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19 光の妖精は何を視る

 

 フィンが邪竜に身体を支配され、それを救おうとシャルルが奮闘していた頃。


 シャルルの相棒である猫妖精(ケット・シー)のルツ――もとい、光の妖精ルーリッツ・ロゼルタ・ティナダリヤはいつもの猫姿ではなく、真の姿である少年の姿で王都シーリャンの南地区の外れにいた。


 妖精王(オベロン)妖精女王(ティターニア)の一番最初の子どもであり、光と空間を自在に操る光の妖精(ルーリッツ)にとって、王都の端から端へ移動することなど造作もない。


 それを見透かしたように、ルーリッツのみにしか分からない方法でここへ呼び出した不届き者を前に、ルーリッツは不機嫌さを隠そうともせず虚空に向かって声をかけた。


『――ボクをここに呼んだのはお前か?』


 そうして押し黙ること数秒。黙ったままのルーリッツの問いかけに応える声が響く。


「お待ち申し上げておりましタ、光の御方様」


 ルーリッツが声の方向に目を向けると、バサリと蝙蝠のような羽を器用にしまう異形の物陰が見えた。


 頭には外側に曲がった特徴的な角。薄く笑う口元にはきらりと光る牙があり、後ろには黒く伸びた尻尾。


 マクスター領に現れた『悪魔』と呼ばれる災厄の化身。悪魔はそのままスタスタとルーリッツの前まで歩いてくると、恭しく頭を垂れて跪いた。


「偉大なる御主人(マスター)から貴方様への言伝を預かって参りましタ」


 ルーリッツの前に跪いた悪魔はそう告げると顔を上げた。不気味な笑いはそのままながら、黄金の瞳は真摯にこちらを見上げている。


 シャルルには鷹揚(おうよう)な態度をとっていたと聞いたが、自分が出向けばこの畏まった態度。悪魔は欲深いモノに契約をもちかけ、望みと引き換えに力を貸すという。


 妖精眼(グラムサイト)を持ち、ティナダリヤの王族であったシャルルを前にしても余裕を崩さず、あまつさえシャルルの妖精魔法から逃げおおせた。


 神代(かみよ)の時代に四季の神々によって滅ぼされた悪魔が、春の女神の力を受け継いだティナダリヤの妖精姫(フェアリア)の魔法を易々と退けられるほどの力を持っているとは思えない。


 契約を介して偉大なる御主人(マスター)とやらがこの悪魔に力を貸している。妖精魔法を打ち破れるのは、同じ妖精魔法だけ。そしてそんなことができるのは光の妖精(ルーリッツ)たる自分と同等のチカラを持つもの。


 ――全く、忌々しいことだ。


 後味が悪いにも程がある。ルーリッツは舌打ちしたくなる心地をどうにか落ち着けて、今しがた思考した推論が正しいか確かめるべく、悪魔に質問をひとつ投げかける。


『その、お前の偉大なる御主人(マスター)とやらがマクスター領で()()()()()()()()()()()()()張本人か?』


 この質問に悪魔はますます笑みを深める。まるで楽しくて仕方ないといった様子で。


「その通りにございまス。光の御方様」


 気味悪い笑顔を浮かべる悪魔を冷たく見据え、ルーリッツはやはりか、と呟く。


 マクスター領で悲恋の末に引き裂かれ、死した後も妖精へと無理やり姿を変えさせられ、災いをばら撒く呪の餌にされようとしていたルクシオ。


 それを救うべく、恋人であるアドリアナと共に転移しようとした際、ルーリッツは()()()()()()()()()()()()()()()()()


 その結果、妖精界と人間界の間にある別空間に隔離され、事態が終わるまでシャルルの元に向かうことが叶わなかったのである。


 人間界と妖精界はそれぞれの因果律によって成り立っている。ルーリッツが隔離されたのは、その因果律が溶け合い、不安定に混じった力場だった。


 そんな場所で無理矢理にでも転移を行おうものなら、反動で何が起こるか分からない。最悪どちらかの世界に多大な影響が起き、自身も無事では済まなくなる。


 それ故にルーリッツは足踏みを余儀なくされ、混じりあったそれぞれの世界の因果律を綺麗に分けてようやく抜け出すことができたのだ。


『あれは光と空間を司る光の妖精(ボク)のことをよく知る人物でなければできない芸当だった。そしてそんなことができるのは……』

「我が偉大なる御主人(マスター)以外、有り得ませン」


 ルーリッツが言い淀んだ言葉を、悪魔が嬉々として受け継ぐ。彼が辿り着いた答えこそが紛うことなき現実であると認識させるために。


 それはルーリッツが無意識に躊躇い忌避した、口にしたくなかった言葉を何よりも肯定することを意味していた。


「さて、その我が御主人(マスター)からのお言葉を光の御方様にお伝えしましょウ」

『……』


 一段と硬い表情をして押し黙ったルーリッツを楽しそうに眺め、悪魔は立ち上がると大仰に一礼してから再度ルーリッツに向き直る。


 そうして悪魔から紡ぎ出されたのは、悪魔の声では無いやけに幼さの残る、無邪気な少年の声だった。


「〝やぁ、オレの分身。こうして言葉を交わすのは随分久しぶりだね。

 一体あれからどれだけの年月が過ぎただろうか。オレはつい先日のことのようにも思い出せるよ。

 忘れられるわけが無い。

 キミもそうだよね? だから、当代の妖精姫(フェアリア)に加護を与え、付き従っているんでしょう?

 キミなりの罪滅ぼしのつもりかな? 贖罪のつもりなのかな? 

 だとしたら、逃げ続けたキミが、進歩したということだね。オレはとても嬉しいよ!


 ――でも〟」


 ここで言葉は一度途切れる。

 次の瞬間、ゾッとするほどの寒気がルーリッツの背中に走る。その寒気の正体は言うまでもない。悪魔が語る言伝。それを授けたものだった。


「〝オレは全てを許さない。絶対に絶対に許さない。

 復讐だ。復讐しなければ。だって、そうだろう?

 この世界は間違っている。正さなければならない。

 だから、できればオレの邪魔はしないでくれると嬉しいな。

 だってキミはオレの唯一の××なんだから。


 ……おっと、久しぶりだから随分とお喋りが弾んじゃったね。今日はこのくらいにするよ。

 じゃ、またね〟」


 高い弾んだ調子の声。声音はついぞ無邪気なまま。

 しかしそこに籠る感情は、どこまでも暗く、怨恨と絶望に塗れた、記憶にあるルーリッツが最後に聞いたものと変わらなかった。


「言伝は以上になりまス。マクスター領で貴方様に会うことが叶わなかったので会えてとても嬉しかったですヨ。次は建国祭で、相見えましょウ。こちらとしては、できれば敵として会いたくはないですが、ネ」


 未だ動かないルーリッツに向かって悪魔は一方的に告げると、背にある蝙蝠の羽を広げ飛び立ち、一瞬で闇に溶け込んでいった。


 その様子をぼんやりと見つめ、ルーリッツは顔を上げる。

 そこに浮かんでいたのは複雑な感情だった。


 悔恨。悲嘆。それだけではない。言葉にはできないやるせない思いが、ルーリッツの胸中を満たしてゆく。


 それは、遠い昔の記憶。

 逃げ続けた彼の、最古の後悔。


()()()。お前は相変わらず……』


 ――まだ、恨んでいるんだな。全てを。



 遠い過去の記憶を思い出し、夜空を見上げたルーリッツの微かなその呟きは、風に溶けて最後まで聞こえることは無かった。

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