12 かくしごと 中
ふと、視界の端で感じた違和感。
それは本当に些細なもので、通常であれば見逃していたかもしれない。
しかし、意図せず勝手に発動した妖精眼が私に注意しろと促しているような気がした。
「ん……?」
さっと物陰に隠れ、妖精眼で注視する。廊下の曲がり角の先。宮殿の出口へと続くその道を、何かが横切っているように見えた。
特殊な魔法を使っているようで、微かにしか気配を辿れない。どうやら存在を消す、もしくは気配を消す類の魔法を使っているようだ。
私の妖精眼を以てしても僅かにしか気配を捉えきれないその魔法は、相当高度なものだろう。
密かに誰かが宮殿に入り込んできた。その気配の動きは何かを警戒しているように慎重に、ゆっくりと動いていく。あまりにも怪しすぎる人影である。
しかし人を惑わす妖精の幻惑魔法が使える私の敵ではない。
一気に警戒心を顕にした私は音もなくその気配へ駆け寄ると、後ろから鍵言を叫んだ。
「――そこの怪しい者、姿を現しなさい! 封樹よ、捕縛せよ!」
片耳につけた白銀石のイヤリングから蔦のように植物が伸び、人影をあっという間に捕らえると石化して固まる。
途端に気配を断つ魔法が解かれ、黒いローブを纏った人物が床に倒れ込んだ。床に強く身体を打ったのか、その人物は右肩の辺りを押さえて低く呻くのみで動こうとはしない。
妖精界にのみ存在するダイヤモンド級の硬度を誇る鉱石の木、封樹エフタ。そこに宿る聖なる力と絶大なる硬度を併せ持つこの樹木は、特殊な道具で削り出せば破邪の護り石としても用いられる。
その力を利用して怪しい影を捕縛し、身体の自由を奪うと私は用心深く近づいて、黒いローブに手をかける。
「さあ、姿を見させてもらうわよ」
その声とともにローブのフードをめくりあげる。
そして、私はパチリと瞬きをした。
ローブの中から現れたのは柔らかにウェーブした金色の髪。その髪と同じようにキラキラと光を放つ青銀の瞳は、今は痛みに耐えているのか僅かに潤んでいる。
まだ成長途中の未発達の身体は華奢で、重く黒いローブを引きずっているようにも見えた。
まだ十代の少年と思しきその人影は、私もよく知っている人物だった。
そんな。まさか。
「第三王子殿下!?」
「シャルル様……」
床に倒れ込んだまま、涙目でこちらを見上げる第三王子ウォルト殿下。
次の瞬間私の顔は真っ青になり、すぐさま捕縛を解いて綺麗な土下座を披露する羽目になった。
♪♪
「本当に申し訳ございませんでした。決して御身に危害を加える気はなかったのです。いかなる罰も覚悟しております!」
廊下の曲がり角で深く座し、頭を下げる。
最上位に類する謝罪の意を示す仕草。もはやそれだけでは到底足りぬ重罪を犯したことを自覚しながらも、私はやはり頭を下げ続けるしかない。
セインブルク王国の、よもや第三王子に危害を加えるなんて。不敬罪どころではない。万死に値する行為だ。当然死刑は免れない。
斬首? いや、それすら生ぬるい。
額に嫌な汗が流れ、静かな時間が流れる。
身の縮む思いで、ウォルト殿下の反応を待った。
「お顔をあげてください、シャルル様」
落ち着いた様子のウォルト王子殿下の声に、私は恐る恐る顔を上げる。
するとウォルト殿下は、床に座り込んだ私に目線を合わせてその場にしゃがんだ。
「私こそ、気配消失の魔法を使ってシャルル様を警戒させるようなことを致しました。何より私は無事な訳ですし、ここはお互い様、ということにしませんか?」
にこにこと、まだ幼い涼やかな美貌に笑顔を称えるウォルト殿下に私は涙がこぼれそうになった。
ウォルト殿下。なんて天使のような心の広い子なのだろう。どこかの第二王子とは大違いだ。
いたずらがバレた後の子どものような無邪気な笑顔を浮かべるウォルト殿下。しーっと人差し指を口に当て、「内緒ですよ」と笑う姿はとても愛らしいものだった。
「分かりました。私たちだけの秘密ですね!」
「はい! 二人だけの秘密ですね!」
ウォルト殿下は二人だけの秘密という響きが気に入ったらしい。
どこか大人びた印象だったウォルト殿下。しかし弾けんばかりの笑顔で応える今の彼は、年相応の少年のように見えた。
「そういえば、気配消失の魔法でしたっけ。その年齢でそんな高度な魔法が使えるなんて、ウォルト殿下は素晴らしい魔法の才能をお持ちなのですね」
気配消失の魔法。セインブルクの王族が使う魔法は、古代の竜王が使っていた竜の息吹の魔法。妖精魔法とはまた種類が違い、ひとつひとつが強力な上に会得するのが難しいと文献で読んだことがある。
「そこまで褒められるほどでは……。でも、そうですね。竜の使う魔法は普通の魔法より難しいです。シャルル様もご存知だと思いますが、セインブルクは二人の竜王が永き争いを止め、友好関係を結んだ上で出来た国。その竜王が使った魔法は強大で危険なものが多く、その殆どが使用することを禁じられています」
魔法ひとつで地形を変えるほどの力。あの夢で見たフィオンの『竜の眼』の力といい、竜が扱う力は人の身には過ぎたもの。永き争いが続いた過去の歴史から、竜の息吹の魔法はその殆どが使用することすら禁じられた、禁忌の古代魔法となった。
「けれど、学ぶことを禁じられた訳ではありません。その強力な魔法を学ぶことで、間違った使い方をしないように、いい方向に使えるように工夫することはできる。私は竜の息吹の魔法を正しく使い、人々を幸せにしたいのです」
永遠の夏の国は素晴らしい国。
そんなセインブルクの王子として生まれたことを誇り、素晴らしき民の平穏を願い、禁忌となった竜の息吹の魔法を正しい方法で使うことで国をより豊かにしたい。
ウォルト殿下は澄んだ瞳でそう言葉を続けた。
まだ十代と言えど、彼も一国の王子。
国の発展とその行く末を思い、自ら何をすべきか考える姿は、立派なセインブルクの王族と言えた。
「素晴らしい夢です。道のりは遠いかもしれませんけど、叶うといいですね」
ウォルト殿下の言葉に今は遠く離れた故郷、ティナダリヤのことを思い浮かべる。
妖精と誕生の息吹に包まれた永久の春の国。私の、愛すべき祖国。
その第二王女でありながら、私は王族としての責務を放棄した。身分を返上し、ノイン様に国を託し、自分の夢のために世界を旅することを決意した。
長年の蔓延る悪意を排除し国を本来在るべき姿に戻したことも、あの愛おしい国を旅立ったことも、決して後悔はしていない。
けれど、時々考えてしまうことがある。
私はもっと国のためにできることがあったのではないかと。
地味姫と揶揄され、本来の姿を隠し続けていた私にも、王女としてもっとできることがあったのではないかと。
全ては過ぎたことだ。
王位継承権すら覆せる妖精眼を持って生まれ、正妃と側妃の間でこれ以上の亀裂が起きないようにと静かに生き、そして心労で倒れ亡くなった母。
本来の自分は隠しなさい。そんな母の遺言に従い地味に生きることを選んだのは私。仮初の姿で生き、王妃の目につかないよう逃げることを選んだ私。
アルバートとの婚約破棄というきっかけがなければ、私は今でもあの国で本来の姿を隠して生き続けていた事だろう。
王女として何もせず、何も期待されず、国に貢献するようなことは何も成さず、生き続けていたかもしれない。
けれど、それでも。
もっと王女として、王族の一員としてできることがあったかもしれない。
ウォルト殿下を見ていると、そう考えてしまう。
『地味姫』としてのあの時の私は何も選択しなかった。ただ平穏のために現状を維持することを望んだ。王妃と対立して、妖精眼の、妖精女王の正当後継者として国を本来あるべき姿に戻すために自らが女王となる道もあった筈だ。
王女として何もしてこなかった私が、かつて逃げることを選んだ私がこの国を果たして救えるのだろうか。
いつか封印の解ける邪竜と決着をつけ、フィオンを――竜の眼に呪われたフィンを救うことができるのだろうか。
第三王子殿下のどこまでも清廉さに溢れた瞳を見つめながら、私は心の底で一抹の不安を抱えた。
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