そして誓いを交わす。
「……条約の準備を、すぐに。」
部屋の端にいた摂政に振り返らずに国王が命じた。
摂政が短く返事をして、急ぎ足で一度部屋を出ていった。きっと条約書を今から制作してくれるのだろう。
そのまま、今度は衛兵に向かって合図を送った。それを確認した衛兵が弟達を捕らえたまま、牢へ連れていくべく彼らを立ち上がらせ始める。必死に彼らは未だ暴れるが、衛兵達に敵う筈も無く無理矢理持ち上げられるようにして立ち上がらせられた。
「見ていろよ兄君ッいやレオン‼︎」
衛兵に引っ張られながら、エルヴィンが声を上げる。衛兵から引っ張られる腕から、上半身だけでも乗り出すようにしてレオン様へ声を荒げる。これが彼に会う最後かもしれないと思ってか、今までにない早口でその暴言をレオン様へ浴びせ掛ける。
「意志無き人形が王などになれるものか‼︎綺麗事を並べて何でもできるからといってお前自身に中身などない‼俺やホーマーの内側にすら気付けなかった人形如きがこの国を治められると思うな‼︎きっと数年も待たずに瓦解するに決まっている!その時にわかるはずだ俺こそが王の器に正しかったと‼︎民に自己の肯定を縋るような薄気味悪い貴様などより俺の方がずっと遥かに」
「ッ黙りなさい‼︎‼︎」
思わず彼に対抗するように怒声となった私の金切り声が部屋中に響いた。あまりの音量と高さだったせいか、エルヴィンどころか彼らを連れて行こうとしていた衛兵までポカンと口を開けたまま固まった。
ああ駄目だ、やっぱり彼らには同じ王族として腑が煮え繰り返って仕方がない。
レオン様から手を離し、私は気付けば彼らの前まで足を進めていた。離れる間際に「どうか御無礼を御許し下さい」と国王に伝えるのが精一杯だった。怒りのあまり、彼らに視線が刺さって離れない。エルヴィンもホーマーも驚いたように私に見開いた目を向けたまま何も言わない。
「よく聞きなさい、レオン様は誇り高き王となる器の方です。」
高級な絨毯が私の足音を吸い込む。そうでなければきっとガッガッと酷く踏み鳴らす音が響いただろう。
「人形などではありません。己よりも民を愛し、周囲の期待に応え、王となるべくその身を捧げて来た尊い御方です。」
怒りに自分の目が燃えているのがわかる。その証拠に私の目を正面から受ける彼らの顔色が変わっていく。
「〝数年も待たずに瓦解するに決まっている〟ですって…?」
…ああ、駄目だ。とうとう私の内側にいる惨虐女王が顔を出す。彼らに一矢報いたいと高らかに声を上げ、弟達の顔色が変わることに歓喜する。言ってはならないと心に押し殺していた事実が、舌先へと滑り落ちる。
「私の予知ではレオン様無き貴方の王政こそがそれでした。」
目を限界まで見開いて無表情に覗き込めば、彼らの表情が凍った。私が語りかけることで、彼らを連れて行くべきか悩んだ衛兵がその場に凍る彼らを押し留めた。
「貴方達の王政で民は貧困し、国を去り、貿易は減少し、今のこの暮らしが嘘のようにアネモネ王国も王族も衰退の一途を辿っていました。」
言う必要のない言葉だ。彼らはまだ何もしていない、その前に食い止めることができたのだから。
なのに、彼らへの怒りが抑えきれない。
背後で小さくステイルの声がした。「姉君…?」と私を呼んでいる。
「そして、あろう事か貴方達は国が傾いた途端、我が国にいるレオン様へ救いを求める未来が。」
〝戻ってきて欲しい〟と。〝自分達だけではどうにもならない〟と。
そう続ける私の言葉に、彼らは信じられないといった表情で私を見返した。今さっき暴言を吐いた相手であるレオン様に自分達が助けを求めるなど信じられないのだろう。
だが、それがゲームの中の彼らだ。
ゲームが始まった時には既に彼らは頻繁にフリージア王国に、…いや、レオンに会いに来ていた。
表向きは城で体調を崩していることになっているレオンへの見舞いに。そしてその実は、心を病んで引きこもってしまったレオンに自国へ戻ってきて欲しいと頼みに来るのだ。
自分達が陥れ、王位継承権を奪い取った相手であるレオンに。
心を病み、更にはフリージア王国との関係を壊さない為に断腸の思いでフリージア王国に留まっている彼に、彼らは何度も訴えかける。「戻ってきてくれ」「兄君でないと駄目なんだ」と。
終いには「兄君はもうアネモネ王国の民のことはどうでもいいのか⁈」とまで叫ぶ始末だ。それに怒り狂ったレオンが出て行けと叫び、彼らを追い出した後にティアラに縋りながら泣く姿はとても悲痛だった。
その上、彼らはゲーム中盤過ぎではレオンが心を開いたであろうティアラをも言いくるめようとする。「実は本当は兄君が国王となる筈だったのです」と。懺悔のような言い方で彼らはレオンと自身の過去を語る。
彼らは幼い頃から年の近い兄であるレオンにコンプレックスを抱いていた。
全てにおいて自分を上回り、涼しい顔で難題を熟す兄に。そして周囲からも王の座はレオン第一王子で間違いないと言われ、劣等感を抱いていた。
その結果、彼らは自国の王族が高潔さを重んじることを逆手に取り、レオンの悪評をばら撒いたのだ。そして思惑通り、レオンはフリージア王国に婿入りさせられてしまう。
…本当に、もう一人の攻略対象者とは偉い違いだ。
だが、婚約発表後にレオンがフリージア王国に滞在している間にまた事態は一転する。
国王に悪評を広めていたのが弟達だとバレてしまったのだ。
国王とレオンがプライドの誕生祭で城に不在の間、思惑通りにいったことを祝して部屋で騒いでいたのを母親である王妃に聞かれてしまう。
その為、レオンより一足先に帰国した国王にも王妃の口から知られ、彼らは呼び出されて咎められた。
そして、やはり第一王位継承権はレオンにと国王に告げられた上で「今の内に己が過ちを省みよ」と忠告されるのだ。
そこで彼らはレオンを今度こそ王位継承の座から決定的に突き落とす為、彼に酒を飲ませて酒場に置き去りにした。これだけでも外道の極みなのに、彼らは更に…
「貴様はッ…何処まで予知しているというんだ⁈」
怪物をみるような目を私に向けるエルヴィンに、私はふと意識を取り戻す。その目には若干の怯えも窺えて、私は敢えて無表情をそのままに「色々知っていますよ」と彼らに返した。
「レオン様が酒場で多くの民や衛兵の目に晒されること。貴方達の王政。我が国で王配となっても尚、アネモネ国とその民へ想いを馳せるレオン様。………貴方達が国王陛下にこれまでの悪行を知られ、やはりレオン様に王位継承権をと告げられたのは…もう、既に数日前のことでしょう。」
私の言葉に今度こそ彼らは言葉を無くす。
背後からガタッと音がした。恐らく国王が再び立ち上がった音だろう。背中からも沢山の視線が私に向けられているのがわかる。
「…覚えておきなさい。」
ふつふつと、いまだ怒りが湧いてきて止まらない。それでも何とか内なるプライド女王を押し留め、引き上がりそうな口元を戻し、静かに彼らを睨み付けた。
そのまま人差し指を伸ばし、エルヴィンとホーマーを順番に一人ずつ指し示す。
「貴方達が今後、どのように罰せられようとも二度とこの国と、そして我が盟友であるレオン様に危害を加えることは許しません。」
ゴクリ、と弟達が喉を鳴らす。彼らの額から汗が滴り落ち、首筋を濡らした。まだ私からの言葉が終わらないことをわかっている。
「もし、その禁を破れば〝プライド・ロイヤル・アイビーという一個人〟が、貴方達二人の敵となります。…そして、私がこの手で必ず罰します。」
脅しや虚言でないことは、私の目を見て彼らもすぐに理解したようだった。ホーマーが何度も繰り返し怯えるように頷くのに対し、エルヴィンは敗北と屈辱にまみれた表情で私を睨み返してきた。
「…運良く女王制の国に産まれた女如きが。」
暴言を吐いたせいで衛兵にさらにキツく取り抑えられる。それでもエルヴィンは変わらず私を睨んできた。だから、私も答える。
「王族としての誇りも義務も知ろうとしない貴方達はそれ以下です。」
私の言葉に彼は苦々しく更に顔を歪めた。
彼らは、単に愚鈍な王となるだけではない。国も…そして民すらをも省みない、酷い王と成り果てる。無実と知りながら、自国の民をプライドへ〝王子を不貞へと惑わした罪人〟として差し出したことを何の罪とも思わないような王に。
レオンがゲームスタート時に心を病んでいたのは国から追い出されたからでも、自国の民や父親の信頼を失ったからでもない。
酒場で発見された時に自分と一緒に酒場内にいた民全員が、プライドの手により目の前で嬲り殺しにされたからだ。
プライドはレオンが自分の国へやって来る筈の日の朝に酒場で酔い潰れていたことを知り、その時に酒場にいた人間を全員〝罪人〟として差し出せとアネモネ王国に要求してきたのだ。そうしなければ、婚約を破棄して即刻軍を放つと。
そして、差し出されたアネモネ王国の民をプライドはレオンの目の前で惨殺する。
自分の過ちのせいで、罪もない民が嬲り殺しにされるのを見せつけられたレオンは心に酷い傷を負い、病んでしまう。自分と共にいるとその人が死んでしまう、傷ついてしまう、不幸になってしまうと思い込み、人と関わること自体を恐れるようになってしまう。
前世でゲームしていた時は「この弟達、全く反省の色ないな」とか「まぁでも、国を人質に取られたら無実とわかっていてもプライドに民を差し出すしかないか」くらいにしか思っていなかった。
ティアラがどこルートに行こうと結局レオンがアネモネ王国の舵をとることになるのは変わらなかった。
レオンルート以外のクリアだと、エルヴィン国王に成り代わり、レオンが王になった途端アネモネ王国も息を吹き返して元の貿易国として栄え始めたと最後にティアラの語りでナレーション文が入っていた。
エルヴィンとホーマーはレオンルート以外ならば普通にフリージア王国の王配を退いたレオン様を自国に迎え入れて王の責務丸投げしてメデタシメデタシだったし、レオンルートでは死ぬけどレオンの手によっての断罪ではなく、プライドにあっさりと殺されてしまうだけだ。しかも断罪どころかレオンが弟達の死に嘆き悲しみ立ち上がる姿の方がメインのイベントだった。
それでもキミヒカシリーズ第一作目でプライドの次にこの弟二人が嫌いという声は多く、中にはレオン攻略ではなくこの弟達のザマァを見るために何度もレオンルートをやり込んだ人もいたそうだ。…今の私ならその屈折したやりこみの気持ちも少しわかる。
レオンルートで明らかにされる彼らは、それほどに酷い。
レオンがフリージア王国に移り住んですぐに国王が病で急死すると、王位を継いでやりたいだけやった後は、まるで自分は悪くない被害者かのような顔でレオンに後始末全てを押し付けようとするのだから。
更にはレオンやティアラの居ない場所で語り合い彼らは「よし、あの女なら上手く言い包められそうだ」「もう王の仕事なんか真っ平だ。レオンに全部やらせておけば、どうせどうにかなる」とかなりの自己中っぷりだった。
ティアラにレオンの過去と自分達の罪を語った後には「ですが、今のアネモネ国には兄君の力が必要なのです!父上も失ってしまい、僕達にはどうすることも…」と言ってティアラからもレオンがアネモネ王国に帰るように説得して欲しいと訴えたり、更にはティアラを誘拐してレオンに無事返して欲しくば国へ帰れと脅したり、更にはレオンとティアラが城下に逃げた場面では、アネモネ王国の国王と摂政であるにも関わらずプライドに捕まえたレオンを引き渡すことを条件に顎で使われ、ティアラとレオンを捕まえようと城下を駆け回る。
他の追手キャラであるヴァルや鎖の男と同じポジションにまで堕ちるなど、国王としてあり得ない。その結果、最後にはプライドに「使えない王様ね」とレオンの目の前で撃たれて即死するのだけれど。
過去に自分を陥れ、更に今は敵に回っていた筈の弟達の亡骸を胸に抱いて泣き、恐怖の対象であるプライドに立ち向かうことを決意するレオンのシーンは強い意志と、兄としての愛に溢れていた。
ただ、それでも今の私には彼らは許せない。
同じ王族として、彼らの暴挙を。
「エルヴィン元第二王子、ホーマー元第三王子。…貴方達は国王となって何をしたいと望みましたか。」
私の問い掛けに、彼らが目を見開く。まるで今やっとそれに気づいたかのような表情だ。
…そう、彼らはレオンへのコンプレックス故に、兄を蹴落とし王となること自体が目的となっていた。
ゲームの中では、それ故に国王となった後はその特権だけを振り翳して贅沢を貪り、他国との交流をぞんざいにし、民を粗雑に扱い、国を傾けるのだから。
「もし、そこに最初に民の姿を見出せなければ、それまでです。誰よりも清い心を持ったレオン様を否定する権利などありはしません。」
本当はもっと言ってやりたいことも、彼らが犯す筈だった暴挙も全て晒してやりたかった。でも、既に言うべきでない未来の事実をいくつも〝予知〟という形で暴露してしまった。これ以上公言することは危険だ。
震える拳を握り締め、私は彼らに背中を向けた。私を見つめていた国王に出過ぎた真似をと詫び、再びソファーに腰を下ろす。
衛兵が話を終えたと判断して今度こそ彼らを部屋から連れて行った。
「姉君、大丈夫ですか…?」
小さな声で、ステイルが心配そうに私へ声を掛けてくれる。彼の優しさが身に染みて、大丈夫と笑みで答える。
「プライド…。」
腰を下ろしたままの体勢で見上げるとレオン様が私に歩み寄っていた。国王と同じようなポカンとした表情のまま口だけぎゅっと閉じて私を見つめている。
やはり、罪人とはいえ弟達に対しての発言や未来に国が衰退するなどの不吉な予知はまずかっただろうか。怒りのあまり自分でも信じられない程に暴走して宣ってしまったことを今更後悔する。
もし、今の発言で私やフリージア王国が不興を買ってしまったら
「…ッ……ありがとうっ…。」
次の瞬間、レオン様の両腕が私をしっかりと強く抱きしめた。
突然引き寄せられた身体が前のめりに倒れ、レオン様の胸板に受け止められた。
何故、お礼を言われたのかわからない。
何故、抱き締められたのかわからない。
ただ、私を強く抱き締めたまま離そうとしないレオン様が私の肩に涙を零し始めている事だけが、ドレス越しに伝わる熱でわかった。
音もなく、ひたすら涙だけが零れ落ちる彼がどんな表情をしているのかもわからない。
ただ、今は彼のこの気持ちをちゃんと受け止めたいと思った。
彼の背中に腕を回し、その背をさするように手を動かした。今までのただ演じていただけの抱擁ではない、確かな彼の感情と熱をそこに感じられたから。
「レオン様。…誇って下さい。愛して下さい。求めて下さい。」
泣きながら、次第に嗚咽のように全身を震わせ出す彼が私の肩越しに何度も頷いた。
「貴方の心も、そして貴方の愛したこの国も、……こんなにも美しいのですから。」
私のせいで、この数日間どれほど彼は苦しんできただろう。自国への愛に苛まれながらもそれを表に出そうとせずに耐え続け、取り繕って演じ続け、自国への愛すら気取られぬように心を殺し続けて
だから、彼と共に過ごした三日間は私も辛かった。
私に笑み、愛を囁いてくれた彼が…本当は誰よりも泣き出したいくらいに辛かったのを知っていたから。
良かった。心からそう思う。
彼に、アネモネ王国を返せて良かった。
アネモネ王国に、彼を返せて良かった。
「レオン・アドニス・コロナリア第一王子。」
全身で泣き続ける彼に、私はふと頭によぎった言葉を問い掛ける。
本来はきっと、私達が交わす筈だった誓いの言葉を辿り、捩りながら。
「…貴方は、病める時も健やかなる時も、富める時も貧しき時も。自国の民を愛し、守り、国がより良くなるように務め、彼らの生活を守り続けてくれると誓いますか。」
私の言葉にやっと彼が声を出そうとして、嗚咽を漏らした。酷く聞き取りにくい涙声で、叫ぶように彼が声を上げる。私を抱き締める腕の力が更に強まり、彼の決意の強さを肌で感じた。
「…ッ誓います…‼︎」
国と民を誰よりも愛した王子が、私達の前でその愛を誓った。