89.義弟は妹に問う。
「ティアラ…大丈夫か?」
ステイルは今、アーサーと共にティアラの部屋に来ていた。ヴァルとの問答後も、ティアラはその小さな肩を震わせて泣いていた。ティアラがプライド以外のことでこんなに泣くのは兄の目からみてもかなり珍しかった。
「っ…お姉様…大丈夫、かしら…っ…。」
ハンカチで目元を抑え、それでも涙が止まらない。
「…大丈夫だ。姉君はあの罪人と隷属の契約をしている。万が一にも姉君が危害を加えられることなどありはしない。」
口ではそう言いながら、内側では胸騒ぎが収まらなかった。あの部屋での暴れ様、そしてわざと外したとはいえプライドに向かいナイフを投げる所業。あの男がプライドに何かをするのではないかと不安が渦巻いた。だが、それをティアラに言ってこれ以上心配をかける訳にはいかない。そのまま横にいるアーサーへ目で同意を求めると、俺と同じ不安な面持ちでありながらも頷き、口を開いた。
「…ああ。それに、プライド様は強い。二年前にあの男を捕らえたのもプライド様だ。…いざという時は俺もステイルもいっから。」
心配すんな、とそう言いながらティアラの頭をアーサーが撫でる。ティアラはそれに答えるように目をハンカチで押さえながら何度も頷いた。
「…ティアラ。お前はなぜ、そこまでヴァルに関わろうとした?」
ふと、過ぎった疑問をティアラに投げかける。四年前、初めて罪人のヴァルを目にした時。罪人であるヴァルのその風貌や態度にティアラは酷く怯えていた。そして、今回も救護棟に運ばれ気を失ったヴァルに手を差し伸べ、突然腕を掴まれた。更には先程も、あそこまで部屋で暴れた跡を目の当たりにしてプライドにナイフまで投げたあの男に震えながら何度もティアラは言葉を掛け続けた。それが俺には些か疑問だった。
俺からの問いかけにティアラは首を振り、「わからない」と答えた。そのまま、止まることのない涙を流しながらハンカチを離し、顔を小さく上げた。
「ただっ…お姉様に、助けて…欲しいと口にしていたあの時からっ、…すごく、すごく…あの人を見ると…心が…、…っ。…苦しいっ…!」
涙を堪えながら、ティアラは吐露する。
ティアラは優しい。俺やプライドのことを常に心配し、想ってくれる。そして、…とても人の心に敏感だ。だからこそプライドの強い意思も尊重して、俺と共にプライドを支えてくれる。以前、ジルベールに嫉妬していた俺の気持ちにも俺より先に気付き、窘めてくれた。そんなティアラがそう思うというのならば、ヴァルにも何かあるのかもしれない。だが…
「だが、あの罪人は拐われた子ども二人のことを利用する以外何とも思っていない口振りだった。」
隷属の契約の効力は絶対だ。あの時のティアラへの言葉も本心以外はあり得ない。
「…だな。大事でも心配でもねぇっつってた。」
アーサーが俺に同調する。小さく歯を食いしばりながら、鞘にしまった剣の柄を静かに握りしめている。プライドの意思の為に、内なる怒りや恨みすら抑えてあの男を助けることに、プライドの意思に応じてくれたが…、…少し迷っているのかもしれない。正直、俺も同じだった。子どもがただ、自分が楽に生きる為に必要などと宣う男の為にプライドやアーサーを危険な目に合わせたくもない。
そして、もし子どもを助け出したとしてあの男と再び行動を共にさせるかも悩みどころだ。都合良く利用されているのなら、無理にでも引き離した方が良い。例えそれが仮に子どもの意思に反したとしても。
「でもっ…すごく、すごく辛そう……っ。…力に、せめて話だけでもと、思ったけどっ…私には…できなかった…!」
そういってティアラはぎゅっとハンカチを握り締めた。俺からすれば罪人のヴァルよりもティアラの泣く姿の方がずっと痛々しい。
何故、そこまでティアラが胸を痛めるのか理解できなかった。
「…悪い、ティアラ。俺とステイルがあそこでお前を止めちまった。」
アーサーが申し訳なさそうに呟き、ティアラの頭を撫でた。そう、俺とアーサーはヴァルに近付こうとするティアラを押し留めた。ヴァルがこれ以上ティアラに言葉を、…そして危害を加えるのを恐れたからだ。ティアラもそれは理解しているのだろう、アーサーの言葉を首を横に振って否定し、小さな声で「わかってます…!」と答えた。
「私っ…私は…お姉様と違って、弱くてっ…頼り無くてっ…お姉様どころか、自分の身を守ることすらできないから…!…だから、私が、悪いのっ…」
言葉を紡ぎながら、途中で耐えきれないようにまた湿らせたハンカチを目に押し付けた。
ティアラが自分を責める必要などない。プライドが少し規格外なだけで、普通は王女というのはそういうものだ。国中に守られるべき存在なのだから。
「悔しいっ…私、も…、…っっ…お姉様をっ…護りたいのにっ…!なのに、…私っ…じゃ、ずぅっと誰も、…守れないっ…寄り添うことすら…できないっ…‼︎」
ひっく、ひっくとしゃくり上げながらティアラが泣く。その涙はプライドにか、それとも罪人に対してか…。…いや、きっと両方だろう。ティアラは、プライドに似て優しい。…優し過ぎる。プライドが自ら立ち上がる優しさを持っているのに対し、ティアラはひたすら耐え、堪え、待ち続ける優しさを持っている。今までも何度、プライドや俺のことを待ち続け、支えてくれただろうか。
「ティアラ。…お前は十分姉君を、俺達を支えてくれている。俺もアーサーも姉君も、心からお前を想ってる。」
そう言って、ゆっくりとティアラの手を両手で握りしめた。ティアラがそれに気づき顔を上げると同時に、もう片方のティアラの手をアーサーが同じように両手で握ってくれた。
「俺達がその分、お前もプライド様も守る。…約束する。大丈夫だ。」
アーサーの言葉に俺も頷く。
ティアラは俺とアーサーを交互に見つめ、そして声を上げて泣き、俺とアーサーの首へ両手を広げ抱きついてきた。
小さくしゃくり上げながら、ティアラはひたすら俺達の耳元で何度も願った。
〝お姉様を守って〟〝ヴァルを助けて〟と。
プライドが愛した、たった一人の…血を分けた妹。
今まで、プライドと共にどれほどの笑顔を俺達に向け、見守り、傍にいてくれただろう。
大事な妹。
俺にとっても、もうひとりの家族。
「「約束する。」」
俺とアーサーは二人で声を合わせた。
二人の王女の願いを、必ず叶えることを心に誓って。