そして託す。
「ッいけませんアーサー殿‼︎足元を‼︎」
ジルベール宰相の叫びに驚き、足元を見下ろすと鎖が蛇のように俺の足に絡み付こうとしている瞬間だった。まずい、と剣を地面に突き立てて足を浮かせ、剣を軸に縦に身体を浮かせ回転して避ける。危なかった、流石に鉄の鎖じゃ剣で斬ることもできない。捕まったらかなり厄介だ。まだ意識があったのかと、鎖の大男を見ると既にうつ伏せに倒れ込んだまま動いていなかった。
…どういうことだ?
「ッぐ、かァ⁈」
振り向くと、今度は倒れていたヴァルの首に鎖が強く巻きついていた。鎖一つひとつが首を圧迫し、必死にヴァルが手で外そうと抵抗し、爪を立てるが鎖は首に固定されたままビクともしない。
「剣を捨てろ。」
騎士と戦い犇めき合う群勢の中から、口元まで顔を隠した男が歩いてくる。他の連中と全く変わらない同じ格好と姿だ。言い知れぬ予感に、俺は急いでプライド様達からその男に立ち塞がるように前に立つ。
なんだ、コイツは。
「…ヴァルとの取引の際に現れた、五人の中にいましたね…。」
背後のジルベール宰相の言葉にはっとなる。薄目で見ただけだし鎖の大男以外は皆同じ姿で頭に入ってなかった。あったとしてもプライド様を袋に放り込んだ奴のことくらいだ。残りは俺を担いだ奴とステイルとジルベール宰相を両脇に抱えた奴、あとー…。
何も持たなかった男が、一人。
「あの鎖の大男は隠れ蓑…または鎖の男の荷物持ちといったところでしょうか。」
プライド様に肩を止血されながら、ジルベール宰相が男を睨む。そのまま小さく「どうりでベイルが名を掴めなかった筈だ」と呟いた。
「剣を置け。さもなくばその男を先に殺す。」
俺に対し、かなり警戒しているようにも見える男が震えた指でヴァルを指差した。口元の布を自分で剥ぎ取りその顔を露わにする。同時に更に強く締まったのかヴァルの呻き声が上がった。
正直、俺にヴァルを助ける理由は…無い。
アイツは四年前、俺の父上を殺そうとした一味だ。今もそれを許した訳じゃない。あの時の憎しみも、悔しさも、殺意も恐怖も未だ鮮明に覚えている。別の出会い方をしていたら俺はコイツに気付いた途端斬り伏せていたかもしれないと思うほどに。それこそ今さっき倒したあの鎖の大男のように。
でも、プライド様が決めた処罰なら俺はそれに従うし、隷属の契約に処されたヴァルを俺が更に痛め付ければそれはプライド様の判断にケチをつけたことになるから。全てはプライド様の意思、そしてティアラとの約束の為だ。
だから、俺個人はコイツに何の情もない。むしろ憎しみと恨みだけだ。俺が剣を捨てたことでプライド様やステイル、ジルベール宰相に危険が及ぶ方が俺には耐えられない。仇と大事な人達、比べるまでもない。けど…
『ヴァルを、返して。』
ケメトと、そしてセフェクは。
『私は、暮らすの。ケメトと、ヴァルと、三人で。』
たった七と十一のアイツらには。
『ヴァルを傷つけたら許さない。』
ヴァルが、必要だ。
四年前に父上を失うと嘆くしかできなかった俺と、今の状況をあの二人が目にしていたら、それはきっと同じだろう。…いや、目にしてなくても変わらない。ここでヴァルを俺が、秤にかけて見殺しにするのなら。
剣を握る手へ無意識に力が篭る。それに気づいた男に「早く捨てろ」と怒鳴られながら、俺は四年前の、プライド様への誓いを思い出す。
『貴方を、貴方の大事なものを…親父もお袋も国の奴ら全員を、この手が届く限り護ってみせる…そんな騎士に‼︎』
プライド様は言っていた。ヴァルも『愛する国の民であることに違いない』と。
なら、騎士として俺がすべきことは。
プライド様が愛して下さった目の前の民を、命を懸けて守る事だ。
剣を後ろ手で転がす。数回回転しながら地面を滑り、俺とジルベール宰相達との中間地点で動きを止めた。
ヴァルが首を締め付けられながら、信じられないものを見るように、俺に向けて血走らせた目を見開いた。アラン隊長が「馬鹿野郎ッ‼︎」と叫んだのが聞こえる。小さく振り返れば他の騎士達と一緒にステイル達を守ってくれていた。
男が、笑う。
抵抗するなと釘を刺しながら、丸腰の俺へじわじわと鎖が這い上がる。足元から巻きつき重量で少しフラつく。そのまま鎖が足から腰へ、そして手からへ胸へ首へと巻き上がる。今は全身拘束されただけだが、ここまで巻き着いたら後は俺を絞め殺すことも、この首を折ることも一瞬だろう。
無抵抗な俺に、男が口角を痙攣らせてヒヒヒと笑う。
「その量じゃ立ってるのも楽じゃねぇだろ��死ぬ間際まで無理なんざしなくても良いんだぜ?」
ぐぐぐ、とじわじわ鎖に締め付けらる。鎖が首に減り込み、耐え切れず呻きながら、それでも俺は答える。
「…ァ…ッ良…ン……だよ」
俺の言葉に男が「アァ?」と不愉快そうに顔を歪め口を開く。その途端、更に締め付けがキツくなりとうとう息ができなくなる。苦しくて視界が淀んだ。
「何が良いのか言ってみろガキが‼︎」
男の勝ち誇った怒声が耳に響きながら、俺は潰されかけた喉に声を出すことを諦める。
…そう、良いんだ。
このままプライド様達の壁になって騎士として立ち続ける。それが今の俺の役目だ。
そうすりゃァ…
また、昔の言葉を思い出し、絞め殺されかけながらも男へ向かい笑ってみせる。
男が怒り、今度こそ一思いに俺の首をへし折ろうと鎖の力が更に強まっ
「ッハァ‼︎」
凛とした声が、耳元に響く。同時に俺を締め付けていた全身の鎖が
木っ端微塵に砕け散る。
バリィィィィンッ‼︎と特有の破壊音と共に剣で真っ二つに砕かれた鎖がその勢いごと散り散りになり、地に舞った。
急に酸素を取り込めるようになり、涎を垂らし咳込みながら俺はその場に膝をつく。首を抑え、ゲホゲホと息を吐いて吸いながら視界の隅で今度はヴァルの首を締め付けていた鎖が同じように剣で砕かれていた。
そう、砕かれた。
鉄製の、太い頑丈な鎖が。ただの剣によって、だ。
こんな芸当ができる人は一人しかいない。
ジルベール宰相がステイルを抱き抱えながら「大丈夫ですか⁈」と俺に駆け寄る。
…やっぱ、アレで良かったんだ。
未だ咳込む苦しさよりも、自分の選択が正解だったことに安堵し、笑っちまう。
俺はちゃんと騎士として、ジルベール宰相達を隠す壁になれた。 そうすりゃァ…
『私の国の民は誰一人、不幸にさせない』
あの人は必ず立ち上がってくれるのだから。
鎖から解放される直前頭に過ぎった、あの人の言葉が再び思い起こされて、ハハッとガキみたいに笑っちまう。
「下臈が。私の民に何をする。」
凄まじい覇気を放ったその言葉に、俺は思わず顔を上げた。
真紅の長い髪。さっきまでの子どもの姿とは打って変わり、下級層の子ども服からはみ出した長くしなやかな手足を携えるあの人は。
騎士が使う、重厚な剣を振り上げて男を睨み付けた。
プライド・ロイヤル・アイビー殿下。
彼女が再び剣を片手に立ち上がる。
俺の、英雄が。