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18 そして事態は動き出す

 一週間後、満月の夜。

 竜の息吹が夜の雲を吹き飛ばし、南国の夏の夜に見事な月が浮かび上がる。そこから僅かにこぼれ落ちる月の光を浴び、満天の空を見上げて私は呟く。


「こんな時じゃなければ、お月見できたのに……」


 ポツリと漏らした言葉にルツが呆れた視線を向けてくる。


『早く片付ければいいだけじゃないか。ボクもこんな暑い夜に外出するの嫌なのに付き合ってあげてるんだからさっさと行くよ』


 毛だらけの猫の姿では常夏の国の暑さに耐えきれないと少年に変化した相棒は私を置いてずんずん進んでいく。

 私は慌てて「待ってよ!」とルツの後を追いかけた。


「それにしてもここ、凄いとこよね。マクガレン侯爵家が結構な資産家だとは聞いていたけれど、ティナダリヤ王家が所有する別荘より広いんじゃないかしら」

『貴族で資産家なら屋敷を大きくして裕福さを誇示するのも仕事なんじゃないの? でも今ここは使われていないらしいから、どちらにしたって宝の持ち腐れだよ』

「本当ね……」


 道を進んだ先に見えてきたのはそれは立派な邸宅だった。全体に白塗りの三階建ての屋敷で、セインブルクの特徴ある様式が使われている。ここはマクスター領主マクガレン侯爵家の令嬢が住んでいたという屋敷だ。


 彼女は小さな頃病弱で、それを心配したマクガレン侯爵が自然溢れる豊かな場所で療養を目的としてこの場所を建て、それ以降こちらを本宅としていたという。


 しかし『マクガレン侯爵令嬢の悲劇の死』以降、幽霊を目撃したという使用人が続出し、この場所が使われることがなくなった。夜な夜な彼女の部屋から泣き声が聞こえるという噂が今も後を絶たないのだ。


「二階の東側だったわよね」

『そう聞いてるよ』

「わかったわ」


 ルツに頷いて見せたあと、門をくぐり抜け表の玄関扉へ辿り着く。扉の前に着いたところでスカートのポケットから鍵を取り出した。フィンの協力を経て彼の口添えによりマクスター領主から許可を取り、借りることができた屋敷の鍵だ。

 その銀の鍵を差し込んで回すと、ガチャリという音共にギィ……と扉が開いた。


「さて、階段は……あった!」

『だいぶ古くなってるから踏み抜かないように気をつけなよ。万が一落ちたとしてもボクは助けないからね』

「それは酷くない?」


 ルツと軽口を叩きながら階段を上り、東側へ抜ける。

 窓から差し込む月明かりを頼りに真っ直ぐ進むと、白い扉が見えてきた。


「ここね」


 扉の前で一旦立ち止まると、妖精眼(グラムサイト)で扉の中を確認する。妖精を映す眼は扉を隔てた内部の様子すら全てをさらけ出し、ベッドと思わしき場所に座る人影を捕らえた。


「いるわね」

『やっぱりここに居たんだ』


 ルツと視線で頷きあって、扉に手をかける。

 立て付けが悪くなっていてギギギ、と固い音を立てながら開いた扉の先に妖精眼(グラムサイト)で見えた通りに、彼女はそこに居た。


 彼女は突然入ってきた私たちを見ることも無く、深いボロボロのフードに顔を埋めて、ベッドに座っている。

 まるで会えない誰かを思うようにその横顔は窓から見える月に向けられており、その小さな肩は小刻みに震え、月明かりにポタポタと透明な雫が零れ落ちるのが見えた。


 いつまでもそうしてじっとしている彼女は、一体どれだけの時間をここで過ごし、こうして涙を流し続けたのだろう――。


 成仏できなかった魂を歪められ、彼と同じように妖精へと変貌させられた。

 死して尚愛しい人の元へ向かうことを許されず、暴走し、自我を無くしていく彼を見ていることしかできない自分の無力さを嘆く彼女は、今日もまたその無念の思いを涙に変えているのだろう。


「アドリアナ」


 墓石に刻まれていた彼女の名前を呼ぶと、月を見上げていた彼女、アドリアナがゆっくりと振り返った。その動きに合わせて黒いフードに覆われた顔があらわになった。


 白い肌に、銀の髪。魂を拘束され、愛しい人の死を嘆く異形のバンシーとなった彼女の青い目からまた新たな雫が零れ落ちる。右手にはボロボロになったハンカチが握りしめられていて、膝に何かを大事に抱えているのがわかった。

 

「それが貴方の恋人であった騎士の首ね」


 首なし騎士(デュラハン)の首。呪いの要となっている首には妖精眼(グラムサイト)を通していくつもの黒い鎖が巻かれているのが視える。この鎖は全て呪詛で、扱い方を間違えれば全ての呪詛がこの地に降り掛かってしまうだろう。


『……』


 私の問いかけにアドリアナは言葉を発さず、ただ悲しそうに頷いた。気になり彼女の喉を視ると、そこに鎖が巻かれているのが見えた。

 恐らくこれは言霊縛り。彼女をバンシーへと変異させた何者かが彼女を支配下に置いて縛っている。服従で縛り付けられた彼女は役目を課せられここに留まっているのだ。


「貴女はそれを守護するように言われているのでしょう? その様子だと逆らえば目の前で彼を再び殺すと脅されているようね」


 再度問いかけると、アドリアナはこくりと頷いた。目の前に立ち、しっかりと見据えると、涙を零す眼を通して彼女の想いが伝わってきた。


 ――(アドリアナ)にとって望まぬ変異だったとはいえ、お互いに妖精として彼と生まれ変わることができた。再会はまだ叶っていないけれど、彼は確かに生きている。


 彼を救いたい。けれど逆らえば彼はまた死んでしまう。また彼を失うのが怖い。私にはどうすることもできない。私はまた無力だった。

 お願い、どうか彼を救って。助けて。


 泣き腫らした眼から伝わってくるアドリアナの想い。

 それは純粋に彼を恋い慕う心と、何もできない無力に対する葛藤だった。


「わかった。貴女の思いは受け取ったわ。けれど、まずはアドリアナ、貴女を救うことが先決よ」


 怒りが湧いた。どこまで人の思いを踏みにじれば気が済むのか。怒りが収まらなかった。死して尚苦しむアドリアナの儚い想いすら利用する黒幕に。


「大丈夫。貴女も彼もこれ以上苦しませたりはしないわ。妖精女王(ティターニア)の血を継ぐ者として()()()()()()()()()に手を出すなんて絶対に許さない」


 私の決意と共に妖精眼(グラムサイト)がその力を発揮する。即座にアドリアナに巻かれた喉の鎖が音を立てて崩れ落ちた。


「さあアドリアナ、共に行きましょう。今度こそ貴女自身の手で彼を救うのよ。大丈夫、私がついてるわ」


 アドリアナに手を差し出すと彼女は最初戸惑いの表情を浮かべた後、決意したように私の手を取った。


「さあ、彼の元へ行きましょう」


 ここからが反撃だ。黒幕の思い通りにはさせない。

 その地位を捨てたとはいえ、私は妖精眼(グラムサイト)を継ぐ妖精王オベロンと妖精女王(ティターニア)の末裔。


 どんな思惑があったかは知らないが、罪のない妖精(にんげん)を巻き込んだことを後悔するがいいわ――。

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