そして掴む。
「…パウエル。」
視界が変わり、目の前の光の塊に声を掛ける。パウエルだ。その場に両膝を抱え、顔を俯かせ小さく固くなっていた。
酷く光が不安定になり、点滅し揺らぎ、未だ周りがバチバチバチと音を鳴らしている。
「フィリップ…!無事、だったのか…。」
顔を上げて、心から安堵したように息をつく。目尻の涙がジリジリと振動して蒸発を繰り返している。
「すまねぇ…折角、助けてくれたのに、俺は…。お前みたいな、ガキにまでっ…。」
恐らく、パウエルと俺はそんなに年は変わらない。だが、今の十一歳の姿の俺にまで攻撃を放ってしまったことを嘆いているようだった。気にしなくて良い、そう言いながら再び俺は彼に歩み寄る。
「パウエル、帰るぞ。フリージア王国に。」
俺の言葉にパウエルは肩を震わせ、上げた顔からまた俺を睨んでいた。何度言わせればわかるのだと、そう言いたげな眼差しだ。
…俺も、昔プライドにこんな眼差しを向けたのだろうな。
ふと、七年前のことを思い出す。俺が初めてプライドに出会った日の夜のことだ。
一人ベッドの上で小さくなってた俺に彼女は何度も言葉を重ねてくれた。俺の悲しさに気づいてくれた。どれほどあの時に救われただろう。
『ッ俺は‼︎こんな特殊能力なんざ望んじゃいねぇのに‼︎』
俺も、恨んだ。
母さんと引き離されたあの日から、この特殊能力を持って産まれたことを恨み、呪った。
彼もまた、きっと生まれ持ったその特殊能力のせいで苦しんできた。本人の意思に関係なく、きっと環境が彼に〝普通〟を許してくれなかった。
バチィッとパウエルから一メートルほどの地点で肌に刺すような痛みが響いた。一度、足を止めるとパウエルの口から「来るな」と声が聞こえた。
そうだ、俺もあの時はまだプライドのことを心の底では拒絶していた。
「安心しろ、国内に戻すだけだ。お前を何処かに閉じ込めるつもりも、ここに捕らえられていたことを明るみにするつもりもない。」
俺の言葉にさらに、光が強くなる。さっきと同じだ。彼の動揺に比例して能力が暴走している。
「パウエル。今のお前にとってはきっとフリージア王国は生きにくい場所だろう。」
わかっている。我が国はまだ不完全だ。隣国や近隣諸国と親交を深めたところで、特殊能力者の理解もまだ完全にはされていない。ヴァルの言葉を借りるなら俺達特殊能力者は皆バケモノだ。その上、こうして今も人身売買の被害者が国外に流出されている。あのジルベールの手腕を持ってしても。そして、下級層の人間の貧困も解決されていない。この二年間、ジルベールの法案で大分国は情報管理や警備、治世も整ってきてはいるがそれでも尚、こうして問題は山積みだ。だが、
「だが、もう少しだけ待ってくれ。あと数年で必ず、フリージアはお前が世界の何処よりも生きやすい場所になっている。」
「何故そう言い切れる…⁉︎」
忌々しげに俺を睨み、感情が高ぶっているのかまた周囲がバチバチバチと破裂音を鳴らした。だが、俺は動じず「わかるさ」と答える。そして、そのまま息を吸い込み、彼に向かってはっきりと言い放つ。
「フリージア王国には、プライド第一王女がいる。」
俺の言葉にパウエルが目を見開く。何を言っているのかわからない顔だ。だが、代わりにさっきまでの破裂音が収まった。
「プライド第一王女…彼女が女王になったら、…いや、女王になる時にはきっと国は変わっている。今より必ず、良い方向に。」
一歩だけ、彼に踏み出す。ビリッと指先が焦げるような熱さを感じたが躊躇わない。
プライドは四年前、ヴァルに問いた。隷属の契約と処刑どちらを望むかを。
ティアラからその話を聞いた時は、何故プライドがそんなことを尋ねたのかわからなかった。そして最後、ヴァルを解放する時に言った。助けを望む時には自分のところに来いと。そして、四年後の今…プライドはヴァルを救う為に、また危険へ自ら身を投じている。囚われた子どもや国民はさておき、何故あの罪人の為にまでそんなことをするのか、…そんな価値があるのか、わからなかった。
だが、今は。
『ただ生き続けたいと願って!何が悪い⁈』
『…死んだら全てが終わりだからだ。』
今ならわかる。
プライドが、ヴァルへ手を差し伸べたその理由が。
例え、彼が此処に来るまでの間に誰かを傷つけてしまったとしても。
例え、我が国を疎み、憎んでいたとしても。
俺達と同じ地に産まれて、同じ血を流している彼に!
あと一度だけでも、幸福となる為の機会を与えられるのならば‼︎
彼女と同じように、俺も迷わず彼のこの手を掴もう。
腕が、熱い。茫然としたパウエルへ思い切って手を伸ばせばビリビリと腕が焼け焦げるように熱く、身体中が痙攣する。眩しくて目が潰れそうだ。それでも、あと少しと手を伸ばして彼の光り輝く腕を掴む。掴んだ俺に驚き、何かを言おうと口を開く彼に、俺は真正面から目を見据える。
『帰れる場所なんざあるもんかっ‼︎』
そう嘆いた彼の言葉を思い出す。彼は言った、帰る場所など無いと。ならば俺は敢えてこう答えよう。
「帰る場所なら、ある‼︎」
痛みと熱に耐え、叫び出す代わりに俺は彼に向けて声を張り上げる。俺の言葉に彼が口を引き絞るのが見えた。
「フリージア王国が!俺達の国が‼︎お前の帰る場所だ‼︎絶対に、そうなる‼︎プライドが女王になった暁には‼︎」
バチバチバチと耳元の音が煩い。その音に遮らろないようやはひたすら声を張る。
「……本当か…?」
ふと、消え入りそうな声が耳に入る。心なしか光量や熱が大分止んだ気がする。焼けるような痛みを引き摺りながら、俺は目を凝らして彼を見る。
涙で顔を赤らめ、堪えるように歪めた顔を俺に向けている。
俺は、この表情をよく知っている。己が絶望と一筋の希望を抱いてしまったこの表情は。
『…っ、…護れる…でしょうかっ…俺…俺なんざに…っ。』
アーサー。
俺の親友。俺と同じ、プライドに救い上げられた人間。そして時には俺を救ってくれた、大事な友。
「ッ本当だ‼︎」
俺は更に声を張る。酸素が薄いのか、息を切らして頭が痛くなる。彼を強く見つめ、彼の腕を握る手に力がこもる。
俺もまた、あの時のプライドのように彼を救い上げることができるのならば!
『その為の俺だろォが‼︎』
あの時のアーサーのように言葉一つでその心を軽くしてやることができるのならば‼︎
「ップライドが女王になるまで我が国で待っていろパウエルッ‼︎もし万が一、それでもお前が未だ我が国に居場所が無いと嘆くのならば‼︎」
息を止め、俺を見上げるパウエルへ俺は最後の力を振り絞る。そうだ、もしあのプライドですらコイツを救えなかったその時は!プライドが女王となりし時、摂政となったこの俺が‼︎
「ッこの俺が、お前の居場所を見つけてやる‼︎」
ぶわっと突然彼の身体が強く光った。また暴走するのかと息を飲んだ次の瞬間
…光が、止んだ。
あれ程、熱くなっていた彼の腕がシュウシュウと音を立てて熱が引いていく。彼自身から発した光がゆっくりと点滅し、彼は瞬き一つしないまま俺を見上げている。
なんとなく、さっきよりも呼吸がしやすくなった気がする。肩で息をしながら少し焦げた腕で彼の腕から手を離さ無いように力を込める。
彼は、暫くなにも言わなかった。俺の言葉の真意を考えるように、確かめるように、ひたすら俺を見つめていた。そして、俺が身体中に酸素を行き渡らせられた頃、彼はやっとその口を開いた。
「…なんで…俺に、そこまで…。俺、はっ…。」
そこまで言うと、一度彼は何かを思い出すように酷く顔を顰め、辛そうに歯を食いしばった。
…ああ、…この表情も俺は知っている。
ジルベール。
奴がプライドに己が罪を懺悔した時の表情だ。…パウエルが戸惑うのも当然だ。俺はついさっき会ったばかりで、更には殆どコイツからは攻撃しか受けていない。だが、何故かとそう問われるのがならば。
「…知っているからだ。身分や裏切り、罪状や前科全てに関わらず、それでも救い、手を差し伸べてくれる人を。」
思わず眼鏡の縁に触れようとして、今は着けていないことに気がつく。
「俺もそうされた人間だ。」
一度彼の腕から手を離し、もう一度彼の前に手を差し伸べた。彼は俺の手の一挙一動を目で追い、最後はその手のひらをじっと見つめた。
「我が国へ帰れば、お前もいつかあの人を目にすることができるだろう。」
彼はゆっくりと手を持ち上げる。そして自分の意思で、その手を俺に重ねた。見開いたままの目から涙が伝い、今度は蒸発することなく頬を伝った。
『私の愛する国の民であることに違いないもの。』
『それでもまだ彼は私の愛する国民だから。』
その手を取りながら、ふとプライドの言葉を思い出す。己が裁いた罪人のヴァルも、そして国を裏切ったジルベールすらもその言葉で彼女は愛し、慈悲を与えた。気がつけば、パウエルに向けて俺は再び口を開いた。
「お前も、俺達の愛する国民なんだ。」
つい言葉が零れてしまい、パウエルの俺を見上げる目が更にこれ以上ないほどに見開かれた。頬を伝う涙の量が増し、更にその目から溢れていく。
「約束してやる。特殊能力でお前が傷つくことなく、お前も、お前の大事な人も皆が笑っていられるようにすると。…俺の、命の限り。」
見開いたままの目が驚愕に色を変え、その口が再び言葉の意図を俺に尋ねようとした瞬間
瞬間移動によって彼は消えた。
騎士団の元にではない、俺のよく知る町の外れに。あそこなら安全だし、きっと心も落ち着くだろう。
一気に脱力してその場に座り込む。腕が火傷したのか若干痛むが、多分大丈夫だろう。これくらいならば治癒の特殊能力者の治療を受ければ痕も残らない。
「…に、しても…。…最後の最後までプライドの言葉を借りてしまうとは…。」
アーサーのように長い溜息を吐きながら、思わず片手がまた眼鏡の縁があった場所へ浮き、恥ずかしくてそのまま頭を軽く押さえる。
『約束する…私は絶対これ以上貴方を傷つけない…‼︎貴方も、貴方のお母様のいるこの国も皆が笑っていられるようにする…!私の、命ある限り…‼︎』
あの約束をプライドがしてくれて、もう七年が経つ。
ずっと、忘れなかった言葉だ。まだ、王族にもなってもいない庶民の俺にそう誓ってくれた。
今まではずっと、プライドの為に、プライドが女王となる為に。プライドの心を守る為に。と学び続け、その為だけに次期摂政として研磨し続けてきた。
だが、今は思う。俺の知らないところで傷つき、悲しみにくれていた彼のような民の為に。
プライドに出会う前の俺やアーサー、…ジルベールやヴァルのような、パウエルのような民の為にも摂政としてこの身を捧げたい。
プライドが女王となって築き上げる我が国で、彼女と、そして民の為に。
あの日、彼女が俺に約束してくれたように。
「…の、為にも…っ、…早くプライドの元へ行かないと…。」
瞬間移動する前に身体の埃を払おうと立ち上がる為に足へと力を込める
…途端に、視界が真っ暗になった。瞬間移動じゃない。俺自身の意識が途絶え始めていた。
ー…しまった…。
そう思った特には既に遅かった。
さっきまでの白い瞬きと違い、視界が黒に塗り潰されていく。
ー プライド…。早く、行かないと…。俺を、待っ…る、彼女の…。
そのまま崩れるように狭い岩壁の空間に倒れ込む。
岩の感触が頬にあたり、視界が一瞬はっきりしたと思えば世界が真横に倒れていた。ああ、倒れたのは俺かと人ごとのように思う。
ー 計画通り、…にしないと。…プライドを、守…為に。
「…プライド…」
最後に小さく声が出た。
ああ、まただ。また、彼女を守ると誓ったのに。俺は…こんなところで。
ー ……いや…違…。
瞼が閉じられると同時に、ふと思い出して不思議と場違いな笑みが零れた。そしてそれを最後に
ー ……それは…俺の、…じゃない…。
俺は、意識を手放した。