85.宰相は酒場へ行く。
「では、私はこちらに。ステイル様はどうされますか?」
ステイル様に瞬間移動して頂き、少し前までは見慣れた筈の裏通りを見渡す。
「最後までお前を監視したいのは山々だが、生憎この格好だと目立つからな。その辺に隠れている。用が済んだら呼べ。」
私を軽く睨みながらも、結局はこの後のことは任せて下さるらしい。私がどうやって呼ぶべきかと伺うとステイル様はかなり不服そうにしながらも呼ぶ為の合図を私に教える。彼曰く、特殊能力で場所を指定されずとも見知った特定の人間相手ならばその者の場所へ瞬間移動ができるらしい。教えられた合図に第二王子へそのような呼び出し方は気が引けますね、と返すとステイル様は最後、独り言のように呟いた。
「アーサーもそうしてる、余計な気を回すな。……お前だけは必要外で呼び出すことは絶対に許さないがな。」
「ならば、これから先、必要な時はいつでもお呼びしても良いという意味でよろしいでしょうか?」
そう言って笑うと、ステイル様は逸らしていた顔を急に私の方へ向け、怒ったように口を大きく歪めてみせた。「とにかくさっさと用事を済ませろ!」と、そう一言言い捨てると次の瞬間には消失していた。…必要状況とはいえ、自身の特殊能力の応用力や、私にもアーサー殿と同じ合図を教えて下さるということは以前よりは少し信頼に叶ったと判断しても良いのだろうか。ふとそう考えてしまい思わず一人で笑みが零れた。
「さて…あの店も久しぶりですね。」
そのまま私は胸元の服を引き、口元のみ隠すと裏通りから二番目の角から更に建物の裏へ入り、そこに隠れたように存在する地下へと階段を降りた。この時間ならば既に営業の準備をしていることだろう。階段を最後まで降り、大人一人分の幅しかない扉に手をかけ、押す。ガチャリ、という金具の音と共に店の扉が開いた。
「悪いがまだ準備中ー…!。」
私の姿を確認するや否や、カウンターの向こうで一人店の営業準備に取り掛かっていた男が酒瓶を持つ手を止め、私を注視した。まだ準備を始めたばかりなのか、ワインやワイングラスを入れる箱が石造りの床に無造作に置かれ、古いコルクの香りと酒の匂いが鼻についた。
「お久しぶりです、ベイル。…二年ぶり、でしょうか。」
敢えていつもと変わらぬ笑顔を彼に向ける。ベイル…両腕に刺青を施したこの男は二年前まで定期的に私が特殊能力者の情報を買い取っていた相手だ。酒場の主人らしい逞しい四肢と、私より些か高い背丈とがっしりとした身体つきの男だ。雑に伸び出した短髪を額から布を頭に巻いて邪魔にならないように纏めていた。いつもはこの地下の隠れ酒場を営んでいる男だが、元々は違法な賭場を営業し、処罰された男だった。私はその後の彼と金で繋がり、彼を介して裏稼業の者と取引をし、素性を隠したまま情報の買取をしていた。今思えば何とも愚かな行為だったとしか思えないが。
「国の宰相が変わったって話は聞かなかったんで恐らくとは思ったが…やはりまだお偉いさんのままなのか、宰相さんよ。」
驚いたように私から目を離さぬまま、彼はカウンターの席を私へ勧めてきた。
「テメェのご活躍のお陰でこちとら裏の方は商売上がったりだ。」
苦々しげに私の前で葉巻をくわえ、火をつける。彼は表の酒屋は健全に今は営んでいるが、主な副収入は情報や裏稼業への紹介だった。そして私はその裏稼業の人間で知る限りを全てこの二年間で殲滅していた。
「おや、それは申し訳ありません。ですが、此方はそれが本業でして。」
私の返答に彼は怒り狂う様子もなく、「暫く見ない内に随分と良い面構えになったもんだ」と笑った。
「俺を他の連中みたいに捕まえなかったのは、アンタの正体を知っているからか?」
「いえいえ、その程度ならば私の手で葬れば良いだけの話ですから。」
私がそう言うと、初めて彼の顔色が変わる。彼に最初に取引を持ち掛けた時、一度私は彼を完膚無きまでに叩き伏せたことがある。葉巻に火をつけながら、私の両手を凝視する。いまこの場で私がこの男を縊り殺すのは簡単だ。
「…言っておくが、二年前の最後、アンタの身分を連中に話したのはアンタの希望通りだし、一悶着起こそうとしたアンタをその場に置いて言ったのも俺はちゃんも前もって言っておいた筈だぜ。」
紹介はするが面倒を起こしたら見捨てると。そう続ける彼に私は手を開いて振り、そのことではないと意思を示す。
「それは別に何とも思っておりませんよ。むしろ急な依頼にも関わらずご面倒をお掛けしました。」
さて、と。私はそろそろ本題を始めるべく、カウンターへ両肘を置いて手を組み真っ直ぐに彼を見据えた。
「貴方を野放しにしていたのは単に情報収集の為です。私の持てるだけの情報ではいずれ底が尽きる事はわかりきっていたことですから。」
「…そりゃあ、情報をまた買いたいって意味か。また、前みてぇに特殊能力者の情報を根刮ぎか?」
「まさか。私はもう、違法な取引から身を引くと誓いましたから。」
彼の言葉を即座に否定する。そのまま笑みを向ければ彼は意外そうに私を見返してきた。
そう、私はプライド様と誓いを交わした。不法な取引から身を引くと。…そして、同時に今まで知り得た人身売買の情報を元にその者達を捕らえ、裁き、この国の為に尽くし続けるとも。
だが、私の知り得た情報の罪人のみを裁くだけでは意味がない。これから先も違法な輩を見つけ、裁く。それが宰相である私の職務だ。だが、一度全ての情報を根刮ぎ処罰すれば、それ以降の違法者や裏稼業の人間の情報を知るのは非常に困難だ。だが、方法はある。その情報を知り得る人間から聞き出せば良い。彼は酒場と情報屋を営んではいるが、それ以前から酷く保身的な男だ。その為、一度違法賭場で処罰を受けてからは私が知る限りずっと一線は超えずに情報と紹介のみに携わっていた。そして酒場を経営する中でそういう輩同士の噂にも精通している。彼以上の情報源はないだろう。
狙いを定め、思わず口元が釣り上がる。彼もそれに気づき小さく肩を震わせた。
「当時、色々と御面倒をかけた御礼です。貴方がその違法な者共の情報を黙認し、糧としていることには目を瞑りましょう。」
喉が渇きましたね。と軽く言えば、彼はうんざりとした表情をしながらも目の前でグラスへ酒を注ぎ、私へ出してくれる。一口だけ小さく含み、混ぜ物が無いかを確認してから喉へ通す。
カンッと硝子製のグラスを木製のカウンターに勢い良く置き、彼を捉え、「ですが」と続ける。
「私はご存知の通り宰相です。善良なる民からの情報協力ならば喜んでお受け致しますよ?」
ジルベールのどす黒い笑みが、まるで巻き付き絡め取るかのように情報屋ベイルへと向けられた。
…本気かよ…。
ベイルは言葉を失った。ジルベールの笑みと、その言葉の意味を理解して思わず無意識に後退り、酒の棚に踵がぶつかる。
…この男は、二年前に何があった?
二年前まで、毎月この男は俺から特殊能力者の情報を買い漁っていた。単なる噂でも、人身売買の商品リストでも構わないと。違法賭場で処罰され、その後突然俺と取引を持ち掛けた時は刃物を出して追い払おうとした結果この男に半殺しにされた。更に最後、後は手に少し力を入れて頭の向きを逆方向へ変えれば良いだけだと死か取引かと脅された時はコイツは頭のイカれた奴だと確信した。だが、取引を始めれば払いも良く、ただの特殊能力者の情報だけで金が貰える。良いお得意さんになった。二年前のあの時まで、まさか病を癒す特殊能力者を探していたとは知りもしなかったが…。
そして、それからすぐに国中の裏稼業の人間や俺がこの男に流していた人身売買の市場や組織が衛兵や時には騎士団を使い、殲滅された。逃げ場もなく、突然封鎖され、根刮ぎ捕まったらしいと客から組織壊滅の度に話を聞いた。
同時に、この男…ジルベールが店に来ることも無くなった。恐らくこの男の仕業なのだろうと妙な確信があった。あれだけの情報を知っている男なんざは限られている。更に言えば俺の客で城の人間を動かせるのなんざこの男ぐらいだ。最後に見た時はかなり窶れて目も濁りきり、完全にこちら側の人間の目をしていたが…。
二年後に突然これだ。
姿こそ殆ど変わらないが、圧倒的な存在感と覇気がそこにあった。現れた途端、俺も今日が命日だと覚悟した。生き生きとした余裕のある顔つきだけでも明らかに違ったが、それだけではなくあそこまで濁りきっていた筈の目の奥がギラリと光らせていた。
そして、この男は言った。取引はしないと。俺のことは見逃すと。だが、同時に『善良なる民からの情報協力ならば喜んでお受け致しますよ』とも言った。
つまり、見逃してやるからそれと引き換えに情報を寄越せ。と言っている。無償で、しかも口振りからして今度は特殊能力者の情報じゃない。俺の客の、違法者や裏稼業、そして人身売買についての情報をだ‼︎
二年前の、目的の為にどんな手段も犠牲も手当たり次第漁りまくるジルベールもかなりぶっ飛んではいたが、今はそれを遥かに超えていた。俺みたいな情報屋すらも歯車の一つとして無駄なく利用し、無駄なく大きな時計を潤滑に動かそうとしているような…莫大なイメージが頭の中を駆け抜けた。
「いかがでしょう…私に何か、言いたいことはありませんか?」
そういうジルベールは塔のように指先を合わせながら瞬き一つせずに前のめりに俺を覗きこんできた。まるで巨大な蛇に睨まれたような感覚だ。恐らく、ここで俺が首を横に振れば命はないだろう。そう思わされるほどに。
「ッ…何の情報が知りたいんだ。」
「取り敢えずは、近頃の人身売買の市場について。そして以前頂いた資料にもいた鎖を操る特殊能力者について。」
俺の問いにまた間髪入れず答える。
早速人身売買とそこの大物常連から潰すつもりらしい。常連客が居なくなるのは稼ぎとしては手痛いが、それ以上は客に対して俺個人は誰にも何も思い入れはない。俺は一息深呼吸をしてから、知る情報をジルベールに与える。
「人身売買の組織なら俺が知っている限りは全部アンタに潰されたよ。ただ、最近また需要が上がってきてな。特にラジヤ帝国がな…何せあそこは奴隷生産国の中では一番の大国だ。そこに高く売ろうってんで、一部の連中がまた再開しようと準備を始めているらしい。アンタも知っている通り、この国の人間は他国には高く売れる。〝特上〟の特殊能力者なら一攫千金も夢じゃねぇからな。だから最近は国にバレねぇように先ずは下級層から商品補充しているって話だ。その鎖を使う男…名や素性は殆ど知られてねぇが、最近は用心棒や殺しで稼いでいたが、元々の稼ぎが人身売買だからな、また戻ってきたって専らの噂だよ。恐らく、商品補充が整い次第またラジヤの連中も招いて市場を開くつもりじゃねぇのか?」
「その市場と、その男の本拠地は何処に?」
「市場は…恐らく国の外だろうな。国内の市場だった所は全部宰相殿のせいで国に押さえられちまっているし、今は国内に競争相手もいねぇんだ。前は他国に売る前に商品を仲介業者に売る市場が国内で主流だったが…恐らく仲介業者を介さずに国の外で纏めてラジヤ以外の近隣にある奴隷認可国に売り飛ばすつもりだろう。本拠地も国外だろうな。鎖の男みてぇな大手は商人に紛れて国内外を行き来する方法なんざいくらでも持っている。」
優秀な宰相殿のお陰で国内は裏稼業の人間が住みにくくなってよ。と嫌味を言ってやるが、全く効いている様子がない。
「なるほど。大体どのくらいの距離ですかね。」
「最近じゃ定期的に補充へ降りてきているらしいし、遠くはねぇだろ。下級層側の国外出口から数キロの岩場ってところじゃねぇか?あの辺は断崖地帯もあるから商品の処分にも困らねぇし、大量の商品を一時的にしまっとく場所なんざも腐る程ある。」
そこまで言うと、ジルベールは飲みかけの酒分の代金だけカウンターに置き、立ち上がった。
「ありがとうございました、良き御協力感謝致します。」
そう言って、ゆっくりと立ち上がる。何とか少なくとも今日一日は生き長らえたことにほっとしたが、そのままジルベールに「これからも宜しくお願いしますね」と言われ、一気に頭が痛くなった。
「今までの特殊能力者探しなら未だしも、アンタみたいなお偉いさんが通ってその度に客や組織が潰されたら直ぐに怪しまれるぜ?」
「まぁ、その対策は追々考えましょう。」
簡単に言ってくれやがる。そのまま俺に背中を向けるジルベールへ、ふと俺は疑問を投げかける。
「そういやぁ、以前の病を癒す特殊能力者…だったか?お目当てのは見つかったのか。」
あれから丁度姿が見えなくなったが。そう繋げるとジルベールは「いえ残念ながら」と言いながら手だけをヒラヒラさせて返事をした。
「そりゃ、残念だったな。あんなに血眼になって探していたってのに。まぁ、ンな能力者なんざ神様の御導きでもなけりゃ到底無理だ。」
緊張が解けて、咥えていた葉巻を捨て、二本目の葉巻に火を付ける。そのまま咥え、ジルベールの方へ改めて目を向けると
身の毛のよだつような笑みが向けられていた。
急激に背筋が凍り、恐怖のあまり思わず咥えたばかりの煙草を床に落とす。反射的に踏みつけて火を消すが、そのままジルベールから目が離せない。
まるで射抜くかのような、それでいて俺ではない遠い何かを慈しみかのような眼差しを怪しく光らせ、唇を不自然に開き、引き上げ、まるで内側から沸き立つものに堪えられないように怪しく笑んだ。
数年間取引をこの男としてきた俺だが、こんな笑みは今まで見た事がない。快楽で人を殺す人間が目の前で肉塊を作る時のような笑みだった。全身から血の気が引き、身動きができなくなる。
「…ベイル。貴方のことは嫌いではありませんよ。願わくばこのまま良き協力関係に慣れればと心から思います。」
振り返った状態からゆっくりと俺の方へと向き直り、正面からじっとりと切れ長な眼を俺に向けてくる。
「どうか、このまま一線だけは超えないように。私から逃げられるなど考えないように。…もし貴方が一線を超え、違法に手を染め、私と同じ場所まで堕ちた時は」
ゆっくり、ゆっくりとジルベールは笑みを崩さないまま手で手刀を作り、俺にはっきり見えるように自分の首へ緩やかにストンとそれを当ててみせた。
「刃物無しでも首を捥ぐことが可能かどうか、貴方のそれで実証して見せましょう。」
とうとう全身が震え、声が出なくなった。息だけが荒くなり、為すすべもなく後退り酒棚に思い切り身体がぶつかる。
こんな悍ましい男と俺は数年間も取引をしたのか?自分で自分を疑う。
怯える俺に対し、ジルベールはそのまま何事もなかったかのように再び背中を向ける。
「ああ、あと。ここの酒も不味くはありません。隠れ酒場というのも真面目に勤めるのには悪くないと思いますよ。」
それでは、また。そう言って今度こそジルベールは店から出ていった。一気に脱力してその場にへたり込む。
以前のあの男は、執着と同時に脆さも垣間見えるような男だった。なのに、今は違う。
決意にも似た執着。そして何者かへの羨望…崇拝のようなものすら垣間見えた。以前の脆さなど微塵も感じられない。
何処ぞの魔王みてぇなツラしやがって…。
またあの野郎と関わらないといけないのか。それだけでどっと気が重くなる。だが、取り敢えず一線さえ超えなければ生き長らえるらしいことはわかった。どうせ、今までもこんな日が来るかもと思いながら惰性で続けてきた酒場と情報屋だ。脅して金を取られないだけ未だ良い。そう自分自身へ言い聞かせながら、せめて奴がこの酒場に直接足を運ぶことが少ないようにと、心の底から願った。
……
しまった…。
ジルベールは扉を閉じてすぐ、深く溜息を吐いた。
うっかり、表情にでてしまったらしい。彼のあの反応を見れば鏡を見ずとも自分がどのような表情をしてしまったかは予想ができる。
折角、父親になったというのにこんな表情をうっかり出すようではいつ娘のステラに怯えられてしまうかわかったものではない。
自分の頬を掌で二、三度叩き、しっかりと引き締める。
プライド様から話を聞く前から、そろそろ彼と接触する頃合だとは思っていた。私が過去に知り得た情報は全て使い切ってしまったところだったのだから。だから、プライド様とステイル様に相談を受けた時はちょうど良いと思った。彼ならばそれなりの情報を持っている確証はあった。
階段を見上げ、外がかなり暗くなり始めているのに気づき、急いで階段を駆け上がった。うっかり客とすれ違いでもしたら面倒だ。階段を上がり、すぐの建物裏の物陰に身を隠す。
『神様の御導きでもなけりゃ到底無理だ。』
あの言葉を聞いた瞬間、思わず笑みが零れた。「出逢った」のだと、そう口にしたい欲求に必死で耐えた。きっと彼は自分が当を得ていたなどと気付いてもいないだろう。
その後に告げた彼への言葉も、嘘偽りない本心だ。彼を願わくば始末したくはない。だが、プライド様の治めるこの国を、民を脅か���所業に手を染めた時は容赦なく切る。それも本心だ。…愛しい妻と娘、マリアとステラ。そしてプライド様を始めとする王族の方々とアーサー殿。そして何より罪なき民の為…あの日の誓いの為ならば迷いはない。
先ほども我が屋敷にステイル様が瞬間移動で来られた時は驚いたが、「いま、姉君がお前の助力を望んでいる。」と告げられた瞬間、躊躇いさえなかった。あの御方に望まれたことが誇らしくもあり、マリアがステラを抱きながら笑顔で送り出してくれた時は幸福な気持ちにさえなった。
あの御方が我が力を望んで下さるのならば、惜しげも無く捧げよう。この特殊能力も、命も、我が才も全て。
宰相としての全てを尽くし、我が国の民が為に。