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137.義弟は覚悟する。


「なるほど…。それで、その噂と共にステイル。貴方の目からもレオン王子に不穏を感じ取ったということですね。」


玉座に腰を下ろす母上が、優雅な動作で頷く。じっと瞼を閉じて俺の話に耳を傾けてくれたその目が、ゆっくりと開かれた。

「はい、母上。…なので、お聞かせ頂きたいと思いました。何故、姉君の…プライド第一王女の婚約者にレオン王子をお選びになられたのかを。プライド第一王女の補佐として、どうかこの僕にお教え頂けないでしょうか。」

姿勢を正し、母上を見上げる。左には摂政のヴェスト叔父様が書類を片手に佇んでいる。父上とジルベールは別の公務でここには居ない。母上は小さく視線だけでヴェスト叔父様に指示をした。それに合わせ、ヴェスト叔父様が口を開く。


「ステイル。その噂ならば私も女王陛下も、王配殿下も…婚約者を選定するに当たって関わった皆が周知している。」

やはりそうか。もともと俺が知ったレオン王子の噂もジルベールから聞いたものだ。国外の流れを担当している摂政のヴェスト叔父様がジルベールが知れたような情報を知らない筈が無いとは思っていた。だが、…ならば何故、と俺が口を開くより先にヴァスト叔父様が言葉を続けた。


「だが、全て噂の域を出ていない。レオン第一王子、そしてアネモネ王国の国王にもそれは事前に確認済みだ。許可も得てアネモネ王国内でも調査を行い、更には私と女王陛下も直接レオン第一王子には会い、数度に渡り対談も行い、彼の人柄はそれなりに理解しているつもりだ。」


その時点では少なくとも問題のない、次期王配に相応しい立派な人物だったと。ヴェスト叔父様の言葉に母上も頷いた。…俺の感じたような不穏も全くなかったと。

具体的に不穏とは何か、と尋ねられて俺は言葉に詰まった。プライドへの態度や眼差し、そうは返したものの実際は俺自身も全く気づかなかったものだ。実際に彼の違和感に気づけたのはアーサーただ一人。アイツほど人の取り繕った笑顔に鋭い人間は居ない。だが、…それをこの場で話す事は憚れた。


「何故、プライドの婚約者にレオン第一王子を。とのことでしたね、ステイル。」


今度は母上自ら口を開く。今までも何度かこうして言葉を交わしたことはあるが、やはり女王。いつ話しても隙の一つもない威厳を全身から放っている。未だにその口が開くだけで時折萎縮をしてしまう。


「アネモネ国は我が国にとって古き関係でもある同盟国。貴方も知っての通り、近隣諸国の中でも特に我が国に近しい位置にある隣国でもあります。」


そう、それは俺も知っている。毎年、騎士団新兵合同演習も行っており、我が国にとって馴染みの深い国だ。


「そして私達は数年に渡って、複数の近隣諸国と同盟関係を築いてきました。去年から取り組まれた同盟共同政策がその証ともいえます。だからこそ、我が国は以前より親交の深かったアネモネ王国と確かで永久的な繋がりと、共に繁栄していくことの誓いを互いに確認し合う必要がありました。」


つまり、我が国との同盟国が増えたからこそ、古くから親交のあったアネモネ王国との関係が希薄とならない確固たる証が必要だった。それが、今回のプライドとレオン王子との婚約だったということか。確かにそれは頷ける。例え多くの同盟を結んだとしても、以前から親交のあった国を蔑ろにすればその国だけでなく、他の同盟国との信用にも影響をする。

両国の王女と王子との婚姻が成立すれば、これ以上ない友好と信頼の証といえるだろう。


「そして、アネモネ王国にはレオン第一王子の他にも第二、第三王子が居りましたが…私とアルバート、そしてヴェストが直接言葉を交わし、相応しいと考えたのはレオン王子のみ。そしてまた、アネモネ王国の国王もそれを望んでいました。」


母上の言葉に俺は息を飲む。レオン王子が一番相応しいと…?何故だ。女誑しという悪評もあり、更には国王からも直接王位継承の座を事実上剥奪された王子が、何故。

俺が言い惑っている様子から察したのだろう。母上がゆっくりと言葉を続けた。


「私とヴェストからも再三に渡り、確認はとりました。本当に第一王子を我が国の人間にしても良いのかと。ですが、国王はそれを望むと。ですから、私は彼を我が国に迎え入れることにしました。」


余計意味がわからない。何故、そこまで母上はレオン王子を高く評価するのか。唯一悪評のある彼を。確かに王としての才はあるだろう。だが、だがそれでも…‼︎


「…ステイル。貴方も第一王子として、プライドの補佐、ティアラの義兄としてよくやってくれていますね。」


不意に、話題の方向が俺に振られて思わず肩に力がこもる。

「特に一年前からは摂政としての職務についても理解を深めたい、と。確か貴方はそう私に望んでいましたね。」

母上の言葉に答え、頷く。確かに俺は一年前からそれを望んでいた。もともと摂政の仕事内容や在り方については幼い頃から教師に教わっていたが、プライドのように今まで摂政としての公務に直接携わったことは一度もなかった。

だからこそ、時間がある時だけでもヴェスト叔父様の傍で、この目で勉強させて欲しいと一年前に母上に望んだ。だが、母上はその時には「時期になれば」としか答えて下さらず、それは叶わなかった。



「今が時期です。」



母上が優雅に微笑みながら、俺にそう言った。俺が目に見えて表情が変わったのを初めて捉えた母上の口元が柔らかく引き上がった。


「プライドの婚約。次期女王に向けて更にあの子は公務に携わることが増えるでしょう。あの子のみで判断し、直接私やアルバート、そしてヴェストと交わすことも。…レオン王子と共に。」


母上の最後の言葉に、急激に心臓が絞られるように痛んだ。それに気づくことなく、母上は続ける。


「そして、貴方も同じです。これからはヴェストに付くことが増えるでしょう。プライドはレオン王子と、そして貴方はヴェストと行動を共にします。共にそれぞれ公務を重ね、プライドがレオン王子と婚姻を結び、女王となった暁には貴方はプライドの補佐…いえ、摂政としてこの国をプライド、そしてレオン王子と共に支えることとなるでしょう。」

貴方の以前からの望み通り、一週間後からヴェスト付きとなることを許します。と微笑む母上に、俺は…今度こそ言葉を失った。


ヴェスト叔父様に付く。それは願ってもない言葉だ。俺は望んでいた、摂政となる為にヴェスト叔父様の傍で勉強をしたいと。プライドの為、そしてこの国の為に。だが、母上から頂いた言葉は同時にこれまでのプライドととの生活の断絶をも意味していた。


もう、傍には居られない。


何故ならもう、プライドには俺の代わりが居る。傍にいるべき婚約者が。…いや、寧ろ今まで俺がレオン王子の代わりだったと言うべきか。

次、プライドの傍に居られる時はプライドが正真正銘、レオン王子と夫婦になった時。

レオン王子が我が国に婚約者として戻ってくる一週間後、俺はもう今までのようにプライドとは居られない。摂政となるべく、ヴェスト叔父様と行動を常に共にしなければならない。


…何を動揺する必要がある?俺が望んだことじゃないか。


気が付けば返事をするよりも先に、胸を抑えつけていた。

そうだ、俺は望んでいた。ヴェスト叔父様の元で学びたいと。だが、突然こんな入れ替わるように終わるなど。昨日まで俺が居た場所に、レオン王子が立つことになるなど。まだ、あの男を信頼し切れた訳ではないというのに。

「私も、そして歴代の摂政も皆そうしてきている。」と話すヴェスト叔父様の言葉すらも殆ど頭に入っては来なかった。

やっと頭が回り、絞り出した言葉は「ありがとうございます」の、その一言だけだった。今日ほど表情が出にくいことに感謝した日は無いだろう。


「貴方は歴代でも特別優秀な子です。きっと、ヴェストすら凌ぐ素晴らしい摂政になるでしょう。今後も期待していますよ、我が愛しい息子。」


優しく笑む母上に、なんとか取り繕って笑みを返す。そのまま他に聞きたいことは、と聞かれ俺が答えると退室を許可された。礼儀通りに退室し、意識も朧なまま足を進める。


…わかっていた。

ヴェスト叔父様の傍で勉強したいと母上に進言した時から、そうすればプライドと共にいる時間も殆ど無くなると。

それでも良いと思った。それが未来のプライドの為に、国民の為になるならと。

断絶する訳ではない、同じ城内で生活し、食事だって今まで通り共にできるだろう。休息時間にだって会うことは普通にできる。


ただ、プライドの隣には必ずレオン王子が居る。


今日までの三日間のように、ずっと奴がプライドの傍にいるだろう。食事の時も愛を囁き、肩を抱き歩き、共に肩を寄せ合い休息の時間を取るだろう。もう…彼女の隣に俺は必要ない。


「…あ。」


思わず声が漏れ出た。

涙腺が刺激され、もう涙がそこまで来ている。あと瞬き一つすれば、一気に溢れ出すだろう。

駄目だ、アーサーと約束したんだ。まだ、泣かないと。

歯を食いしばり、自身の首を引っ掻いて必死に堪える。


大丈夫、大丈夫だ。全てはプライドの、そして国民の為に。その為にこの身を捧げると俺自身が決めたんじゃないか。大丈夫だ、プライドの傍に俺がいれなくても彼女にはアーサーやティアラが居る。俺だって、長い目で見れば変わらずプライドの傍に居続けることができるのは変わらない。大丈夫だ、立派な摂政となる為に、俺はー…


「あっ!兄様‼︎母上とのお話しは終わったの?」


ティアラの明るい声がして顔を上げると、いつの間にか庭園に来ていた。瞬間移動を使った覚えもないし、本当に無意識に歩いてきていたようだ。

俺の顔を見て、ティアラの表情が変わる。俺の表情から完全に感情を理解してくれるのは今もティアラとプライド、そしてアーサーだけだ。「どうしたの⁈」と目を見開くティアラに心配を掛けまいと眼鏡の縁に触れながら、少し疲れただけだと返した。そのまま気を取り直し、改めてティアラを見て、やっと俺は目の前の状況に気づき、驚く。


「姉君…、眠っているのか…?」


庭園の木陰で、プライドは眠っていた。

木陰に座るティアラを抱き締め、そのままティアラの膝を枕にして倒れるようにして眠っている。いつもはプライドにティアラが寄り掛かかるばかりだというのに。全く立場が逆転している。

「昨夜もあまり眠れなかったんですって。」

無邪気に笑うティアラの言葉に、俺はその意味を深読みし、また胃が焼けるように痛んだ。昨夜は、やはりレオン王子の寝室に居たのだろうか…。ティアラが首を捻り、「とうしたの?」と心配そうな表情を更に俺に向ける。俺が再び疲れているだけだと伝えると、ティアラはまだ心配そうな表情のままプライドの横の芝生を手で叩いた。


「兄様も寝てあげて。」


悪戯っぽく笑うティアラの言葉に、思わず顔が熱くなる。何故、わざわざプライドの隣を指定するのか。大体寝てあげて、とはどういう意味だ。

俺の表情に生気が戻ったからか、ティアラが楽しそうに笑いながらプライドの髪を優しく撫でる。


「…私ね、この三日間すごく寂しかった。お姉様をレオン王子に取られちゃった気がして。だから、お姉様がさっき庭園に誘って下さってすごく嬉しかったの。」

柔らかい笑みでティアラが微笑む。何度も何度も、柔らかいプライドの真紅の髪を撫でる。ティアラのその笑みに釣られるように、俺も少し心が落ち着く。そのまま誘われるままに眠るプライドの横に腰掛けた。丁度ティアラの膝を枕にしているプライドの顔がこちらを向いている。力の抜けた、俺がよく知るプライドの表情に、胸のつかえが少し軽くなった。

「それでね、お姉様がここまで誘って下さって…思い切り私を抱き締めてくれたの。きっと、私が寂しがっていたことに気づいて慰めて下さったのだと思ったんだけど。…でもね、そしたらお姉様が」


「すている…?」


ティアラの言葉が途中で切れる。ずっと目が離せなかったプライドが、薄くぼんやりと目を開けた。そのまま俺の顔を見て、名を呼ぶ。まだ寝惚けいるのか、目がトロけたように虚ろで視点が定まっていない。突然目を覚ましたことに驚く俺の表情を見て、寝惚けたその表情のまま俺へと腕を伸ばしてきた。


「え…⁈、…!待っ…プ…プライド…⁈」


戸惑う俺の声も聞こえないように、プライドの両腕が腰にゆっくりと回され、思わず身を硬らせた。そんな俺を、プライドが抱き締めるようにしてそのまま俺の膝へ顔を埋める。さっきのティアラの体勢と殆ど同じだ。

一気に頭の先まで熱が上がる俺と、寝惚けるプライドをティアラが楽しそうに眺めている。

何故、寝惚けいるからとはいえ、こんな。今まで三人で昼寝をした事は何度もあったが、こんな風に寝惚けたプライドは見たことが無い。

心臓がバクバクと内側から身体を叩き、耐え切れずプライドを起こそうとその華奢な身体を揺らすが、全く彼女は目を覚まさない。寧ろ呻くようにして、更に俺を抱き締める腕に力がこもるから心臓が破れそうになる。

緊張で震えた声でプライド、と名を呼び声を掛けてみる。すると、また寝惚けたように呻きながら「すている…」と呟くプライドに思わず自身の肩が震えた。そして、更に続けられたプライドの言葉に俺は今度こそ思考が停止した。



「……さびしかったぁ…。」



まるで、甘えるような…泣きそうな声だった。

驚きが全ての感情を上回り、思考と同時に身体の動きも完全に止まってしまう。その間もプライドは俺の膝に顔を埋め、寝息をたて始めた。

「私にも…そう言ってくれたの。」

照れたようにティアラが、眠るプライドへ眼差しを向けて嬉しそうに微笑んだ。


…寂しかった、と。

そう思っていたのは、俺だけだと思っていた。


ティアラの言葉でやっと意識を取り戻した俺は、改めて膝の上で眠るプライドへ目を向ける。

美しい彼女の顔がこんなに近くで、安心しきった表情で眠っている。ティアラのように、この手でプライドの髪を撫でてみる。柔らかく、長い真紅の髪が俺の指の間をすり抜ける。同時に甘い香りが鼻先をすり抜けた。何度撫でても飽きそうにない。やみつきになる前に手を止め、恐る恐るそのまま今度は両手で抱え、覆い被さるように彼女の頭を抱き締めた。脈打つ心臓がプライドの額に触れ、彼女の長い髪が口や鼻につく。

そうして、眠る彼女に俺は静かに言葉を返した。



「…俺もです。」



…大丈夫、ずっと居る。

例え、離れても俺の心は貴方の傍に。

例え、貴方の隣に俺が居なくても

例え、貴方があの男を愛したとしても




俺の身も心も、全ては貴方のものなのだから。


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