138.騎士は覚悟する。
「…おい、アーサー。大丈夫か…?」
エリック副隊長の声で振り返る。眉をひそめ、明らかに俺の顔色を見て言っている。
「すみません、その…あんま眠れなくて。」
言い訳をすると、エリック副隊長が何か察してくれたように俺の肩を叩いてくれる。「これから休息時間だろ?ちゃんと寝ろよ」と言ってくれ、そのまま演習へと向かっていった。
…昨夜あの後ずっとプライド様とレオン王子のことを考えてたら朝になってた。擦っても取れないとわかりながらそれでもくっきり未だついているのであろう目の下のクマを拳で擦る。一回寝るかとも考えたが、それよりステイルの稽古場に向かわねぇと。今朝、レオン王子は帰国したらしいし、もしかしたらもう女王に進言してくれたかもしれねぇ。
そんな淡い期待をしながら、ふらふらと身体を引きずるように門へと向かう。すると、ちょうど前から蹄の音が聞こえてきた。馬車が来たと思い、一度端に避ける。こんな時間に馬車で騎士団のところにくるなんて誰だ?今日は誰かが来るなんて報告は聞いていない。
「アーサー!」
欠伸を噛み殺したのと同時に馬車の方から聞き慣れた声が飛び出してくる。振り向けば近衛兵のジャックさんに扉を開けられ、プライド様がステイルに手を取られながら馬車を降り、俺へ手を振っていた。後を続くようにティアラも馬車から降りて来る。
「ぷっ…プライド様⁈」
寝ぼけて夢でも見てんのかとも思ったけど、本人だった。嬉しそうに笑顔で俺の方に駆け寄ってくれるのは、正真正銘のプライド様だ。見慣れていた筈の心からの笑顔を見て、それだけでほっとする。
「良かったわ、行き違いにならなくて。昨日、体調が悪そうだったからずっと心配だったの。」
俺を、心配してくれてた。
それだけですげぇ恥ずかしくて、嬉しくて、そのまま言葉に悩んで口を結んじまう。プライド様はそれに気づかないまま俺の顔を覗きこんで、目を丸くした。「すごいクマじゃない‼︎」と声を上げ、ティアラも並ぶように俺の顔を覗き込んだ。
「いや、ちょっといろいろ考え事してて…」
誤魔化すように一歩引くけど、二人とも心配そうに俺の顔を見るばかりだ。ふと、女王への進言はどうなったのかと思ってステイルの方へ目を向けたら、重々しく首を横に振られた。…どうやら芳しくなかったらしい。
そう思うと余計にまた頭や胃が重くなって、ぐったりと力が抜ける。思わずプライド様の前だってのに俯いちまうと
「アーサー、大丈夫?」
…すっげぇ近くにプライド様の顔が来た。
俺の目の下を凝視するように顔を近づけ、頬を挟むように両手を添わされる。あまりに突然で「どわっ⁈」と声を上げながら飛び退いちまう。プライド様が「ごめんなさい!驚いたわよね⁈」と少し慌てたように声を上げ、謝ってくれた。
何やってんだ俺‼︎折角プライド様が心配してくれたってのに‼︎
「あ…いや!すみません‼︎ちょっとぼーっとして…。」
慌てて詫びると、プライド様が更に心配そうな顔をして「今日は稽古よりゆっくり休んだ方が良いわ。」と言ってくれる。最悪だ、すげぇ格好悪りぃ。
飛び退いたままプライド様を見る。本当にいつも通りだ。表情全部、いつものプライド様だ。昨日のあの横顔が悪夢だったとすら思える程に。
「昨日は何も声を掛けられなくてごめんなさい。体調悪かったのに、無理してくれたのでしょう?」
プライド様が心配そうに顔を歪めて、俺の方に歩み寄ってくれる。やばい頭が回らねぇ。折角レオン王子が帰ったんだから色々聞かねぇといけねぇのに。なんであんな表情してたのかとか、何か王子に弱味を握られたり、理由があるんじゃねぇのかとか。
「ぷっ、プライド様、あの、お聞きしたいことがっ…。」
纏まらないままに声だけ上げる。プライド様がそれに首を捻り、どうしたのと聞き返してくれる。
今度こそ言おうと息を吸うが、…直前で止まった。よく考えたら俺はそんなことを言える立場なんかじゃない。むしろ、プライド様が本当はレオン王子に惚れていたら俺の発言はプライド様にもレオン王子にも無礼でしかない。言った途端に軽蔑の目で見られても仕方がねぇほどの。
言葉を失った俺に、プライド様やティアラがまた心配そうに顔を覗かせる。やっぱり寝たほうが良いんじゃ、とか騎士団の人を呼びますか、とか言って、そこをなんとかステイルが止めてくれてる。だめだ、何か、何かいわねぇと…。
「し…。」
やっと舌が回った。そうだ、俺が一番プライド様に聞きてぇのはー…。
「…し…幸せ、…ですか…?」
緊張と思い切ったせいで顔が熱い。
でも、ずっとその事ばっかが頭から離れなかった。
プライド様はいきなりの質問に少し驚いたような表情をした。プライド様の背後でステイルもティアラも、無言で俺とプライド様を見比べている。すげぇ緊張して目を逸らしたかったけど、それよりプライド様が一瞬でも躊躇ったり言い淀んだりするのを見逃したくなかったから口の中を噛んで堪えた。
プライド様は俺の言葉を飲み込んだ後、小さく首を傾げ…笑んだ。
「幸せよ。だってアーサー達が居てくれるのだもの。」
心からの、笑みだった。眩し過ぎて一瞬目が眩んだ。
その笑顔を見ただけでほっとして、一気に力が抜ける。背後のティアラやステイルも、安心したように笑みを浮かべていた。
良かった、プライド様が幸せならそれで良い。
胸の中の蟠りも全部吐き切るように長く息を吐く。目を閉じ、自分の呼吸に集中する。
レオン王子とのあれが何なのかは未だわからねぇけどでも、それでも今のプライド様が幸せならそれ以上は要らない。
俺の名を心配そうにまた呼んでくれるプライド様に、緊張が解けて思わず言葉が漏れる。
「良かった…じゃあ、無理してるとかじゃなかったんすね…。」
「え…。」
あ。
まずい‼︎うっかり本音が出た。無礼なことを言ってしまったと詫びる為に目を開ける。「すみません、今のは失言」でした。と、そう言おうとした時だった。
…プライド様の笑顔が、固まっていた。
まるで、図星を突かれたかのような…。俺の視線に気付くと「そんな訳ないじゃない」と言って、…また笑顔を取り繕った。
なんで。
一気に、さっきまでの安堵が嘘のように胃の中が重く沈んだ。あまりに重過ぎて、それに引きずられるように脱力してその場にしゃがみ込む。
「あ…アーサー⁈大丈夫⁈ごめんなさい、心配かけちゃって。大丈夫、私は大丈夫だから!ちょっと色々あるだけで、そんな心配するような」
俺を心配して、察してくれて、しゃがみ込んだ俺の肩に優しく触れてくれる。
それすらも今は辛くて、無意識にプライド様へ自分から腕を伸ばす。今にも俺の顔を見るために同じようにしゃがんでくれようとするプライド様を引き止めるように。
その細い手に自分の指を二本引っかけて、掴む。
「心配…させて下さいよ…。」
目も合わせられず、しゃがんだまま俯いて話す。もう、頭の中がぐちゃぐちゃで言葉が上手く選べない。プライド様も俺の発言に驚いたように、言葉も動きも止まった。
「なんで、…なんで馬車の中であんな顔してたんすか…なんで無理なんかしてんすか…レオン王子に弱味でも握られてるんすか…国の為っすか…。…俺も、ステイルも、ティアラも皆すげぇプライド様が心配で、遠くて、…………遠くて。」
やべぇ…全部言っちまった。
自分の声が変に弱々しくて泣くのだけは嫌だと息を止めて堪える。まだ、泣いて良い時じゃない。
プライド様が「ごめんなさい」と言いながら、掴んだ俺の手に触れてくる。最悪だ、心配してると言いながら結局プライド様に俺が心配をかけてる。
「ありがとう、アーサー、ステイル、ティアラ。心配してくれて嬉しい。でも、本当に大丈夫だから。」
ああ…やっぱそうだ。
この人はどんなに辛くても、絶対ギリギリまでは自分一人で抱えようとする。
まるで、自分がそうなることが当然みてぇに。
まるで、自分は元々一人で戦う存在だと決まっているみてぇに。
…この人の、笑顔を守りたい。
プライド様自身が幸せだったら、相手がどんな男でも俺は祝福できる。あの人の幸せこそが、俺にとっても幸せだから。
だけどもし、本当に俺の心配通りプライド様が何かしらの理由でレオン王子に心を開けなくて、国の為に無理して婚約を受け入れているのだとしたら最悪だ。一番俺が望んでいないプライド様の婚姻だ。
…それでももし、プライド様が自分の意思でその道を選ぶというのなら、俺は。
「傍に、…居ますから。ずっと、…ずっと。」
言葉が、溢れる。
真っ直ぐに顔を上げ、驚いた表情のプライド様を見上げる。
どうかこの言葉だけでもこの人に届いて欲しいと祈りながら。
ゆっくりと柔らかく心からの笑みを返してくれたプライド様が頷く。ありがとう、とそう俺に返しながら。
この人の傍に居よう。
何度だってそう誓う。
相手の男がプライド様にとって良い相手なら、ずっと傍にいて二人の幸せを守り続ける。
相手の男がそうでないとしたら、…その男から、そしてその男の代わりに俺がプライド様を守り続けよう。
変わらない、何も。
ずっと前に俺の全部はプライド様に捧げたのだから。