110.罪人は与えた。
「よく寝てたわね。」
俺と目があったガキの第一声が、それだった。
一瞬、何処の誰かも思い出せず口を開けたまま考え込んだが、すぐに昨日会ったガキだったことを思い出す。
「何故…テメェがここにいやがる。」
昨日の住処はどうした、と続けて言えばガキは両手に抱き締めたもう一人のガキを更に抱き寄せて俺に言う。
「私達の住処がここになったから。」
意味がわからねぇ。昨日俺の元住処だった場所はどうした。寝起きから最悪の気分なまま、俺は頭を掻き思いつくままに問いを重ねる。本当なら理由も聞かずこのまま蹴り飛ばしてやりたかった。
「どの住処より、あなたみたいな人の傍が一番安全だってわかったから。」
更に意味のわからねぇ言葉は続く。俺が明らかに殺意を向け、睨み、舌打ちをしてやってもガキは平然と俺の隣に立ち、見上げていた。
「…なんだその小せぇのは。」
浴びせてやりたい言葉は山のようにあったが、先ずはさっきから視界にチラつくガキを問う。小せぇ方のガキは大体三つといったところか。小せぇガキは目を丸くしたまま珍しいものをみるかのように俺を凝視する。
「…私の、弟になった子。」
なった、ということは元は他人か。ガキ同士の集落も珍しくはなかった。
「こんな掃き溜めでテメェのことでも精一杯なのに、ンな荷物抱えてどうする。」
「荷物じゃないわ、私にとって唯一の家族。…それに、私がいないとこの子殺されちゃうもの。」
俯き答えるガキが、弟を抱き締める手を強めた。よく見ればガキの腕や、弟は顔面に大量の痣がある。昨日の石を投げた連中か、または他にもいるのか。確かに女のガキや…特にまだ三つのガキなんざ格好の的だ。
「それで守れてるつもりかよ。」
痣から察して、コイツが弟の盾になっているってところか。くだらねぇ、石を投げるような連中はそういうのも込みで楽しんでいるに決まってる。
「次からは守れるわ。だって貴方の傍にいれば良いんだもの。」
「ハァ⁈」
まるでもう決まったことのように言うガキに俺は思わず声をあげる。つまり俺の存在を他の連中避けに使うってことだ。蹴り飛ばしてやりたかったが足が寸前のところで止まった。ぶっ殺されてぇのかと叫ぼうとしたが声が出ない。契約のせいで暴力どころか脅迫行為すらできやしねぇ。
「ふざけんなッ‼︎俺がテメェらみてぇなクソガキ連れ歩いてたまるか!」
「私達のことは気にしないで良いの。ただ私達が勝手に貴方の背後にいるだけだから、空気と思ってくれて構わないわ。」
今の俺にはできて威嚇か罵声を浴びせることぐらいだった。だが、コイツらはどれだけ俺が睨もうが唸ろうが舌打ちしようが罵声で怒鳴ろうが必ずついてきた。
…最初は取り敢えず逃げ続けた。数日前まであれぐらいのガキを何人も摘んで売って蹴って刺して殺していた、この俺が。たかが十にも満たねぇクソガキ二人相手に、だ。何度か足や能力を使って撒きもしたが、翌日かそのまた翌日にかは必ず見つかった。いつだったか、何故毎回見つけやがるのかを聞けば、下級層中歩き回ったと言う。俺の見かけや図体は見つけやすいともほざいていた。
一週間経っても状況は変わらず…本当にガキ共は俺が何処に行こうとただ黙ってついてきた。背後さえ振り返らなけりゃあ居ねぇのと同じだと思うことにしたが、ただでさえ褐色肌の目立つ容姿がガキ二人連れたせいで余計に目立った。
契約のせいで真っ当な仕事でしか稼げねぇ俺は、取り敢えず丁度規模のでかい土木の瓦礫拾い業にありつけた。その日食うだけならそれで凌げた。稼いだ金で食い物と水を買い、ガキ共は俺が瓦礫を拾ってる間に拾ってきた塵を食っていた。一度も羨む目で見られたことも、分け前を強請られたことも無かった。本当に、ただ傍にいるだけの存在だ。
そうして一カ月経ち、二カ月経ち…三カ月経った頃。
いい加減にガキ共の存在にも慣れた。
「おい、ガキ。テメェらいつまで俺にくっついているつもりだ。」
ふと気がついて寝床に転がりながら、ガキ共にそう尋ねた。俺に話し掛けられるのも三カ月ぶりだったガキ二人は驚いたように目を丸くさせた。
「………えと、…。…ずっと?」
ガキがぽかんと口を開いたまま固まり、そのまま頸を捻った。ガキのその答えに俺はうんざりと声を漏らした。
「本気かよ…。」
勘弁してくれ。下手すれば本当にコイツらに何年もつき纏われるのか。
「…。…お兄さんは、…ヴァルって、名前なの…ですか…?」
弟の方が初めて俺に口を利いた。ガキの方とは時々話していたようだが、俺に話し掛けてきたのは初めてだった。顔の痣も大分引き、まともに見れるようになってきた。
「あー?…それがどうした。」
俺が顔を顰めて弟を睨む。どうせ瓦礫拾い中に呼ば���たのでも聞いたんだろう。弟は俺の返事に俯き、またガキの背後に隠れた。めんどくせぇ。ガキも弟の言葉を聞いて小さな声で「ヴァル…」と呟いた。
その時初めて、俺は今まで一度もコイツらが名を呼び合っているのを聞いたことがないと気がついた。俺の寝床の向こうで、ボロ布に包まるガキ共を見やる。最初の時は一度も俺の住処に入って来ようとはせず、住処の外で布に包まっていたが、俺が脅しも暴力も振るわないことに調子に乗ったのか、いつからか俺の住処の中にじわじわと入ってくるようになっていた。今は俺の住処の隅に二人揃って丸くなっている。うざってぇ。
「…テメェらの名は。」
単なる気紛れだ。名を知らねぇから聞いた、それだけだった。だが、ガキ共は二人とも俺の問いに顔を見合わせ、言葉を詰まらせた。そして暫く経ってから返ってきた答えは。
「……ゴミ?……クズ?」
「カス…?…ゴミ?…あ、オトウト。」
ガキと弟の答えに俺は更に呻く。どうやらガキ共は名前が無いらしい。周りに呼ばれた名を羅列してきやがった。
勘弁してくれ、俺はこれから先ずっとゴミだのカスだのと生活しねぇといけねぇのか。
溜息を長々と吐き出し、ボロボロの天井を見上げながら項垂れる。少し考え、「めんどくせぇ」と漏らしながら、ガキと弟を順番に指し示す。
「……セフェク。ケメト。次からはそれで呼び合え。」
俺の言葉にガキ共は目を見開き、俺と、そして互いを見合わせた。
「…セフェク、…ケメト。」
「…ケメト。…セフェク…。」
自分を指差し、そして相手を指す。本当にうざってぇ。名前一つぐらい一度で覚えろ。
「…あの、…なんでセフェクがセフェクで、僕がケメトなんですか…?」
恐る恐るといった感じに俺へ尋ねるケメトにいい加減うんざりして、背中を向けて寝転がる。
「…異国の言葉だ。セフェクが数字の7、ケメトが3、今のテメェらの大体の年齢と同じだ。」
ガキの頃に親父から学んだ言葉。六歳までの間に結局今でも覚えていられたのは簡単な言葉と数字だけだった。「嫌ならテメェらでまともな名を考えろ」と言い捨て今度こそ目を瞑る。ガキ共はそのまま俺に返事をすることもなく「七歳…」「三歳…」とただの数字なのが不満なのか、俺が寝付くまでひたすらぶつぶつと呟いていた。
…この翌日から、ガキ共は自分から俺へ話し掛けてくるようになった。
出会ってからの三カ月間とは比べ物にならねぇほどの煩わしい日々に、何度もガキ共を殺したくなった。
ヒエログリフ・数字