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閑話 碧玉(エメラルド)のペンダント

 それは私がティナダリヤを出発する三日前のこと――。

 とある人物に呼び出された私は、洞穴の奥深くにある妖精界のドワーフの住処(すみか)へと向かっていた。


「本当にここは迷子になりそうよね」

『迷子になっても知らないからね。きちんと着いてきてよ』

「分かってるわ」


 先導するルツがユラユラと揺らす尻尾を見つめながら、洞穴の薄暗い道をひたすら歩き続けること数十分。ようやく視界が開け、目的の場所へ辿り着いた。


 ルツの案内で再びここにやって来た私はドワーフ達に熱烈な歓迎を受けながら、呼び出し主であるグスタフの家にたどり着くと、扉をノックする。


「グスタフさん、参りましたー!」


 声をかけると数秒と待たずに声が帰ってきた。


「ああ、待ってたよ。入ってくれ」

「はい、お邪魔します」


 いつもの嗄れた声を聞きながら扉を開けると笑顔のグスタフに迎え入れられた。


「おう、よく来てくれた」


 眉間の皺は相変わらず深いけれど、以前訪れた時の小難しい表情とは違う満面の笑み。こうしてみると彼はなかなか愛嬌がある顔立ちだ。

 そんなグスタフに誘われてテーブルに着いた私は早速用件を聞き出すことにした。


「それで、ご用件とはなんなのですか?」


 用意された紅茶を口に運びつつ問えば、グスタフは真剣な表情をして話を切り出した。


「そこの()()()から聞いたんだが、姫様は国を出たあとセインブルクに行くそうだな」

「はい。その予定です」

「そうか。それで……その、セインブルクに行く予定ならついでに一つ頼みというか……依頼があるんだ」

「どんな依頼なんですか?」


 歯切れ悪いグスタフの口調を疑問に思いながらも続きを促す。


「セインブルクの王都に行く途中にあるマクスターっていう領地を知ってるか?」

「はい、勿論。有数の鉱脈地帯ですよね。鉱石の採掘量はセインブルク最大を誇るとか」


 夏の国セインブルクの南西に位置するマクスター領。

 鉱山地帯に囲まれた土地で、豊かな水源にも恵まれ、鉄鋼業を始めとする鉱石加工で目覚しい発展を遂げているとか。


 特にゾフラース鉱山から産出される鉱石は質が素晴らしいと評判で、王城の西の区画にいる鉱石の研究者が欲しがっていたのを覚えている。物凄く高値で取引されているから手が届かないと嘆いてもいたけれど。


「そうだ。そのマクスター領に知り合いのドワーフ達が住み着いていて鉱石を融通してもらってるんだが、最近その鉱石が届かなくなってしまったんだ」


 曰く、数週間前からマクスター領に棲むドワーフ達から定期的に仕入れている鉱石が届かず、仕事が滞ってしまっているのだという。このままでは仕事ができないと不安の声が上がっているので、私に様子を見てきて欲しいのだそうだ。


「報せによると突如強力な魔物(モンスター)が出現して鉱山を荒らし回っているんだと」

魔物(モンスター)ですか……」


 魔物(モンスター)は、はるか昔に存在したという〝悪魔〟の残滓と言われており、理性を持たず本能のままに暴れ回って災害を振りまく存在である。

 妖精王オベロンの加護があるティナダリヤでは殆ど出現報告がなく、私も実物は見た事はない。


 そんな厄介な存在が鉱山で暴れ回っているというのなら、確かにグスタフの心配も尤もだ。

 マクスター領にいるドワーフ達の安否も気になるところ。魔物(モンスター)については警戒しなければならないけれど、魔物のテリトリーである鉱山に入らなければ大丈夫だろう。


 そう判断して、私はグスタフの依頼を受けることにした。


「分かりました。マクスター領に寄ってみます」

「恩に着るぜ、姫様」

「いえ、セインブルクの王都に向かうならマクスター領は丁度通りますから」

「そうなのかい」


 グスタフはホッとした顔を浮かべた後、何かを思い出したらしくポンと手を叩いて、懐を探り始める。

 そして小さい小箱を取りだし、私に差し出してきた。


「あぁ、そうだ。用はそれだけじゃないんだ。()()を姫様に渡そうと思ってな」

「なんですか? これ」


 差し出されたものを受け取り首を傾げる私に、グスタフはただ「開けてみな」と手を振った。

 とりあえず彼の言う通りに小箱を開けると、中には小ぶりにカットされたエメラルドに繊細な銀細工があしらわれた、なんとも可愛らしいペンダントが納められていた。


「……これは?」


 光を受けてキラキラと輝くエメラルドのペンダントを持ち上げて尋ねる。


「それは姫様がドレスの取引を持ちかけた時に貰った〝緑の貴婦人〟の宝石から作ったものだ。聞けばこれは母親の形見でもあるんだってな? だからあの宝石の一部だがこうして身につけられるようにしてみた」

「……!!」


 グスタフの言葉に私は息を呑んだ。

 母が私の結婚指輪にと残した唯一と言っていい形見。〝緑の貴婦人〟を手放したことは後悔していなかったが、まさかこんな形で返ってくるとは思わなかった。

 母との思い出があるから形見なんてなくても大丈夫だとそう思っていた。いや、今もそれは変わらない。


 けれど。


「……ありがとう、ございます……!」


 大粒のエメラルドの原石から、一流の腕を持つ名匠によって小さくとも立派なペンダントとなって帰ってきた母の形見を胸に抱える。

 それ以上は言葉にならない。言葉を紡げない。


 嬉しくて堪らなかった。零れ落ちそうになる涙を必死で押しとどめて、グスタフに笑顔を向ける。

 この場で涙は相応しくない。浮かべるなら笑顔だ。


「本当に、ありがとう。とっても嬉しいです!」


 再度お礼を言えば、グスタフはうっすらと赤くなった頬をかいて、顔を背けた。


「いや、礼はいいぜ。それにお礼を言う相手は別にいると思うぞ。姫様」

「え……?」


 キョトンとすると、背けていた顔をこちらに戻したグスタフが、意味ありげに目配せして窓の方を指さした。

 訳が分からないながらも窓の方へ視線を向けると、そこには我関せずで風景を眺めているルツの姿が。


 ますますキョトンとする私にグスタフは近づくと小声で教えてくれた。


「あの宝石が形見だって教えてくださったのはルツ様なんだ。それにペンダントの()()もあの方から既に頂いてるから、持って帰ってくれ」

「ルツがそんなことを……?」


 そういえばルツは私が母の形見を手放したことを気にしていたような素振りがあった。

 私は別に気にしてないと言ったのに。影でこんなことをしていたなんて。


 普段はツンケンしているルツだが、たまにこういう思いかげないサプライズをしてくれる。

 そんなツンデレな相棒の最高のプレゼントに、私はさらに嬉しくなって窓辺に寝そべっているルツに駆け寄った。


「ルツ! 見てこれ、グスタフさんに頂いたの。どう、似合ってる?」


 ペンダントをつけてルツに見せると、相棒は目線だけをこちらに寄越して、すぐに逸らした。


『ふぅん。……似合ってんじゃない?』

「そう? ルツがそう言うなら似合ってるんでしょうね。ありがとう!」

『ふーん、よかったね。それで用は終わったの? ならボクもう帰りたいんだけど』


 そう言ってふわあああ、と大口を開けて退屈そうに告げるルツ。相変わらず言動はツンケンしているけれど、長年の付き合いで私にはわかった。


「そうね。じゃあこれで失礼させて頂きますね」

「ああ、またな」


 グスタフに別れを告げ、私はルツと共に小屋を出た。


『やっと帰れる』

「ごめんね、待たせて」

『別に』


 先導するルツに連れられて来た道を戻る。

 先程と何一つ変わらない光景だけれど、少しだけ違う点があった。


 一つは、私の首元で揺れるエメラルドのペンダント。

 そしてユラユラと()()()()揺れるルツの尻尾。その毛先と自慢のヒゲが何本か消えている理由について、私は気づかない振りをした。



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