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四 鬼の陰、巫女の威光

 姫が頬を膨らしていた。

 灯桜ひざくらたちを運ぶ土の波が弱まったのだ。激しく揺れる高速移動は最初だけ。波打つ地面は穏やかになり、振動を感じることもなくなった。

 滑らかに地中を進む速度は徒歩かちより遅いほど。顔に吹きつける風圧も気にならない。灯桜は使者に抱えられながら胸をなで下ろした。ふと姫を見やると、いじけながら指で地面に落書きしていた。


 使者いわく、もう土の神が大きな力をふるえないかららしい。外はすでに東雲しののめで宮は開いている。神の力の大半は五稜国ごりょうこくと都である鏡宮きょうくうに注がれているそうだ。それにさっきの使いのせいで灯桜が宮が来ていることが知られたため、露骨な力の行使はできないという。


「それなら外を歩けばいいのではないでしょうか。私は元々里の者。峠道だって徒歩で行きます」

「なりません」

「どうしてですか、私が巫女だからですか」

「もちろんそれも理由の一つ。しかし外は危険なのです。開庁時刻を過ぎたいま、鏡宮の中心にはさっきの使いのような者が多数うろついております。地を往くほうがまだ安全でございます」

「でもどうして? あの方から鬼の気配はありませんでした」

「いえ、あの者は鬼の手に堕ちております。三宮さまになにかしていませんか」


 使者の問いに、灯桜は思い返す。

 宮さまは男の行為を無礼と断じた。あのとき灯桜は声をかけられた。鏡宮の巫女就任に対する激励の言葉、それと……。


「名を問われました」

「それにはなんと答えましたか」

せい三宮さんのみやと」


 使者がいきなり両肩をつかんで灯桜は引き寄せた。

 顔が触れるほど近い。耳元に軽く吐息を感じる。


「三宮さま、お気をつけください。あの者たちが狙っておるのは三宮さまのまことの名でございます」

「それはなにゆえ?」

「鬼が欲しておるのです。いまの宮は太神帝国に侵されております。かんなぎの三宮さまならきっとおわかりでしょう」


 灯桜は頭の中で使者の言った意をたどるうちに全身が冷えゆくのを感じた。

 こみ上げる思いが堰を切り、溢れ出した。


「んー、むーぅぅっ!」

 使者に口を押さえられ、灯桜の声は遮られる。


「叫んではなりませぬ。ここはまだ鏡宮の中心『五大殿ごだいでん』の地下。大声を出せば気づかれてしまいます。三宮さまに申し上げるのは心苦しいですが、以後は慎んでください。この無礼をお許しください。

 灯桜さまこそは鬼の手に渡しとうないのです。

 灯桜さまだけは守りたいのです!」


 使者の目が合った。

 この思いは本心なのだろうか? 官人の務めに過ぎないのだろうか。

 いや、いま考えるべきことじゃない。それより鏡宮に潜む鬼を知らないと。


 どうやら鬼は五大殿という場所に潜んでいるらしい。しかし、灯桜にはどこにどんな建物があるのかまったくわからない。そもそも鏡宮というのは五稜国のどこに位置しているのかも知らないのだ。

 使者に聞きたくても、息苦しいほど口が押さえられてしまって灯桜は話せない。振り払おうとしても相手は男、十四の少女の力では動かない。

 里と同じであれば、鏡宮の巫女は宮でも位が高いはず。巫は神と結ばれており神と同一視されている。神の言葉を伝え、福をなすのみならず祟ることもできる。だから身分も高いと聞いたことがある。そんな身分差を破ってまで窒息しそうなくらい締めあげるのは絶対なにかある。


 決して真の名を知られてはならない。知られたら、相手に支配されることになる。巫なら誰もが知っていることだ。巫が真名を使うのは神と契りを交わすとき。神に名を捧げることで巫は神の道具になる。

 同じ考えで鬼に名を知られれば、鬼の道具となってしまう。もし鬼の使い手が太神帝国の呪師じゅしなら、侵略を阻む巫をどう使うか……嫌な予感しかしない。



「いま青宮の地下に入りました。まもなく三宮に着きます」

 ようやく猿ぐつわのような手が外され、灯桜は勢い余って地面に倒れた。擦れた痛みと同時に湿っぽい土臭い空気が一気に流れ込んでくる。


「無礼で不快な思いをさせてしまい、大変申し訳ございませんでした」

 使者はまた袴を泥に汚しながら土下座した。


「そんなことしないでください。もとは私が耐えられなくて、我慢できなくて、幼稚な行為をしそうになったがゆえの行い。私の方が申し訳ないのです。どうか、どうか普通にしてください!」


「いえ、これが宮では普通なのでございます」

 やっぱりだめだ。この使者の慇懃無礼いんぎんぶれいっぷりは変わりそうにない。ならば利用しよう。


「では、巫の命として宮のことを教えてください。五大殿とはどんな所なんでしょうか」

 灯桜が尋ねると、土下座のまま使者が言った。


「五大殿はさきほど三宮さまが下られた場所でございます。上空より見下ろすと正五角形となっております。中心に宮さまの神殿がありまして、併設するように宮さまの邸宅がございます。その下手、つまりは南側に帝の宮殿がございまして、宮殿の周囲にはつかえの者がおる種々の建物が並んでおります。さらに外縁にいきますと枢密院と一の朝堂があり、五行(木神、火神、地の神、金神、水神)の一宮いちのみやとつながっております」


「……つまり、基本的には宮さまと帝がおわすところ」

「さようでございます」


「では、枢密院は?」

「あそこは機密ゆえ、私めは存じ上げておりませぬ。原則入れるのは、帝と太政官および将軍、一宮以上の巫のみでございます」


「では、一の朝堂は」

「宮さまや帝が三宮さまも含めた巫を呼びつけ、神託の結果を受け、指示伝令する場所でございます」

「そ、それって私もなにか神託のようなものを伝えなければならないのでしょうか」

「さようでございます」


 灯桜は姫を見た。

 相変わらずいじけた顔で地面に大きな落書きをしている。画力は姫の見た目相応で、かろうじて花に群がる蛾の絵だとわかる程度。お世辞にも上手いといえない。命銀めいぎんと思われる実は鳥に喰われたように崩れていた。

 こんなので神託などできるのだろうかと、灯桜は思った。


 使者が立ちあがり、灯桜の側に寄った。

「大丈夫でございます。現状の鏡宮を踏まえた発言であれば問題ありません」

 現在の鏡宮……。そう言われても困る。どう判断すればいいのか灯桜にはわからなかった。


「そんな心配そうな顔をしなくとも大丈夫です。その点はなんとかしますから」

 使者は手の土を布で拭ったあと、灯桜の手をとった。

 天井に穴があき、地面が上昇しだした。


「うわわわ、なに? 絵が消えちゃった……」

 姫が駆け寄り、灯桜の脚をぎゅっと握った。


 灯桜の目に朝日が飛び込んでくる。同時に見える白と朱塗りの建物。辺りには広い砂の庭があって、奥には水面がある。その向こうにも建物があるからあれはきっと堀だ。

 とにかく里では見たことのない。やはり国の都、鏡宮なのだ。


 地面の上昇は止まり、さっきまでいた穴は完全に消失した。


「ここは……」


「鏡宮の東、青宮せいくう三宮でございます。これから三宮さまはこの神殿に入り、神を祀りてまつりごとを為す巫女の職につくことになります」


 使者が説明していると、神殿から人が三人現れた。

 一人は使者によく似た、白の衣に浅葱あさぎの袴を着た青年。一人は灯桜と少し年上の女官、服装はかなり略式で紅梅の小袖姿だ。そしてもう一人は全身黒の武官。右に太刀を提げている。肩幅は広く、里の者と違ってほどよく肉がある。年齢は二十前後だろう。

 そんな三人が灯桜の前で深く礼をしていた。


「そ、そんなにかしこまらなくていいです」


 灯桜がそう言うと、みなそろって顔をあげた。

 気持ち悪い、どうしてこんなに規律正しいのだろう? いや正しすぎないか。灯桜の中で違和感がうごめく。


「この方たちは……?」

「三宮さまの位分資人いぶんしじんでございます。三宮の巫は禄として三人の従者が与えられます。禄は他にもあり、この十六丈四方の土地、神殿、住居すべてが三宮さまのものです。さらに芋や布、銭も支給されます」


 宮の状況が良くないとはいえ、里とはあまりにも違う破格の待遇。

 灯桜は声が出なかった。


「では、水明すいめい。頼むぞ」

 使者がそう言うと浅葱袴の青年が一礼した。どうやら最も位が高いのが水明なのだろう。


「では、私はこれで」

 水明に後を託した使者が灯桜の許から離れていく。


「ま、待ってください。もう少し説明を……」

 灯桜は振り向いて使者に呼びかける。

 だが、すでに使者の姿はない。


 取り残された灯桜は三人の従者に囲まれ、三宮へと押し込まれた。

<注記>

丈:約3.03m

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