7 忌まわしい過去
少し残酷な表現が入っています。
本日二話更新しています。読み飛ばしにご注意ください。
夜の帳が場を支配する漆黒の空間。
深夜と呼ぶべき時間に、久方ぶりに帰ってきた宮殿にある第二王子の部屋で眠りについていたフィオンの表情は苦悶に歪んでいた。
「やめろ……やめてくれ……!!」
その声を聞くものはなく、人払いした部屋には彼の呻き以外何の音も漏れてはいない。
夜の静寂に満ちた空間で眠る彼は尚、過去の記憶に捕らわれ、苦しんでいた。
♪♪
「ここは……?」
一日に色々なことがあり、眠気と戦いながらベッドに入った私はすやすやと眠りに落ちた、筈だった。
しかし眠気の限界を迎えていたはずの頭は妙にスッキリしているし、意識もある。
ベッドで眠っているはずの私の身体はいつの間にかこの空間にいた。
何も無い空間だ。強いていうのならそこはとても白い空間だった。
目に痛いほどの白く清浄な空間だとわかるそこは、現実世界ではない。自然に発動した妖精眼で、私はそこが妖精界の空間なのだと気づいた。
妖精界は何度か行き来したことはあるが、自分から入ったことはない。人間の世界とは異なる時間軸、異なる概念で存在するあの空間では、人間としての常識は通用しない。混沌に満ちた世界である。
妖精王オベロンからも、なるべく妖精界に入る時はルツを伴うことを念押しされている。
妖精は人間を惑わし、魅了する。
ティナダリヤの妖精は良き隣人として人間と共生しているが、それは全ての妖精に言えることではない。
良き隣人の妖精と悪しき他者の妖精。
一般に二分されている妖精の種類はこのふたつ。
名前の通り、前者は人間に友好的な妖精。後者は人間に悪影響を及ぼす妖精である。
妖精眼を持ち、春の女神の息吹を受け継いだ妖精女王の末裔、ティナダリヤの王女といえど、油断してはならない。全ての妖精を従わせられるわけではないからだ。
むしろ、妖精界にも名が知られている存在だからこそ、気をつけるべきだとかつての師匠――ノインゼクス現国王陛下からも注意されている。
「でもどうしてここに? 誰が私をここへ呼んだというの?」
目的が分からない召喚。
この空間は身に覚えのないものだ。空間を繋いだのがルツだと言うのならば、彼がここに居ない理由が分からない。
だとしたら、私をここへ招いたのはルツ以外の何者かということになる。
警戒して辺りを見回す私の頭の中に、ある声が響いてきた。
それは不思議な声音でこう言った。
――ここは夢の回廊。
妖精界と人間界の狭間にある、夢幻の泡沫の世界。
縁と縁を繋げる、夢を繋げる鎖の世界。
「夢の回廊? 縁と縁を繋げる……?」
鈴の音を合わせて束ねたかのような独特な声が語りかけてくる。歌うようなその調べは、どこか無機質にも感じた。
しかし紡がれた言葉の意味が全く分からない。
話についていけない私に、なおも声の主は一方的に語りかけてくる。
――貴方は選ばれた。幾千年と続く、竜の過去の因縁を断ち切るために。妖精と人間を繋げた妖精女王の末裔。
――世界を正しき姿に戻す力を持つ貴方にひとつの夢を見せましょう――。
「え?」
その声と共に何も無かった空間から風が巻き上がる。突如として起こった風は私の身体をあっという間に包み込むと、あろうことか風はそれらの奔流が渦巻く中心に向かって流れ込んでいくではないか。
「きゃああああああああああ!?」
訳が分からず絶叫をあげる私の身体をしっかりと包んだまま、風は奔流の中心へと吸い込まれていった。
♪♪
フィオンは恐れていた。
竜の眼と呼ばれる、強大な力を。
竜の歴史を受け継いだその眼を、自分が持って生まれたということを。
竜の眼は竜の力の中枢でもある。力が集合した場所の一つである。ただし、司るのはその計り知れない膨大な力だけではなかった。
加護により竜の眼を継承した者は、それらが紡いできた歴史そのものも継承することになるのだ。
竜の歴史は戦いの歴史。争いの歴史。
力を巡って対立し、己の誇りのためにその爪と牙をふるい、時には翼をぶつけ合う。
セインブルクを建国した水竜王と炎竜王もまた、最初は長く争いを続けていた。
竜の眼を受け継ぎ、その歴史を夜毎夢に見ることで、まだ幼かったフィオンはその事実を文字通り見て知ることになった。
戦場の惨たらしさを。血で血を洗う争いの醜さを。
竜の寿命は長い。人間とは違う時間軸を生きる彼らの誇り高き戦いの記憶は、その血を受け継いだフィオンですらも受け入れ難いものだった。
永遠の安寧に慣れてしまったセインブルクの王族は、過去の歴史から争いを望まない。
竜の歴史は闘争と因縁に満ちた死の記憶。
それらを竜の眼を通して知ったフィオンは、自分の力を恐れるようになった。
いつかこの膨大な力が、誰かを傷つけることになってしまうのではないかと恐れた。
それからのフィオンは自分の力を押し込めることに全力を注いできた。
父と母に頼んで一流の魔術師に強力な封印を施してもらい、それでも漏れ出てしまう力を精密に制御することで自分の力を完全に封じた。
筈、だった。
それでも起きてしまった。彼が一番恐れていた事態が。
忘れもしない五年前。
フィオンが十八歳の時のことだった。
♪♪
シャン・ヴェルデ宮殿の二つの尖塔の間にある巨大なドーム状の建物。
風の奔流に呑まれた私は『竜の園』と呼ばれる中庭に降り立っていた。
攫った時の強引さとは違い、優しいつむじ風を伴って降ろされた私は、呆然と辺りを見回す。
「なにこれ。昼間見た時とは微妙に違う……?」
昼間に見た庭園と大部分は一緒だ。
見事に覆われたドームに、よく手入れの施された植物たち。目を奪われてしまいそうなほど、綺麗な花や果実を実らせている。
しかし、そこに付随する妖精の数が違う。植物の規模も違う。
昼間に見た庭園はドームを覆うほど蔦を伸ばした植物が育っていなかったし、今見ているものほど植物の種類も多くなかったように思う。
よくよく見れば随所の構造も違う。中央部には噴水があるし、その端には寛げそうな東屋もある。
それらは昼間に見た庭園ではなかったものだ。
思い返せば風に攫われる直前、あの不思議な声はひとつの夢を見せると言っていた。
「ということはここは夢の中ってことなのかしら?」
あの声の言う通りならばここはそういう空間である。
しかし、一体何を見せようというのか。目的は相変わらず分からない。
首を捻る私の耳に、庭園を走る足音が聞こえてきた。
それに気づいた私は思わず傍の茂みに隠れる。茂みの緑の間から覗くと一人の少年と、その少年より一回り小さい男の子が庭園にやって来る所だった。
「兄様、ここです! ここにフィレヤの実がなっているんです」
「わかったから。ウォルト、走るならちゃんと前を見て走るんだ。転んでも知らないぞ」
「はい、フィオン兄様!」
弾んだ調子で庭園を翔ける無邪気な少年と、それを見て微笑む紫の瞳の少年。今知る姿よりも幾分か若く感じる彼は、楽しそうな弟を微笑ましげに眺めていた。
仲の良さそうな兄弟といった印象の、いつかの第二王子と第三王子の在りし日の姿だった。
「これは……過去の記憶ということかしら」
二人の仲の良さと、姿の違いからそうと推測できる。
声の主の言葉通りなら夢の中だというのに、何故彼らが出てくるのか。
それとも、この過去にこそ目的があるのか。
黙って成行きを見守る私の傍を走って通り過ぎた小さいウォルト殿下は、一際高い木の下で立ち止まり、後ろを振り返る。
「ここです兄様! ここでフィレヤの実を見たんです!」
「本当に見たのか? フィレヤは花が咲くのに何故か実がならない植物として伝説の木とまで呼ばれているんだぞ?」
「本当に見たんです! 昨日の夜、真っ赤な実がなってました!」
「真っ赤な実……?」
はしゃぐウォルト殿下の言葉に、フィオンは首を傾げた。
フィレヤの木はフィオンが言った通り実がならない木として有名だ。誰もその実を見たものはなく、ただ白い花だけを咲かせる謎の木として知られている。少なくとも赤い実などつけない。
「赤い実のなるフィレヤに似た木。それって、もしかして!!」
嫌な予感がする。
ガバッと茂みから顔を出した私はそこから離れるように声をかけようとした。
その瞬間。
「逃げろ、ウォルト!!」
数秒早くフィオンの鋭い声が上がる。
彼は血相を変えて走り出すと、素早くウォルトを抱え込むようにして背に庇う。
その瞬間、フィレヤに似た木からなっていた赤い実がポトリと落ち、光を伴って爆発した。
轟音と共に風が舞い、視界を砂煙が塞ぐ。
「やっぱり、ニーレヤの木だったんだわ!」
フィレヤによく似たニーレヤの木。実をつけないフィレヤとは違い赤い実がなる南国にあるフィレヤと同じく希少な木である。
しかし、ニーレヤの赤い実は悪魔の実とも呼ばれていた。真っ赤に熟れた実は甘い香りで人を惑わし、落ちた実はその衝撃で爆発する。その衝撃は凄まじいもので周囲を巻き込んで爆発したニーレヤの木そのものが吹き飛んで無くなってしまう。
非常に危険な植物だった。
「二人は無事!?」
夢の中、過去の世界のせいか自分も被爆圏内にいたにもかかわらず無傷だった私は素早く目を凝らして二人の姿を探す。
砂が舞い視界を遮る中、ようやく二人の姿を見つけた私は安堵しようとして、言葉を失った。
「兄、様」
ウォルト殿下は無事だった。フィオンが身を呈して庇ったこともあり、右手に怪我を負っているだけですんでいる。しかし出血が多く、ウォルト殿下は痛みに顔を顰めている。
しかし、それより先。フィオンが立つそこより先の植物が、全て消滅していた。
まるで、最初から何も無かったかのような更地と化した庭園。真ん中にあった噴水も、ドームを覆うほど伸びていた植物も、その全てが消え失せていた。
「竜の眼の、力……」
呆然としているフィオン。その驚愕に見開かれた彼の両目は、朱金と青銀に染まっていた。
弟に危険が迫っていると知り、彼は咄嗟に竜の眼の力を解放したのだろう。
しかし、完全に力を制御できなかった。その結果辺り一面焼け野原になってしまった。
右腕から大量に血を流したウォルト殿下は健気にもフィオンに駆け寄る。その腕は血に染まり、今にも引きちぎれそうにぶらぶらと揺れている。
苦悶の表情を浮かべたウォルト殿下を見たフィオンはゆっくりと振り向き、そして自らの弟の姿に気づく。
右腕を損傷した弟の姿を見てハッとした彼は。
「あ、あ……」
声を震わせ、更なる力を解放してしまった。
破壊に満ちた力の波動が、庭園をさらに荒らしていく。放たれた無数の水の刃に建物は半壊し、植物は灼熱の熱気に枯れていく。
「ああああああ!!」
弟を護ろうとして傷つけてしまった。
その事実が、フィオンを更なる暴走へと加速させてゆく。
無惨に壊れていく庭園を見て、しかし過去の夢の中であるがゆえになにもできない歯痒さに、私は唇を噛み締めることしかできなかった。
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