幕間 三と七。
〝セフェク〟
私達にとって、一番大事な人がくれた名前だ。
真っ暗な部屋に閉じ込められて、扉の向こうの会話や噂に耳を澄ませる毎日で。
手の届かない扉の向こうは、毎日がパーティーですごく羨ましかった。
お父様とお母様には言葉遣いが下手だと毎日叩かれた。だから毎日、扉の向こうに耳を澄ませてお客様の言葉を覚えた。
名前を呼ばれた事は…無い。
その顔が気に食わない、ゴミだクズだと髪を引っ張られた。だから、せめて目立たないように小さくなって音を必死で消した。
血が繋がらない、汚れた血、あの女のせいで、お前なんかお前なんかとお客様の前では絶対言わない言葉を毎日私に言うお母様。
可哀想に、彼女も辛いから許してくれよと、そう言いながら部屋から出してもくれず、お母様よりもっと怖い事を時々私にしたお父様。
…だから、私は逃げた。
逃げて、逃げて、辿り着いた最後は下級層だった。
ご飯を食べないのも慣れていたし、暫くは大丈夫だった。物音を立てずに隠れるのも慣れていたから、誰にも見つからなかった。
…あの時までは。
「ぁ…うぅ…あ゛ー…!」
男の子が、道端に転がっていた。
私より小さな男の子。周りを見たけど親は居なかった。
身体中が痣だらけで泣いている男の子が、まるで私みたいで。
「…ねぇ、…貴方は私の〝家族〟になってくれますか…?」
それが、〝ケメト〟になる男の子との出会いだった。
……
〝ケメト〟
僕らにとって、一番大事な人がつけてくれた名だ。
僕の前にはいつも、この人がいた。
「私がお姉さんで、貴方が弟。だから、私が守ってあげる。」
それが、その人の口癖だった。
下級層の隅に捨てられて毎日石を投げられていた僕を、その人が拾ってくれた。
泣いても逃げても誰も助けてくれなかった僕を、その人だけが助けてくれた。
今日から私の弟よ、と言ってくれた時のことはずっと覚えてる。
何度も石を投げられた。
でも、その人が僕を抱き締めて庇ってくれた。
何度も追いかけられた。
でも、その人が一緒に逃げて隠してくれた。
でも、いくら隠れても逃げても見つかったらまた追いかけられて石を投げられた。逃げ遅れると殴られたり蹴られたりもした。
痛くて泣いてばかりだった僕に、その人はこっそり特殊能力を見せてくれた。キラキラと光る水がすごく綺麗で、僕はその人の能力が大好きになった。その人の手を握って「もっと!」とお願いした途端
その人の手から噴水みたいに水がすごい勢いで飛び出した。
何故かその人まで目を丸くしてたけど、周りの人が水に驚いた声がした途端、僕の手を引いて走り出した。
本気のこの人の能力はすごいんだなと思った。
「特殊能力はバレちゃダメ。私と貴方だけの秘密よ。知られたら悪い奴らに捕まって売られちゃうんだから!」
約束よ。とその人が僕と小指を結んだのはその日の夜だった。
「私の特殊能力はつまらない、役立たずって言われたけど、きっと貴方の特殊能力はすごいわ!絶対大きくなったらお城で働けるわよ!」
嬉しそうに笑ってるその人に「僕の特殊能力…?」と聞いたら、すごく驚いて「気づいてないの?」と言われた。特殊能力って言葉自体、僕はその時初めて聞いた。
「大きくなったら教えてあげる。」
その日、僕は二回目の約束をした。
……
弟ができた。家族ができた。
昔の話し方も止めて、新しい生活が始まった。
私を殴らない、蹴らない、怖い事をしない家族。
あの子の為ならどんな目に合っても我慢できた。
あの子は小さくて、逃げるのも下手だから守ってあげた。
…でも、日に日に怪我が酷くなって歩くのまで痛くて泣くようになった。私だけが怪我すれば良かったのに、どうしても私一人ではあの子を守りきれない。投げられる石の数が増えて、追いかけてくる人の数も増えた。
いつからか隠れる場所にあの子を置いて、私が一人で食べ物を取りに行くようになった。
私一人の方が確実だし、何より見つかって石を投げられるのも私だけで済むから。
ある日、大きな大人が来た。
あの子が隠れている場所に入ろうとする大人。
…大人は、怖い��
でも、私はあの子を守らないといけないから。だから必死で嘘をついた。
『アァ?…テメェ、ここに住んでるのか。』
その大人は、今までみた大人の中で一番怖い顔をしてたのに何故か何もしてこなかった。
そして、私達にいつも石を投げてくる人達を一目で追い払った。
これだ、と思った。
……
「行くわよ、あの人の所へ行くの。そしたらきっともう石は投げられないわ!」
その人が僕の手を引いて連れていったのは、さっき僕の隠れている場所に入ろうとした怖い人のところだった。
僕らが見つけた時にはもう寝ていて、でも凄く大きな人で、怖かった。
「貴方は何もしなくて良いの。もし殴られたりしたら、私が守ってあげるから。」
そう言ったその人の手も凄く、凄く震えていた。
その日、僕はその人に抱き締められながら眠った。
……
『ふざけんなッ‼︎俺がテメェらみてぇなクソガキ連れ歩いてたまるか!』
私だけが殴られれば良いと思った。
沢山の石と違って、相手が大人一人ならあの子を守れると思った。昔から蹴られるのも殴られるのも慣れていたから。
でも、その大人は何故か私達を殴ろうとはしなかった。
悪口は沢山言われたけど、それだけだった。
その大人と一緒にいる間は一度も石を投げられなかった。
だから、ずっとずっと付いていった。
逃げられても毎日歩いて見つけた。
ただ、大事な弟を守る為に。
それだけの存在だった。
あの時までは。
……
『…テメェらの名は。』
大人の人は、ヴァルという名前だった。
怖かったけど、あのたくさんの石から僕たちを守ってくれた格好良い人だった。
初めて話しかけたら、返事をしてくれて…すごく、嬉しかった。
ヴァルに名前を聞かれて、今まで呼ばれた名前を言ったら何故か、すごくぐったりされた。
ヴァルは、名前を持ってて、強そうで、格好良い人。
僕は、名前も無くて、弱くて、格好悪い。
いつも守って貰ってばかりで。
それだけの存在だった。
あの時までは。
『……セフェク。ケメト。次からはそれで呼べ。』
ー 私達に、名前をくれた。
『異国の言葉だ。セフェクが数字の7、ケメトが3、今のテメェらの大体の年齢と同じだ。』
ー 僕らに、歳をくれた。
今まで、名前を呼ばれたこともなかった。
歳を数えられたこともなかった。
それを、一度に両方与えてくれた。
ヴァルが寝た後に、僕らは嬉しくて嬉しくて沢山泣いた。
セフェクが泣いたのを僕はあの時初めて見た。
ケメトがあんなに嬉しそうに泣くのを私はあの時初めて見た。
あの時から、ヴァルは私達の〝特別〟になった。
『…そういやぁ、テメェらはなんで稼がねぇ。』
私達にお金の稼ぎ方を教えてくれた。
『…欲しいものを選べ。手のひら程度の果物ならその器の金で一つは買える。』
僕達にお金の使い方を教えてくれた。
『おい、セフェク!ケメト‼︎』
私達の名前を呼んでくれた。
『…その金、置いてけ。』
僕達を助けてくれた。
『行くぞ。』
私達を…呼んでくれた。
子どもが好きなだけかとも思った。
だから私達に優しいだけなのかと。だから、試しに言ってみた。
『ヴァル、さっきの奴らがまたお金奪ってるわよ。』
『言っておくが、俺はそういう人間じゃねえ。ガキが何人路傍に転がっていようが、嬲られようが気にも止めねぇ。…そういう人間だ。』
ヴァルは教えてくれた。今まで酷い事も悪い事もたくさんしてきたと。自分は今もそういう人間だと。でも、それなら。
何故いま、私達を助けてくれたの?
まるで、私達だけが〝特別〟だと。…そう言われた気がした。
他の子ども達と違って
〝私達だから〟助けてくれて
〝私達だから〟名前を呼んでくれた。
それが凄く嬉しかった。
私達を〝特別〟にしてくれたこの人が、大好きになった。
だから…
……
「…明日は王配様のお誕生日なんですか?」
城の装飾を見上げながらケメトが言う。丁度国の配達を終えてヴァルとセフェクと一緒に城へ書状を渡しに来た時だった。
「ええ、そうよ。私の父上の誕生日なの。」
口をあんぐり開けたケメトに、横でセフェクが「〝様〟じゃなくて〝殿下〟でしょ!」と言葉を訂正している。
「ごめんなさいね、こんな慌しい時に。」
でも、外出する前に会えて良かったわ。とそう言って申し訳なさそうに笑うプライドにケメトとセフェクは首を振った。
「こんな凄い飾り初めて見れて嬉しいです!」
「王配殿下のお誕生日おめでとうございます‼︎」
ケメト、セフェクの慌てぶりに背後でヴァルがニヤニヤと笑っている。そのまま二人の背中を膝で突くと、その頭上から書状をプライドに手渡した。その様子を見上げるようにしながら、ふとケメトが再び口を開いた。
「あの…誕生日って、どうやって決めるんですか…?」
セフェクの言葉にプライドが、え。と言葉を無くす。セフェクもそういえば…というような表情で首を捻った。
「…誕生日というのは、自分の産まれた日のことだ。決めるというのならば、それは自分の産まれた日だろうが…。」
ステイルがそう説明しながら、チラリとヴァルを見る。ちょうどプライドに「今まで二人の誕生日祝ったことなかったの?」と問い詰められているところだった。だが、そのまま「知らねぇのに祝える訳ねぇだろ。」と返され、プライドが何とも言えない表情になる。
「なら、今お誕生日を決めれば良いと思います!」
ティアラが手を叩き、楽しそうに声を上げた。
「今、って今日を誕生日にするってことか?」
プライドの外出の為に近衛騎士の任で来ていたアーサーが、ティアラとケメト、そしてセフェクを見比べた。
「いいえ、二人にとって大事な日を御誕生日にすれば良いと思いますっ!」
いかがですか?と二人の顔を見つめるティアラは既に若干わくわくといった表情だ。
「大事な日…。」
セフェクとケメトが小さく声を合わせ、そのままヴァルを見上げた。「テメェらの好きにしろ」と言うヴァルに、今度は二人で顔を見合わせる。そして無言で頷き、目の前のティアラへ声を合わせた。
「「ヴァルに会った日!」」
「ハァ⁈」
二人の言葉に今度はヴァルが声を上げた。
「ふざけんな!そりゃあ俺が
「良かったな。それならジルベールに裁判の日付を確認すればすぐ分かる。」
けろり、といった様子でステイルが言葉を突き刺す。そのまま「今の時間なら城に居るでしょうし、確認しましょうか」とプライドへ悪い笑みを浮かべた。
「じゃあ僕はセフェクと一緒の誕生日ですね!」
「え、でもヴァルに直接会ったのはその次の日でしょう?」
「ふざけんな、ンな連日祝わねぇぞ‼︎」
「じゃあ、ヴァルの誕生日も一緒にする?」
「テメェらクソガキ共と同じ誕生日なんざ死んでも御免だ‼︎」
セフェクからの提案にヴァルが声を荒げた。僕は三人一緒でも嬉しいですよ!と声を上げるケメトが、ぎゅっと楽しそうにセフェクとヴァルの裾を握った。
「…ステイル、面倒くせぇからアイツを裁判にプライド様がかけた日で良くねぇか?」
ヴァル達の様子を見物していたアーサーがふと、ステイルの肩に腕を掛けながら提案する。それを聞いたティアラが「それなら二人と日付も重なりませんねっ!」と声を跳ねさせた。更にステイルもアーサーのその提案にニヤリと笑う。
「よし、ジルベールに今確認を」
「ふざけんな‼︎ンな記念日があってたまるか‼︎」
結局連日になるじゃねぇかとステイルの言葉を搔き消すようにヴァルが声を荒げた。
「俺とステイルでテメェの誕生日は盛大に祝ってやる。」
ステイルに少し似た悪い笑みを今度はアーサーがヴァルに向ける。アーサーもなんだかんだで未だに騎士団襲撃のこと自体は許していない。アーサーの肩に機嫌良さそうに今度はステイルが手を置くと、そのままジルベール宰相へ確認を取る為に瞬間移動で一度その場から消えた。
「とっ…とにかく良かったわね、二人共。これで次からは誕生日を祝えるわ。私も二人の誕生日には何かお祝いするわね。」
何とか気を取り直そうとプライドが二人に笑い掛ける。すると予想以上にありがとうございます!と二人から満面の笑みが返ってきて、嬉しくなった。
「主、俺の誕生日ってのもそりゃあ祝ってくれんのか?」
プライドを試すようにニヤニヤ笑いながら覗きこむヴァルにプライドは少し眉間に皺を寄せながら「貴方の裁判の日で宜しければ‼︎」と嫌味たっぷりに言い返した。すると、ヴァルの笑みが更に引き上がり「よし、聞いたかテメェら!」とケメトとセフェクの肩を掴んだ。
「ちゃあんと覚えてろよ?
ヴァルの態度に、さっきまで嫌がっていたのは何なのかと言わんばかりにプライドが「ヴァル!貴方も二人の誕生日は祝うのでしょう⁈」と叫ぶと「先に主がこの俺を祝ってくれりゃあなァ⁈」とケラケラ笑われた。
「ヴァル。」
二人が、ヴァルの裾を引く。なんだ、とヴァルがプライドとの口喧嘩を中断させながらも真っ直ぐに二人へと振り返る。
「次から毎年私達が祝ってあげるから。」
「ずっと毎年お祝いしましょう!」
二人の言葉にヴァルは一言飲み込み、言葉の代わりに二人の頭を鷲掴んで答えた。
だから。
ずっとずっと傍に居たい。
例え私が大人になって
例え僕が大人になっても、ずっと。
僕達に、全部をくれた人。
世界で一番、大好きな人。
ゲームでは、セフェクとケメトは存在すらしていません。
いま、三歳と七歳だった彼らとヴァルは幸せです。
明日は騎士番外を更新致します。御容赦下さい。