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そして目覚めさせる。


「その必要はありません、レオン様。」


必死な形相で地を這ってでも進もうと、カラム隊長の肩にしがみつくレオン様へ、私が初めて声をかけた。そのまま彼の元へ歩み寄ると、彼はその顔から血の気が引き、目を酷く見開いて私を捉えた。開いたまま微かに震える唇から「プライド…?」と声が漏れた。


「何故、この国に…⁈ここは、アネモネ王国では…⁈」

「ええ、それで間違いありません。あの夜の忠告後に心配になり、影ながら様子を見に来させて頂きました。…無礼な真似、どうかお許し下さい。」


驚くレオン様に、私からゆっくり礼をする。レオン様は改めて部屋を見回した。そしてアーサーとステイルをその目に捉えると「君は…!それに、ステイル様までっ…‼︎」と声を漏らし、息を飲んだ。そのまま今度はカラム隊長やアラン隊長、エリック副隊長を見て何か考えを巡らすように黙り込む。ステイルが「彼らは我が国の騎士達です。僕と姉君の護衛で同行してもらいました」と伝えると今度は逆に目を合わせられないように下を俯き、ベッドから降りるとそのまま私にひれ伏そうと床に両手を付けた。


「いけません、レオン様。…王族が無実の罪でそのように頭を下げるなどあってはならないことです。」


頭を下げようとする彼を手で制する。言葉を飲み込むように喉を鳴らし、レオン様が力なく私を見上げる。

「プライド…!…すまない、あの夜に確かに君は僕に忠告してくれたのに…僕はっ…。」

瞳を酷く揺らめかせ、最後は強く目を瞑った。床についた手が震えている。

私はそんな彼を落ち着かせるように、ゆっくり、なるべく落ち着いた声で彼に語り掛ける。

「レオン様。大丈夫です、わかっております。貴方は悪くありません。全て、わかっております。貴方が薬を飲まされたことも、貴方の意思関係なく城下に降ろされたことも、……城下に広まる女性との関係の噂など全くの事実無根であることも、全て。」

私の最後の言葉に背後で何人かが息を飲む音が聞こえた。レオン様が言葉を失うように私を見上げる。…まるで、いつかのジルベール宰相のように。


彼は、何の罪も犯していないのに。


己が守り続けてきた自身の潔白を、何故彼は此れほどまでに認めようとしないのか。

頭の中にプライドによって心を壊されたレオン様と今のレオン様の姿が重なる。

駄目だ、彼は今そんな状態になっている場合ではないのだから。

「レオン様。貴方に薬を盛り、陥れようとしたのは貴方の弟君です。そのワインを飲んでから記憶がないのですね?ならば、これから共に城へ行き、国王陛下に全てを話しましょう。」

そうすれば、全ての罪は裁かれる。私も力になります、と伝えればレオン様が首を横に振った。

「駄目だ…、それでは王位継承者が居なくなってしまう…。…二人とも、国のことを想って」


「国のことを想っていればこのような非道な真似をする筈がありません‼︎」


未だに決心がつかない様子の彼をはっきりと叱責する。私の声が部屋中に木霊した。甲高い女性の声に耳が痛いのか顔を歪める彼の両肩を強く握った。そのまま肩ごと彼の身体を思い切り揺さぶる。


「いい加減に目を覚ましなさい!レオン・アドニス・コロナリア!‼︎」


ここで立ち止まっている暇など彼にはない。今から二年後にあれほど後悔することになるのなら、いま彼はなんとしても立ち上がらないといけない。


「貴方の意思はどこにあるのです⁈私や国王、弟君の望みではありません!貴方自身の心からの望みは別にある筈です‼︎」


そうだ、私は知っている。

彼の本当の幸福を。

彼の本当の望みを。


私に揺さぶられたレオン様の瞳が揺れ、信じられないものを見るように口がパクパクと開いては閉じ、言葉が宙に消えた。


「今ならば貴方には私が居ます!我が弟も、騎士もいます!国王陛下にだって、きっと今ならばまだ貴方の言葉が届くでしょう!」


叫びながら私は彼の両手を強く握り締め、自分の胸に当てた。私がいる、と彼に伝えるために。


「レオン様、貴方の最も愛する者は何ですか?」


私の言葉に、彼は言葉もなく酷く視線を彷徨わせた。震える唇が小さく「わからない」と呟いた。ぶつぶつと何か口の中で呟いた後、正解を私に尋ねるように上目で見つめてきた。そのまま小刻みに震える指先で私のドレスの裾を掴み、そっと背中に腕を回してきた。

「僕が愛するのはプライド・ロイヤル・アイビー…君だけだ。」

まるで、自分の立場を確認するように、そのまま私を抱き寄せてくる。ぐっ、と力を込められ彼の肩に顔を埋めるようにして密着してしまう。私は彼の背中からその両肩に腕を回し


…一気に引き離した。


「いい加減になさい、レオン。」

敢えて冷たく、私は彼に言い放つ。私からの対応に驚いたように目を丸くして彼が私を見直す。


「貴方の心は、そこには居ません。」


彼の胸に右手を押し当て、断言する。

そう、彼は私を愛したりなどしていない。それは最初からわかっている。彼は心の底では私との婚約を望んでなどいないのだから。

私に押し当てられた右手をじっと見つめ、何かを言おうとひたすらに息を吐き出した。


「貴方が愛するのは、私ではありません。己が欲求を受け入れなさい。」


私の言葉に突然彼の呼吸が止まる。肩を震わし、身を硬ばらせた。一拍置いて、彼は歯を食いしばりながら小さく首を横に振った。初めて彼が私にはっきりと示した拒絶だ。

でも私は、拒む彼の肩を鷲掴みもう一度彼へと訴えかける。


「よく聞きなさい‼︎今しかないのです、貴方が本当に、その全てをその手から溢れ落とすその前に‼︎貴方はその心と向き合いなさい!」


まるで初めて母親に怒られた幼子のように、彼の目元から涙が滲み出した。だから私は、今度こそ彼の真意へ訴えるべく更に声を高らかにあげる。

「レオン様、貴方が心の底から愛して止まないのはっ…」

彼が一度大きく瞬きし、吸い込まれるような翡翠色の瞳が真っ直ぐに私を見上げた。きっと、彼はこの答えをずっと知りたがっていた。己が望みを、愛の置き場を、…意思を。

一度息を思い切り吸い込み、そして私は言い放つ。











「この国の、民でしょう⁈」












言葉を放った瞬間、彼の身体が今まで以上に酷く震え出した。

頭を抱え、涙をボロボロと零しながら「…あ…あぁっ…」と小さく嗚咽のようなものが漏れ出す。


「…っ駄目だ…僕はっ…駄目なんだ…!…この国から、離れないとっ…‼︎こんな、汚れた欲求を、僕は、愛する民に…‼︎」


まるで何かが決壊したかのように、涙と共に彼の言葉が零れだす。汚れた欲求、の意味が分からず私は泣く彼の背中をさすり、続きを促した。レオン様はそれに少し身体を震わせるとひたすら駄目だ駄目だ、と呟きながらそれでも次第にまた言葉を紡ぎ出した。「僕は、駄目なんだ」と。最後に、はっきりとした言葉を皮切りに。

「…愛してしまった…僕は、民をっ…‼︎こんな、汚れた欲求を、こんなっ…〝承認欲求〟や〝自己愛〟…〝独占欲〟などを民に向けるような僕はっ…王となっては」


「貴方の何処にそのような欲求があるのですか。」


再び私の言葉が彼の語りを切り捨てた。

彼の言葉が止まり、涙が溢れ出た分だけ頬に伝った。

彼は何か勘違いをしている。その確信を胸に、私は彼の両手をもう一度纏めて強く握り締めた。冷え切った指先を温めるように自分の指を彼に絡める。

「貴方の欲求は何も汚れてなどいません。貴方が認められたいのは誰にですか?…民にでしょう。」

震える彼の指先の感触を確かめるように、一本ずつ彼の手を握る指に力を込める。私の言葉を聞ききる瞬間、彼の指に力がこもった。

「〝民に王として認められたい〟と…〝民に望まれる王になりたい〟と望むことの何が罪なのですか。」


彼は間違っている。

彼は汚れてなどいない。

ひたすら誰かに望まれる姿を演じてきた彼が、唯一その心に宿した望み。

それがどれほどまでに王として高潔なものか。


「貴方がいつ、自己を愛したというのです。常に民を愛し、触れ合い、心を傾けた貴方が。それとも…貴方は民と触れ合う己の姿に悦に浸っていたというのですか?」

レオン様が涙を溜めた目で激しく首を横に振る。そうだ、私は知っている。彼はそんな人間ではないことを。


誰よりも、何よりも己が国の民を愛し続けた人。

だからこそ、プライドからのあの仕打ちに心を病んでしまった。

そして二度と自分は我が国の民に合わす顔が無いと深い底へと沈み込んでしまった。


「何が〝独占欲〟ですか。貴方が、他の誰でもなく貴方自身が民に愛されたいと望んだことですか?そんなのは当然のことでしょう⁈」


彼の顔を両手で挟むように掴み、至近距離からしっかりと彼の濡れた瞳を覗き込む。あんなにまで暗んでいた瞳が、次第に透き通っていくのがわかる。

そして、私は再び彼に強く声を放った。





「貴方はそれほどまでに民を愛し!愛し‼︎愛し続けたのですから‼︎」





また、涙が止まったはずの彼の瞳から涙が溢れ始めた。何か紡ごうと、唇が、歯がカタカタと震え始めた。


「独占欲などではありません。貴方はひたすら民の幸福の為にその身を何度も捧げ、だからこそ愛されたいと願った。そして、例え民に貴方自身が愛されずとも…それでも貴方は民の為にその身を削り続けることのできる尊い人です。」


ゲームの世界では彼は恐怖の対象者であるプライドの婚約者としてフリージア王国に居続けた。一番逃げたい筈の、恐怖と拒絶の対象のもとに。日々、彼女に虐められ弄ばれ続けながら心が壊れきった生活の中…それでも耐え続けた。そこ以外に自分の居場所がなかったからではない。


愛する自国とフリージア王国との同盟を壊さない為にだ。


プライドの圧制により極悪の独裁国家となったフリージア王国の脅威から己が国を守る為に。

彼は自分を追い出した己が国を守り続ける為に、敢えてプライドの玩具に成り果てることを選んだのだ。


心が壊れて部屋から出ることすら叶わなくなっても、ずっと。


…私の手を握り返す彼の手に力がこもった。必死に動こうとする口が、静かに言葉を精製した。


「僕の…これは…っ、…穢れていないのか…?」


彼の瞳に初めて歓喜の色が宿る。希望にも見えるその目の光に、私は強く頷く。

「そうです。貴方はもっと、もっと求めても良いのです。貴方の高潔なるその心が、きっと正しき道に誘ってくれます。」

その瞬間、彼の泣き顔がまた幼子のように歪み、私の手を引いて今度こそその両手で強く私を抱き締めた。今までのような私を愛しむような抱き方ではない。力の限り掴み、縋り付くような強い腕の力を感じた。思わず驚いたまま彼の方に自然と体重が乗る私を、彼が更に強く抱き締める。ぎゅ、と布が締められる音とともに彼が私の肩元に顔を埋め、静かに想いを吐き出した。









「アネモネ王国をっ…離れたくない…‼︎」









心からの、言葉だった。

静かに、そして張り裂けるような悲痛な声が私の肩越しに部屋へと響いた。

まるで、産声のような激しさを持つその声に今度は私が身体を硬ばらせた。その中でもひたすらに、彼は言葉を紡ぎ始めた。


「貿易がっ…軌道に乗った…!これからも沢山の物資を集めて、きっとこの国は豊かになるっ…!街の子どもが…将来は世界中の品を集める商人になりたいと話してくれた…‼︎」


嗚咽を酷く交えながら、レオン様が声を上げる。今まで蓋をしていた欲求が溢れ出すように言葉が続く。


「町外れの農家の家族が…新しい作物の栽培に成功したと…ひと月前に笑っていた…!僕に、いつか食べて欲しいとっ…、…言ってくれた…‼︎」


彼の、本当の愛情が、欲求が、止まらない。


「最後に城下の視察に行った時っ…女性が僕に赤子を抱かせてくれた…!僕、…僕っ…の、…名前をつけたと…‼︎…僕のような優しい人間に育って欲しいと…言ってくれた…!」


私の背中に指が食い込むほど力が加わった。

今まで私に囁いていたような上辺だけの愛ではない。体の奥底から込み上げる、激しい愛情だ。


「僕の悪評が城下まで広まっても…!皆、皆、皆が…「信じています」とっ…‼︎変わらず笑ってくれた…‼︎」


弟達が広め、更には上級層から中級層からも広まった彼の悪評。それをものともしない程に彼は、民ひとり一人に愛され、慕われ、信用されていた。…酒場で泥酔という事件が多くの民の眼に晒され、その口から広まるまでは。









「愛しているんだっ…‼︎この、国を‼︎‼︎」









代わりなんてある訳がないと。そう叫び、震えて泣き出す彼を私からも抱き締め返す。嗚咽が繰り返され、何度も咳き込む彼が落ち着くまでひたすらにこの胸に抱く。

その間も、涙声でずっと彼は自国の民の暮らしを、姿を、この国の見通しをひたすらに語り続けた。時折何度も、「民が好きだ」「離れたくない」と叫びながら。


「それこそが、貴方の真実です。」


彼を抱き締め、私からもその肩に顔を埋める。目を閉じ、彼の体温を感じると青い髪が軽く顔にかかった。


自国を誰よりも愛した王子。

ティアラがレオンルートに行かなければ、エンディングでは他の攻略対象者に王配の座を譲り、彼は自国へ帰っていた。

そしてレオンルートに行けば、彼はティアラと共にアネモネ王国とフリージア王国を合併し、両国の王配として共に国を平和に導いた。

レオンルートで吐露された彼の自国への愛を知った後では、正直どちらが本当に彼の幸せかわからなかった。彼が守り、愛してきたアネモネ王国は事実上、フリージア王国の付属国になってしまったのだから。

…だから。


「レオン様。だから、私は…。」


彼だけではない。この場にいる全員に聞こえるように私は息を吸い込んだ。ゆっくりと彼を抱く自分の手で彼を引き離し、嗚咽で未だに喉を鳴らす彼をこの目に捉える。




「貴方に、その全てを取り返す為にここまで来たのです。」




彼の国も、彼の誇りも、信用も、幸福も。

…そして、この国の未来を。


「共に行きましょう。私達が付いております。貴方がその意思を持って私の手を掴むのならば…」


その場に立ち上がり、彼のもとへと手を伸ばす。彼は涙で濡れたその顔で私を見上げた。その瞳を捉えたまま、私はここで宣言する。彼の運命に私自身が抗うと、この場にいる全員に決意を表明するために。




「この私が必ず貴方を幸せにしてみせます‼︎」




最後に大粒の涙が一粒溢れ落ちるのを最後に、彼の涙が止まった。

口を力なく開けたまま、私を見上げる彼の瞳が何か希望を抱いたかのように輝き、そして今度こそ私の手へ腕を伸ばし…掴み取った。







確かな己の意思を、その瞳の奥に宿して。


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