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5 第三王子

「――こっちの通路を抜けたら中庭だよ。今は白薔薇が見頃だったはず。折角だから見ていこうか」

「はあ……」


 輝かしい容貌に麗しい笑みを貼り付けたフィオンの声に気の抜けた返事をし、その後に続く。

 大理石が埋め込まれた床は宮殿の使用人達によって磨き抜かれ、セインブルクの夏の日差しを受けて輝きを放つ。


 そんな廊下を歩きながら、私はどうしてこうなったと軽く頭を抱えたくなる。




『部屋を用意させている間、時間があるから宮殿を案内させましょう。フィオン、お願いね!』


 パタパタと足音軽く直ぐに戻ってきた妃殿下により、私はフィオン第二王子殿下とシャン・ヴェルデ宮殿を散策することになった。


 妃殿下の遠慮がちに見せ掛けた強い押しにより宮殿に泊まることが無事に決定し、さらに馬車から降ろしたはずの荷物もいつの間にか回収されていた。


 妃殿下に荷物について尋ねると用意させている部屋に一緒に置いておくので、部屋が整うまでしばらく待っていて欲しいという。


 あの、用意周到すぎやしませんか。


 そんな言葉を飲み下し、宮殿を案内してもらうことになった私はフィオンの先導で一通り宮殿内を巡り、今度は中庭へと進んでいる。


 強引さには負けてしまったが、なんだかんだで当初の予定通り宮殿の中を散策できるのだ。これはこれで良しとしようではないか。


 いつまでも気にしていては仕方ない。早々に気を取り直して私は改めて廊下の天井を見上げた。

 今、私は水竜王を模した青の尖塔――通称『水晶宮』の内部を進んでいる。『水晶宮』の天井は一定の間隔でステンドグラスが嵌め込まれており、青を基調とした様々に着色されたガラスが日差しを通して光を反射させ、美しい色合いを生み出している。


 これだけでも見事なものだが、炎竜王を模した赤の尖塔『紅玉殿』では赤レンガで組まれた重厚な外観とは違い、内部は金糸銀糸で編まれた滑らかな生地の織物があちこちに掛けられていた。

 さらに『紅玉殿』は全体に空気を循環する魔法が張り巡らされていて、レンガ造りの建物の中とは思えないほど涼しく、それは驚いたものだ。


 あちこちに配置された物も格式高く、歴史ある宮殿に相応しいものばかりで、どれだけここが大切にされているのかが分かる。


「さすがは伝統ある建物ですね。内装も見事なものです」


 王族が住まう宮殿とあって、シャン・ヴェルデ宮殿は壮観の一言に尽きる。王国建国以来の建物だと言うから、軽く七百年は過ぎているはずだが、全く色褪せた様子がない。


「水竜王セレンヴィレンと炎竜王リュートヴルグが永きに渡る争いを終わらせ、自らの魔力で造ったふたつの城。それらを繋ぎ合わせることで永遠(とわ)の友好の証とし、象徴としたのがこの宮殿だからね。水竜王と炎竜王は互いを伴侶とし、互いの竜王の名を束ねてセインブルクという国は生まれた。それだけに建国祭は国を上げての一大行事となっているんだよ」

「『氷炎舞祭(ひょうえんぶさい)』は炎と水の竜王の偉大さを称え、永遠(とわ)の繁栄を祈る祭りでもあるのですね」


 ティナダリヤにも建国祭とは違うが王族の十七歳の誕生日に行う誓いの儀式がある。

『妖精王の間』で誓いを立て、成人を迎える儀式は言い換えれば妖精王と一種の契約を結ぶ儀式とも言える。

 多少の違いはあれど、建国から続く伝統や文化というものが後世に受け継がれるのは重要なことである。


「この宮殿はセインブルクの歴史の証でもある、と。やっぱりここに来られてよかったです」


 書物だけでは知りえない知識や歴史、感動はやはり実物を見ることでしか得られない。フィオンに乗せられつつも、宮殿に足を運んだ甲斐があったというものだ。


「そう言ってもらえると私も嬉しいな。――と、そうこうしてる間に中庭に出たね。ここは竜の園と呼ばれているが、特に意味は無いらしい」


 フィオンがそんなことを言いながら手招きをしてくる。吊られて足を踏み入れた私はその光景に息を呑んだ。


「とっても綺麗……!」


 そこはとても庭園と呼んでいいのか分からないほど、自然に満ちていた。


『水晶宮』と『紅玉殿』の間に位置するここは互いを繋ぐ廊下を通ることでしか足を踏み入れられない。そんな構造になっているのは、ここが巨大なドームに覆われているからだったのか。


 砂に覆われた地から緑が生い茂り、間を川のように水路が張り巡らされている。植えられているのは花だけでなく、南国の果実が実る木まである。夏の楽園と呼ぶのが相応しいのかもしれない。例えるなら、まるで砂漠の中のオアシスのような場所だった。


 春の国では見られない品種も多く、南国特有の植物が主に植えられている。図鑑で見たことすらない植物も多く、西の大庭園の温室で植物をいじっていた頃の好奇心がよみがえってくる。


「ティナダリヤの『空中庭園』とは全然違いますね。咲いてる花にもいくつか見たことがないものが混じっています。うわぁ、食虫植物までいる!? 心ゆくまで調べてみたい……フィン、ここは楽園ですか?」


 許されるのならここにしばらく閉じこもりたいくらい。それくらい未知の植物の宝庫だった。勝手に発動してしまった妖精眼(グラムサイト)があちこちに植物に関連した妖精を映し出しているのだ。彼らに話しかけて、詳しく話を聞きたい欲求がムクムクと湧き上がってくる。


 興奮もあらわに声を上げるとフィオンは私の様子に苦笑する。


「それだけ喜んで貰えるのなら良かったよ。それにしても、ここは相変わらず変わらないんだな。いや、よくぞここまで元通りにした、と言うべきかな」


 どこか遠い目をして含みのある言葉を漏らすフィオン。その表情はどこか固い。手をぎゅっと握りしめ、緊張しているようにも感じる。いつもの彼とは全く違う姿に、私は戸惑った。

 それに先程漏らした言葉も気になる。


『元通り』とは一体――。


「フィン……?」


 私が遠慮がちに声をかけようとした途端、不意にガサッと後方で物音がした。即座にフィオンと私が視線を向けると、ガサゴソと茂みはさらに音を立て、やがてひょこりと人影が現れた。


「兄、上……?」


 まだ幼さの残る高い声音。

 姿を現したのはまだ十代と思しき少年だった。少しウェーブした金髪はどこか国王陛下を連想させ、驚いたように見開かれた青銀(せいぎん)の瞳はおっとりとした妃殿下によく似ている。


 フィン――フィオンを兄上と呼んだことから、彼がセインブルクの第三王子殿下だと判断できる。


 今年十四歳を迎えたと聞いた第三王子は、視界にフィオンを捉えると「兄上!」と嬉しそうに顔を綻ばせ、こちらに向かって走ってくる。


 大好きな兄に駆け寄る弟。傍から見れば年相応の少年らしい反応に、私は微笑ましくなり、邪魔をしないようにと端に寄る。


 しかし。


「来るなっ!」


 鋭い声が一閃。

 固く冷たい声に、少年はビクリとして足を止めた。

 フィオンは拳を白くなるほど握りしめ、緊張した様子で第三王子を注視していた。肩が大きく上下していることからも、彼の呼吸が大きく乱れていることが見て取れる。


 声を荒らげて明らかにフィオンらしくない態度に、私は恐る恐る声をかける。


「フィン? どうしたの?」


 すると彼はハッとしたような顔になり、直ぐに渋面を作る。声を荒らげたことを後悔しているようだ。

 フィオンの声に足を止めた少年は尚も遠慮がちに声をかけようとする。


「フィオン兄さ――」

「……すまない、ウォルト。怒るつもりはなかったんだ。だが、しばらく一人にしてくれ」


 フィオンはそれだけを告げて踵を返すと、来た道を戻っていく。


「あ……」


 ウォルトと呼ばれた少年はフィオンが去った方向を目で追い、右手を伸ばしかけ……やがてキュッと拳を作るとゆっくりと下ろした。


「フィオン兄様……」


 悲しそうに呟かれた言葉に、私はことの成行き見守ることしかできなかった。

 ただ、少年――ウォルト第三王子殿下の右手に走る痛々しい傷跡から大体のことが察せられた。

 ファルオン陛下から聞いた言葉が、頭をよぎる。


『フィオンは自分の目のことで長年悩んでいた。自らの弟を傷つけた力を忌み嫌い、王位継承権を放棄して、一介の騎士として生きたいと私に願い出たくらいなのだ』


 フィオンが力の暴走によって傷つけてしまった弟。竜の眼の力を完全制御下に置けるようになった今なお、彼のトラウマは根深く残ってしまっているらしい。


 去り際に見たフィオンの悲しそうな、苦しげな表情が頭に焼き付いて離れなかった。

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