はそのまま人の少ない道を選ぶように下級層に逃げ込んだ。そして転んだまま打ちひしがれ起き上がることすらできていない。

一か月も一人で投獄されて、自分へ報復する相手がどこにいるかもわからない状態できっと過敏にもなっているのだろう。

今も、立てない彼女を心配してこの辺の住民だろう親子が歩み寄っていたけれど、声を掛けられただけでグレシルは明らかに全身を強張らせていた。

親子が近づくのに比例して全身がピンと張り詰めて、明らかに裏稼業ではない母親と子どもに対してまるでナイフでも突きつけられているかのようだった。

身体をグレシルに合わせて屈め「こんな酷い傷を」と眉を垂らし、心から心配した様子で女性はゆっくり手を指し伸ばす。そして



「可哀想に」



放った、瞬間だった。

遠目で様子を見ていた私達でも息を飲むほどにグレシルから殺気が膨らみ破裂した。

うるさい、と。直後に彼女の声が張り上がり、空気を揺らした。あまりの怒声に女性も真っ青な顔で手を引っ込め、傍に立っていた子どもは腰を抜かすように尻もちをついた。

ガラガラと聞くだけでこっちの喉が痛くなるような音で叫んだ彼女の声は最初聞き取れることもできないような声の固まりで、後から思い返してやっと何を言っているか理解できた。

地面に俯けに倒れ伏したまま、彼女の顔が上がり歯がむき出しにされるのを見る。まるで獣のような顔つきは、あの日初めて見た怯えていた彼女ともゲームのラスボスとも全く違っていた。

指にも力が入るように爪で地面を引っ掻けば、パキリと小石以外の音がした。見れば、指の先から血があふれ出している。なのに本人はそれにも気付かないように、親子へ眼光が刺さったままだった。


「私はそんな゛んじゃない!!!!!貴方達なんかと違う!!わがるわげない゛!!!」

ガラリガラリと喉を傷め続ける声は、女性かどうかもわからないほど低く聞き取りづらかった。

膨らんだ殺気がビリビリ皮膚まで届いた。ギラリと光る彼女の眼光が憎悪に染まっている。あまりの彼女の激昂ぶりに胸を押さえれば、ステイルが無言のまま腕だけで私を守るように伸ばしてくれた。いや、前に行かない方が良いという意味かもしれない。……けれど。


親子の顔色がみるみるうちに白くなる。

子どもが逃げるように母親の元へ駆け寄り抱き着き、母親も抱き留めた直後には「行きましょう!」と慌てて子どもの手を引き走り去っていった。

ぽつりと彼女だけが道端に残されて、私達に気付く素振りもなく一人遺されたグレシルの激昂はそれでも止まらない。唇が切れるほど噛み締め、そして手足をばたつかせ叫び出す。「あああああああああ!!」と声を荒げるその姿は、まるで子どもの癇癪だった。

ケメトの話していた大人びた彼女とは全く違う、剥き出しの感情がそこに晒された。

声の限り、まるで発声すること自体が目的のように荒げ続ける彼女は、自分でも感情の整理がつかないのかもしれない。

一人だと思っている空間で、十五の少女が手足で振り泣き喚く。

アラン隊長やアーサーも、あまりの少女の姿に言葉が出ないようだった。


「どうなさいますか、ジャンヌ。少なくとも、今後も件の人身売買組織と繋がる気があるようには見えません。……更生の見込みがあるようにも」

独り言のような声で尋ねてくれるステイルは、視線はグレシルの方に向いたままだった。

そこまで言うと、そっと私を止める腕を自分から降ろしてくれる。きっとこの後の判断は尊重してくれるつもりなのだろう。

グレシルとステイルを見比べ、そしてアーサーとアラン隊長へと視線を上げれば二人も目を合わせてくれた。あくまで私の意思に従う、という三人の意思に私は感謝しながら一度息を吸い上げ吐く。結論はもう出ている。その為に今日はここまで来たのだから。

意思を込め頷けば、それだけで三人とも理解してくれた。

私が一歩グレシルへと足を進ませれば、音もなくその背後に続いてくれる。


なるべく威嚇されないように気配を消して歩み寄れば、その間もずっと叫び続ける彼女は全くこちらに気付かない。血を吐くんじゃないかと思うほど喉を酷使し叫び続けるその顔は涙と泥で顔もべったり濡れていた。


〝可哀想に〟と、その言葉に彼女がどうしてあそこまで激昂したのかはわからない。けれど、まるで世界全てに憎悪しているような眼差しはどこか物悲しくて、…………どこか、惹かれた。


懐かしさに似た感情が沸き上がるのが不思議で、きっと彼女は今自分がこんなことになっていること自体が受け入れがたいのだろうとだけ思考を傾ける。

もしあそこでブラッドの村が焼かれたまま野盗も村人も全員死んでいれば、彼女は人身売買に怯える恐れもなかったかもしれない。その時はきっとグレシルではなくて雇われた野盗が失敗したと誰もが思う。調子にのって火を付け過ぎて諸共死んだと。そうすればいつ現れるかもわからない報復の陰に今も怯えず済んでいる。


〝また私の所為で彼女も人生が〟と。……思わないわけじゃない。けれど、やっぱりあの時と結論は変わらない。

同情の余地も後悔もない。彼女一人の為にブラッドとノーマン、それにライラちゃん達の村が焼かれるなんてあって良いわけがない。

そしてこれからも第二作目の攻略対象者だけじゃない。彼女の思惑と快楽の為に、陥れられる人が居ていいわけがない。……だから。


「貴方が悪いわ」


あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛?!!!!と。さっきまで私達に気付く様子もなかった彼女からの反応は早かった。

泣いているのか、怒鳴ったのか威嚇かもわからない壊れそうな喉声で叫ぶ彼女は、私へ顔を上げた時にはもう目が殺意に染まっていた。

鼻の横から右頬にかけて刻まれた深い傷跡は、一目で彼女が〝平凡ではない世界〟で生きる印のように見えた。

顔に傷があるからって全員がそういうわけじゃない。それをよく知っている私にすら、今の彼女の形相と傷痕はそう見えてしまった。釈放されて間もなくなのに、完全に裏稼業の世界に身が染まっているような。……もう半身は、沈みかけているような気までした。


突然知らない相手に自分が悪いと言われ、気分が良い人もいないだろう。

今にも私に飛び掛かってきそうだと僅かに私も身構えながら姿勢を中腰程度に落とす。その軽い動作の間にもまたグレシルの顔色がサッと変わった。私を見る鋭い目が一瞬見開かれたと思ったら、真っ青に色合いが引いて行った。


彼女の視線が私ではなく今はその背後に焦点がずれている。ステイルとアーサー、私の背後にぴったりくっついて守ってくれる二人は表情こそ感情を反映しない真剣な眼差しだ。睨んでいるわけでも黒い覇気を溢れさせているわけでもない二人を前に、それでもグレシルの顔は血を抜かれたように青い。

どうしたのだろうと思った時、アラン隊長が話してくれた言葉を思い出した。たった三人、四人の視線すらきっと今の彼女は耐えられない。


「貴方も、さっきの親子と一緒よ。違いなんかないわ」


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