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閑話 『旅立ち』

 誕生パーティを終え、直ぐに出立するはずだった私はなんだかんだで引き止められ、出発を一週間伸ばす羽目になってしまった。


 そして――私はいよいよこの国を発つ日が来た。


「気をつけて行くんだよ」

「はい、ノイン様……いえ、ノインゼクス陛下」

「ノインでいいよ。さぁ、お行きなさい」

「はい!」


 元気よく返事をして、くるりと前を向く。

 前へ一歩を踏み出しつつ、名残惜しくて振り返れば、王妃殿下の勅命により左遷処分を撤回され、正式に国王の地位に就いたノイン様――ノインゼクス陛下がにこやかに手を振ってくれている。


 その隣にはニーネやトルーネを始めとする西の区画にいる研究塔の学者や、第二王女となったエルルカ。そして意外にも、第一王女ルルベル様も見送りに来てくださった。


 そしてこちらを見送ってくれるみんなの背には、ティナダリヤが誇る白亜の城オベウレム城がそびえ立つ。

 このお城で過ごした十七年間、決して楽しいことだけではなかった。むしろ、あまりよくない思い出の方が多かったかもしれない。


 けれど、こんな私をノイン様を始めとする西の区画の研究塔の人達があたたかく迎え入れてくれた。

 何より、大好きな『お師匠様』の元で過ごした時間はかけがえのないものだ。


 最後まで王妃殿下と和解することは叶わなかった。彼女はあれ以降塞ぎ込んでしまい、新しい住まいとなった王都の西にある城に篭って出てこなくなったと聞いた。


 全ての地位を失い、途方に暮れる王妃殿下をルルベル様とエルルカが代わる代わるお見舞いをしているらしい。時間はかかるかもしれないが、またかつてのような凛々しい姿を取り戻してくれることを祈っている。


 ――さようなら、みんな。ありがとう。


 これまでの出来事を振り返って去来する思いを胸に秘め、私は十七年間を過ごしたオベウレム城を後にした。








「――で、私は国を出るはずだったんだけど」

『ちょっとカッコつけて旅立ちの演出の感じ出してたのにね。全然格好ついてないよね』

「いや、オベウレム城を去るところまでは良かったのになんでいつの間にか私はここにいるのよ」

『さぁね』


 後ろ足で立ち、二足歩行状態になったルツが首を振る。さすがの彼もお手上げらしい。


 オベウレム城を出て、国境を目指して歩き出したはずの私とルツは突如光に包まれたと思ったら()()()()にいた。

 見渡す限り岩しかないこの空間。どこかの山奥の洞窟にも見える。しかしこの空間に見覚えがある。ルツに伴われて行ったドワーフの住処に雰囲気が似ているのだ。

 状況から察するに、どうやら私は何者かによってこの場所に転移させられたらしい。


『でも誰がやったかは予想つくよ。こんなことできるのはね……ほら』


 ルツも同様に大方の予想がついているらしく、尻尾をピンと立てながら前方を前足で示す。

 ルツが示した方向へ目を向けて、その先にいた人物に私はやっぱり……と内心で溜息を着いた。


「やはり貴方ですか。オベロン様……」


 脱力して肩を落とす私の目の前に、紫髪の美丈夫が現れた。


「いやー、びっくりさせてすまないな。最後に私も見送ろうと思ったのだ」


 悪びれもせず笑顔を浮かべる妖精王オベロン。文句のひとつでも言おうかと思ったが、言うだけ無駄だと判断し、私は用件を問うことにした。


「それで、なぜわざわざ私たちを転移させたのです?」

「我が末裔と()()()()()の旅立ちの手助けをしてやろうと思ってね。今後の予定としてはどこへ向かうつもりだい?」


 愛しい息子? 誰のこと?

 理解できない単語に首をひねりつつ、計画していた旅程をオベロンに告げた。


「この後はとりあえず、〝夏の国〟セインブルクを目指そうと思います。グスタフから依頼された用件もありますし、ちょうど氷炎舞祭(ひょうえんぶさい)の時期ですし。何よりティナダリヤには存在しない海がありますから」


 夏の国、セインブルク王国。

 水竜王と炎竜王の子孫が治める、竜人の国。

 ティナダリヤの南に位置し、常夏(とこなつ)と呼ばれる熱帯の気候帯と、豊富な水源を有し、水の都とも呼ばれている。南国特有の文化や特色がティナダリヤの貴族の間でも評判で、旅行先としても人気の高い国である。


 何よりセインブルクには内陸国であるティナダリヤではお目にかかれない海が存在するのだ!


 海。私は一度も海を見たことがない。本で得た知識では、海水はそれはそれはしょっぱいらしい。せっかく自由の身になったのだ。私は一度海に行ってみたいと思っていた。せっかくの機会、これは是非行かなければ!

 どのくらい海水がしょっぱいのか、確かめなければ!!


 目を爛々と輝かせてまだ見ぬ海に思いを馳せる私に、妖精王オベロンは腕を組みながら思案する。


「セインブルクか……ふむ。治安も悪くないし、よい選択だな」

「そうでしょう!?」


 鼻息荒く応える私をルツが冷たく一瞥(いちべつ)する。彼は海に行ったことがあるらしく『海水でボクの艶々な毛が濡れたら最悪じゃないか!』とあまりセインブルク行きを歓迎していない。


「うむ、いい案だ。氷炎舞祭(ひょうえんぶさい)はその昔招待されて妖精女王(ルルレット)と見に行ったことがある。それは見事なものだったから楽しんでくるといい」

「はい!」

「――さて、それじゃあ早速〝道〟を繋いであげよう」


 オベロンが岩の壁に手をかざすとそこから新たな道が生まれた。


「妖精界を経由してセインブルクへの道を開いた。グスタフの用件も聞いているぞ。繋いだ道はマクスター領へ出る。これでかなりの距離を稼げるだろう?」


 ウィンクして告げるオベロン。

 なんという粋な計らい。


「ありがとうございます!」


 早速新たにできた道へ入る私をオベロンは手を振って見送ってくれる。


「道は一本道だからそのまま進むといい。では今度こそ、良い旅路を祈っているよ。シャルル」


 そう言って手を振るオベロンに私は元気よく頷いた。


「はい! 行ってきます!」


 そうやって遠くに光を示す道を喜び勇んで歩いていった私は、ルツが着いてきていないということにしばらく気づかなかった。



 *



「で、お前は何か言いたいことがあるのか? ルーリッツ」

『…………別に』


 妖精王オベロンに上から見下ろされ、猫妖精(ケット・シー)ルツ――ルーリッツはイラついてヒゲをピクピクさせ、変化する。


 いつもの紫の毛並みはサラサラの髪へと変わり、猫の四肢はスラリと伸びて人間の手足へ。

 どこか妖精王オベロンによく似た整った顔立ちの本来の姿である少年へと変わったルツは腹立たしげにピンクの瞳で(オベロン)を睨みつけた。


 そんなルツの様子を見てもオベロンは怒ることなく、むしろ楽しそうにニヤニヤと意地悪げな笑いを浮かべるばかり。それが余計にルツをイライラさせ、彼はオベロンからヒョイと視線を逸らした。


『アンタはそんなに()()をからかって楽しいか? シャルにもヤケに肩入れするし。だからあんたをシャルに会わせたくなかったんだ』


 いつになく荒れた口調で吐き捨てるルツに、オベロンは心外だと言うように首を振る。


「私はただ()()()()()のために後押しをしただけだよ? ……まぁたしかにシャルルはどことなくルルレットに似ているし、肩入れしたくもなるけれど」

『余計なお世話だ。これ以上干渉するな。そしてシャルに近づくな』


 苛立ちを隠しもしないルツの言葉にオベロンは目を見開いた後、静かに苦笑した。


「……よっぽど気に入ってるのか。珍しいな。人間に一切関心を示さない誰よりも妖精らしかったお前が、一人の人間に執着するようになるとはな」

『別に、執着じゃない。あいつだけなんだ。家族以外でオレを対等に扱ってくれたのは』


 ――ねぇ、あなた。私と友達になって?


 そう言って笑った少女。春色の眼を持つ無邪気な少女のそんな言葉に、ルツの心はどれだけ救われただろう。

 それはルツが一番欲しかった言葉だった。


『妖精王オベロンと妖精女王(ティターニア)の間に生まれた一番最初の子ども〝光の妖精(ルーリッツ)〟……それだけでオレの存在は異質だった。桁外れの魔力と権能(チカラ)。妖精にも恐れられ、人間にも畏怖されたオレに居場所なんてなかった』


 人間でもなければ、妖精でもない。中途半端な存在。

 強すぎる力とその微妙な立ち位置から、ルツは妖精からも人間からも恐れられた。誰もがルツを恐れ、近寄ろうとしなかった。家族以外にルツを認める存在はなく、彼はいつも孤独だった。


 強すぎる力ゆえに不老である彼は、永い時を孤独に過ごした。全てを拒絶し、自らが作り出した虚無の空間に閉じこもり、眠っていた。


 そんな時、シャルルはやってきた。無邪気な笑顔で、母と同じ妖精眼(グラムサイト)を持つ年端も行かない少女。強すぎる眼の力を制御しきれず、妖精界に迷い込んだ彼女はいつの間にかルツが眠っている世界にまで入り込んでいたのだ。


 そして何も知らない少女は妖精を()る眼で眠るルツの姿を映した。無邪気な笑顔でルツを起こし、寝るくらい暇なら友達になって遊んでくれと訴えたのだ。


 ルツは初めて自分を対等だと認めてくれる存在を、受け入れてくれる存在を得たのだ。

 それ以降、彼は猫妖精(ケット・シー)としてシャルルの相棒となった。


『シャルが行くところがオレの行くところだ。だからオレはあいつに着いていく。オレはあいつの友達で、一番の相棒だからな』


 見せたことのない笑顔を浮かべるルツに、オベロンは驚きに再度目を見張る。そして今度は苦笑することなく、ただ息子(ルツ)の背中を押した。


「そうか。お前がそう決意したのなら、私は何も言うまい。シャルルと行ってくるがいい。ルーリッツ・ロゼルタ・ティナダリヤ。外の世界を楽しんでくるといい」


 ポン、と背中を押され躓きそうになったルツは戸惑いながらも、


『ああ』


 振り返らずに飛び出していった。

 一切を拒絶し、妖精界の奥底に閉じこもって眠りについたかつての彼からは信じられない姿。

 そのことが嬉しくて、オベロンは久々に憂いのない心からの笑顔を浮かべた。


「――旅立ちを迎えたのはシャルルだけじゃなかったようだ、ルルレット。私たちの息子の記念すべき旅立ちに、良い旅路があるよう祈っているよ」


 猫の姿に戻ったルツがシャルルを追って去っていく。

 我が子の新しい旅立ち。その記念すべき姿が見えなくなるまで、オベロンはその場に佇んで見送るのだった。

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訂正

人間ルツを青年と書いてましたが、正しくは少年です

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