7 行動開始しましょう
契約魔法によって妖精の加護を得て、本来の眼を取り戻したフィンは、私にひとしきりお礼を述べた後、仕事へと戻ってしまった。
私は一人でソファに座るとカップに残っていた紅茶を飲み干し、ぼんやりと窓から見える空を眺める。
フィンはこの部屋を出る直前まで私に感謝し、実に素敵な『お礼』までくれた。
「――では、私は任務があるのでこれで。この部屋はここに滞在する間は使ってくれて構わないよ。重ねてのお礼だ。費用は全て私が持とう」
「いいんですか!?」
「私の眼を治してくれた恩に報いるにはこれでは安いくらいだ。今度時間ができた時に改めてお礼をさせてくれ」
「い、いえ、もう十分です!!」
となおも言い募ろうとするフィンを慌てて制し、ブンブンと首を振る。
馬を治療したお礼だけでも相当凄いのに、眼を治したことで宿代まで出してくれるという。
しかもこの宿はマクスター領で一番上等な場所であり、一泊だけで相当なお値段がかかる最上級の部屋だ。
それにタダで泊まっていいというのだ。なんという幸運。
慰謝料という名目でこれまでルドガスに奪われ続けてきた側妃と第二王女の資産はきっちりと私に相続されたので、当分旅費にも困らないが、この後の自身の計画も考えればなるべく温存しておきたかったので、有難い申し出だった。
「こんな素敵な部屋に泊まらせていただけるだけで十分ですから。好意に甘えさせていただきますね」
「そうか……。君がそう言うなら。ではこれで」
「はい、ありがとうございました」
ちょっとしょんぼりした様子のフィンが外に控えていたシャンスさんを連れて出ていくのをにこやかに見送って、優雅に一人ティータイムを楽しむ。
そうして部屋に静寂が訪れると、それを待っていたかのようにルツがテーブルに飛び乗って、私を見上げてきた。
『シャル、気づいてる? フィン・ルゼインってやつ、あれ偽名だよ』
「ええもちろん。気づいてるわよ」
『よかったの? 何も訊かなくて』
「いいのよ。偽名を名乗っているのは私も同じだし、何より上の身分であればあるほど色々事情があるものだから」
『契約魔法』は相手に自分の全てを晒す魔法でもある。本来『契約魔法』は信頼によって成り立つ魔法だからだ。人と妖精が交わす『契約』は単純なものではない。相手に自分の全てを託し、捧げる。本来はそう在るべき、そうやって成り立つものが『契約』と呼ばれるからだ。
そしてその『契約魔法』を第三者の媒介によって行う場合、術の行使者にはある程度の契約する対象の情報が流れ込んでくる。
深部までは覗けないが、ある程度の情報は知ってしまう。それ故に仲介者は沈黙を守る義務が課せられるのだ。
「彼が誰であろうと、フィンはフィンよ。本名が明かせない理由があるのなら、それを尊重しなくてはいけないわ」
何よりこんな上等な部屋をタダで泊めさせてくれるし、美味しい紅茶までくれた。
騎士団の団長で、あんなにも礼儀正しく紳士的である彼が私に悪事を働くはずがないわ!
「美味しい紅茶を嗜む人に悪い人はいないってお母様も言ってたもの!」
『何それ、どういう理屈?』
呆れた、と息をつくルツを尻目に私はパン、と手を叩いて思考を切り替える。
「まぁ、そんなことはどうでもいいじゃない。さて、予定がちょっと変わってしまったけれど宿は確保できたのだから、早速グスタフの依頼をこなすとしましょう」
『鉱山の件だっけ。どうするの?』
尻尾をゆらゆら揺らしながら聞いてくるルツの背中を撫でつつ、私は少し思案する。
ドワーフ達の安否の確認と調査、と言ってもどこから手をつけたものか。
調査と言ったらまずは基本から。ということは。
「ドワーフが住む鉱山で魔物が出るってことだったけれど、どんな魔物かまでは聞いてなかったわね。そんな状態で鉱山の麓に住むドワーフ達に会いに行くのは危険だわ。万が一ってこともあるし。まずは情報収集しましょう。この街の人達なら魔物について詳しく知ってるかもしれないわ」
『それもそうだね。聞いた方が早いかも。ドワーフ達に会いにいくのは妖精の道を使えば早いかもしれないけど、魔物が出ないとは限らないし』
「と、なったら早速調査しましょう!」
飲み終えたカップをソーサーに戻した私は、傍らに置いた鞄から必要最低限の荷物だけ取りだし、腰のポーチに入れる。
鞄はそのままにして、念の為魔法でロックをかけてから部屋の扉にも同様の魔法で施錠をする。宿を出て、ケープのフードを被ると、肩に相棒のルツを乗せて私は地図で確認した一番近い通りへと向かう。
「そういえばお腹空いたかも。屋台で何か買おっか」
『ボク鶏肉の焼き串が食べたい』
「塩味のやつ? 本当にルツは大好きよね」
『あっさりとしたシンプルな味の方が肉の旨味をしっかり味わえるんだよ』
「そうなの?」
軽口を叩きながら通りを目指して元気よく歩き出す。
ティナダリヤ王国を抜けてから初めて訪れる国。私にとっては未知の冒険とも言えるそれに心を震わせながら力強く一歩踏み出す。
楽しみで仕方がなかった。これからどんな出会いが私を待っているのだろう。
期待に胸をふくらませて歩く私は、少し離れてこちらを影から着けてくる黒い人影にも気付かず、これからの出来事に呑気に思いを馳せていた。
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