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Ⅱ566.不浄の少女は夢を見た。


頬杖を突いて寝そべって、崖の下を眺めてた。

ただ、それだけよ。


「イヤァああああああああ!!!」

「誰でも良い!家に逃げ込め‼︎奴ら一体どこから⁈」

お気に入りの、場所だった。見晴らしも良くて、誰も来なくて一人になれて、下にいる村の人間を見下ろせるのが気持ち良かった。

のんびりとつまらない顔をしていた村の人。つまらない寂れた家から人が出て、畑を耕してつまらない話をしてまた歩くだけだった。

これから何が起こるのか知っている私だけが心臓が口から出そうになりながらずっと待ち続けた。

きっといつもみたいに畑や狩りに行って小さな集落の中でまた生活するだけだと思ってた人達。そんな人達が急に悲鳴を上げて走り出しいった瞬間、思わず胸を押さえた。城下へ繋がる村への入り口と別方向から現れた奇襲者に、この人達は何が起こったかもわかっていないのかもしれないと最初に考えた。

川の方向から現れた大群は土埃をあげて、人というよりも嵐のよう。馬や馬車で駆けこんでくる地響きが、空気を通して耳に届いた。


いつもただ平穏だけが取り柄みたいな村にとって、きっとその振動だけでも大きな変化だったのだろう。

嵐のような強襲に、村の人が何人も悲鳴をあげては家に逃げ込み扉を閉めた。家に閉じこもっていたところで見逃してもらえるわけもないのに、次々と家に駆けこんではバタリと扉も窓も勢いよく閉じられる。

ついさっきまで人が当然みたいにのんびり行き交っていた民家へ逃げ込んでいく光景に、蜘蛛の子を散らして遊んだ時を思い出した。


小さな小さな村の集落を飲み込むのは私が思っていたよりもずっと簡単なことなんだなと理解した。

バタバタと民家に人が逃げ込んでいく中、大勢の男達が窓や扉を叩き壊すのはまるで当たり前のことのように躊躇いがない。

攻め込まれたどの家からも悲鳴が放たれて、まるで生まれて初めてびっくり箱でも開けたように胸が弾んだ。


「炙り出せ!!」

野太い声はうっすらとだけど私にも聞こえて来た。

野盗の中の一人が火をつければ、そこで炎が広がるのは本当にあっという間。手近な家に火をつけて、そこを火種に次々と民家を燃やしに回り出す。いちいち扉や窓を壊すのよりもずっと簡単にずっと早く人を炙り出せる方法。

まるで決められた段取りのようで、あっという間に村の家全部に火が燃え打つる光景に呼吸も忘れた。次々と一変していく光景に目を奪われた。


ボワボワと家や建物一つ一つに火が灯って、遠目から見下ろす私には蝋燭の明かりのようだった。お祝いのケーキってこんな色かしらとぼやける頭で思った。とても綺麗で、わかりやすい光景だと思った。

手に掲げる炬火に投げ、それだけで家に閉じこもっていた人が面白いくらい次々と家から飛び出してくる光景はまるで蟻の巣に水を注いだようで。

家から飛び出してくる人を男達が捕まえては大人も子どもも泣き叫びながら川の方角へと連れて行かれていく。火事に気付いた途端、一斉に大勢が川の方向に逃げ出したから、野盗達の手を逃れて駆けていく人達もいる。

それでも一人また一人と確実に捕まっていく人は誰もが悲鳴や叫喚を上げて手足をバタつかせていた。両手を縄で括られた後も泣き叫んでいる姿に、大人も子どもも関係ない。


「良いかあ!まだ殺すなよ⁈身体も無駄に痛めつけんな!!」

「どうせこんな山奥じゃ金目のもんなんざねぇんだ!全部燃やしちまえ!!」

「ッ逃げろ‼︎女子どもを連れて川の向こうに走るんだ!」

「ぶわはははは!!馬鹿か逃がすかよ!!」

本当馬鹿みたい。

だってこの人達はその川の向こうから来たのに。奥に行けば行くほど仲間がもっと大勢待ちかまえているに決まっている。

火事からか野盗からか、どちらにしても逃げる為の道はとっくに知られてる。最後に捕まる場所が変わるだけ。こんな小さな山奥で逃げられるわけがない。


途中で視界が悪くなってきたと思ったら、ちょうど咳込み噎せ返った。

思わず夢中に見ていたら、煙がこんなところまで届いていたんだって気付く。ゲホッケホケホと音を立てるのもまだちょっと怖くて、口を両手で覆って塞ぎながら咳をする。

真っ黒に覆われているのが煙の固まりじゃなくて、さっきまで当たり前みたいに並んでいた民家なんだって気付いたら全身の肌が引き攣った。

ピリピリ、チクチクと今にも表面の一枚は破けちゃうんじゃないかと思うくらい。私と違って田舎でのうのうと帰る家を持っている人達が、今目の前でもう家がなくなったんだとわかったらゾッと背筋が凍ってなのに血がドクドク流れた。

お金も、家も、たったこれだけで無くしてる。……無くしてくれたのだと、そう思えば指先がわかりやすく震え出して胸に押さえつけた。今の村人は、きっと今が一番……


「お願いこの子だけは見逃してっ!」

「こういう時にノーマンが帰ってきてりゃあ」

「いねぇ奴あてにできるか!!誰か騎士を呼びに行け!!」

「待って!待ってまだ家には父が残されてっ……」

子どもを抱き締めて蹲っていた女が、無理やり引きはがされそれぞれ縛られる。子どもが何か喚いて母親に手を伸ばしているけれど、次の瞬間には男に蹴り飛ばされて大人しくなった。ごろんごろんと地面に転がって、そのまま手を縛られ川の方へと引きずられていく。

あんな子ども一人守れない女が母親なんてカワイソウ。無駄に暴れた報いか、馬に繋がれてまるで荷物みたいに地面を引きずられていく光景は下級層でもなかなか見れない光景だった。


身体つきの良いおじさん達が二人で協力して、野盗を押しのけ山の方へ駈け出そうとする。けれど、先回った騎馬の方が早かった。

あっという間に阻まれて、弓矢の照準を合わせられるおじさん達は後ずさりした後にあっさり縛られた。二人がかりで押しのけたさっきの野盗が歩み寄って、おじさん達の頭を後ろから煉瓦で殴った。見ているだけですっごく痛そう。

腕を掴まれた女が、長い髪を振り乱して燃える家に手を伸ばす。……あら、けどこっちはつまんない。燃える家からお爺さんを背負った男の子が飛び出してきて、そこで男達に皆捕まった。あんな老人どうせ高く売れないし生きていても意味ないんだから置いて逃げれば良かったのに。


火の海が広がるにつれて、上からでも段々人の姿が見えにくくなる。

もっと、もう少しと私も寝転がっていた体勢から膝を立てて前のめる。ハァ、と自分の息の音をはっきり耳の奥で聞いた。

心臓の音がさっきより煩くて、吐き出しそうなくらい胃の中まで競り上がる。一本調子の音がずっと止まなくて、両耳を塞いでみたら耳鳴りだった。

うるさいうるさい、もっと聞きたい拾いたい音が声が悲鳴があるのにと夢中で耳を叩く。唾を飲み込んで、それでも耳を塞ぐ音に口の中を思わず嚙み切った。

ただ耳も心臓も血も全身が勝手に煩いだけで、瞬きも勿体ない。胸がひたすら叩かれ熱い感覚は、まるで恋をしたかのようだった。


「クソッ‼︎特殊能力者欲しさに村まで巻き込みやがって‼︎あの化物の所為で」

「!おいジャン馬鹿‼︎そうと決まったわけじゃ」

「特殊能力者⁇」

お爺さんを背負って飛び出してきた男の子に、野盗達が急に振り返る。

縄で縛られて川の向こうに引っ張られていく男の子は、それでもまだ元気に足をばたつかせて身体を捻らせていた。さっきは騎士みたいに格好良くお爺さんを助けたのに、今は他の捕まった人と大して変わらない。むしろ人どころか繋がれた野犬みたい。


何か生意気なことでも言ったのかしら?急に野盗達に殴られ嬲られ出した。たった一人で大人一人にも勝てないに決まっているくせに、最後は地面に叩き伏せられた。髪ごと頭を掴まれて、何度も何度も地面に叩きつけられている。

「言え」って男達が一斉に怒鳴る声がうっすら聞こえた。何かしら?そんなに謝らせたいなんて、どれだけ馬鹿な発言したのかすごく気になる。

男の子の顔が踏まれて、転がって横向きになった途端今度はお腹を何度も何度も蹴られてる。このまま嬲り殺しされちゃうのかしらと、少し首を伸ばして前飲める。

けれど、野盗の一人がナイフ片手にさっきのお爺さんに近付いた途端にわかりやすく男の子が何かを叫んだ。




『イイコトを教えてあげる』




耳鳴りを押しつぶし、耳奥で響いたその声に思わず全身が強張った。

まるで、あの人がここにいるような感覚に視界が白と黒に明滅して眩暈がする。あの時。そう、あの時に囁いてくれた言葉。教えてくれた、死ぬはずだった私に教えてくれた真実全部。

目の裏で光景まで浮かび上がるようだった。噎せ返るような甘い香水と生臭い血の匂いが記憶だけで目の前の黒煙より吐き気を込み上げさせる。思わず口を両手押さえ、大きく背中を後ろへ逸らした。

まるで時間が早まるみたいに目の前の光景がぐるぐると目まぐるしく変わり出す。前に進んでいるのか後ろに進んでいるのかわからない。煙の流れがぼわりぼわりと大きく膨らんで、人の怒号が音なのか声なのか男の声が女の声かもわからない。

全てが燃えて赤と黒に染まった光景は、それだけで暗闇の中でみたあの人の髪を思い出す。まるで人の血で染め上げたような深い深い、深紅の髪。


『貴方は特別なんかじゃない。路傍の石と同じ、ただ偶然存在してしまっただけ』


擽るような声だった。

今も思い出すだけで心臓を直接羽の先で弄られるようで落ち着かない。脇を閉めて背中を丸めて全身で胸を中心に押さえても、異物感がどうしても消えてくれない。気持ち悪い、気持ち悪い、気持ち悪いのに。


知っていた。私は特別幸福なわけじゃない。だからって、もっともっと不幸で可哀そうな人間もいる。

あの人達がいる限りは私は特別不幸でもない、普通だと。むしろうまく生きていて幸せな〝方〟だとも。

この国で、城下で私みたいな存在は普通にいて、私が生きていても死んでいても汚い死体が一個増えるだけできっと誰も気にしない。


それでもあの時〝存在してしまっただけ〟という言葉は全ての否定のようだった。

私がどう人より優位に立ってもどう上手く生きても、全ては意味がない。あの日、奴隷になりかけたことも。あの日、母親だった人の元で見せ物にされたことも全部。

全部意味がないのに私の身に降り注いだんだと。

もうあの時これ以上なく絶望していた筈なのに言葉を飲み込んだ時、胸の芯まで何も感じなくなった。痛いも怖いも死にたくないも全ての感情が閉じた音を確かに聞いた。

あの瞬間に手足を切られてたら、きっと私は何も抵抗ができなかった。けれど




『特別にして欲しい?』




「ッお前達何をしている!!村の人達をどうした?!」

「⁈騎士だと!!」

突然まで崖下がどよめいた。

気が付けばさっきまで縛られていた人達も馬車もどこにもいない。もう川の方へ行ったのか、大事なところを見逃してしまったことよりも今は崖下にぽつりと佇む白い団服に一瞬心臓が止まった。私でも知っている、王国騎士団の団服。


なんで?バレたの?そう考える間にも騎士が剣を抜き、まだ残っていた野盗へ駆け出した。

地面を蹴ったとわかった時には、遠目じゃ追えない早さで戦闘の男の腹を裂いた。ビシャリと正面から血を浴びて、続いてかけてくるもう一人に斧を振り上げられた瞬間懐に入って顎を蹴り上げた。大きく振りかぶった斧の重さにそのまま引っ張られるように男が仰け反ると、次の瞬間には吸い込まれるように騎士の剣が男の心臓を貫いた。血を浴びて、小脇に抱えていた箱をそこで初めて騎士が地面へ降ろす。


まるで呼び水みたいに、他の燃える家に散っていた男達が集まってくる。さっきまで村人相手に対して身構えてもいなかった野盗達が、武器を手にじりじりと距離を詰めている。

大丈夫、いくら騎士だからってこんな大人数相手に勝てるわけがない。


一斉に五人も飛び掛かって、たった一人の騎士は怖気もせずに立ち向かう。

剣を横一閃に振るったと思ったら、一度に三人が目を押さえて転がり出した。けれど、まだ背後から飛び掛かった奴らもいる。

一度に二人から剣を振り下ろされた騎士は振り返り、一人は剣で一人は手首を掴んで止めた。男達より小さい身体のくせに止め切ったことに目を見張れば、拮抗する間もなく剣を弾いて野盗の腕を切り落とした。殆ど同時に掴んでいた手首の男も片手のまま捻り上げて、最後に剣で身体の真ん中を貫いた。

まるで流れるような動きが全部あっという間で、そのまま騎士は地面に置いていた箱を拾い上げると一直線に村の中へ駆け抜けていった。川の方向とも少し違うから、村の人がどこにいるかはわかっていないみたい。……けれど。

ひんやりと、さっきまで熱かった手足が急に冷たくなる。まるで私まで剣で貫かれたみたいに身体の熱という熱が逃げていく。どうしよう、騎士が、騎士がくるなんて、このままじゃ今度は、私が。

茫然と地面にお尻をつけたまま膝が崩れる。力が上手く入らない。どうせあの大勢に人質を取られて敵うわけない大丈夫と思うのに、視界に入る野盗の死体の山に嫌でも頭が否定され





『最初で最後の機会よ』





─ 村が、叫んだ。


村人が、じゃない。村そのものが。誰か一人や二人の重なった声で済まない。一度に揃えたみたいに大勢の人の叫ぶ声。

村そのものの断末魔が一斉に私の耳まで届き響き渡った。

視界の全てが赤く染まる。張り付いたように、大波のように村の叫びが続き空気を揺らす。

幻聴なのか、こんなところに届くわけない。あの村人は殺すんじゃなくてきっと奴隷にするんだから殺すわけもない。自分で自分の考えに首を横に振った時、騎士に倒された男達の全身が一瞬で燃え出していることに気付いた。


人だけじゃない、家も木も林も私が今ここにいる崖上のほんの数センチ下まで全部の草に火が灯った。


心臓を貫かれた男は動かないまま炭になるだけだけど、目を裂かれた男は目を押さえながらゴロゴロゴロゴロそのまま転がり出した。あの人もさっきの村の吠え声の一人かしらと目を凝らすと、もう一人腕を切り落とされた男もみんなみんな燃え転がっていた。

目を裂かれてから地面で手足をジタバタさせていた男は殆ど全身が、腕を切り落とされた男は膝を付いていた状態から今はその足をばたつかせて暴れてる。

家の火が燃え移ったのかと思ったけれど、男達の周りに飛び火するようなものはない。なのに生きてる奴も死んでる奴も平等に炎に飲まれて、しかも転がっても転がっても消えるどころか火が増している。一部が消えても全部は消えずまた燃える。

まるで、何度も何度も火を〝点け直されている〟かのようだった。


崖上から見ても近くに他の人はいない。なのに、まるで拷問でもしているみたいに男達が何度消そうとしても身体に纏う炎は消えない。

じわじわと胃の中で消化されてるように、転がれば転がるほど火が彼らを消化する。服を燃やし焦がし肌を溶かし肉を肺にする。ゴロゴロゴロと男達二人ともまるで丸太のように転がっては勝手に火に飲まれていく。

何が起こったも分からないまま瞬きも忘れた目で眺めている間に、男達は動かなくなった。

ぼわぼわと家だけじゃない人間も炭の一つになっていく。炎の隙間からちらちら見えてた光景もとうとう火に飲まれ煙に覆われ完全に塗りつぶされた。

あれだけ聞こえてきた村そのものの断末魔も、今は全然聞こえない。火の中が信じられないくらい静かで、……もう誰もきっと生きていない。

ぼんやりとそんなことを思えば、頭にはまたあの人の声が蘇る。

擽るような、心臓に直接触れてくるあの感覚と甘い匂いまで香ってくるようで。




『私が貴方をその村の〝特別な存在〟にしてあげる』




「……は、……ははっ……」

喉から、込み上げた。

手足がぺたりと地面について、口が間抜けに開いたまま顎に力が入らない。悲しくない筈なのに、何も見えなくなった赤と黒を前に目の中が滲み出す。

筋肉が引き攣って、まるで肉を引っ張られているみたい。「は」しか言えなくなった喉が音を小刻みに量産する中で、頬に水が伝い湿っていった。

耳の奥に聞こえるのは耳鳴りよりも断末魔よりもずっとずっと怖くて愛しい声で、脳裏に浮かぶのはあの人の髪と包帯越しにうっすら見えた同色の厚い唇。今も私の耳の傍で間違いなく囁いている。振り返ればきっとそこにいる。背後から私の両肩に手を添えて、口端を裂くような笑みで笑ってる。


力の入らない手足が、内側だけがぴくついて震え出す。もう一生この場から動けなくなるような気さえする。頭の先から沁み込むように溶けた鉄を注がれて、喉から肺から足の先へと広がっていくのを感じる。

皆、死んだ。今までだって何人だって見殺しにしたし陥れた。けれど、なにかしら。この今までにない高揚と解放感は。

まるで特殊能力でも受けたみたいに。あの言葉が、私の心臓を二度も貫いて離れない。

あの人の言葉はまるで薬のように脳まで溶かして生かしてくれる。今この光景を前に、彼女の言葉はこの上ない真実だったんだと確信する。

私をわかってくれたあの人は、きっと私が特別な存在になれるということもわかってた。


「は、は、は、はっ……はははははははっ……」

唇の両端が内側から引っ張られる。あの人がきっとつねりひっぱっているのだと思えば、そこで今私は笑っているのだと気が付いた。

堪えたくても堪えられない。喉がヒクつくような感覚と、熱くて痛くて堪らない。塩の味がする水が口の中に入って、味を理解できたと思えば今度は涎が垂れた。瞬きの仕方がわからない。目の前の赤と黒から逸らせない。手に力が入ればちぎれるまで喝采を送っていた。

全身から汗が噴き出す感覚を皮切りに、全身の水が零れ漏れだした。目がぼやけてみえないのに、この光景が世界で一番愛しいと思う。たった今私は〝そう〟なれたのだという示す光の集合体へと全身で仰ぐ。


指先が、足が、唇が、心臓が、全部が震えて呼吸も声も震えるこの感覚はもしかしたら繭を破る感覚と同じかもしれない。

動け、動いて今だけと、添え物になった両手に言い聞かせゆっくりと重たくなった両手を天へと開く。

崖の上まで吹き上げる熱風が指の輪郭をなぞり、隙間を悪戯のように抜けていく。どくどくと血管が脈打ち身体へと巡り送られる感覚は、新しい命を与えてくれるようだった。水を注がれた花に今私はなっている。私ばかりがこんなに幸せなんて、ああ、皆可哀想。村の人達、私の為に犠牲になってくれたあの人達みんなカワイソウ、カワイソウカワイソウカワイソウカワイソウカワイソウカワイソウカワイソウカワイソウ!!!!!!?







「ははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははっ!!!」







これが正解だったんだ。

ぽたり、ぽたぽたと雫が膝や胸元に落ちる中、空を仰いで私は笑う。やっと自由になれた、やっと正解を知れた。

やっぱり私は正しかった。この村を差し出したことも、今まで誰でも陥れたのも全部。間違ってなんかいない、罪なんかじゃない。

だってこれが正しい生き方だったんだもの。

自分が特別になるには、幸せに生きるには、人よりも優位に生きるにはこれしかない。だって現に下級層の塵溜め女だった私が、たった今この村の〝特別〟になれたのだから。

こんなに人が死んでも何も感じない、罪悪感の一つもない。それは正しくて、だからこそきっと私は特別なんだ。あの人と同じ、人を犠牲に全てを叶えることが許される存在になれる特権を最初から私は持っていた!だって今、こんなことができたんだもの!




「ははははははははははははっ……はははははははははははははは……は、はー--……」




ぼとり、と。両手が落ちた。

声が枯れて、目が潰れたままに落ちた両手に引っ張られるように仰いだまま背中から倒れてた。地面に付いた指の感覚が生々しい。爪の先一つ一つに、顔も知らない人の血肉を潰した感覚がある。

熱い心臓が、村に火を放った時と同温まで燃えている。顔も知らない村の人が、火の海に飲まれるのを私は滲んだこの両目で見たような気さえする。

下級層の塵溜め女〝だった〟私が特別になるのはこんなに単純なことだった。


人の断末魔を安全なところで聞くことが、子守歌を聞くよりも落ち着くことだった。

人がのた打ち回る光景が、あんなに心躍る光景だった。

人が何か失う光景が、私が奪うことが、こんなにも私を胸の底から満たしてくれる。

今まであんな小さな収穫で満足できるわけがなかった。だって私は最初から特別な存在になれる側の人間だったんだから。………嗚呼。




また、やりたい。




この世界は、こんなにも自由だったのだと思えたから。


Ⅱ562

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