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8 竜の怨嗟

 フィオンは終わりの見えない夢に苦しんでいた。


 竜の記憶は死の記憶。

 竜の高い矜恃がぶつかる誇り高き闘いの記憶。争いの記憶。血と硝煙と因縁に塗れた、幾星霜の記憶。

 竜とは気高く尊い生き物。その己の武勇を拡げんとするために飛び立ち、牙を向き、爪を振るう。


 永遠(とわ)に続くその永き戦いは、一体いつ誰が始めたのか。永きを生きる竜ですら、その理由を忘れ果ててしまった。

 水竜王と炎竜王という二人の竜王も、また互いの竜の矜恃のために永き争いを始めた。


 どちらが真に強いのか。


 それを正しく明らかにするために、己の眷属を巻き込み、闘いは長く長く続いた。時には何も無かった大地に大瀑布(だいばくふ)が生まれ、時には緑潤う大地が砂漠と化した。地形を変えるほどの強大な力が振るわれ、熾烈な闘いが繰り広げられた。


 二人の竜王の闘いに決着はつかなかった。互いに真の実力を出しても拮抗してしまう二人の闘いは終わりが見えなかった。

 次第に目的を失っていった争いはどう終極(しゅうきょく)を迎えたのか。


 その意味を真に知るものはなく、ただセインブルクの建国史にはこう語られている。


 ――二人の竜王は永きをかけて争いの不毛さに気づき、和解した。以後二人の竜王は友好関係を結び、やがて番となった。

 二人を祖としたセインブルクはそうして生まれ、平和を尊び、今後一切の私怨での闘争を禁じた。


 こうしてセインブルクは永遠(とわ)に続く争いに終止符をうち、永き安寧と繁栄を賜わることとなった。


 長い争いを戒めとして忘れないために互いの『竜の眼』に記憶を封じ、以後子孫に自戒の意味を込めて竜の歴史を継承していくことで、二度と()()()()()()()を生み出さないようにしたのである。


 ――呪われた竜の眼。

 歴代のセインブルクの王族は、特に加護として『竜の眼』を継いだものたちは、自らが受け継いだその眼を『呪い』と呼んだ。


 祖先たちの忌まわしい過去と記憶を継承し、膨大な力を込められた眼を持て余すことしかできなかった。

 争いのない時代に、強大な力を持って生まれたことがどれだけの苦痛であるか。


 竜の眼から語られるのは、誇り高い争いの記憶だけではない。争いに巻き込まれ、罪なくその命を奪われ、踏みにじられたものたちの過去の遺志すら竜の眼は包み隠すことなく、否応なく伝えてくる。

 それらは怨嗟の声となって、竜の眼を持つものを苦しめる。


 呪われた竜の眼。

 夜毎夢に現れては繰り広げられるそれらに、耐えられる者は果たしているのか。


 竜の眼の完全制御を果たした今でも、フィオンは為す術なく過去の記憶に苛まれる。祖先がそれを自戒としたが故に、苦しめられる。

 二つの竜の眼からもたらされる呪詛のような怨嗟の声は、重い鎖となってフィオンに幾重にも絡みつく。


 逃れようともがいても、奈落の底に沈んでいく。

 その手を離すまいと、どこまでも着いてくる。


 ――罪を忘れるな。永遠(とわ)の因縁からは逃れられない。


 そんな声がどこまでもフィオンに語りかけるのだ。

 気が狂いそうになったことは何度もあった。何度、この目を抉り出してしまおうかと考えたことだろうか。


 それでも自分はこの国の王子だ。

 先祖の罪は、その子孫たる自分が背負うべきもの。負うべき業。


 誇り高き竜王の、王族としての誇りがフィオンに辛うじて正気を保たせていた。この膨大な力が、いつか自分の制御下を離れ、愛する者を傷つけるのではないかと恐れながらも、彼は気丈に戦っていた。


 けれど、恐れていた事態は起きた。

 弟の危機に、咄嗟に竜の眼の力を解放した。必死だった。弟を助けたい、その一心だった。


 もたらされた結果は一面の焼け野原となった庭園。それを見てフィオンは悟った。この力は、どこまでも不幸しかもたらさない。

 人には過ぎた力。あってはならない力だと。


 竜の眼から発せられる怨嗟の声は今日も語る。

 無惨に奪われた生命たちは()()を恨んでいる。竜たちの誇り高き戦いは、傍から見れば生命の蹂躙に他ならないと。


 竜など存在するべきではなかった。

 戦いは何も生まない。ただ大地を穢し、儚い生命を一瞬にして奪う。


「私は……生まれてよかったのか?」


 竜の存在は、悲しみしか生み出さない。

 ならば、その血を引いて生まれた自分は、存在すべきではなかったのではないか。


 怨嗟の声が引いていく。闇夜の中でしか活動できない彼らの声が届くことのない時間が、またやってくる。

 永遠(とわ)の夏の日差しがある時間帯だけが、彼の唯一の心休まる時間だった。


 だが、怨嗟の声はどこまでもフィオンの胸の奥底に重く沈み込んでいく。それらは澱みとなって、彼を少しづつ、確かに蝕んでいた。


「私は、生まれるべきではなかったのかもしれない……」


 重い溜め息とともに目の覚めた自室の中。

 そんな考えに囚われ、フィオンは自らの知らぬうちに凍っていく心を抱え込んだまま、暖かな陽が差し込むベッドの中で一人涙した。



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