5 シアンとディズ 前編
お待たせしました。
私、シャル・ロゼルタはマクスター領へと向かう途中に立ち往生している馬車に出会った。
突然馬が失神するという異変に見舞われ、これも何かの縁だと治療をしていた。そして馬車の中から現れたのはフィン・ルゼインという名の恐らく高位貴族と思われる青年。
セインブルク王国第三騎士団の団長と名乗った彼は、人を魅了せずにはいられない美貌を持ち、一見穏やかで優しそうな人柄である。しかし、それに不釣り合いなほどの強力な力を感じさせる彼の両目は明らかに普通のそれとは異なるモノだった。
妖精を映し出し、交流を可能とする特殊な眼である妖精眼を持つが故に偶然にも見抜いてしまった私は、フィンのはからいで馬車に同席することになり、マクスター領へと足を踏み入れた。
……の、ですが。
――何故か私は今、マクスター領で最も高価な宿の、最も豪華で上等な部屋のソファに座り、優雅にティータイムを楽しんでいます。
「……どうしてこうなったのかしら」
「ん? この紅茶、気に入らなかったかい?」
状況を整理しようとした結果、混乱が増した。困惑気味にポツリと漏らしたこちらのセリフを聞いて、対面でにこやかな笑みを浮かべたフィンが問いかけてくる。
その手に持っているのは可憐な金の縁取りの細工が施されたティーカップ。中に入っているのはローズの香りがする甘い紅茶で、同じものが私の目の前にも置かれている。
私はカップを手に取り、フィンの問いに首を振って答えた。
「いえ、紅茶は美味しいです」
「そうか、なら良かった」
そう、紅茶は美味しいのだ。
かつて底辺生活をしていた名だけの王女だった私でも知っている有名な銘柄のもので、ティナダリヤでも貴族が好んで飲んでいる。妹のエルルカが大好きな紅茶だ。
だが問題はそこではない。それは今どうでもいいのよ。
「それで、どうして私はここに招かれたのでしょうか?」
紅茶を一口飲んでから告げた私の言葉に、フィンはすぐには何も言わない。優雅な所作でカップをソーサーに戻し、再度こちらに目を向けた。
紫水晶の硬質な輝きを帯びた瞳が、文字通り私を射抜く。
「そうだね。まずは改めて。馬を救ってくれてありがとう。紅茶はそのお礼のつもりだ。十箱ほど取り寄せたものがあるから、感謝の印として後で受け取ってくれ」
「は、はい……」
確かこの紅茶は一箱だけでも金貨十枚はしたはず。それを十箱も。太っ腹過ぎるわ……。
内心で冷や汗をかきながら頷くと、フィンは満足気に頷いて、スっと目を細めると、声を落とした。
「もうひとつは私のこの眼のことだ。なるべく人には聞かれたくない話でね。人払いができるようにこちらで部屋を用意させてもらったんだよ」
フィンの人の良さそうなにこやかな笑みが消える。こちらを冷静に観察している紫の目を見据え、負けじと睨み返す。
「そうですか。それで私を詰問するためにこちらに招いたのですね」
しれっと嫌味を乗せた言葉に、フィンが破顔した。
「詰問、という程ではないんだ。ただ、私の眼は少し複雑な事情があってね。ところで……君にはこの眼がどう見える?」
フィンの問いかけに、私はじっと紫の双眸を覗き込む。
不思議な光を放つフィンの眼は綺麗だ。ここまで魅了されずにはいられないほどの綺麗な眼は初めてみた。だからこそ、こう言える。彼の眼は綺麗すぎるのだ。まるで――人の手を加えられ、磨き抜かれた宝石のように。
「そうですね……硬質な輝きを持った、まさに紫水晶のような宝石。人の手によって加工された精巧な作り物のように見えます。恐らく無理やり何かを封印して、そうなった……。それでも抑えきれないほどの強大な力があなたから発せられていますね」
私の言葉に、フィンがその目を見開く。
彼の反応から見て、どうやら私の見立ては間違いではなかったようだ。
「そうか。そこまで見抜かれているならば、隠しても仕方ないな」
そう言って、フィンは自分の眼に関する秘密を打ち明け始めた。
フィンの一族はセインブルク王国でも最も古い家柄で、彼はいわゆる名家の貴族の子息なのだそうだ。
セインブルク王国は元々、炎竜と水竜が永く続いた争いに終止符を打つためにそれぞれの竜王が友好を結び、生まれた国。彼らの始祖は竜王たる炎と水の竜であった。
互いの竜王は友好関係を結んで以降、やがて恋仲になり、子どもが生まれた。彼らは子どもの誕生を喜び、それぞれが加護を授けたという。
後に『竜王の加護』と呼ばれるそれは子どもが生まれる度に継承され、水竜王と炎竜王の加護として、能力となって現れるようになった。
炎竜王の加護ならば、手振りひとつで灼熱の炎を呼び出し、水竜王の加護ならば、旋律を奏でることで雨を降らせて天候を操るといったそれぞれの竜王の能力が必ずひとつ、子孫に継承されるようになったのだ。
しかし稀に、それぞれの『竜王の加護』を授けられる人間が生まれることもあるという。
炎と水。互いに相反する能力を『加護』として継承し生まれた子どもは、片方の加護だけを授けられた子どもよりも強大な力を持って生まれる。
フィンは炎竜王と水竜王、両方の加護を持って生まれたらしい。それだけならまだ対処法があった。しかし彼が受け継いだ加護が竜王の能力で最も強力な『眼』の能力であったことが問題だった。
竜の『眼』は魔力が一番集中している場所であり、最も能力が顕著に現れる場所。フィンが受け継いだのは竜の中でも最も強大な力を持つ『竜王の眼』の能力。
幼いフィンはその強すぎる眼の力を制御しきれず、能力暴走を起こしていた。
小さな身体にはあまりにも負担が大きい強すぎる力。
フィンの両親は彼のその強大な力を封印するために国で一番優秀な魔術師を呼び、封印の術を施した。
それこそが今のフィンの状態。
封印によって青と赤が混じり合い、紫になってしまった彼の眼。
一流の魔術師が現存する最強の術を施して尚、完全に封印することはできなかった。
それでも幾分か抑えられた力と、フィン自身が努力の末に獲得した緻密な魔力制御により、今では滅多に暴走は起きないのだという。
「この『眼』は人の身には過ぎた力だ。かつて私はこの力を制御しきれず、大事な弟に決して癒えない傷を負わせてしまった。あの悲劇を二度と繰り返したくない。こんな力、私は望んでいなかった。無ければよかったんだ。私はこの眼が……大嫌いだ」
俯き、拳を握りしめ、ギリギリと歯噛みするフィン。ゆっくりと息を吐き出し、皺深く寄せた眉根。苦しそうに『悲劇』と呼んだ光景を思い出すその姿が、いつかの自分と重なった。
妖精女王の証である妖精眼を持って生まれたが故に母様を苦しめ、要らぬ争いを生まないために力を隠すしかなかった無力な頃の王女に。
救いたいと思った。
自分と同じように特別な眼を持つ彼を。
特異な力を望まずして得たことに苦悩する彼を。
今の私はもう無力な頃の自分ではない。救う術があるのなら、それを知っているのなら、手を差し伸べるべきだろう。
「私も多少特異な眼を持っています。ですから、貴方の気持ちが少しは分かるつもりです」
ゆっくりとフィンに歩み寄り、固く握られた拳にそっと自分の手を乗せる。血の気を失って白くなった拳から、彼自身が持つ『眼』の力にどれだけ苦悩していたのかが分かる。
だからこそ、教えたい。
この力は決して不幸を招くためのものではないと。
全てのことには意味がある。
だから、きっと。
貴方がその眼を持って生まれたことにも、なにか意味があったはずだ。
「私ならば、貴方の眼を封印せずとも完全制御する術を授けられると思います」
私の言葉に、フィンがばっと顔を上げる。
「それは本当なのか? そんなことができるのか!?」
信じられないといった面持ちの彼に、私は力強く頷いてみせた。
「はい。〝彼ら〟の力を借りれば、可能です」
「〝彼ら〟……?」
首を傾げるフィンに、私は構わずに後ろを振り向く。
そこに控えてもらっていたとある妖精たちに妖精眼を向け、ティナダリヤの古い妖精語で呼びかけた。
『おいで、可愛い子たち。その可憐な姿を見せて』
古い妖精語を起因とした妖精魔法が発動し、春色の眼で写した彼らが具現化する。
フィンの前に火蜥蜴姿の炎の妖精と、小さな少女の姿をした水の妖精が現れた。
「なんだ、どこから現れたんだ!?」
『ヤット気ヅイテクレタ!』
『ドッキリ成功!』
突然の出来事に驚いて困惑するフィンをよそに、マイペースな妖精たちは悪戯が成功したことを喜んで、彼の周りを飛び回った。
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