16 それはよくある悲恋の話
――それは物語ならばよくある、ひとつの悲恋の話。
夏の国セインブルク王国王都シーリャンに次ぐ第二の都とまで言われるマクスター領を治めるマクガレン家は、セインブルクにおいて侯爵の位を賜る貴族でも高位の家柄だった。
マクガレン侯爵は民思いで知られる温厚な人物で、領民からの信頼も厚く、良き領主として皆から慕われていた。ある夜、マクガレン侯爵家に子どもが生まれた。名家の一人娘として生まれた侯爵令嬢は愛する両親に囲まれ、領民に愛され、大事に大事に育てられた。
月日が流れ、令嬢でありながら跡取り娘でもあった彼女が年頃になり社交界に出ると、連日縁談を求める手紙が届くようになった。手紙の主は貴族から商家の子息まで様々だった。
マクガレン家に婿入りすれば豊富な資源と莫大な資産を継ぐことになり、尚且つそれらを賄うマクスター領を手中に治めることができる。
令嬢と縁談を求める手紙はそんな見え透いた薄汚い欲にまみれたものが殆どで、彼女は『資源と資産』についてくる付随物としてしか見られていないことは明白だった。
そんなことばかりで令嬢は貴族社会に嫌気がさし、社交界に出ることも少なくなった。
――自分を見てくれる人と結婚したい。
侯爵家の跡取りである限り結婚は避けられない。それは令嬢も分かっていた。けれど、できれば結婚するなら真に自分を愛してくれる人がいい。次第に彼女はそう願うようになり、本で読んだ恋愛に憧れを抱くようになった。
そんなある日、令嬢がお忍びでマクスター領の商店街を訪れると一人の若い騎士がお店の前で困った顔をしているのが見えた。その騎士は全身が傷だらけで、支給されたものと思われる騎士服もあちこちがほつれていた。
「あの、どうかされましたか?」
令嬢がなんとなく若い騎士に問いかけた。すると彼は振り向いてこう言った。
「どうも財布を持ってくるのを忘れてしまったみたいで。お腹が空いてるんですけど食べ物が買えないんです」
そう言った途端ぐるるる、とお腹から情けない音が発せられる。困ったように眉を伏せる騎士を見て、令嬢はおかしくて思わず笑い声をあげてしまった。
「あの、よろしければ私が立て替えて差し上げましょうか?」
「そんな。貴女のような若い女性に……と言いたいところですが、お願いできますか? もうお腹が空いて死にそうで……」
ぎゅるるる、と再び鳴るお腹を抑える騎士がおかしくて、令嬢はまた笑ってしまった。
それが、令嬢と若い騎士の最初の出会いだった。
若い騎士はマクスター領の港の警備の任に就いており、この日以降ことある事に二人は顔を合わせるようになる。
若い騎士はまだ見習いから騎士になったばかりの新参者で、先輩に鍛えられてはボロボロになり、いつもお腹を空かせていた。
時々抜けていて、素朴。しかし誠実で温かい人柄に令嬢はだんだん惹かれていき、いつしか二人は恋人の仲になった。
――この人と結婚したい。
令嬢はそう強く願うようになり、父であるマクガレン侯爵に彼との仲を認めて貰おうと直談判した。
しかし現実は無慈悲だった。
「――駄目だ。それは認められない」
相手はまだ騎士になったばかりの新人。それに対して自分は侯爵令嬢。身分があまりにも違いすぎた。
貴族として高位であるが故に、婿となる者にはそれ相応の釣り合う相手と結婚することを求められていたのだ。
令嬢は必死に食い下がったが、侯爵が二人の仲を認めることはなかった。それどころか二人が今後一切会うことがないようにと令嬢を屋敷に閉じ込め、騎士との仲を引き裂いてしまったのだ。
「ひどい……。どうして」
自分が侯爵令嬢である限り、跡取りである限り結婚しなければならないのは理解している。
けれどその相手すら自分で決めることはできないのか。
令嬢は嘆いた。しかし、そんな彼女にさらなる悲劇が訪れる。
「彼が……死んだ?」
屋敷に閉じ込められて一ヶ月、突然もたらされた訃報。それは想い人である若い騎士が鉱石の護送任務中に土砂崩れに巻き込まれ死亡したという報せだった。
令嬢と恋人の仲になっていたことでマクガレン侯爵によって左遷された若い騎士は、鉱山の鉱石を運ぶ仕事を与えられていたのである。
危険な坑道での任務。騎士が使った道は連日の雨で地盤が緩み、崩れやすくなっていたのだ。
「私のせいで……」
自分が好きにならなければ、彼は安全な港での任務を続けられていたはずだ。鉱石を早く届けるために危険な坑道を使うこともなかったはずだ。
勤勉な彼のことだ。仕事で功績をあげて私との仲を認めてもらおうと奮闘していたのだろう。
土砂崩れと共に遺体は川に流され、捜索を行ったものの見つからずじまいだったという。
形見として残されたのは、いつか誕生日プレゼントだと照れくさそうに笑った彼からもらったハンカチひとつのみ。
遺体すら残らず、騎士は死んでしまったのだ。
「私のせいで……」
――彼が死んでしまった。私が、死なせてしまった。
令嬢は泣き崩れ、部屋に閉じこもるようになってしまった。
それから僅か三日後。彼女はこの世を去った。
部屋には毒物を入れていたと思われるグラスがベッドの隅で砕け散り、彼女は床で倒れていた。騎士からもらったハンカチを胸に大事そうに抱えて。
――マクガレン侯爵令嬢の悲劇の死。
いつしかこれはマクスター領に伝わる悲恋の物語として、領民に語り継がれるようになった。
可憐で愛らしかった令嬢を憂いて、せめて死後は二人が結ばれるようにと、鉱山の片隅にひっそりと二人の石碑が建てられた。
♪♪
マクスター領主、マクガレン侯爵邸。
侯爵家らしい見事な邸宅の一角。今は誰も立ち入らず、かつて悲劇の死を遂げた令嬢が過ごしていたというその部屋で。
そこで彼女は今も悲しんでいる。
夜毎泣きながら、今ではもうくすんでボロボロになったハンカチを握りしめて。
愛するただ一人の騎士の亡骸の一つである首を胸に抱き、恋人が会いに来る日を、ずっと待っているのだ――
面白いと思ったら評価頂けると幸いです