18 救いの手は差し伸べられて
「フィン!!」
真夜中であることや、ここが宮殿内であることに構う暇もなかった。
ひたすら走り、長い廊下を抜けてフィンの部屋の扉を開け放つと、彼は眠っていた。
一見穏やかに眠っているようにも見えた。
だが、発動した妖精眼が彼に蔓延る悪意を映し出す。
竜の眼の片方。炎竜王の朱金の眼から発せられる呪い。今まで見た事もないほどの闇がそこから発せられ、フィンの身体を覆っている。
「ぐっ……」
フィンが何かを堪えるように唸る。
額には玉のような汗。彼は苦悶の表情を浮かべる。闇はフィンの身体の半分を浸食し始めていた。
闇に覆われた部分からは竜の鱗のようなものが生え、身体を作り変えようとしているようだった。
「もしかして、竜になろうとしてるの?」
無理やり身体の主導権を奪われ、身体を作り替えられている。身体の負担は全てフィンにかけられているのだろう。彼が苦しんでいるのはそのためだ。
「このままでは危ないわ。『疾く、去れ』」
妖精言語を用いた鍵言で闇を消そうとした。けれど、消した傍から闇はさらに増え、フィンを浸蝕していき、埒が明かない。
ならばとフィンの目の前に立ち、虚空に目を向ける。ろくな準備もなく不完全な形となってしまうが、竜の眼の力を制御するためにフィンと契約を結んだ彼らなら、協力してくれるはずだ。
「シアン、ディズ! あなた達の主がこのままでは死んでしまうわ。私に力を貸して頂戴!」
妖精眼でただ何も無い空間を見つめる。すると、それに応えるように二つの光が現れた。
少女のような小さい妖精と、炎を身にまとったトカゲ。
フィンと契約した水の妖精のシアンに、火の妖精のディズだ。
『呼んダ? 呼んダ?』
『声ガ聞コエタ』
「フィンを助けるためにあなた達の力を貸して」
懇願すると、小さな二つの光は交互に飛び交い私の周りで弾ける。
『お安い御用なノ!』
『何ヲスレバイイ?』
「今から私が行使する魔法にあなた達の魔力を乗せるわ。本当は念入りに準備しなければならないのだけれど、もう時間が無いから、私に合わせて」
窓から淡く差し込む月の光を糧に、手を翳して魔力を込める。うっすらと淡い金色の光が生まれ、フィンの周りを取り囲んだ。
『我は希う。全ての御霊は清らかなれ。全ての我が子は健やかなれ。常春の国の永遠の女王が希う。全ての災いは露と消えよ!』
マクスター領でアドリアナとルクシオを助け出す時にも使った春の妖精女王の最上級祝福魔法。
辺り一帯は金色に染まり、黄金の祝福がフィンを包み込む。
補助なしには使うことは禁じられていたもの。今回はシアンとディズ、二人の高位妖精の力を借りて、何とか闇を押しとどめようとした。
しかし、闇は衰えるどころか勢いを増し、金色の光すら飲み込もうとする。
「くうっ、さすがにきつい!」
急速に身体の魔力が失われていく。
邪竜の怨念に暴れる竜の眼を抑えつつ、フィンの安全も保たなければならないのに、闇が彼の身体にまとわりついて離れようとしない。
フィンは変わらず苦悶の表情を浮かべ、呻いている。その様子を見ていると、彼が理不尽に苦しめられている様を見ていると、怒りが湧いてきた。
――フィン、あなたはここで負けるような人じゃないでしょう。
セインブルクが誇る騎士団長。ウォルト殿下が誇らしげに自慢していた第二王子はこんなものではなかったはずだ。
氷炎舞祭で私にかっこいいところを見せなきゃって、言ってたじゃない!
あれ、密かにすごく楽しみにしてるんだから。
ウォルト殿下が憧れた、そして私が見てきた彼はこんなところで終わっていい人じゃない。こんなところで邪竜に呑まれて終わっていいわけがない。
そんな怒りにかられ、私はたまらず叫んだ。
「しっかりしなさい! フィン、自分の意識をしっかり保つのよ!!」
叫び声と共に、一際眩い黄金の光がフィンの身体に降り注ぐ。その瞬間、彼の手が私の言葉に応えるかのようにピクリと動いた。
「!」
それに呼応するよう手に持ったままだった水竜王の片眼が青銀に光る。
眼の中に蓄えられていた魔力が手のひらを通して全身を満たし、急速に失われつつあった魔力が回復していく。
『――私に残った僅かな力ですが、貴方に託しましょう。どうか竜の眼の子を……』
微かに響いたのは水竜王セレンヴィレンの声。彼女によって治癒され、回復した魔力も全て黄金の輝きへと変え、再び叫んだ。
『全ての災いは露と消えよ!』
黄金の輝きが闇を呑み込む。
フィンの身体を覆っていた闇が浄化され、炎竜王の朱金に輝く眼から邪竜の怨念が消え失せた。
ベッドで眠るフィンの呼吸が緩くなり、表情も穏やかなものへと変わる。
「よかっ、た……」
グラリ。
足元が覚束なくなって、身体から力が抜ける。水竜王によって治癒されたはずの魔力が、ごっそり抜け落ちていた。
シアンとディズも相当無理をしたらしい。
勢いを失った弱々しいふたつの光がフィンの周りを囲うように飛んでいた。
「ちょっと、疲れたわね……」
私はズルズルと壁に身体を押し付けて座り込む。
油断してはならない。それは分かっている。
今、浄化したのは竜の眼に残されていた邪竜のほんの微かな思念だ。
そう、今なら分かる。
円環する夏の大地の守護をしていた彼の竜は、他の守護竜と均衡していた力に加え、大地に溜まりきった不浄をその身に抱えた。
それは守護竜の主だった夏の男神から与えられていた使命と授かった真名を歪めるほどの負の力。
水と炎の竜王が協力してやっと封印に漕ぎ着けた邪竜がこんな簡単に滅びるわけが無い。
僅かに込められていた思念がフィンの身体を変えるほどの力を持つのなら、本体が復活したらどれだけの被害が出てしまうのだろう。
「本当に面倒くさいことになったわ」
言葉で吐き捨てても現状は何も変わらない。
邪竜の思念を浄化したことで体力も魔力も残っていない。部屋から出たいのに足が一歩も動いてくれない。
もう無理。意識が持たない。
穏やかに眠るフィンを見つめ、私は意識を手放した。
♪♪
「やっぱり君の声だったのか」
意識を手放したシャルルを横目に、フィオンが目を覚ます。ベッドに上体を起こすと、先程の痛みが嘘のように消えていた。
「私は、邪竜に支配されようとしていだんだな」
夢で垣間見た邪竜の過去。
悲しい、悲しい過去の記憶だった。
慈愛に満ちた大地を守護する竜は存在を歪められ、破滅をもたらす邪竜へと変化した。
竜の眼の呪いはその持ち主へ竜の怨嗟を運び、蝕む。夢を通して持ち主の生命を少しずつ奪おうとする。
しかし真実を知った今、フィオンはそれ以上に悲しみを感じていた。
「邪竜が復活するというのなら、救わなければならない」
自分たちの先祖が悲しみの存在を生み出したのならば、それを救うのは自分の役目だ。
「もう自分の力を恐れたりはしない。ウォルトの為にも。そして、こんな私を助けてくれた君のためにも」
一人決意を込めて呟くと、フィオンは床で眠ってしまったシャルルの側へ歩いていく。
固く閉じられた瞼。春色の瞳を輝かせながら、自分を叱咤した彼女の声。
邪竜に身体を支配されながらも、夢の中のフィオンにシャルルの声は届いていた。
夢の中から自分の様子は見えていた。今は弱々しく光って自分の周りを回っているシアンとディズが、必死に黄金の光に魔力を込めていたことも。
「シアン、ディズ。助けてくれてありがとう。迷惑をかけてすまなかった。しばらく休んでくれ」
感謝と労りを込めて二つの光に声をかけると、二つの光は嬉しそうに何回か明滅して、フィオンの身体の中に溶けていった。
「君にはまた助けられたな」
サラリと流れる髪をすくい、月の光を頼りにシャルルの顔を覗き込むと、彼女はすやすやと息を立てて眠っていた。どうやら魔力と体力が底を突いて疲れ果ててしまったようだ。
無事なことに安心し、フィオンはシャルルの身体に手を伸ばし横抱きに持ち上げる。
そのまま自分が眠っていたベッドに彼女を横たえ、彼女の寝顔を眺めた。
普段は大人びている姿が目立つが、シャルルの寝顔は年相応の少女そのもの。妖精魔法を操り、春の国の息吹の加護と妖精眼という特異な力を持って生まれた彼女も、過去に苦労をしてきたのだろう。
王族の姫が一人で旅をする行動力も、フィオンの眼を見抜く力もそのどれもが常人らしくない彼女だが、それでもその小さな身に過酷な運命を背負っていることは確かだ。
春の国ティナダリヤで妖精眼を持って生まれることの重要性はフィオンも理解している。ティナダリヤの第二王女と言えば『地味姫』として有名だった。
妖精女王と同じ力を持って生まれた。だからこそ彼女は力を隠し、要らぬ争いを生まないように国を出たのかもしれない。
マクスター領でシャルルは正体を隠すこともできた筈だ。しかし彼女は自らフィオンに正体を明かし、首なし騎士の正体を見抜き、マクスター領に降りかかろうとしていた災いを防いでくれた。
何より竜の眼についてもそうだ。
フィオンは既に何度もシャルルに救われてきた。
不思議な魅力を持った彼女だからこそ、フィオンは彼女のことをもっと知りたいと願った。
竜の眼の呪いが寿命の刻限であることも知っていた。歴代の竜の眼を持つものが苦しめられてきた呪い。自分はもう長くは生きられない。だから建国祭が終わればシャルルとはお別れだと思っていた。
「でも、君は私に可能性を見せてくれた」
竜の眼の力は完全制御できるようになったが、それでも収まらなかった竜の怨嗟はこの身を蝕んだ。怨念が何処までも付きまとう。それは少しずつフィオンの心を病んでいく。
やはり呪いからは逃れられないのか。邪竜に身体を乗っ取られかけた時、フィオンは半分諦めかけていた。
しかしシャルルはまた自分を助けてくれた。
それどころか竜の眼に隠されていた過去の記憶を知り、邪竜の正体をも知ることになった。
彼女はいつだって、自分に新たな可能性を導いてくれる。
「私はもう絶対に自分の生命を諦めない」
たとえ呪いが自分をまた蝕もうとしても、生きることを諦めない。一途に自分を慕ってくれていたウォルトのためにも、絶対に邪竜を救ってみせる。
眠ったたまのシャルルに顔を近づけたフィオン。
封樹エフタのイヤリングが光るその耳に、フィオンは囁く。
「君に託しておこう。邪竜に忘れられた真なる名前があったように、セインブルクの王族にもそれぞれに秘された名前がある。フィオンは人間としての名前、真の名は竜としての名前だ。私の本来の名前は――」
××××××。
その秘密の名前を囁き、息をついたフィオンは月明かりの差し込む窓辺で、シャルルの寝顔をいつまでも愛おしそうに眺めていた。
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