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2.「普通」のお返し(1)

 法国、アウレリア。

 大陸中で信仰されるアウル教の発祥の地とされる国である。


 その領土は大国ルーデンの都市ひとつ分ほどしかなく、人口にも戦力にも乏しい。

 三十年ほど前に、ルーデンにあっさりと属国化させられてしまったこの国は、しかしその強かな観光、文化戦略で、宗教大国の地位を不動のものにしていた。


 芸術の国ヤーデルードと比肩する、宗教の国アウレリア。

 この国の、洗練された教会建築群と、抜きんでた識字率、聖書の発行によって磨かれた印刷技術は、宗教人だけでなく世の中一般の群集をも惹き付けるのだ。


 さて、一年を通して常に観光客の人並みが絶えぬこの国の、その中心部に位置するアウレリア国立学院には、今、ひときわ大きな賑わいが押し寄せていた。


 白を基調とした堂々たる校舎、講堂、円形闘技場には、容貌も国籍もさまざまな人々で溢れている。

 校門から闘技場まで続く広大な庭には、神を称える祈祷布と、教会の威信を示す旗とが延々と並び、ついでに、人々の胃を満たすための屋台までもがひしめき合っていた。


 まさしく、祭り。


 酒を片手に観客席へと向かう人々は、これより三日間にわたり繰り広げられる武闘会を楽しみに、早くも酔いはじめている。


 一方で、闘技場の内側――舞台の外周を等間隔で区切った控え室には、ぴりりと刺すような緊張感が漂っていた。


 手狭な控え室で出番を待っているのは、いずれもアウル教の特徴たる白の制服をまとった学生たちである。

 それが二、三人、多いところでは五名が一室となって、出番を待っている。


 椅子に腰掛けて、じっと虚空を睨む者。

 そわそわと落ち着きなく控え室を歩き回る者。

 仕切りの壁から身を乗り出して、隣の控え室の学生に話しかける者。

 過ごし方は様々だが、彼らには共通項があった。


 それは、皆、アウレリア国立学院の学生であるということ。


 そして――このたび、三十年に一度執り行われる武闘会、「聖鼎杯(せいていはい)」に参加する資格を勝ち取った、優れた聖力の保持者ということである。


「なあ、聞いたか? 今回の聖鼎杯には、アウレリア国外からの参加者がいるんだってさ」


 今、その控え室で、ひそひそと噂話に花を咲かせる者たちがあった。


 最初に切り出したのは、短く刈った黒髪と、やんちゃそうに日焼けした肌が印象的な少年だ。

 下町の訛りを残した話し方をする彼は、名をジーノと言う。


 相棒である大ぶりの長剣を軽々と担ぐ姿から、彼が聖鼎杯のうち、「聖剣士」部門の候補者であることが知れた。


「ふん」


 それに答えたのは、冷ややかな銀髪と碧眼が目立つ、貴族的な佇まいの少年だ。

 名を、ラウル・パヴァリーニ。

 アウレリア国が擁する下級貴族の三男で、学院内では「氷の聖術師」の異名を持ち、枢機卿たちを上回る聖力を持つと噂される人物である。

 もちろん彼は、聖鼎杯のうち「聖術師」部門の候補者であった。


「そんなの珍しいことではないさ。聖鼎杯で優勝して、栄えある『聖なる三名(トリニテート)』になれれば、本人は一生安泰の教会住まい。家は一代限りとはいえ司教爵、故郷は多額の褒章に加え、地名に聖人の名まで冠される。この時期、自領からトリニテートを輩出するためだけに、どこの国もばかみたいに我が子を学院(うち)に送り込んでくるだろう。留学生だと言い張って」


 だが、そんな彼の冷静な反論を、ジーノは遮るようにして封じた。


「いやいやいや! それとはちょっと次元が違うんだってば! だいたいそういう留学生って、アウレリア(うち)みたいな属国の権威ですら借りたいっていう弱小国だろ? それが今回はなんと、ルーデン! あの大国にして宗主国ルーデンから、トリニテート入りを目指して学生が送り込まれてるんだって」

「ルーデンから?」


 ラウルは驚いたように目を見開くと、次いで不機嫌そうに口元を歪めた。


「……強欲なルーデンは、宗教界アウレリアの象徴まで手中に収める気か」

「そういうこと。聞いた話では、送り込まれてくるのは女だってさ。なんか、元漁師だとか、天才外科医だとか、鬼才ダンサーだとか凄腕エステティシャンだとか天使的美少女だとか、素性についての噂は信憑性ゼロなんだが、とりあえず女ってことは確かだ」


 ジーノはしたり顔で頷き、それから控え室の奥を振り返った。


「……ってことは、聖女候補かもな、クロエ?」


 手狭な控え室の最奥、舞台からは暗がりとなって見えない位置には、ひとりの少女が腰かけていた。


 小さな顔に細い手足。

 肌は透き通るように白く、肩まで伸ばした髪は、豊かな大地を思わせる亜麻色。

 幼く整った顔の、そのこぼれそうなほど大きな瞳は、深い森のような緑だった。


「え……、あ、はい……」


 クロエ、と呼ばれた少女は、突然振られた話題におどおどと声を上げる。

 彼女は、自信なさげに、


「だとしたら……ええと、私のライバル……になるんでしょうか?」


 と呟いた。


「なるんでしょうか、じゃねえよ、確実にライバルだろ」

「そうとも。なんといってもおまえは、当代一の育成術の使い手――聖女の筆頭候補なのだから」

「いえ……」


 ジーノとラウルが口々に言ったが、クロエはますます身を小さくするだけだった。


「そんなことは。私のは単に、植物と相性がいいというだけで……。ジーノくんやラウルくんのほうこそ、烈火の聖剣士だとか、氷の聖術師だとか……すでにトリニテート入りしているような二つ名をお持ちではありませんか」


 そう。

 彼ら三人は、アウレリア国立学院の成績優秀者なのである。


 次世代の宗教人材を育成することを目的に建てられたこの学院は、その威信をかけて、聖女・聖剣士・聖術師となりえる学生の発掘、育成を行っている。


 性別・年齢・出自すら不問、聖力さえあれば、よちよち歩きの農夫の赤子でも、よぼよぼ歩きのスラムの老人でも、等しく入学が許される――もっとも、学院は一般的な教育機関としての機能も持ち合わせているため、必然学生は十五から十八歳くらいまでの少年少女が多かったが。


 そして、学院側の粘り強い勧誘の結果、特別奨学生として学院の門をくぐったのが、商家の妾の子として不遇の生活を強いられていたクロエ・コンテスティと、下町で苦しい生活を送っていたジーノ・マージ、そして、三男として爵位を継ぐ当てもなく、他国に身売りされようとしていたラウル・パヴァリーニだったのだ。

 それぞれ、聖女、聖剣士、聖術師の筆頭候補生ということである。


 トリニテートは狭き門。

 誰にでも入学の許される学院の頂点にあるからこそ、誰もが強くその身を焦がして、トリニテート入りを望む。


 必然、奨学生としてなにかと優遇される三人に対し、学生たちの風当たりは強く、クロエたちは何とはなしに三人で行動することが多かった。


「私には、こういった舞台でうまく術を発動できるほどの能力が、あるとは思えませんし……。ライバル視するというのなら、私よりも、……その、この学院の皆さんのほうが、その方に注目しているのではないでしょうか」

「クロエの自己評価はさて措くとして、ま、この学院のやつらが目の敵にしてそう、ってのはその通りだな」

「ああ。そういえば、学生の何人かが、留学生用の控え室に夜分こっそり出入りしているのを見かけたが……、あれは、そのルーデン女とやらに嫌がらせを仕掛けるつもりだったのか。侵入者は何組かいたように思うが、そのルーデン女は人気者だな」

「まじか」


 思いがけない情報に、ジーノがひゅーと口笛を鳴らす。


 彼とて人並みの正義感は持ち合わせているが、それは、いけすかない宗主国の女に向けられるものではないのだ。

 アウレリア国民の一人としては、やはり、彼らの最も権威ある崇高な座には、自国の人間が腰かけるべきだと、そう思うので。


 ただクロエだけは、その穏やかな性格からか、「嫌がらせ」の単語に、そっと目を伏せた。


「……あまり、醜い争いにならないといいですけど」

「そうかぁ? 空気読まずに聖鼎杯に乱入してくる外国人のことなんて、心配する必要なくね?」

「その通りだな。出世欲にぎらついた学院の学生どもと、身を弁えぬルーデン女。両者が潰し合ってくれるのを、俺たちは高みの見物としゃれこもう」


 ジーノとラウルは、冷徹にそう結論付けて、視線を闘技場へと向ける。


 聖鼎杯、初日。

 開会式が行われるだけの、実質的には前日祭のようなものだが、同時に、「留学生」を含むすべての候補生たちが一堂に会する、初めての機会でもあった。


 噂のルーデン女とやらも、この闘技場のどこかの控え室で開会式を待っているはずだ。

 ジーノたちは、その姿を探していたのだったが、留学生用の控え室――最も奥まった場所にある――に目を向けて、首を傾げた。


「あれ? まだ来てない?」

「いや。今まさに入場中なのだろう」


 成績優秀者として、闘技場入り口のほど近くに通された三人なので、実は先ほどから、彼らの前を通過して学生たちが続々と入場してきているのだ。


 多くは、三人を睨みつけるようにして己の控え室に向かっており、居室に落ち着いた後も、剣呑な雰囲気を醸し出している。

 彼らのライバル心は全方向に発揮されるものなので、入場が遅ければ遅いほど、控え室前の通路は悪意の花道と化すだろう。


 ジーノはものの興味で、舞台の外周、即ち控え室前の通路を、ぐるりと見回してみた。


「うわー、見ろよ、先に控え室に着いたやつら、攻撃する気満々だぜ。生卵に、生ごみに、虫に……詠唱の準備をしてるやつもいるな。入場門を睨みつけて……あれ全部、ターゲットはルーデンの留学生ってことだろ?」

「くだらない嫌がらせだ」

「ま、気持ちはわからんでもねえけど」


 肩をすくめるジーノの声には、いくらかの毒が含まれている。


 ルーデンの威信を背負ってこの地にやって来るくらいなのだから、きっとその留学生とやらは、それなりの身分の持ち主なのだろう。

 慈愛を掲げる学院であってすら、日々下町出身の出自を蔑まれるジーノとしては、それだけで既に鼻持ちならないのだ。


 ラウルが例外的に友誼を結べただけで、普通貴族の、それも宗主国の人間などというのは、まず間違いなく高慢な人間に違いないのだから。


「はん。その留学生とやら、無事に控え室に入ることすらできねんじゃね?」

「かもな。まあ、大国ルーデンが送り込んでくるくらいなのだから、多少回避するくらいの実力はあるのかもしれんが」

「実力ねえ。元漁師で、外科医で、ダンサーでエステティシャンな美少女の誇る実力ってなんだよ――お、俺好みの金髪猫目系メイド発見。どっかの候補生の侍従かなー」


 学生の中には、貴族や富豪の子息など身分の高い者も多くいるので、学院内では使用人の立ち入りが許されている。

 そして、今日この場は、日頃寮内に閉じこもっている使用人たちを一斉にチェックすることのできる、またとないチャンスだ。


 ジーノは金髪美少女メイドに笑いかけて手を振ったが、目が合った彼女は、やけに驚いたようにこちらを凝視したので、一瞬ジーノは「脈ありか」と目を輝かせた。

 が、その一瞬後には、彼女はさっと顔を背けてしまったので、ジーノはがくりと肩を落とす。


 その後も一通り、声を掛けられそうな使用人たちをチェックし、それも終わってしまうと、やれやれと息を吐いた。


「なんだよ、一向に俺たちの前を通らないじゃんか、ルーデン女」

「少なくとも天使的美少女の噂は嘘のようだな」

「――あの」


 とそのとき、クロエが遠慮がちに声を上げた。


「もしかして、なんですけど……。あの控え室に――もう入場済みなのではないですか?」

「え?」


 クロエの細い指の指し示す先を辿り、二人は目を見開く。


 先ほど見たときには確かに空室であった、留学生用区域。

 その控え室に、いつの間にか人影が見えていた。


「いつの間に!?」


 控え室に向かうには、自分たちの前の通路を通るしかない。

 ジーノたちはたしかにずっと、目の前の通路を見つめていたはずなのに。


「…………!?」


 三人は、困惑の視線を交わした。

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