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そして溺れる。


…何故、僕が…此処に…?


上手く回らない頭で、ふと疑問だけが頭に過ぎる。駄目だ、ぼやけた頭で思考すらままならない。

歪んだ視界のまま意識を取り戻すと、今までテーブルに突っ伏していたのだと気付く。

目の前では多くの民が楽しそうに酒を交わし、騒いでいた。女性達が頬を染め、僕の顔を覗き込むようにして見つめている。様々な酒の匂いが鼻につき、その香りだけでも今の僕は微睡んだ。


「ねぇ…?お兄さん、置いていかれちゃった⁇なら私達と飲みましょう?」

「ふふっ…来た時からその調子だけど、一体ここに来るまでにどれほどイイコトしてきたのかしら。」

「ガハハハハハッ!放っとけ放っとけ‼︎連れてきた連中もそこの兄ちゃんに付き合わされただけだとよ!知る奴が滅多にいねぇ隠れ酒場で飲みたいって駄々こねたらしいぜ⁈連れてきたら後は飲ますだけ飲ましてもううんざりだって置いていっちまった!」

「なぁに、好きなだけ楽しませてやりゃあ良い!今夜はこの酒場の連中全員に奢りってこんなに大金を置いていってくれたんだ!」

「お陰でこの金は此処にいる俺達だけで飲み放題だ!もう取り分減らねぇように店閉めちまえ!」

「こら馬鹿!俺の店だ俺の店っ‼︎…ったく、仕方がねぇなぁ?今夜だけ特別だぞ!」

「いよっしゃ‼︎今夜は皆で朝まで飲み尽くすぞぉおおおおおおッ!」

おぉっ‼︎と沢山の民の声が空気を揺らした。


…ああ…民だ。

僕が、望んだ民の声が、笑顔が…こんな近くに。

そうだ、彼らに僕は…


会いたかった。


やっと会えたのだと、危険な欲求だとわかっていながら気がつけば涙が伝った。

良かった、最後に会えた。国を去る前に、僕はー…。



僕、は…?



何だろう、大事なことを忘れている気がする。

微睡む頭が働かない。視界が涙と酒でぼやけて明暗しか情報が入ってこない。テーブルにつけたままの顔を持ち上げようとテーブルにつく腕に力を込めたが、上手く入らず小刻みに腕が震えるだけだった。ぐったりとテーブルに項垂れたまま身体が全く自由が効かない。

民の騒ぐ声が耳鳴りのように頭に響き、思考までをも飲み込んでいく。

笑い声、騒ぎ声、全て民の声だ。父上が言っていた。…望まれる王になれと。彼らに、父上に望まれ王に、僕は、なる為に


『城下に降りてはなりません。』


…?


何だろう、何か頭に誰かの言葉が。

いつか誰かに言われた言葉だ。


『最後の日は、特に。』


最後の日…?…それは、何だ…?そうだ何故僕は今まで城下に降りるのを止め…あれ…?…何故僕はここに…。

思考が支離滅裂になって纏まらない。その間もまるで頭が警報を鳴らすように誰かの言葉を繰り返し思いださせる。


『貴方はそこで全てを失います。』


全て…?

スベテ…すべて…全て…スベテ…

僕がこれ以上失うものって…何だ?

既に王族、王、王子、婚約者、そして人としても欠落しきっている僕が。


女性達が苦しそうねと、動けない僕から上着を脱がしてくれる。火照りきった身体が少し冷えた空気で落ち着く。呼吸がさっきより楽になる。礼を言いたかったが、舌が全く回らなかった。ゔ、あ…と呻くしかできず、女性が可愛いと僕の頭を帽子越しに撫でた。


『酒に溺れさせられ酒場で翌朝には』


酒場…?…ああ此処だ。

酒に…、…そうか僕は酔っているのか…。今まで酒に酔ったことなんて一度も無かったのに。

女性が今度は僕の胸元のシャツのボタンを開けた。二、三個外される感覚で更に呼吸が楽になる。

風通しが良くなり涼しくなったことで、また心地良くなってきた。テーブルに突っ伏したまま、再び僕は眼を閉じる。きっと、これは夢だ。僕にとって心地の良い、都合が良いだけのー…



『多くの民と王からの信頼すらも失います。』



ぞわり、と。

突然、火照っていた筈の身体に寒気が走った。


失う⁈信頼を…⁉︎

嫌だ、それだけは。

父上の、民の、信頼を失うことだけは…‼︎

今の状況も直前の記憶も朧げなまま、ひたすらその恐怖だけが打ち勝った。恐怖が思考を冷やし、脈打つ心臓が頭に血を送り、眼を覚まさせる。


なのに、身体が、口が動かない。


目が覚めたというのに視界が未だにぼやけ、半開きの目を動かすことすらままならなかった。ぐったりと身体をテーブルに預け、女性達にされるがままに服を脱がして貰ったままだ。僕からは全く動けない。顔の向きを少し変えるだけで精一杯だった。まるで、自分の身体ではないようだ。


…ああ…破ってしまった。


思考がまともに働き始め、酒のせいでか動けない身体で後悔だけが身体を支配した。


あれほど、プライドが忠告してくれたのに。


彼女の予言通りだった。

僕は酒に溺れ、酒場にいる。ならば、きっとこの後のことも彼女の言葉通りなのだろう。

僕は、全てを失う。

父上からの信頼も、民からの信頼も、全て。


いっそ、このまま死んでしまいたい。


王族の恥を晒し、フリージアとの関係すらまともに繋げず、…きっとプライドのことも傷つける。

あれ程、殆ど見ず知らずの僕を気にかけてくれたというのに。

僕一人が、全てを台無しにしてしまう。

そのせいで、我が国すらも立場を悪くしてしまう。

民が、民の暮らしが、折角貿易も上手く回っているのに、同盟共同政策も進み、民の暮らしがもっと豊かになる筈だったのに、このままでは和平が、貿易交渉が、流通が、…戦争が。


目の前に映る民の笑顔に今度は胸が締め付けられた。

僕は、この人達の笑顔すら奪ってしまうというのか。


「ねぇ、帽子も一度外してあげましょうよ。」

女性の声がまた耳を掠める。暑そうだし、何よりちゃんと顔を見てみたいわ、と。

駄目だ、頻繁に城下に降りている僕は民に顔を知られてしまっている。帽子を取られたらきっと正体に気付かれてしまう。


失う、と。


彼女の言葉が何度も何度も頭の中に繰り返された。


女性の指が僕の帽子を摘む。帽子が少し浮かされ髪が先に帽子から溢れた。綺麗な髪、と女性が褒めてくれる。そのままゆっくり、ゆっくりと帽子が外されていく。


嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ!


誰か、誰かっ…


なんとか抗う為に手足に力を込めるが、小刻みに震えるだけでやはり動かない。駄目だ、顔を、この顔を見られる訳にはっ…


瞬間、視界が真っ暗に染まった。


僕の視界が…いや、酒場中が暗闇に包まれた。その途端、僕の帽子を外そうとしていた女性の悲鳴と、酒場の人々の響めきが混ざり合う。「なんだなんだどうなってんだ⁈」「おい!灯りは…⁉︎」「確かこの辺に…」「なんだこれは⁈ランプが何かに囲まれて火がつけられねぇ⁉︎」「こっちもだ!見えねぇが…なんだこりゃあ⁈いつの間にこんなの被せやがった⁈」と、民の響めきと戸惑いの声が店中に広がる。僕の周りの女性達も不安そうに声を漏らしている。その時だった。


「ッいよっと。…なかなか良い酒だったぜぇ?ご馳走さん。」


暗闇の中、真っ直ぐに僕の元へ歩み寄る足音。

そして突然聞き覚えのない男の声と共に僕の体が浮かんだ。そのまま、恐らく担がれたのだろう。無抵抗な僕の身体をそのまま男が運んでいく。

暗闇の中、僕の周りにいた女性とぶつかり、その度に「誰⁈」「キャア⁉︎」と悲鳴が上がる。

眼を開けたままでも何も見えない空間で、僕を担ぐ男だけが真っ直ぐにどこかへ進んでいる。キィ…と扉が開く音が聞こえ、「先に出ろ」と誰かに命じた後、男も外へ出た。外の風に髪が流される。パタン、と扉が閉まる音と同時に僕を担ぐ男から笑い声が漏れた。


「ヒャハハハッ…まさかまた人攫いの真似事なんざすることになるとはなァ。」

楽しいねぇ?と笑う男に、僕はもう何もわからなくなり、意識がまた遠退いた。


…やはり僕は、何か悪い夢でも見ているのだろうか、と。そう…思いながら。


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