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24.「普通」の虫退治(1)

 翌朝、朝食を取りにエルマたちが食堂へと顔を出すと、そこにはデボラとケヴィン、そして彼ら付きの使用人たちが勢ぞろいしていた。


 客人として、主食堂で日々食事を供されてはいるものの、実際のところ、この屋敷の家人がともに席に着いたのは、初日の晩餐だけだ。


 そのときすら、領主ヨーナスは終始無言で、デボラはしきりにルーカスに媚びを売り、ケヴィンに至っては食が進まぬからと挨拶だけ寄越して退室していた。

 以降も、朝型のルーカスたちと不規則なフレンツェル一家では生活リズムが合わなかったため、こうして朝、彼らと顔を合わせるのは初めてである。


 少々驚いたルーカスやイレーネをよそに、フレンツェル姉弟はぱっと立ち上がり、エルマに向かって叫んだ。


「ご機嫌麗しく、王弟殿下、イレーネ様、そして――エルマ様!」

「お加減はいかがだろう、殿下、イレーネさん、そして――エルマさん!」


 一応礼儀に則って、身分順にルーカスやイレーネに向かって先に呼び掛けてはいるが、視線の熱さと声量とが、完全にそのマナーを裏切っている。

 エルマはわずかに引いたような素振りを見せたが、それをものともせず、ふたりが駆け寄ってきた。


「ああ……! 心なしかどこかおやつれのような! 夕食も取らずに眠っておられたのでしょう? そのせいか、頬のラインが昨日昼に比べて髪の毛三本分ほどシャープになられて……! おいたわしいですわ……!」

「手配した医師は役立ててもらえただろうか? 腕はいいと思うのだが、昨日はよほどあなたの美しさに動転したのか、診察後に僕への報告をすることもせず帰ってしまったようで、僕はどれほどやきもきしたことか――! ……いえ、そんなことはいいんだ、あなたが元気にさえなったのならば!」


 どうやら、二人とも大層心配し、憤り、手を尽くしてくれたようである。


「殿下には報告したようだからまだいいものの……」


 己の差配に不手際があったことがよほど悔しいのか、ケヴィンは未だぶつぶつと愚痴を漏らしていたが、エルマは冷静にそれに返事を寄越した。


「昨日は突然倒れてしまい失礼いたしました。まさか草花の香りに当てられて倒れるなど、お恥ずかしい限りでございます。ですがおかげさまで、むしろぐっすり眠れてとてもよい夢も見られまして、朝から元気に掃除などさせていただきました」

「んまあ、そんな、エルマ様が掃除だなんて!」

「そうとも、掃除というならむしろ、僕があの忌々しいクローバー畑に、今この瞬間にも火を放って一掃してくるべきという話であって!」

「よく言ったわケヴィン!」


 意地悪な姉と高慢な弟だったはずの二人は、今やすっかり、ただの純真な妄信者となり果ててしまっている。

 信者二人の妄言に、エルマはわずかに顎を引きながら、


「お気持ちはありがたいですが、掃除は侍女の普通の業務ですし、今の時期は乾燥しており容易に山火事となりえますので、おやめいただけますか」


 と冷静に水を差した。


「よかったわ……エルマがあの暴走姉弟を止めてくれるような、普通の感性を身に着けてくれて……」

「惑わされるなイレーネ、あいつは、生態系の破壊宣言をするほど急激に自分に傾倒しだしたケヴィンの様子には、特に疑問を覚えていないようだぞ」


 イレーネがついぼそっと呟けば、ルーカスがすかさず冷静に指摘する。

 実際のところエルマは、接した相手が突然自分に隷属しだすことだとか、隷属した相手が自身のために国や土地や自然を捧げることについては、なにも不思議には思っていなかった。

 某母親の教えの影響である。


 そんなわけで、エルマはしゃらっとケヴィンの不穏発言を聞き流し、会話を進めた。


「さて、そのようなことより、本日中にでも、例の沼に再び向かいたいと思っております。昨日捕獲した魔蛾についても、少々気になる点がございまして――」


 彼女としては、自分のことを心配されるよりも、自分が倒れたせいで遅れてしまった調査を早く取り戻したいという気持ちの方が強かったのだ。

 だが、ケヴィンに調査の件が伝わらないよう、エルマなりにぼかしてその旨を告げたところ、当のケヴィンたちから、それを遮られてしまった。


「それなのだが」

「実は、わたくしたちにも思うところがございますの」


 二人が、まるでフレーズを繋げるようにしながら息ぴったりに告げる。

 ケヴィンもこの一日で急激にけんが取れた結果、あどけない瞳に小柄な体を持つ、いたいけな少年にしか見えなくなってしまい、今のデボラとケヴィンは、単なる麗しくいじらしい姉弟でしかなかった。


 清純派少女にキャラチェンジしたデボラは、両の手をそっと組み合わせてエルマを見上げた。


「まずはエルマ様、ならびに皆さま、どうぞお許しくださいませ。このデボラ、今の弟なら皆さまのご事情を吹聴して回ることはあるまいと愚考し、エルマ様からお聞きしたかくかくしかじかの事情を共有させていただきました」

「実際のところ、自領が陛下に憂慮されるほどの状態にあるというのは、幾重にも自省すべき問題であって、そのことで王家に反感を抱くのは筋違いであると、心得ております。ですので、その点についてはご安心ください。また、知らなかったとはいえ、殿下やイレーネさんに対して放った暴言についてもお詫びします」


 デボラが視線で促すと、ケヴィンもルーカスにしっかりと視線を合わせ、はきはきと告げる。

 そこには幼くとも次期領主の責任感と気迫が滲んでおり、たった一日での彼の成長ぶりに、ルーカスは内心で目を丸くした。


「……そうか。ならいいが」

「もったいないお言葉ですわ」


 詫びられたイレーネも、ケヴィンの豹変ぶりに驚きながら、こわごわと相槌を打つ。

 するとフレンツェル姉弟は軽く頷きあい、使用人たちを下がらせると、デボラが話を切り出した。


「その上で、ご提案が。弟と話していたのですが――こたびの件、わたくしたち自身で、父である領主ヨーナスに、事情を問いたいと思うのです」

「自身で?」

「ええ。ケヴィンも申した通り、陛下が憂慮されるほどに、領民の心が離れているというのは、恥ずべき事態。それがわたくしたちの振る舞いのせいならば、わたくしたちはそれを即座に改めるべきですし、父の奇行のせいであるならば、事情を問い質し、それをやめさせるべきだと思うのです」


 デボラは真剣だった。

 その大地の色の瞳には、領主の娘にふさわしい、揺るぎない意思の光が浮かんでいた。


 横では、ケヴィンがきゅっと拳を握りしめている。

 彼は一度唇を湿らせると、覚悟を決めたように告げた。


「正直なところ、僕には父の本性というか、考え……本当に母を取り戻そうとして、魔と契約を交わそうとしているのか、わかりません。あの人が何を考えて生きているのか、僕たちは満足に話し合ったことすらないから……」


 ケヴィンの知る父は、病弱な息子をまるで恥じるように屋敷の奥深くに追いやり、かつ、周囲との交流を絶って自らも部屋に閉じこもるような人間だ。


 ケヴィンは長らく、それは自分が母――エリーザを奪ってしまったからだと思っていた。

 憎まれているのだと。


 しかし、デボラから聞いた話では、父ヨーナスは、瘴弱のデボラの天敵である魔蟲を、わざわざ家の池に飼っていたかもしれないという。

 妻の死には関係ないはずの娘すら害そうとするのはおかしい。

 それとも、憎しみ云々などではなく、ただ子どもたちのことなどどうでもよくなるほど、妻を求めているということなのか。


 そのあたりの彼の考えが、ケヴィンにはさっぱりわからなかった。


「本当は、もっと早く、父の闇に踏み込むべきだったんだ。けれどできなかった。……自分の罪――自分のせいで母が死んだという事実を、改めて突きつけられるのが怖かったから」


 目を伏せながら呟くと、デボラが励ますように、彼の腕に手を添える。

 ケヴィンはぎゅっと、今日も胸から下げた指輪を握り締め、再び視線を上げた。


「だから、今回の件は、その最後の機会だと思うんです。僕たちは、ちゃんと父を理解したい。そして、領主一家としてふさわしい振る舞いを選び取りたい。だから、父への聞き取りを、僕たちからさせてもらえませんか?」

「もちろん、わたくしたちが父の主張を隠蔽、捏造できぬよう、配慮するつもりです。父はきっともうすぐこの場に朝食を取りに来るので、その間、皆さまにはどこかに潜んでいただき、わたくしたちの会話を直接聞いてもらう。それならば、調査のお邪魔にはならないでしょう?」


 デボラが言い添えると、むしろルーカスは困惑に眉を寄せた。


「だがそれだと、家族のごく私的な事情までをも我々が聞くことになってしまう。それでもいいというのか?」

「はい」

「ええ」


 ケヴィンも、デボラも、その瞳に迷いはなかった。


「真実を聞き出す過程に、なんの恥がございましょう。隠し立てせず、真実を確かめ、知らしめることこそ、領地を束ねる者の役目。どうぞ、お任せください」


 そうまで言われてしまえば、ルーカスも否とは言えない。

 彼は素早く思考を巡らせ、彼らが自主的に領主に聞き取りをするということが、「王家に不満を持たれぬよう事情を明らかにせよ」との王命に背かぬものであることを確認すると、頷いた。


「わかった。では、遠慮なく頼もう」


 そうして、ぐるりと辺りを見回す。


「だが、潜むにしても場所を考えなくてはな。なにぶん、俺の体格が大きいぶん、長時間隠れるとなると、壺や甲冑の類では――」

「ああ、それにつきましては」


 とそのとき、黙って話を聞いていたエルマが、くいと眼鏡のブリッジを押し上げ、壁に掛かっていた絵画の額縁をぐいと押しのけた。

 隠されていた小さなレバーを、残像が見える勢いで回転させると、ぎし、と音を立てて壁が動きだす。


 ルーカスたちの目の前に、たちまち秘密の空間が現れた。


「そんなこともあろうかと、食堂の隣に発見した隠し小部屋を先ほど清掃しておきました」

「おまえはいったいなにを想定していたんだ!?」

「座り心地が少々悪いようにお見受けしましたので、独断で恐縮ですが、ソファやワイン、ナッツなど菓子の類もご用意させていただきました」

「快適か! というか勝手に他人の屋敷の隠し部屋を暴くな! 掃除するな! 居心地をよくするな!」


 至れり尽くせりすぎるエルマの仕事ぶりに、ルーカスはもはや突っ込む以外の術を持たない。

 が、勝手に屋敷構造的な機密事項を暴かれ、改造されてしまったはずのフレンツェル姉弟は、


「さすがですわ、エルマ様ぁ……」

「ナッツは、僕も大好物だ……」


 なぜかぽっと頬を赤らめるだけであった。


「あの」


 もはや収拾のつかなくなっている状況下で、たまたま扉の方向にたそがれていたイレーネが、ふとなにかに気付いたように挙手する。


「こちらに向かって足音が近づいてきている気がするのだけど」


 彼女はちょっと顔を引き攣らせていた。


「タイミング的に――ヨーナス様ではないかしら?」

「はい、速度と音階的にも、ヨーナス様および従者殿の足音とお見受けしますね」

「呑気にコメントしている場合か!」


 頷くエルマに、ルーカスが素早く一喝し、ふたりを小脇に抱えると、そのまま小部屋に押し込む。


「悪いが、使わせてもらうぞ!」


 そうして、慎重かつ迅速に隠し扉を閉じたのと同時に、ヨーナスが食堂にやってきた。

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