17 水竜王セレンヴィレン
――時は少し遡り、
「また、ここなのね」
ベッドで眠ったはずの意識がしっかりしている。
そして、そこはいつか見た空間と同じ。異常と言えば異常な事態だが、二回目ともなれば存外冷静に対応することができる。
フィンの過去の夢を見た時と同じ。見覚えのある白い空間。頭の中に響く声なき声が告げた、『夢の回廊』と呼ばれる場所への二度目の召喚である。
一応警戒のために発動した妖精眼で空間を見据えるが、隠されたものを見通す眼は何も映し出さない。
「今日は、なんの御用で呼ばれたのでしょうか」
ふと思い立って何も無い空間に向かって声をかければ、なんと不思議なことにそれに応える声があった。
『――初めまして、と言った方がいいのかしら。春の国の妖精姫。私はかつて、円環の地を守護していた〝水〟を司る者たちの王。水竜王セレンヴィレンと申します。私は貴方が現れるのをずっと待っていました』
突如聞こえた声の方向へ振り向くと、僅かに透き通った身体を持つ人影が目の前に現れる。
竜としてではなく、人型で顕現した水竜王セレンヴィレン。銀の髪に青銀の瞳を持つ彼女はどこか妃殿下に雰囲気が似ている。
私と目が合った彼女は青銀の瞳を細めて慈悲深い笑みを浮かべると、こちらに向かって手招きしてくる。
導かれるままに歩み寄ると水竜王は私の手をとった。
『――私が力を取り戻した僅かな時間を有効に使うにはこうするしか無かったの。無礼な真似をしてごめんなさい。けれどどうしても、私は貴方に会う必要があったの』
水竜王と重ねた私の手から優しい光が溢れる。
一瞬眩く光ったその手の中には、僅かに色を失った手のひらですっぽり覆えるほどの水晶球が入っていた。私が妃殿下から預かった水竜王の片眼である。
『――巫女の力を借りて、貴方に夢を見せたのは私なの。今代の竜の眼を持つ者は、もう既に邪竜の浸食を受けつつあると、どうしても警告しなければならなかった』
「既にフィンが『竜の眼』の呪いに蝕まれているということですか?」
『――ええ。長年、邪竜の封印に充てられていた私の力は衰えかけているわ。残り少ない私の力を全て使っても竜の眼の子を守れるのは二十年が限界なの。邪竜は徐々に力を取り戻しつつあるわ。むしろ、かつてよりも増大していると言っていい』
フィンが加護を受けた水竜王の片眼に宿った力は尽きかけている。それは辛うじて保たれていた均衡が崩れることを意味する。
そうなれば、フィンは邪竜の呪いにより死んでしまうことになるだろう。
時間はもう殆ど残されていない。フィンの生命が尽きるのが先か、邪竜の復活が先か。
そのことを改めて突きつけられた。勿論フィンを死なせる訳にはいかない。
しかしながら、私は未だ解けぬとある疑問を抱いていた。妃殿下の話を聞き、自分なりに邪竜について調べたりもした。それでもどうしても、分からないことがあったのだ。
都合の良いことに目の前にいるのは建国の祖の一翼。その質問を聞かずにはいられなかった。
「『竜の眼』の状況と、フィンの生命の刻限が迫っていることはわかっています。けれど、一つだけ分からないことがあるのです」
『――それは、なにかしら』
私はその疑問を投げかける。
「なぜ、邪竜が生まれてしまったのですか? そもそも邪竜とは一体なんなのですか?」
宮殿の図書館を全て漁っても邪竜に関する記述は乏しかった。童話に取り上げられていたように災厄の象徴、負の権化、と言ったような抽象的な例えばかり。
そもそも長年続いた争いの最中、そのような強大な力を持つものが突如現れたというのならば建国史の伝承に残っていてもいいはずなのだ。しかし、どの文献にもその存在は記されていなかった。
すなわち邪竜の存在は竜の眼の呪いと同じく、セインブルクの闇として意図的に隠されたとも言い換えられる。
隠された邪竜の謎。
セインブルクの建国の祖の一翼である彼女ならば、その真実を知っているはずである。
妖精眼で探るように見つめれば、水竜王セレンヴィレンは真っ直ぐにこちらを見返してきた。
『――そうね。邪竜について私たちは意図的にその存在を伏せた。全ては私、水竜王セレンヴィレンとその伴侶であった炎竜王リュートヴルグの罪よ』
次の瞬間セレンヴィレンの透き通った身体が霧散しかけ、またすぐ元に戻った。しかしセレンヴィレンの身体は先程より透明度が増し、微かな気配しか感じない。
『――この身体は長くは持たない。だから、貴方に過去を見せましょう』
セレンヴィレンが手をかざすと、水竜王の片眼が淡く光り始める。
『――貴方の力で竜の眼の子に混じっていた力は元に戻り、私の眼は本来の力を取り戻した。されど、その根本の繋がりは絶たれてはいないわ。その繋がりを辿って、竜の眼の奥底に宿った邪竜の記憶を見せましょう。春の国の妖精姫、目を閉じてくださいな』
片眼から発せられた光は今や私の全身を包み込んでいる。水竜王の言葉に応じ、目を閉じた私の頭の中にとある映像が浮かんできた。
それは、邪竜が生まれるまでの記憶。
永遠に円環する大地と、それを優しく守る慈愛に満ちた守護竜の話だった。
♪♪
永遠の円環を守護する竜は夏の男神の使徒。
〝悪魔〟が災厄をもたらさんとし、それに対抗するために四季の神々は持ちうる全ての力を持ってこれを打倒した。
四季の神々はこれによって力の大半を失い、自らの眷属にこれから続く世界を任せることにした。
例えば、春の女神は朽ち果てた大地に佇む一人の少女に春の息吹と祝福を託した。
夏の男神は自らの使徒であった四の守護竜にそれぞれ力を分け与え、夏の大地の守護を任せることにした。
炎を司る竜には『傲慢』と『破壊』を。
水を司る竜には『慈悲』と『調律』を。
風を司る竜には『自由』と『因果』を。
そして――地を司る竜には『慈愛』と『再生』を与えた。
夏の男神の使徒であった守護竜は、夏の男神の願い通り互いに干渉しあい、交わりながら円環する大地を守護を使命として授けた。
四頭の守護竜はやがて『竜王』と呼ばれる存在となり、円環する大地を優しく見守る。
時には湧いて出る悪魔の残滓を消滅させながら、夏の大地はゆっくりと平和な時間を取り戻しつつあった。
しかし、その平和は長くは続かない。
誰が言ったか、一人の悪魔が囁いたのだ。
『竜王で一番強いのは誰?』
四頭の竜王は、自らの力に誇りを持っていた。
特に水と炎の竜王は対極に位置する存在だからこそ、互いを最高の好敵手と認めており、どちらがより上の存在か競うようになった。
それが永い争いを生み出すきっかけだった。
夏の男神が分け与えた力は均衡を保つ。
それもそのはず四頭の竜は互いを牽制できるよう、平等に力を分け与えられていたからだ。
全力を出しても拮抗する水と炎。
いつしか争いは眷属を巻き込むものとなり、平和だった夏の大地は荒れ狂うことになった。
この争いを最初に見限ったのは風の竜王。
束縛を嫌い、因果を操り、自由を愛するこの竜王は戦乱が収まらぬこの大地に嫌気がさし、姿を消した。
地の竜王は静観した。
慈愛と再生を司る温厚なこの竜王は、水と炎の竜王の争いによって被害を受けた大地を少しずつ再生させ、争いに巻き込まれ儚く散っていった生命を慈しんだ。
やがてそのものたちの無念が、壊された大地の怒りが穢れとなって溜まり始めた。穢れを祓い生と死の均衡を調整する『調律』の役目を持つ水竜王が炎竜王との争いに夢中になり、役目を放棄していたからだ。
祓われなかった穢れはひとつとなり、大きな力を持ち始めた。それは大地に根付き、地を司る竜王を少しずつ蝕んでいく。
愛すべき大地を穢された。儚く散った生命の無念は竜王を憎んでいる。慈愛をもって大地を愛で満たしていた地の竜王は、その身に抱えきれなくなった膨大な負の感情を制御できず、呑み込まれた。
『――愛と憎しみは表裏一体。慈愛で大地を満たしていた我は、憎悪と嫌悪、憎しみと恨みによって全てを穢すものへと転じた。この身は不浄をまといて、終焉をもたらす存在となった』
永年の恨み、嫌悪、憎悪、憎しみといった負の感情は地の竜王が司っていた『慈愛』と『再生』すら歪め、『嫌悪』と『破滅』をもって終焉をもたらす邪竜へと変えてしまった。
竜王という存在を変えてしまうほどの大きな負の力。
それは彼の竜が夏の男神から与えられた輝かしい真の名ごと、貶め、捻じ曲げ、暗く深い闇へ堕とした。
その心優しき竜は、全ての滅亡を願う悲しき邪竜となって再び復活しようとしている。
「――そう、あなたは元はこの地を守る守護竜で、真なる名を歪められてしまったのね。偉大なる地竜王、元の名は……」
『――憎い、憎い。何もかもが。愛すべき大地を穢す全ての者を滅ぼすまで、我は止まることはない。何年経とうと、争いが集結し永遠の夏の円環の地に平穏が戻ったとて、我の怒りは、嫌悪は、憎悪は治まらぬ。抱えた邪念は止まりはせぬ』
竜の眼から伝わってくる邪竜の怨念。
それは大きな力と熱を伴って、竜の眼を持つものを害そうとしている。
『――末代まで、子孫を残そうとも、必ず滅ぼす。我はこの地を守護する者なり。我が許しはしない。必ず、必ず、その身に報いを!!』
吹き出した邪念が、大きな闇となり襲い来る。
その瞬間、私の意識は覚醒した。
パチン! という音ともに弾き出された感覚。
ベッドから飛び起きると、いつの間にか手に持っていた水竜王の片眼が淡く青銀に光っている。
嫌な予感を覚えた。
脳裏に蘇るのは夢に現れた水竜王セレンヴィレンの言葉。
「フィンが危ない!」
着のみ着のまま飛び出した私は直ぐにフィンの部屋まで走っていった。
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