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143.婚約者は産声をあげた。


レオン・アドニス・コロナリア。

この国の第一王子。多くの民に望まれ、生を得た…誇り高き名だ。


アネモネ王国第一王子。

それが僕が産まれた頃からの役割だった。

そして、後に産まれてくる一つ下の弟と、二つ下の弟。

彼らの手本となるのも、この国の人々全てを守るのも僕の使命だった。


「レオン。第一王子として、弟達の見本として、望まれる王になるべく努めよ。」


幼い頃から国王である父上からは会う度にそう言われてきた。物心つく頃までは乳母に育てられ、その後は専属の教師達から全てを学んできた。時折お会いする父上、そして母上にも常に礼儀を尽くして関わってきた。

勉学も常に上へと先へと学び続け、適年齢からは護身格闘技や剣も磨き続けてきた。


学び、学び、食事を取り、学び、学び、食事を…

それが、僕の生活の全てだ。


社交界にも幼い頃から加わり、多くの貴族や他国の王族とも言葉を交わしていった。僕の容姿は女性には特に褒められた。麗しい、まるで芸術品のようだ、一目見て恋に落ちましたと。お陰で親しくして下さることも多く、何も取り柄がない僕でも円滑に関わりを持つことができた。それに何より、会話も弾めば勉学や教師から教われないことも多く知ることができ、有意義な時間でもあった。

…ただ、「好きな事」「趣味」と。それを聞かれるといつも言葉に詰まった。

王となるべく学び続けるのが、僕の全てだから。学び、理解し、身につける。それ以外のものがわからない。そして、その度に考える。


〝望まれる王〟とは何か。


ただ学びを深め、知識や技能を身につければ良いのか。

だが、それならば王族でなくとも…僕でなくとも誰にでもできることだ。

ただ、一流の教師に教わればそれで良い。あとは覚えれば良いだけなのだから。

…何も、特別なことではない。


十の歳を超えた時、父上に尋ねた。すると。それは自身で見つけ出すものだと、そう答えられた。僕がそれに惑えば、父上は初めて自ら僕を城下に連れ出してくれた。

王族専用の馬車に乗り、人通りの多い貿易船の傍まで連れて行ってくれた。馬車の中からも外の賑わいがよく聞こえ、降りた途端に声の渦の中に放り込まれたようだった。国王陛下、と唸る声の渦が僕が降りた途端にその色合いが変わって行った。


レオン第一王子殿下、レオン様、第一王子殿下と。


僕の名を呼び、眩い視線を向けてきた。今まで、一度も直接あったことのない他人がだ。

まるで古くから僕を知っているかのように名を呼び、視線を向ければ甲高い声が上がり、父上のように手を上げて答えれば誰もが声を高らかに上げて喜んだ。


「彼らにいつまでも望まれ続ける王。…それこそが答えだ。」


父上の独り言のようなその言葉は、今も胸に焼き付いている。

社交界では味わったことのない、感情の渦に耳を澄ませた。人の声が耳を震わし、熱のこめられた視線が僕へと向けられ、胸が熱くなった。僕自身が味わったことのない感情がそこには溢れていた。

まるで、彼らの感情がそのまま僕自身の感情をも揺れ動かしているようだった。

僕自身が何も感じずに十年間過ごしてきたというのに、彼らの視線と声に触れるだけで…僕自身が感情を持てたような気になれた。

彼らの興奮が僕の手を震わせ、彼らの声が僕の胸を高鳴らせた。教師から学んだ知識と同じだ、その情報を与えられるだけでそれが僕の中に静かに流し込まれて血となり肉となる。

彼らに望まれれば望まれるほど、僕の乾き固まった心が潤った。今までただ、言われた通りに学び、こなすだけだった行為に初めて色がついた。産まれて初めて欲求というものを知った。今まで知らなかったその感情は酷く激しく、一度自覚してしまった途端に僕の中にこびりついて離れなかった。



望まれたい、と。



心が、初めて産声を上げた。

今まで義務のように当然としてやってきた事を、僕自身の意思でやりたいと。

それからは僕は以前にも増して王となるべく研磨を重ねていった。父上にも認められ、歳を重ねるごとに公務にも少しずつ携わらせてもらえるようになった。

あの時の感情の揺れ動きを忘れられず、暇さえあれば頻繁に城下へ降りる許可も頂いた。

民のもとで、その声に、感情に触れる度にまるで僕の心も同じように揺れ動くように感じられたから。

目の前で光の宿した目を向けてくれる彼らのように、僕もこの目に光を宿せたと…人間らしくなれた気がしたから。

城下の様々な場所に訪れ、話を聞く。時にはそれを父上に進言することで、国の政治に…民の暮らしに役立てることもできた。


視線を向ければ彼らの顔が紅潮し、僕の胸を高鳴らせた。

手を取り、握り合えば己の利益と関係なく求め合う人との関わりを持てた気がした。

言葉を交わし合えば、まるで友や知人を得たような気持ちになれた。

顔を何度も合わせ、互いの変化に気付ければまるで家族を持てたような…そんな気持ちになれた。本当の家族とは一度も感じられたことのない人の温もりというものだ。

学び、国に生かし、人に触れ、民の生活に生かす。民の温度に、視線に、感情に触れる度に僕の中の欲求は膨らんでいった。


愛されたい。

望まれたい。

欲しがられたい。

他の誰ではなく、この僕を。


「それは危険な思想です、兄君。」


十四になった時。偶然、父上の公務に同行していた第二王子の弟であるエルヴィンとの会話の時だった。「兄君は最近調子はいかがですか」と尋ねられ、この欲求の形を知りたいと思った僕の言葉への返事だ。


「それは〝承認欲求〟〝自己愛〟〝独占欲〟というものでしょう。あまり周囲には話してはなりません。優秀な兄君の評判を地に落とすことになります。」

弟にそう咎められた時の衝撃は忘れない。今まで弟達の見本となるべく努めていた僕がまさか逆に窘められることになるとはと。

己が感情を僕は恥じ、しっかりと蓋をした。王となる為にも、そのような穢らわしい感情を捨てねばならないと一時的に城下に降りることも控えた。その分、城内で働く人々や侍女達と言葉を重ね合い、触れ合い、時には城下の話を聞くことで胸のざわめきを抑えた。


だが、やはり身体が、心が求めた。


城下に降りたい、と。

彼らに触れ、その感情に触れ、そして知りたいと。己が内側の感情が揺らぎたいと、色をつけたいと暴れるようだった。

再び城下に頻繁に降りるようになったのは半年後のことだった。

お元気でしたか、お会いできて嬉しいです、と。…そう言われることで心が埋められた。

わかっている。これは王としては失格な行為なのだと。

…それでも、僕自身にはどうにもならなかった。


「兄君、ならば社交界の方々とも親密な交流をとってみてはいかがでしょうか。」


十五になったばかりの時だった。この胸騒ぎに頭を悩ませていたのを偶然第三王子であるホーマーに見られてしまい、打ち明けた時だった。


「兄君はとても格好良くて見目も麗しく、特に女性の方々から評判を集めております。きっと打ち解けようとしたら皆受け入れてくれる筈です!そうすれば城下の民と関わらずともその心は埋められるのではないでしょうか。」


また、弟に救われてしまう己の不甲斐なさを感じながらも僕はその助言に頷いた。

ただ、友や家族との交流がないからと心に溝を感じているのなら…それさえ埋められればきっと、この欲求も危険な思想もおさまる筈だと。


今まで第一王子として一線を置いてきた社交界の年の近い令嬢達とも関わるようになった。語らい、頬を紅潮させ、目を輝かせてくれる彼女達は皆とても可愛らしく、僕のことをもっと知りたいと言ってくれた。その優しさには何度も心を満たされたが、…やはり民の前に出た時のように震わされはしなかった。

更には、令嬢達とは別け隔てなく語り合ってきたつもりだったが、何故だかそれぞれから二人きりの時間を求められた。他の令嬢とは語らって欲しくはない、私一人のものになれれば良いのに。そう囁いてくれた時、やっと僕は彼女達との認識の違いに気がついた。第一王子として、安易に交際相手や婚約者など決められない。それを上流階級の彼女達も理解し、友人として関わってくれていると思っていたが、…違った。

彼女達が期待しているのは愛、欲、地位だ。その瞳の色の意味を理解した時に恐怖が沸いた。


〝承認欲求〟〝自己愛〟〝独占欲〟


僕はここまで恐ろしい感情を、守るべき民に向けてしまっていたのかと。

王の器となるべく研磨を続けてきた僕が、気がつけばここまで王として欠落していたなんて。


彼女達には一人ひとりに誤解させてしまった事を謝り、そして彼女達の求めるものは何も与えることはできないことを伝えた。

第一王子という立場の為か、むやみに騒ぎ立てたり怒り狂う令嬢は居らず、酷く悲しませてはしまったが穏便に話は済んだ。ただし。


…その頃からだった。

上流階級、中流階級を中心に国中で少しずつ僕の悪評が広まり出したのは。



〝女好き〟〝女誑し〟と。


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