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19.「普通」の剣技(5)

 ルーカスは、用務員に扮した立場から、それまでなんとか沈黙を保っていたが、ここにきてとうとう堪忍が効かなくなったようで、べりっと二人を引きはがした。


 そうして、エルマを強引に、イレーネも待つ舞台袖まで引き連れ、小声で説教を始めた。


「エルマ……! おまえ、いったいなにをしている!」

「なにを、と仰いますと……。……もしや、私の行動のどこかに非常識な点がありましたでしょうか?」

「最初から最後まで、徹頭徹尾、非常識祭りだ!」


 最後の最後、ジーノに親し気に肩を抱かれていたことも気に食わないが、もちろんそれ以外にも、ルーカスに言いたいことは山のようにあった。


「おまえな――!」


 なんという無茶をする。

 どれだけ心配したと思っている。

 というかなぜヒュドラを調理しはじめた、活躍を避けるというのは嘘だったのか。


 もともとルーカスは、好いた女性ならば腕の中で守りたいタイプだ。

 無茶ばかりするエルマのことを揺さぶって問いただしてやりたい気持ちがあったし、同時に、ぶっ飛んだ無双ばかりする彼女に激しくツッコミを入れたい気持ちもあったが、そのどちらもが、次のエルマの言葉によって行き場を失ってしまった。


「非常識。……そうでした、まだお礼を申し上げておりませんでしたね。このたびは、ありがとうございました、殿下」

「なんだと……?」

「殿下とイレーネが得物を出刃包丁にすり替えてくださったおかげで、私、目が覚めました」


 なにを言われているのかがわからず、ルーカスはぽかんとしてしまう。

 エルマはちょっと照れたように微笑んで続けた。


「私、『今日こそは平凡に徹するぞ』と決意だけは固めていたのですが、実は、具体的な方法については今一つ理解できていなかったのですよね。先程イレーネに叱られたことで、登録してしまった剣は、どうやら『普通』とは掛け離れたものだとわかったので、こうなったら棄権でもすればよいのかな、と思っていたのですが――」


 彼女はそこで、ふふっと嬉しそうに小首を傾げた。


「そうしたら、出刃包丁に武器を替えてくださっているではありませんか。なるほど、この場で求められている一般的行動とは、棄権などして目立つことではなく、あくまで一介の侍女として振舞い、ヒュドラを調理することだったのかと、ようやく得心した次第です」


 ルーカスは白目を剥くかと思った。

 この、完全に行動が裏目に出ている感はどうだろう。


「……あまりに戦力に劣る武器で、戸惑っていたのではなかったのか」

「え? むしろ小回りも利き、しっくり手に馴染む大きさで、大変すばらしい使い心地でしたが」

「いやだが、おまえ、ヒュドラを前に手も足も出ずに突っ立って……!」

「ああ。皆さまが頭を増やしてくださっていたので、二十を目標に待っていたのです」

「じゃあ、ヒュドラに食われてみせたのは……!」

「食われた、というか、内部から魔袋を剥がしに行ったのです。必要な工程ですよね?」


 ですよね、と聞かれても。

 もはや言葉もない。


 沈黙するルーカスを前に、エルマはそっと頬を赤らめ、目を細めた。


「伝説級武器を使用しての戦闘も行わず、棄権などの目立つ行為も控え、あくまでジーノ様のトリニテート入りが確実となってから、一介の侍女としてできる精いっぱいをこなす」


 おかげでヒュドラ一体は無駄にしてしまいましたが、と残念そうに告げてから、彼女はきらきらと輝く瞳でルーカスを見上げた。


「これなら――非の打ち所がない、普通ぶりですよね?」


 実に澄んだ瞳だった。


「いやおまえ……捌いた時点で、おまえもヒュドラを倒したことになるだろうが……!」

「それにつきましてはご心配なく」


 ルーカスが辛うじて絞り出した反論にも、エルマは邪気のない笑みで答える。

 彼女はすっと左手を掲げ、その人さし指の第二関節あたりを指し示した。


「ほら、ここ。揚げ油が跳ねて、少しばかり火傷が」


 よくよく目を凝らしてみれば、その白魚のような指は、ごくわずかに、ごま粒ほどの範囲で赤みを帯びているのだった。


「試合中に髪の毛一筋ぶんであっても傷つけられれば、失格。ヒュドラの油によって火傷を負った私は、もちろん聖剣士の資格などございません」

「…………」


 そのこじつけのような敗北宣言で、いったい誰が納得するというのか。

 ルーカスはとうとう天を仰いだが、そのときになってふと、違和感を覚えた。


 どうも先ほどから、イレーネが大人しい。


「――おい、イレーネ。おまえからも何か言ってやってくれ」


 ついにルーカス自ら水を向けてみれば、それまでずっと俯いていたイレーネは、ようやく顔を上げた。

 普段表情豊かなはずのその顔は、未だに蒼白で、強張っていた。


「…………? イレーネ? どうしましたか――」

「エルマ」


 首を傾げたエルマに、イレーネはやけに低い声で切り出した。


「……あなたは、どうしていつもそう、無茶をするの」

「無茶?」


 夜明け色の瞳が、きょとんと見開かれる。

 エルマは困ったようにイレーネの顔を覗き込み、その怒りも露わな様子を見て取って、宥めるように腕に手を添えた。


「とても苛立っているご様子ですね。お腹がすきましたか? 時間がかかってしまい申し訳ないです、イレーネもぜひこの聖水ソースで――」

「いらないわよ!」


 イレーネが強くそれを振り払うと、エルマはびっくりしたように肩を揺らした。


「すみません、イレーネは塩派――」

「たしかに塩派だけど、今はそんなことを話してるんじゃないわ!」


 その荒々しい口調に、横で聞いていたルーカスまでもが片眉を上げる。

 イレーネは、一瞬気まずそうに唇を噛んだが、すぐに顔を上げ、じっとエルマを見つめた。


「エルマ、私はね。あなたの、……あなたのそういう、…………っ」


 だが、その声はすぐに詰まり、なにも言えなくなってしまう。

 イレーネはぐっと唇を引き結び、激しい感情を呑み下すと、ぱっと踵を返した。


「――私、帰ります」

「え?」

「具合が悪いので、先に部屋に帰って休みます。……いえ、主人(・・)に移したらいけないので、学院の保健室で今日一日休んでまいります。申し訳ございません。食事と湯あみの用意は先に整えておきますので」

「待ってください、イレーネ――」


 突然の態度の変容に、エルマが珍しくまごつく。

 しかしイレーネは、制止を振り切り、闘技場を走り去っていってしまった。


 出会って、半年。

 初めて起こった事態に、エルマはなすすべもなく立ち尽くす。


 それを見たルーカスは、思わず「おい……」と声を掛けかけたが、


「――ひとまず、ヒュドラ二体は倒されたものと認定する」


 困惑を多分に含んだグイドの宣言によって、はっと我に返った。


 そうだ。

 今はまだ聖鼎杯の最中なのであり、ルーカスはその運営に携わる用務員の一人なのであった。


「ヒュドラを倒したジーノ・マージとエルマは、前へ。傷がないかを確認のうえ、両者とも無傷であれば、すみやかに個別試合へと移行する。用務員たちは、救護班と協働し、担当の候補生の状態を確認のうえ、場内に散らばった武器や……なんだ、その、調理器具(・・・・)を回収せよ。舞台の衛生を確保する」


 グイドの命で、舞台脇の控え室から、ばらばらとほかの用務員たちがやって来る。

 ルーカスは一瞬の逡巡の後、慌ててその一団に加わった。


 なにしろ彼は、エルマの武器をすり替えている。

 もともと箱に収まっていた、エルマが登録したと思しき剣は、闘技場隅の予備武具置き場に紛れさせたままであったので、隙を見てあれを回収せねばならないのだ。


 様子のおかしいイレーネや、珍しく呆然としていたエルマ。

 部下たちのことで気が急きながらも、如才なく立ち回って、なんとか元の剣を手中に収める。


 回収したその剣を、ひとまず己の身に佩き、さっさとエルマたちのもとへと引き返そうとしたルーカスだったが――、


「…………?」


 (つか)に触れた指に違和感を覚え、彼は剣を検めた。


「これは……?」


 登録情報によれば、それは、オリハルコン製のカリブルヌスのはずであるもの。

 すり替えたときには焦っていたので、じっくりと剣を検分することはしなかった。


 が、今、改めてそれを握り、刃や、柄の部分をまじまじと見つめる。

 そうして、ふと思いついたままに、己の右手――柄に巻かれた布に触れた部分――の匂いを嗅いでみて、


「――…………」


 ルーカスは、険しい表情を浮かべた。

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