21 呪いの行方
古の妖精言語を用いた契約魔法でも最上級の祝福魔法。
その昔、春の女神の祝福を受け、初代妖精女王となったルルレット・ティニアローズ・ティナダリヤが死した大地を甦らせるために使ったというこの魔法。
それは死した大地を生み出す原因となった太古の伝説の存在である〝悪魔〟の残滓すら滅ぼすほど強力なものであったと聞いた。
短い鍵言で強大な力を引き出す妖精言語を用いても五節の詠唱を必要とするこれは、妖精眼を自在に操る初代の妖精女王にしか扱えない魔法だった。
なぜならそれは妖精女王としての力と、春の女神の祝福の力を同時に使うことのできる彼女にしか扱い得ない魔法だったから。
だったらその血を受け継ぎ、彼女と同じ妖精眼を持つ私にも理論上使えるはずだ。
一種の賭けではあった。しかし、魔法は無事に発動した。伝承にある通りの金色の光が降り注ぎ、辺り一帯を染め上げる。
金色の光は溢れ出す首なし騎士の闇を押し留め、少しずつ呑み込み始めた。
「……ッ!!」
それと共にごっそり魔力が削れる感触。崩れ落ちそうになり、歯を食いしばった。闇は金色の光に抗おうとして、金色の光はそんな闇を吸収しようとして互いに反発する。
その度に私の中にある魔力が削れ、金色の光へと変換されていく。お師匠様にこの魔法を教わった時、決して安易に使ってはいけない禁術だと言われた。その理由が今わかった気がする。
使用者の生命力とも言える魔力を削り、対象を消すまで止まらない。全てのものを祝福し、健やかで清らかなものへと強制的に変化させる魔法。
一度発動したら、止められない。
『万が一その魔法を使うことになったら、必ず補助としてルツを伴うこと』
それがこの魔法を教わった時のお師匠様との約束だった。けれどそのルツは今はいない。相棒だというのに肝心なところで役に立っていないではないか。
「くう……!!」
金色の光と闇が拮抗する。この呪術をかけた黒幕は相当強力な力の持ち主なのだろう。
駄目だ。このままじゃ……。
私の魔力が持たない。
焦りに顔が歪んだ、その時。
「私の力を使ってくれ」
私の手に、大きな手が重ねられた。
「フィン!」
驚いて声の主を目を向けると、フィンは柔らかく微笑んだ。
「見たところこれは妖精の祝福魔法だろう? こういう魔法は魔力が多ければ多いほど強力になる。幸い魔力量には自信があってね。『竜の眼』は膨大な魔力を宿しているから」
朱金と青銀の眼が力強くこちらを見つめてくる。その瞳はどこまでも穏やかで前のような荒ぶった力を感じない。フィンは『竜の眼』の力を完全に支配している。これなら暴走する心配もないだろう。
できることなら彼を巻き込みたくはなかったが、そうも言っていられない。事は一刻を争うのだ。
私は彼に妖精眼を向けて頷いた。
「お願い。力を貸して」
「お易い御用だ」
その言葉と共に重ねられた手から魔力が流れ込んでくる。炎と水。青と赤。相反する二つの力がフィンによって融合され、紫の奔流となって金色の光に降り注ぐ。
その瞬間金色の光が力を増し、一気に闇を呑み込んだ。
妖精眼を通して首なし騎士の首に幾重にも絡まっていた鎖がガシャンと一斉に音を立てて崩れ、消えていくのが見えた。
縛られていた彼の魂も侵食していた闇が消え失せ清らかなものとなり、光を取り戻す。
『ルクシオ……!』
首なし騎士ルクシオの首が完全に繋がり、完全に闇を抹消した途端アドリアナは愛しい恋人へ視線を落とす。首なし騎士が放った大剣の傷も妖精魔法の効果で癒えていた。
『アドリアナ!』
完全に意識を取り戻した首なし騎士――ルクシオは目の前にいたアドリアナをその身に抱き締めた。
長い年月を経てようやく再会が叶った二人。アドリアナは涙を零して青い目でルクシオを見上げた。
『ずっと逢いたかった。ごめんなさい……貴方を助けられなくて。私一人では何もできなかった。貴方が苦しんでいることを知っていたのに。本当にごめんなさい』
涙を零して懺悔するアドリアナに、ルクシオは静かに首を振った。
『いいんだ、もう。気にしなくていいんだよ。僕は解放された。ずっと会いたかった君にもようやく逢えた。十分だよ』
『ルクシオ……』
『ようやく逢えたね。アドリアナ』
二人は静かに抱き合った。
悲劇によって運命を裂かれ、人として死した後も願いを歪められ続けた二人。
黒幕に利用され、互いに妖精となって尚も望んだささやかな願いすら歪められ、災いの種として使われようとしていた。
どうしても助けたい。首なし騎士の願いを聞き届けて以降、その思いが常に私の根幹にあった。そのために私はアドリアナを探し出し、ルクシオと再会させるために動いたのだ。
二人が無事に再会できてよかった。
悲劇を悲劇として終わらせずにすんで、よかった。
かつて地味姫であった私は国を出て本当の自分を隠すことを辞めた。決意したことはひとつ。救いを求める者に、自分の力が及ぶ限りその手を差し伸べること。
だからこそ、許せないのだ。
卑劣で残虐な方法を使って、自らの手を汚すことなく目的を果たそうとすることを。その悪意を。
妖精は悪意を嫌う。そしてその妖精を映し出す妖精眼を持つ私は、悪意を見抜くことができる。
私は妖精眼で、虚空を見据えた。
呪術が破壊されたことで大きな悪意は消えたが、まだひとつ残っている。
例えば視界の端に少しだけ映ったような微かな違和感。
しかし悪意を見抜く私の眼は確かにその微かな悪意を捉えた。
「そこにいるのはわかっているわ。いい加減姿を現したらどうなの」
悪意を感じた方向に視線を向けて鋭く投げかけると、クスクスと小さな笑い声が聞こえた。
最初は空気を震わせる程度の微かな笑い声だったそれはだんだん大きくなり、睨んだ視線の先で突如闇が大きく動いた。
「……よく分かったネ? うまく隠れていたつもりだったのだケド」
――ばさり。
羽を翻す音が聞こえてくると同時に蝙蝠のような羽根が大きく左右に展開する。
頭には外側に曲がった特徴的な角。薄く笑う口元にはきらりと光る牙があり、後ろには黒く伸びた尻尾。
遥か昔に存在し、死した大地を生み出す原因となった人外。いつの時代も闇の象徴とされ、忌み嫌われた存在。
まさかとは思っていた。けれど本当に存在するなんて。かの存在は四季を司る神がその命と引き換えに完全に滅ぼしたと伝えられていた。
そのはず、だった。
神話の伝承で伝え聞いた格好そのままで現れた真なる黒幕に、私はぽつりと言葉を漏らした。
「――〝悪魔〟」
私の呟きに悪魔と呼ばれた存在はさも嬉しそうに口元を歪めた。
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