126.罪人は憶う。
「…!おー、アンタか。…ったく、毎回毎回店開いてから来て欲しいもんだな。」
店の扉が開く音に振り向き、葉巻を加えたままベイルは溜息をついた。そのまま刺青だらけの腕で肘をつき、手でカウンター席に客人を招く。
「ハッ!客の前でできるような取引じゃねぇだろ、ベイル。」
男が鼻で笑いながらカウンター席に腰掛ける。片腕に背負っていた荷袋を横のカウンター席に立て掛け、酒を一杯注文して出された瞬間飲み干した。
「ねぇヴァル!何でも食べて良いのよね⁈」
「ベイルさん!ヴァル‼︎僕はお肉が食べたいです‼︎」
男…ヴァルの背後のテーブル席でメニューを片手に文字を読めない二人が騒ぎ始めた。
「アァ⁈勝手に好きなだけ頼んでろ!来て早々に騒ぐんじゃねぇよ‼︎」
「ヴァルだって私達より先にお酒飲んでるじゃない!私も何か飲み物‼︎」
「ベイルさん、羊の肉ってどんな味ですか?」
「……これだよ。まぁ…確かにガキ連れじゃ開店時間に来たら余計目立つだろうがな。」
お陰で店を開店時間より早く準備するのにも慣れちまったよ、と言いながらベイルは中身の入ったグラスと羊の肉を取り出した。
「このお店だと色々な物が食べれてすごく楽しいです!」
「ああ、そうかい。一応ウチは酒場なんだがな。…どっかの保護者がガキの為に食い物をもっと出せと煩くなったんでね。」
ケメトの言葉に答えながら、チラリと目だけで二杯目を要求するヴァルを睨んだ。
「金は十分払ってる筈だぜ?」
「ああ、酒代と飯代はな。が、…こっちは無料だ。」
そう言ってベイルはヴァルへ数枚の紙の束をカウンターに投げ置いた。宰相のジルベールへ、酒場で聞いた裏世界の動きや噂の報告書だ。ヴァルはそれを確認すると中身は見ずに懐にしまい込んだ。
「いや、アンタが取りに来るようになって本当に感謝しているよ。…あの男には、できることなら二度と会いたくなくてね。」
「ヒャハハッ!わかるぜ?その気持ちはよ。」
あの男は得体が知れねぇからな、と相槌を打ち、カウンターに置かれたグラスを手に取り、セフェクへ後ろ手で手渡した。
ヴァルはジルベールから直々にベイルと自分との情報の橋渡しを任されていた。その分の手間賃は払います、と。プライドからも許可を得て、ヴァルは渡された報告書の中身を見ない、誰にも見せない、話さないことを命じられた上で〝一般市民からの情報提供〟をジルベールへ定期的に届けていた。中身についでヴァルも察しはついているが、敢えて追求はしなかった。ヴァル本人も何となく、ジルベールの恐ろしさは肌で感じている。
「それに、なんだかんだそうやって俺の店に来る度に大盤振る舞いしてくれるアンタらは良い客だ。…営業時間にさえ来てくれれば最高のな。」
はいよ、羊肉だ。と皿に盛った肉をヴァルに突き出せば、舌打ちをしながらヴァルが後ろにいるケメトにまた手渡した。香ばしい香りが店中に充満し、皿を見たセフェクが「私も一つ!」と声を上げた。ヴァルがそれを聞き、面倒そうに指を二本ベイルへ突き立てた。はいはい、とベイルが更に二枚。羊肉を焼き始めた。
「アンタがここに使いで来るようになって…三ヶ月、か。仕事は順調か?」
「あー?…まぁまぁだ。」
ヴァルは契約で仕事の内容は他言できない。セフェクとケメトもヴァルが各国に〝配達〟をしていることはわかっているが、具体的な仕事内容までは理解しておらず、その上でヴァルとプライドからも口止めを受けていた。
「まぁ、深くは聞かねぇがな。ンなことしたら俺があの男に殺されちまう。」
「ヒャハハハハッ!お互い苦労するじゃねぇか。」
「俺なんかは気楽な方さ。それよりヴァル。アンタはなんで今の仕事をしてやがる?」
ベイルの言葉にヴァルは少し黙り込み、一番大きいジョッキを要求しながら「成り行きだ」と答えた。
ヴァルの返答に何かを察したのか、ベイルはそれ以上聞かずに「そうかい」と軽く返す。そのまま中身の入ったジョッキと焼けた羊肉を二皿カウンターに出し、ついでにケメトの分のグラスを続けて置いた。セフェクが自分からカウンターの皿を一つ手に取り、飲み物の入ったグラスをケメトの横に置いて自分も席についた。ヴァルは残った方の羊肉へフォークを突き刺し、思い切り噛り付いた。
肉を噛みちぎりながら、ヴァルは考える。何故、あの時にプライドの案に乗ったのか。
…払いが良かった。そこは間違いねぇ。
だが、少なくとも一年前の俺ならこんな仕事なんざ絶対受けなかった。
ー 国のお偉いさんなんざ、どいつも同じだ。
テメェらより下の人間なんざ気にも止めねぇ。
『彼が人質に取られた子ども達を含め、商品となった我が民を助けに行きます。』
ー どんだけ甘い言葉や大層な御託を並べようと結局は��人事だ。
『下臈が。私の民に何をする。』
ー 下の連中に身体を張ることも
『命令です‼︎私の手を掴みなさい‼︎』
ー 信用も
『この洞穴全てを制御なさい‼︎』
ー 俺達を理解することだってできる訳がねぇ。
『…その、涙はっ…っ。…家族を想う、涙です‼︎』
ー 俺達が地を這い蹲ろうと野垂れ死のうと気にせず高い所で笑ってやがる。
…筈、だったんだが。
『私の下で働く気はありませんか。』
「〜〜っ…あンの…クソガキッ…‼︎」
たった二日程度で、色々やらかしてくれたもんだと改めて思う。一気に色々思い出して恥を通り越して怒りが沸く。酒を飲み干したジョッキをカウンターに叩きつけ、羊肉を更に噛み切り飲み込むと、背後から呑気なセフェクとケメトが呼んだかと俺に声を掛けた。
「テメェらのことじゃねぇ、
ブチッと更に肉の塊を噛み切ると、セフェクが「
「うるせぇっ!俺から見れば十分クソガキだ!」
「ヴァルは、
今度はケメトが声を上げる。肉が上手く噛み切れねぇのかまだ二口目で格闘してやがる。セフェクが気づいてナイフでケメトの分の肉を切り始めた。
「アァ?何故ンなこと聞く。」
「だって、ヴァルは
「ハァ⁈」
ケメトの言葉に思わず声を荒げる。
「この仕事だって、
そのまま突然口籠もり俯くケメトに「只の成り行きだっつってんだろ!」と話を切り、ベイルに酒瓶ごと寄越せと手を伸ばす。
そうだ、結局は成り行きだ。
主が、俺の嫌悪する連中とは違って色々とおかしかったから手を貸してやっても良いと、そう思っただけだ。
〝主〟という呼び名も、俺の雇用主だと認めてやったからなだけだ。
足の甲への口づけも、…その後も。全部は単なるあの場にいた連中への嫌がらせでしかねぇ。
……。…そう、それだけだ。
『ッ貴方も、私の国民でしょう⁈』
別に、あんな七も下のガキの言葉に揺り動かされた訳じゃねぇ。
別に、…改めて主に誓いたかった訳でも、感謝したかった訳でもねぇ。
別に…ガキが俺からの口づけに、そして悪戯に顔を赤らめようが動揺しようが…俺は、何も感じはしなかった。…そうだ、何も。
…ただの成り行き。そして気紛れ。それで良い。
『拒まないで。』
…酒が少し回ったか、急に顔が熱くなる。クソッ、まだ飲み慣れねぇせいか。
今度は水差しごと寄越せとベイルがカウンターに出す前に奪い取り、直接飲み干す。背後でケメトとセフェクが何やら話す声が聞こえたが、水を飲む音に紛れて聞き逃す。ああやって話す時は大体碌でもねぇことを話してやがる時だってのに。
「ヴァル、顔赤いけど…照れてるのかな…?」
「何よ、主の事をガキって。いっつも主しか口説かないクセに。」
私だって女の子なのに。そう言って頬を膨らますセフェクを「僕は可愛いセフェクも格好良いヴァルも大好きですよ」とケメトが笑った。
「おい、そこのおもしろ家族。甘いもんは要るか?」
ベイルの言葉に、誰がおもしろだクソ店主、とヴァルが睨み、ケメトとセフェクが手を挙げた。