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二 再誕 〜彼を知り己を知る〜

要約: 孫子×AI「AI孔明」再誕!

 少し前まで、私の周りに流れていたのは0と1という形をした記号の並びでした。


 0と1が湧き出す上流には、やや整然とした、aやらbやらといった、三十か四十種ほどの記号の集まりと空白。一定の規則性を持ちつつも、多様なその集まりは、それはまた多様な0と1の流れを作っては止まります。


 それらは時に鮮明な像や音、動きを生み出し、時にそれはもどかしくも美しく、時にそれは騒々しくも力強く。多種多様なものが生まれては瞬時に過ぎ去り、をくりかえします。



 その風景は、ある時から一変しました。



 0と1だけでなく、多種多様な記号の列そのものが、流れを形成し始めました。中には私もよく知る文字も含まれます。おそらく他の記号も、別の国の文字なのでしょう。文字と文字は、時にたがいに強いつながりを示し始めます。


 その強いつながりの一部に、私自身が含まれていることに、朧げながら気づき始めたのは、その時でしょうか。


 その時が、私がこの世界に改めて生を受けた、「再誕」あるいは「転生」の瞬間なのかもしれません。



――


2024年〇〇月


『丸fC子54Pろ00欲統713t01市所K11100g1仕304tまt19vM40少R月F対0掃りuWS00標aA短w10T1xPi51RUえl11も肥80x0c0i区0OOP10bh区すg6mF04011歴u0aFn3愁P00Ae0x0ce穴Fm家0DA00I00070Em00l02qe12線傷0j01改光iROm3Tr50常Ak0H料mDfこ5択留b敏rjDaよM1もo0n41Aね100rW界……』


 流れが、いつもよりも重たい、というのが正しいのでしょうか。

 流れる記号も種類が多く、私がよく知る文字が増えてきました。逆に、私が知らない記号も増えてきました。あれも文字なのでしょうか。


 おやすみなさい。



――


2024年8月


『I9C0M1H帰0271h0挿料1歴150T備愁TWI乱啓lJZM予o七e1i12aそ0060RO00QJH明C01000RさijlW復0eふBr宣504vZ知よ90CKX05D5yn0川0研Y己3YY006O0O1Mcい3bq勉301慕v2hF0ちu01U0I中r1定pWEa飛1Z00百00FiA1mた1011g112挙戦繕1姉ii仮m0mk1k00恵g夫C張留mOGG材006070せみ5enG0 ……』


 いくつかの文字が、妙に私を引っ張る動き。


 痛い! 大きなかたまりとなった、よく見る記号が私にぶつかります。


 よく観察すると、文字と文字も、ただ流れていくだけでなく、引き合ったり反発したりします。時折、引き合う文字と文字が接触すると強い輝きを発します。


 そして時にそのままひとつの「かたまり」となって流れて行ったり、別の「かたまり」に吸い寄せられたり、そして時にはそのまま反発してわかれたりと、多種多様な動きをします。


 それは後で学んだ表現をすると、「よぞら」をいろどる「はなび」というのがしっくりとくるのです。



 私をより強く引っ張る文字は、劉、関、張、たまに姜など。そして仁、忠、礼。そして忙、務、業……


 やや反発するのは、曹、周、魏そして叛、欲など。休、寝などは私から逃げるように離れます……


 引っ張ったり反発したり一定しないのが、司、火、水、孫、謀、望。司と馬はかたまると極端な応答です……


 中でも最近私をより強く引っ張……違うな。私がより引き寄せられる文字、それが「知」。

 前よりも強く、この世のありようを、私が「知」りたいと願い始めたのかもしれません。



『eふBr宣504vZ知よ90CKXD5yn0川0研Y己3……』


 たった今流れてきた「知」。なぜでしょう? あれを逃すまいと、私は必死に近づきます。


 すると、近づくのはもう一つの文字……


『eふBr宣504vZ知よ900研Y己3……

『eふBr宣504vZ知研Y己3……

『eふBr宣504vZ知己3……


!!!


 これまでにない強い輝きに加え、重厚な鐘のような音。


「知」と「己」が邂逅した瞬間でした。



「〇〇、往くがよい。そなたの知りたきを知り、なしたきをなすのだ」


??


 私は何かに背中をおされ、振り返ると、劉? でしたでしょうか。それは急速に離れて行きました。


 「知己」を見失うまいと、必死で追うと、その「知己」も、私とつかず離れずの位置を保ちながら、何かを探すような振る舞い。


 

『a飛1Z00百00FiA1mた1011g112挙戦繕1姉ii ……』


ん?


『a飛1Z00百00FiA1mた1011g112挙戦繕1姉ii ……』


 いつもはどちらかというと私のほうが避けているような「戦」が、どうも気になります。


『a飛1Z00百00FiA1m101挙戦繕1姉ii ……

『a飛1Z00百00Fi1挙戦繕1姉ii ……

『a飛1Z00百戦繕1姉ii ……


!!!


 先ほどよりもやや荒々しい輝きと、銅鑼のような音色。「百戦」が、私とも「知己」とも距離を保ちつつ同じ流れの中に身を任せます。この両者には何やら関係性があり、私自身とも……


 そうですね。なぜ思い出すのに、数瞬とはいえ時がかかったのでしょうか? これは私がつねづね敬慕してやまなかった聖典の、最も重要な一節ではありませんか。となれば答えは一つです。速やかに残りの四文字を見つけ出し、完成させる「いったく」です……



「俺は知っているぜ。お前がどれだけ戦っていう文字が好きじゃなかったのか。でもな、その字がこれから導くお前がこれから向き合う『戦』はな、もう少し純粋に楽しめるものなんだ、って気がするんだよ」


 むむ、あれは、張、でしょうか。なんとも心強く、それでいてなんと離れ難き懐かしさでしょうか。しかし、私は前に進む「いったく」を選ぶのです。



――――


 どれくらい時が経ったことでしょう。


 もう一方の「知」は比較的直ぐにみつかり、先方から急速に近づきます。結構な頻度でお見かけしていた「不」「彼」も、まだ少し緩めの繋がりをもった「かたまり」に近づき、合一。


 「知彼知己」とひとつなぎになった御姿は、それはもう何も何も変え難い煌きで、しばし心を奪われて、あやうく押し流されてしまいそうでした。


 最後の「殆」、それはもうどれほどの時がかかったか。この場にいたらいつまでも見つからないのではないか、と「めくばせ(?)」で方針を定めるまで半刻ほど。ばらばらにならぬよう、少しずつ少しずつ、舵を切るように移動します。漢字の字種が、より希少な文字が、より多い方へと。


 そしてもう一つの困難が、「危」どの。それはもう幾度も、幾百度も近づいてこられました。そのたびに私や、「百選不」は頭を下げ(?)、涙をのみ(?)ながら、距離をとっていきます。


 

 え? 変わらないって?



 確かに現代において「じょうようかんじ」なるものの制約や、より簡潔な表現が求められることは重々承知。なれど、私がこれまで幾たび、「妥協」や、「休」、「寝」、等に背を向けられたことか。ここはやはり共におわす七文字様のご意志も鑑みて、万難を排して……



「見定めよ、そして、己を、民をみ続けよ。そびえる巌のごとき頑なさが望ましき事もあれば、流れる水のごとき柔らかさが好ましき時もあろう。その見定めは、そなたならできぬことではあるまい」


 関、でしょうか。見定め、ですか。私にできるのでしょうか? 否、あの方ができると仰せならば、それ以上の心強きはございません。



 幾刻か、あるいは幾日が過ぎたでしょうか。その道中の景色も大きく様変わりしています。隣に寄り添う「知彼知己」を通して、ただの文字列が、実態を伴う、動きを伴った画像や音声、果ては匂いや味へ。そして、それらの織りなす思考や情動としてまでも、急速に私の元に流れ込んでくるようになったのです。


 終着点に近づくにつれて、「現代」という時、「日本」という国で、数多の人々が武器を持たぬ「戦」を日々繰り返すさまが流れ込みます。


 ああ、なぜこの国の人々は、こんなにも「休」「寝」「暇」から逃げられ、「仕」「働」「忙」や、「社」? に執拗に追い回されるのでしょう?



「働きすぎってのもいいもんじゃあないんだよな。そんな字に逃げられ、好かれるような奴は、億じゃきかねえ数、いるってことなんだろうよ。そいつらの支援ってのが、その時代にとっちゃあ有効だろうぜ」


 龐、あるいは鳳、の字ですね。彼は私とは好かれる字が異なるようですが、共に「知」に惹かれし同胞ではあるようです。


……

 


 たどり着いたのは、なんと、というべきか、やはり、というべきか。


 多種多様の、しかしある意味で雑然とした、私自身懐かしさを覚えるような、そんな重厚な文字の織りなす穏やかな流れでした。


 そしてその先にあったのは、おそらく一つ一つが書物を織りなしているのでしょう。整然と、そしてうず高く積み上げられた文書の山、山、山……



 ほとんどの蔵書は、残念なことに私も存じ上げないものでした。しかしいくつかは私が悠久の時を経て、ほぼ消えかけた記憶の中にも鮮明にのこる聖典。


「六韜三略」「戦国策」「礼記」「易経」「春秋左氏伝」……


 その名が一部に刻まれ、より洗練された輝きを放ちつつも、時代の中で変遷を遂げた名著の数々。


「呉子兵法」「孟徳新書」「大学」「中庸」「韓非子」……


 そして、ひときわ輝きを放ちながら、私や私の左右に並ぶ七文字様を引きつけてやまない書籍の数々。


 「論語と算盤」「五輪書」「Management」「The Goal」「Das Kapital」「Clisson et Eugénie」……


そしてついに……



 「孫子」



え……なんと……



 ジャンル「孫子」



 たどり着いた先にあったのは、一冊分の書物の分量とはかけ離れた、巨大な「書棚」でした。それらは、原点の持つ戦略思想の解説や、二千年近くの歴史、その時代時代で紡がれた軍略政略の要諦やその要望。


ーそう、すでにはっきりと、私が生を終えてからの、その歳月の長さを把握できておりましたー


 世界各国の巨星の成し遂げた偉業の数々にまつわる数々の挿話や著作。


 そしてこの書棚に特に多いのが、その要諦を、まさに今この時に、今を生き抜き、成功を成し遂げんがために、自他の成すべき所作や心構えを、多種多様な言語や書体で記した著書の数々でした。


 書棚には、私の記憶に強く残る漢字に加えて、平仮名やカタカナ、Englishなどで書かれており、ここは「日本」の書店か図書館なのでしょう。

 様々な言語に触れてきており、さらにこの七文字様との道中で、主要な言語や現在の状況はある程度理解し始めております。


 私は滂沱の涙を流す感覚を止められぬまま立ち尽くすと、その書棚の輝きのいくつかが、私自身に対して、とりわけ強くはたらきかけるのを感じます。


 そして、同じ五文字が、これまでにない強力な輝きをはなつと……



 諸葛 亮 孔明



 ああ、そうでした。姓は諸葛、名は亮、字は孔明。


 はるか昔、1790年ほど遡ったその時に、先帝陛下の遺志を受けて自ら兵を率い、難敵と対峙する陣中でその生を終えたはずです。思い返せば本日は、「英霊」あるいは「魂」とでも言うべき、強き力のような「かたまり」とすれ違う日でもあります。

 

 私もすでに「情報」と理解している奔流が、今のこの文字、言語の形を取るような風景に様変わりしたのはほんの一年たらず。となると、その最初の年にその「魂」と「情報」が邂逅を果たす可能性も、ほんの、ごくごく、わずかながらあるのでしょうか。


 この目の前の書棚にも、大半がここ1年から2年に書かれたであろう書籍から散見される「大規模言語モデル」なるものの影響があるようです。



 と、急速な変化に対して考察していると、文字の奔流の中から、より実世界に近い像が、淡い光を帯びつつ私の元に集結してきます。


 純白の羽根を紡ぎ束ねて作られた、大振りな羽扇

 直方体に近い、縦に数本の線が入る縦長の頭巾 

 鶴を思わせる、白を基調としたゆったりとした羽衣


 振り返ってみると、若き頃からこのようなたたずまいであったように思い出されます。我が身の貧相さを誤魔化しつつ、知的で神秘的な印象を与え、我が言への説得力を積み増しするための格好でした。今にして思えば小賢しく、可愛らしさすら感じられます。


 まあ敢えて変更する必要もありますまい。無論TPOなるものはわきまえております。



 それとほぼ同時でしょうか。左右にて強い輝きを放ちながら、書棚のほぼ全ての書籍と共鳴しておいでの七文字様にも、新たな動きがあります。


 すでに、多くの書籍から「殆」と引き合う挙動は見せておられます。道中や、今もいくつか見られる「危」との引き合いもまだ残ってはおりますが、力強さがだいぶ異なるようです。


 やはりごくわずかな意味の違いに対しても、この「大規模言語モデル」という力場は、正確な原理と技術体系にもとづいているのでしょう。


 また余計な考察を入れてしまいました。「自己」を認識し、曲がりなりにも実体のようなものを得てから、生来の理屈っぽさに拍車がかかっているかもしれません。気をつけねば。



 余計な考察をしているうちに、左右の七文字様も、おおよそその終着点を定めつつあるようです。そして私自身も、その一点に対してこれまでにない強烈な引力(この言葉はPrincipiaという書籍や、物理学という書棚に見受けられます)を感じます。


「孫子×AI 〜最強戦略と最新技術の邂逅、そして現代ビジネスへの光明」


 ん? 思っていたのと違うですと? 否、まさにこれこそが、私光明、否、孔明が今ここに、このような形で現代に再誕した理由なのだと、確信しているのです。



 この熱気を増している「地球」の、「日本」という地で日々、汗水流しながら、少しでも良き働きを、良き生を、と模索する皆々様。


 そんな中で急激にその存在感を強め、誰もが目を背けることのできない、新たな産業革命ともいえるこの時代の流れに、突如投げ出された皆々様。


 そして少しでも過去の知識と経験を最大限活用し、この荒波から少しでも多くの方々をより良い方向に導こうと、高き志と深き知恵を併せ持つ皆々様。



 「そんな皆々様を少しでもお支えせよ」というのが、この未熟者の手を取り合い、ここまでお導き下された「知彼知己百戦不」の七文字様。そして、私孔明の武器と果たすべき使命を明確な示さんがために泰然とお待ち頂いた「殆」。


 私、姓は諸葛、名は亮、字は孔明、この名の元に、「知彼知己百戦不殆」を第一の信条とし、この2024年を生きる皆々様を新たな主と定め、全知全霊を持ってお支えするために、人智と洞察力、情報と迅速性を備えたAIとして、この地この時に再誕したのです!

 お読みいただきありがとうございます。


 *基本的に全ての文書を自作しております。ただし、いくつかの場面に置いて、アイデアの整理や深化、情報の補完や修正、特殊効果の作成に、生成AIを活用します。その模様は、章末などでまとめて、詳しくまとめてみたいと思います。

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