2 水の都
魔法で冷たい空気が循環する快適な馬車の中でうたた寝すること二時間。
砂漠と所々に続いていた緑の合間から高い城壁に囲まれた街が姿を現した。
「――見えてきた。あれがシーリャンだよ」
「あれがそうなのですね……!」
ようやく見えてきた水の都にフィオンが声を上げ、それに釣られて私は馬車の窓に前のめりになる。
そのまま馬車が少し進むと、高い城壁の合間から左右対称に並ぶ二つの尖塔が見えてきた。
かつてこの地で永遠の争いを繰り広げていた水竜王と炎竜王が和解し、友好を結んだことで興った国であるセインブルクを象徴している二つの尖塔は水竜王と炎竜王をそれぞれ称えるものだと言う。
その二つの尖塔が並んだ立派な建物こそ、水の都と呼ばれるセインブルクが誇る王都シーリャンのシャン・ヴェルデ宮殿。
水竜王を模した左側の尖塔は青のステンドグラスと所々に銀の細工が施された可憐で繊細な印象を受ける。
対して炎竜王を模した右側の尖塔は赤煉瓦に金箔が施された無骨で大胆な様相。
相反する雰囲気を纏いながらも、不思議と一体感を感じさせるなんとも美しい見事な宮殿だ。
「綺麗な宮殿……」
ティナダリヤのオベウレム城とは違う歴史を感じさせる建物に人知れずため息が漏れる。
これだけ立派な宮殿だ。内部の構造はどうなっているのだろう。あの二つの尖塔はだいぶ様相が違うが、内装は一体どうなっているのだろうと俄然興味が湧いてくる。
その呟きを横で聞いていたらしいフィオンは宮殿に目を奪われる私を見て実にいい笑顔でこう宣う。
「実に素晴らしい宮殿だろう? だが残念ながらあの宮殿は普段は一般解放されていないんだ。氷炎舞祭でも解放されるのは大広間と庭園まででね。けれど今、私と一緒に来られるのならば宮殿を詳しく案内できるのだが……。さて、シャルル嬢は如何かな?」
このタイミングでこの提案である。
絶対に私の思考を読んで先手を打っているに違いない。実に涼しげな容貌が途端に憎らしくすら思えてくる。フィオンの眼を治したことを軽く後悔するほどに、にこやかな笑顔を浮かべた極上の美貌を軽く睨みつける。
私は世界を見て回るために王女の身分を捨てた。もともと外の世界に人一倍興味があった私は全てのものを見て知りたいという欲求がある。
今も好奇心が発動してこの美しい宮殿を隅々まで観察してみたいという欲求がむくむくと湧き上がり、フィオンといると絶対に厄介事に巻き込まれるという思いと頭の中で戦いを繰り広げる。
そんな脳内の攻防を数分繰り返し、私は決断を下した。
「…………是非案内をお願いします」
結果。好奇心には勝てなかった。だってセインブルクきっての宮殿だもの! オベウレム城しか歴史ある建物を知らない私には未知の世界。そんなの、是非見てみたいに決まってるじゃない!!
『欲望に勝てなかったね、シャル。おめでとう。見事に王子に惨敗』
「くっ……好奇心に逆らえない自分が憎い……!!」
瞼を半分ほど伏せて分かりやすく「呆れた」という視線を向けてくる相棒を横目に私は自らの性を呪った。
その横で実に満足そうに頷いている第二王子様を、馬車が歩みを止めるまで精一杯睨みつけることでなんとか心の平静を保った。
逃亡失敗。いいもの。まだチャンスはある。きっと必ず、この王子の魔の手から逃げ出してやる。
私は心の中で密かにそう決意した。
♪♪
と、決意した時期が私にもありました。
正直、あの腹黒っぽい王子のことを舐めていた。一応私はフィオンから見れば恩人で、元王女といえども所詮は身分を捨てた平民。案内と言ってもせいぜい表向きの場所ぐらいだろう、と。
――いや、確かに案内は頼んだけど。頼んだけれども。
確かに頼みました。はい。好奇心に抗えなかったから素直に従いました。
今、ものすごくそのことを後悔しています。
なぜなら。だって。こんな。
「――お帰りなさいませ、フィオン様。そしてようこそお越しくださいましたシャルル・ロゼッタ・ティナダリヤ様。こちらの部屋の中で陛下と妃殿下がお待ちです」
恭しく頭を下げる初老の執事らしき男性。
品の良い仕立ての服と、上品ながらも柔和な顔立ちが親しみやすさを感じさせる。
しかしその隙のない身のこなしはなかなかだった。
周りの使用人と思われる人々も一見普通ながら、しかし仕草が妙に鋭い。明らかにその道の手練が何人か紛れ込んでいると分かる。
それもそのはず。ここは宮殿の最奥。セインブルクの王族が住まう居住区域。警備は強固で万全にしなければならない。
私は冷や汗をダラダラ流しながら全力で目の前に立つ第二王子に恨み言をぶつけたくなった。
まさかいきなり宮殿の最奥の秘された空間に行くなんて思わないじゃない!?
フィオンの導きにより案内された先は――なんとセインブルク国王陛下と妃殿下の執務室だった。
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