124.義弟は眠る。
「それではアーサー。今日はありがとう。」
「いえ。…すみませんでした、色々。」
「アーサー!今日はゆっくり休んで下さいねっ!」
「ああ。」
城門前でアーサーがプライドとティアラと挨拶を済ませる。そのまま近衛兵のジャックに引き継ぎ、再び騎士団演習場へと戻って言った。
そして俺は、アーサーが調子を取り戻したことに心底ほっとする。
アイツは人のことには寛容なクセに自分の責は負い過ぎる。周囲から聞いただけでもアイツが殲滅戦でプライドを何度も傍で守り続けていたことはわかっていた。なのに、本人は一回プライドを見逃してしまったことばかりに目を向けていた。…正直、そんなことを言ったら最後の一度しかプライドを守れなかった俺はどうなるんだとも言いたかったが。
「そういえば兄様、例の光の特殊能力者さんは探さなくて良いの?」
ふとティアラが思い出したように問いかけてきた。その言葉に、俺は少し頭を背後に傾けた。
パウエル。
あの後、アイツを瞬間移動させた場所に単身で行ってみたが既に姿はなかった。また興奮して騎士団に攻撃や騒ぎになってはと思い、敢えてあの場所に移動させたのだが…。
「…良い。いつかは必ず見つけ出す。」
そう言って笑ってみせると、ティアラが柔らかく倍の笑みを俺に返した。そのまま「兄様らしいわ」と呟いた。プライドにまで同じように笑まれ、気恥ずかしくなり咳払いで誤魔化す。
「…それより、今は先程姉君が発案されたものを実行する為に準備を進める方が先だ。」
眼鏡の位置を直し、改めてプライドへ目を向ける。「ありがとう」と言って笑ってくれ、早速このまま具体的な案を紙に纏めにかかろうと思った時だった。
「でも、それより優先することがあるわ。」
え?と俺が聞き返すよりも先に、何故かプライドの部屋でも広間でもなく、庭の方へ俺の腕が引かれてしまう。気がつけばティアラまで俺の背中を押していた。プライド、何を?と疑問を投げかける俺にプライドが振り向き、はっきりと言い放った。
「お昼寝しましょう。」
俺がプライドの言葉の意味を汲みきれない間も、二人にズルズルと引きずられてとうとう庭まで辿り着いた。
「ステイル、貴方もちゃんと寝てないでしょう?私達やアーサーが寝ている時もずっと代わりに起きていてくれたし、ちゃんと休まないと。」
…気づかれていた。
確かに昨晩は俺も殆ど寝ていない。だが、殲滅戦中は気を失っていた時間もあるし、プライドやアーサーよりは幾分平気だった。
確かにそれなりに疲労は残っている。気を失っている間に騎士団により治療を受けたから身体の火傷はもう殆ど残ってはいないが、内側に疲労となって未だ蓄積はされていた。…アーサーに気付かれでいないからプライド達にも隠しきれると思ったが。単にアーサーが不調なお陰で気付かれていなかっただけらしい。
二人に負けを認め、溜息を吐く。すると俺より先にプライドが庭の木陰に寄りかかり、座って寛いだ。そのままティアラが隣に座り足を伸ばし、二人に手招きされた。…こうなると敵わない。諦めた俺は二人に歩み寄り、いつものようにプライドを挟む形でプライドの隣へ座
ー ろうとした途端、肩を掴まれ引き倒された。
「⁈」
相手がプライドなのと、驚きのあまり無抵抗にそのまま倒れ込む。後頭部に柔らかい感触が当たり、見上げれば目の前にプライドの整った顔がそこにあった。
「…本当にありがとうね、ステイル。貴方のお陰で沢山の民を助けられたわ。」
そう言って、膝枕をしてくれたままプライドが俺の前髪を撫でる。ティアラがプライドの横から俺の顔を覗き込んでいた。
柔らかな感触と、プライドの香り、そして何より間近のその笑顔に自分の顔がみるみるうちに紅潮していくのを感じる。寝にくいだろうとプライドの細い指で眼鏡を外され、心臓が激しく脈打った。その後も、何度も何度も俺の髪を手で解くように撫でてくれる。心地良さと気恥ずかしさで思わず目を瞑った。…気づけば手が一本増えた感触がする。恐らく、ティアラがプライドと一緒に頭を撫でてくれているのだろう。
そのまま目を閉じていれば、心地良さだけが次第に大きくなり、鼓動の音も緩まっていく。
「……プライド、…俺。」
うつらうつらと意識が遠のく感覚に引かれる中、ふと思い出したことをそのまま譫言のように口にしてしまう。
「……俺、摂政になりたいです。…プライドの為、だけではなく…。」
パウエルのような…何処かで泣いている人を、今も苦しみ打ち拉がれている人を、守る為に。昔の自分のように己が運命に嘆く人を無くす為に。
…幼い俺にプラ��ドが、アーサーがしてくれたように。
「……民の為に。…立派な、ヴェスト叔父様よりも、もっと…もっと立派な…。」
摂政に、なりたい。
そう言葉を紡ごうとしたのに、もう半分眠気に襲われて口が動かない。意識がふわふわとして定まらない。このまま眠りに落ちると思った瞬間、柔らかい髪の感触がして少し意識を取り戻す。プライドの髪だ。気がついて薄く目を開けると
プライドの唇が、すぐ目の前に。
驚いて目を完全に見開いた瞬間、プライドの柔らかな唇が、俺の額に当てられた。
柔らかく、少し湿り気を帯びた感触に瞬きも忘れる。
「…できるわ、貴方ならきっと。だって私の自慢の弟だもの。」
俺の額に口付けをしたプライドが、そう言って嬉しそうに微笑んだ。
木漏れ日と相まって、まるでその微笑み自体が光っているかのようにみえてしまう。さっきまで落ち着いた筈の熱がまた上がり、今度は耐えられず腕でわなわなと震える口元を隠し、言葉が出なくなる。完全に目が覚めてしまった。
そんな俺の心境など知らずか、プライドがまた俺の頭を撫でながら輝く微笑みを俺にぶつけてくる。顔が近い、唇で触れられた額が熱く、疼く。後頭部の柔らかな感触に、改めて自分がどんな体勢だったのか気付き、心臓が酷く脈打つ。
「〜〜〜〜〜っっ…。」
死ぬ。逃げ場の無いこの状況で己が恥じらいと幸福感で死んでしまう。口元を腕で隠したまま、プライドから目が離せない。
「素敵です、お姉様。もっとしてあげて下さい。」
そういってちらっと俺を見たティアラが悪戯っぽく笑った。完全に俺の反応を見て楽しんでいる。ティアラの言葉を間に受けたプライドが、最初にティアラの額に口付けし、そして再びオレの額に近づいた。「ふ…っ!」と思わず目を瞑り、唇の感触がした途端恥ずかしくて変な声が出てしまう。
目を開ければ今度はティアラがプライドが触れた場所の隣に同じように口付けをしてきた。そのまま小さな唇を俺の額から離すと、プライドと一緒に顔を見合わせて嬉しそうに笑い合った。俺だけが顔の熱が引かず、二人のされるがままになっている。
本当に、プライドはずるい。
そしてティアラは…俺にだけ少し意地悪だ。
俺はきっと、一生彼女達には勝てないのだろう。
「……ありがとう、…ございます。」
火照り切った顔で、未だ緩んでしまった口元を隠しながら、なんとか二人にそう返した。
俺の大事な姉妹。
彼女達に囲まれ、溺れるような幸福感に息が詰まりそうになりながら、再び俺は目を閉じる。
目が覚めたら、今度こそ再び国とプライドの為に動き出す時だと…そう思いながら。