<< 前へ次へ >>  更新
160/1022

135.騎士は気づく。


ステイルからレオン王子の噂を聞いた時から、不安はあった。


まさかそんな人間がこの国の王配になるのかとか、プライド様を本当に幸せにしてくれんのかとか。

それでも、やっぱり単なる近衛騎士の俺には第一王子のステイルみたいに文句を言う資格はねぇとも思った。


ただ、…誕生祭ではどうしようもなく胸がざわついた。

いつもとまた違った女性らしいドレス姿のプライド様を見た時は、目の前にした途端心臓が破れるぐらいバクバク鳴ったし、まるで別人みてぇだとも思った。言葉を交わす時も、いつもみてぇに上手く言えなくて。それでもプライド様は気にすることなく優しく笑ってくれた。

「ありがとうアーサー。これからもよろしくね。」


…その言葉を聞いた時、急に胸が痛んだ。


これからもプライド様と居られるんだという想いと、…ずっと婚約者と並ぶプライド様を見続けなきゃいけねぇんだという事実に。

でも、何より俺にとって大事なのはプライド様を守ることだから。俺はなんとか笑って頷いた。


プライド様が蒼い髪の王子と外へ出て行った時、あの人が婚約者なのかな、となんとなく思った。その時は既に遠目だったけど、並ぶ二人はすげぇお似合いだった。

…婚約者発表では、父上達と一緒に祝福はしたけど、どうしても直視できなかった。相手の王子の顔も、幸せそうにしているであろうプライド様の顔も。


翌日のステイルとの稽古後、城下に降りられるプライド様が、レオン王子に俺を紹介してくれた。


…その時から、違和感はあった。

そしてプライド様やステイル、レオン王子と馬車に乗り込んでから馬車に揺られ、それが違和感以上のものになった。

「プライド、君と居るとただこうして馬車に揺られているだけの時間ですら幸福だと…そう思えるよ。」

レオン王子に抱き寄せられ、甘い言葉を囁かれるプライド様を目の当たりにするのは正直それだけでも胸が妙に痛んだが、それ以上に俺はなかなか直視することができなかった。



怖気が走る程に貼り付けられた、レオン王子のその笑顔に。



最初は誕生祭という公式の場だからだと思ったから疑問にすら思わなかった。ステイルだって社交の場じゃいつもそうだし、大体そんなもんだろと。

次が、馬車の前で紹介された時だ。頭を下げた俺にレオン王子が挨拶を返してくれた時、その薄気味悪い笑みが俺に向けられた。でも、それだって王族じゃねぇ俺みたいな下っ端相手じゃしょうがねぇなとそう思った。

ただ、馬車の中じゃ別だ。


プライド様の肩を抱く時も

プライド様の手を取る時も

プライド様に甘い言葉を囁く時も

馬車から降りて城下の人と触れ合っていた時も

ステイルへの問答に答える時も


ずっと、ずっとだ。


ステイルの取り繕った笑顔とも、ジルベール宰相の全てを覆い隠すような笑みとも全くの別の異質な笑顔。

プライド様を愛していると囁き続けながら、その顔はべったりと塗り固めたような笑顔しかなかった。それだけでも俺は、レオン王子への怒りが込み上げた。何故そんな嘘偽りに固めた笑顔で、無意味に何度も何度も何度も心にもない甘ったるい言葉をプライド様へ重ねるのかと。

馬車に揺られる間、ステイルから聞いたレオン王子の噂が耳にこびりついて離れなかった。自国では有名な女誑しだと。目の前の光景にその噂への信憑性は跳ね上がった。


更には、プライド様だ。

いつも、俺みたいな騎士や来賓、城下で会う人に対しても心からの笑顔を沢山向けてくれるプライド様までもが、取り繕った笑顔をずっとレオン王子に向けていた。

遠い、別人のようなその横顔に胸が締め付けられた。



まるで最初からレオン王子に何も期待していねぇような、そんな笑顔に。



二人仲睦まじく並んでいるように見える筈の姿が、俺の目には全くの別物にしか映らなかった。

レオン王子の手前、ステイルもいつもの取り繕った笑顔をしていて、レオン王子も怖気の走る笑顔を貼り付けていて、あのプライド様まで嘘の笑顔を浮かべていて…

貼り付けまみれの笑顔しかない空間に、気分が悪くなった。今までだって、騎士の任務で護衛や式典に招かれてそういう取り繕った笑顔まみれの場所に行ったことは何度もある。ガキの頃から見慣れてたし、目に引っかかるぐらいだった。


でも駄目だ。あの王子の笑みは異質過ぎて、その上よりによってプライド様までもが取り繕って…気分が悪くなり過ぎて途中から吐き気を抑えるのに必死だった。せめて口を押さえつけたかったが、王族の前でそんな不敬をするわけにもいかず、拳を握り締めてひたすら耐えた。

プライド様達を城へ送り届けた後、城前は流石にまずいと思って急いで移動し一気に吐き出した。


…駄目だ、あの二人は。

わかってる、国の政治に俺が口を出すべきじゃないってことぐらい。そんな資格もないってことも。

でも、あの王子と結婚してプライド様がもしずっと、ずっとあの王子にあの笑顔と口先だけの甘い言葉を掛けられ続けたら?

プライド様がずっと、あの嫌な取り繕った笑顔ばかりを浮かべ続けるようになったら?王子だけじゃねぇ、ステイルやティアラ、民や、…この俺にも。


きっと俺は耐えられねぇ。


あの人には幸せになって欲しい。

俺がどんなに辛くても痛くても構わねぇ。

でも、国や民を一番に考えてくれるあの人がその為に一人ずっと笑顔を偽り続けることになるのは嫌だ。

あの時、俺をその笑みで救ってくれたあの人の心が死んだら



それこそ俺もどうにかなっちまう。


……



俺の話に、ステイルは絶句したように言葉を詰まらせ、暫くは何も言えねぇようだった。


俺へ向けたままの目だけが、酷く混乱しているように揺らいでいた。

ステイルに話す間にもあの時の不快感や怒りが振り返し、腑が煮え繰り返った。「つまり」と、やっと頭の整理が追いついたのか口を開き始めたのはかなり時間が経ってからだった。

「姉君も、レオン王子も、殆ど始終偽りの笑みしか浮かべていなかったと…?」

「そうだ。少なくとも俺の目にはそうしか映らなかった。」

俺の単なる気のせいだったらどんだけ良いか。吐き捨てるようにそうこぼした途端、ステイルが小さな声で「プライドが…」と呟いた。大分まだ混乱してやがる。そのままぐしゃり、と片手で自分の頭を掻き乱す。


「何故、だ…?レオン王子はまだしも、何故姉君までそんなことをしなければならない?国の代表として速やかに婚姻を成立させる為…?いや、そもそも何故…。昨夜聞いた段階ではレオン王子を悪くは言っていなかった。レオン王子の噂も全く知らないようだったし、少なくとも俺の目には姉君へ好意を向けているように振る舞っていた。そんなレオン王子に何故、姉君が心にも無い笑みしか向けられないんだ…?」

「わかんねぇ。プライド様もレオン王子の本性に気づいているのか、婚姻自体がもともと乗り気じゃねぇのか、……レオン王子に、弱味でも握られているのか。」


最後の言葉を言った途端、俺が握り締めた椅子の背もたれが悲鳴をあげるのと同時にステイルがギリッと歯を食い縛る音が聞こえた。あの人の本当の笑顔をあの王子が意図的に奪ったんなら絶対にゆるさねぇ。

「…もし、何か理由があったとしても姉君は国の為なら耐える人だ。例えレオン王子との婚姻に気が進まない理由があったとしても婚約解消をしようとは思わないだろう。それに…未だレオン王子の人格全てが否定された訳でもない。」

ああ、と言いながらも胃は焼けるように痛んで、また手に力を込めたらとうとう背もたれが音を立てて半分取れた。

わかってる、恋愛とかそういう気がなくても大事なのは王配となるに相応しい器の方だ。

プライド様がちゃんと惚れた人と幸せになって欲しいと、そう願っちまうのは俺の独り善がりな我儘でしかねぇ。ただ、それでもやっぱり俺の頭にはあの二人の貼り付けた笑顔がこびりついて離れなかった。

ふと、妙な寒気がしてステイルに目だけを向ける。目が血走るほど見開かれ、指先が眼鏡の縁に当てられたまま全身からはドス黒い覇気を放っていた。


「…明日、レオン王子が帰国した後に俺から母上に進言する。…姉君の婚約者に相応しいとした、その理由も。」


その言葉に若干の不安はあったが、それでもやっと胸の煮え滾りが少しおさまる。そのままなんとか落ち着こうと長く息を吐く。

「…そうだな。俺もこのままじゃあとてもプライド様を祝福する気にはならねぇ。」

「ああ、むしろお前がその剣を振るいそうな勢いだ。」

ステイルの言葉に「ンだと⁈」と返すが、既に俺の声が聞こえていないらしくぶつぶつと「いっそ本当にわかりやすく女性に手を出してくれれば尻尾を掴めたものを」ととんでもねぇことを呟いていた。ふざけんな、プライド様以外の女に手ぇ出す男なんかその場でぶった斬ってやる。


「…あとは、明日の朝の帰国までレオン王子がプライド様に変なことしなきゃ良いんだが。」


レオン王子の居ないところでプライド様の本心さえちゃんと聞ければ、俺やステイルも何か力になれるかもしれねぇ。万が一にも王子に弱味を握られたり、王子の望み通りにしなきゃならねぇ理由があるなら、その時は。

壊れた背もたれの代わりに、無意識に腰に刺したままの剣を強く握り締める。

「ステイル、呼び出してこう言うのもなんだけどよ、明日の朝までちゃんとプライド様をー…」

見ていてくれ、そう言おうとした瞬間そこで言葉が止まった。

明らかにステイルの顔色がおかしい。額に汗を滴らせ、押さえた眼鏡の奥の瞳が激しく揺れている。更には完全に俺から目を逸らしていた。ただでさえ無表情なことが多いコイツがこんなにわかりやすく動揺しているのは始めてだ。


「おい、どうしたステイ」

「なんでもないっ。」


俺が言い終わるより先にステイルが言葉を切った。いや、どうみても大丈夫じゃねぇだろ。急にステイルの態度でさっきまでの煮えたぎった熱が引いていく。

「そろそろ俺は戻る明日またいつもの時間に稽古場でだ絶対遅れるな。」

一瞬何言ってるのか聞き取れないくらいの早口で一息に俺にそう言うと、止める言葉も聞かず、ステイルは瞬間移動で消えてしまった。


…なんか、すっげー嫌な予感がするんだが。


一瞬、夜だったせいもあってかとんでもないことを想像しちまう。速攻で自分の頬を叩いて変な妄想を打ち消した。いや、ねぇだろ流石に。まだ出会って三日しか経ってねぇってのに。今日のレオン王子の甘い言葉に影響されたか。頬が熱くなり、頭を掻いて誤魔化す。

でも、ステイルに話して良かった。俺一人じゃマジで早まってたかもしんねぇ。

あと一日、あと一日だけだ。そうすりゃァちゃんとプライド様の話も聞ける。ちゃんと力にもなれる。…プライド様や、ステイル、ティアラのあんな顔も見ないで済む。


…頭ではわかってる。もし仮にあのレオン王子が最低な人間だとしても、同盟の証としてはプライド様の婚約は必要なものだ。こうして少し冷えた頭で考えれば、単に取り繕った笑顔まみれだっただけで婚約解消なんて絶対無理だ。本人同士の意思じゃなく、これは国同士の意思。


でもそれでも、やっぱり願っちまう。

プライド様を慕う、ちっぽけな単なる一国民として。







あの人にはどうしても幸せになって欲しいと。


<< 前へ次へ >>目次  更新