<< 前へ次へ >>  更新
53/169

21.縛り

「ふん、女王(クイーン)を封じたぞ」


 クレメンスは、場にクローバーの10を投げ捨て、にやりと笑った。


 彼が投げたカードの下には、先ほどハイデマリーが置いた女王の絵札がある。

 彼女は今回もまた「革命」を起こしていたので、強さが逆順し、(キング)女王(クイーン)で陥落させていたのだ。


 ハイデマリーはよほど女王の札に思い入れがあるようで、なにかとそれを切り札に使って戦おうとする。

 せっかく強い持ち札に恵まれているのに、女王の札を活躍させるためだけに「革命」を起こしたりするほどだ。

 クレメンスからすれば理解に苦しむ戦い方だったが、勝敗よりもむしろ勝ち方にこだわるのが、この美貌の娼婦の楽しみ方であるようだった。


(奇妙な女だ)


 ちらりと、自分が封じてみせた娼婦に視線を向けてみれば、彼女はすぐそれに気付いて顔を上げる。

 勝ち誇った顔をしているであろう自分に、反感を見せるでも挑戦的な色を浮かべるでもなく、彼女はふふっと口元を綻ばせた。


「あら、やるわね、クレメンス」


 ハイデマリーはもはや気安ささえ感じさせる口調で告げる。


「ここまでで既にしっかり富を巻き上げられておきながら、躊躇なくわたくしに挑もうとしてくるあなたって、とても素敵だわ」


 そう、この時点で、既にクレメンスは負けが込み、隠し持ってきていた貴金属のほか、わずかに許された上等な衣服、はては書物の間に挟んでいた地権書までも巻き上げられていたのである。


 次は手足か、内臓か――

 彼らはその手の脅しすら辞さない。


 が、クレメンスはその挑発を、静かに笑っていなしてみせた。


「――もはや、私に失うものなどないからな。それに、この程度の札遊びで怯むような人間ならば、今この場に捕らえられるような罪など犯しはせぬわ」


 実際、クレメンスは自分でも驚くほどに平静であった。


 宰相としての肩書は地に落ちた。

 政略結婚によって結ばれた妻は、記憶にない「裁判」が行われた時点で離縁を申し出たはずだし、幸か不幸か子はおらぬ。


 若き日から王城の権謀術数に足を踏み入れたクレメンスは、逆に言えばそれ以外の人生を知らなかった。

 手足や内臓を失ったところで、困るのは自分しかいない。

 彼はただ、この獄からの脱出権さえもぎ取れれば、それでよかった。


 ハイデマリーは興味深そうにクレメンスを見つめ、それから少し首を傾げた。


「あなた、そういった冷静な判断もできそうなものなのに、なぜ王族殺しや、王権奪取だなんて大それた罪に手を染めたのかしら? なぜそこまで権力を欲して?」

「…………」


 返事には、通常の人間であれば気付かぬほどの、ごくわずかな沈黙があった。


「……ふん、娼婦よ。そなた、札遊びをする人間に、『なぜ勝ちたいの?』などと聞くのか? 遊戯に参加した以上、頂点を狙う。ただそれだけのことだ」

「ふうん」


 ハイデマリーは、手札で作った扇を口元に押し当てながら、ひっそりと笑ったようだった。


「ひねくれものね。――気に入ったわ」


 そんな戯言を紡ぐ娼婦から視線を逸らし、クレメンスは左隣の参加者(プレイヤー)――ホルストに目で次を促す。

 しかし彼は、白けたように肩を竦めるだけだった。


「誇らしげにしてるとこ悪いけど、そのカードは出せないよ、クレメンス」

「――……なんだと?」


 意味を捉えそこねて聞き返したクレメンスに、ホルストは小馬鹿にするように告げた。


「だから、縛りだってば。さっき【怠惰】が出したのがハートの王、【色欲】が出したのがハートの女王。だから、その次に出せるカードは、本来ハートの家来(ジャック)だけ。わかる?」

「やあねえ、ホルスト。あんたが縛ってばかりで、一向にゲームが進まないからって、さっき数字縛りはなしにしようってマリーが決めたんじゃないの」

「数字はね。(スート)は縛るさ。ということで、出せるのはハートの札だけ」


 リーゼルが眉を顰めて指摘しても、ホルストは何食わぬ顔で肩を竦めるだけだ。

 彼は完全に周囲の持ち札を見切っているらしく、「持ってないでしょ?」とクレメンスに告げると、さっさと彼を飛ばし、自らの持ち札から一枚を投げ捨てた。


 ハートのジャック。

 ホルストが持っていたのだ。


「ふん。本当なら、これで両縛り継続なのに」

「あんたって、ほんと縛るのが好きなやつよねえ」


 ホルストの隣で、出せる札を選びながらリーゼルが呆れたように告げる。


「粘着質な拘束男は嫌われるわよぉ」

「誰が拘束男だって?」


 厭味ったらしい声に、ホルストがついむっとして聞き返すと、ずっと沈黙を守っていたイザークが、


「過去に、エルマを、軟禁していたこと、あったろうが」


 札を投げ捨てながら、ぼそりと呟いた。

 その低い声には、恨みがましい色が混ざっている。

 しかしホルストは悪びれる様子を見せずに、ただ片眉を上げた。


「十年前のこと? あれはだって、必要な措置だよ。おかげでエルマはあれ以降、室内遊びの楽しさに目覚めて、いたずらに外出したり、迷子になることはなくなったしね。そもそも僕がエルマを部屋に閉じ込めるはめになったのは、元を正せば【暴食】のせいだ」


 そう、ホルストは、外遊びの末に迷子になってしまったエルマを心配し、一時期、監獄から一歩も出さずにいたのである。

 とはいっても、その間ホルストが全力でエルマの相手をしていたし、後に同情したリーゼルがその数日の記憶ごと「いじって」しまったため、エルマがそれを不満に思うことなどなかったのだが。


「そんなことを、言って、おまえは、過保護すぎるんだ。迷子や遭難のひとつ、しないことには、どうやってドラゴンを狩る技術を、身に着けるというのか」

「いや、そもそもそんな技術いらないし。生息域に毒ガスを撒けば一発でしょ」


 イザークが嘆けば、ホルストは煩わし気に一刀両断する。

 彼らは、自身がこの監獄内で唯一の常識人だと思っているあたり、まったく救いようがなかった。


「ドラゴン狩りはさて置くにしても」


 と、今度は、静かにやり取りに耳を傾けていたギルベルトが口をはさんだ。


「毎年夏恒例の、キルシュ海での遊泳大会まで不参加にしたのはよくなかったのでは?」


 彼は、イザークに続いて無造作に札を場に捨てると、幅広い肩を優雅に竦めた。

 キルシュ海というのは、この監獄に接している、魔物が棲み、瘴気を帯びると言われる濁流のことである。


 とはいえ、基本的に常軌を逸している彼らは、毎年夏の暑い頃になると、幼いエルマに水遊びをさせるために、わざわざキルシュ海まで足を伸ばしていたのだ。


 なお、この手の獄内イベントは、誕生日会や遠足、ピクニック、音楽会など、多数存在する。


「たしかあの年は、【暴食】と【怠惰】で、相当気合いを入れて、エルマに海で過ごす技術を指導していたはずだ。彼女自身も、我々に成果を見せるのが楽しみと言っていたのに」

「そうとも。あの年は、大会の直前に、ようやく、200海里、泳げるようになってな。本人も、力強く、泳ぐ姿を披露したいと、しきりに言っていたのに」


 ギルベルトが指摘すれば、イザークも非難の念を込めてそれに頷く。


「たしかにあのころ、微表情や声のトーンの判別を、他の生物に応用する術を提案したら、聡明な彼女は見る間に、くじらや魚と『会話』するようになっていましたからね。幼いエルマが魚の群れを従える様を、私としてもぜひ披露したいところでした」


 さらには、モーガンもまた、札を選び取りながらそれに続いた。


 もう十年も前のことだというのに、親馬鹿すぎる彼らは、いまだにエルマ軟禁事件を根に持っているようである。

 大勢はこちらにあり、と踏んだリーゼルは、ふふんとホルストに流し目をくれた。


「あんたもいい加減、エルマ離れしたほうがいいわね」

「……自分だってできてないくせに、よく言う」


 ホルストは仏頂面になったが、するとますますリーゼルは意地わるそうに唇の端を引き上げた。


「あら、あたしはできているわ。少なくとも今は、エルマを強引に連れ帰そうだなんて思っていないもの。彼女を信じているから、ね」


 つい先日、エルマにこっそり暗示を掛けて連れ帰そうとしていた人物とは思えぬ発言である。


 ハイデマリーとギルベルトは密かに苦笑して視線を交わしたが、事情を知らないホルストは、むっとした表情を浮かべた。


「ああそう、薄情なもんだね。見放すことが信頼とでも? 違う、守るのが信頼であり、愛だ。やはりエルマを守れるのは、この兄である僕しかいないということがよくわかったよ」


 もともと気分屋である彼は、よほど腹に据えかねたのか、カードを投げ捨て立ち上がってしまう。

 そのまま部屋を出ていこうとする彼に、ハイデマリーが声を掛けた。


「どこへ行くの、ホルスト?」

「べつに、どこでもいいでしょ」


 反抗期の青年のように言い捨てて、扉をすり抜けていってしまう。

 後には、肩をすくめ合う大人たちだけが残った。


 ――いや、違う。

 ひとりだけ、呆然とソファに座している人物がいた。

 クレメンスである。


 彼は、先ほどから繰り広げられる会話に、いちいちぎょっとして目を見開いていた。


 ドラゴンを狩る? ドラゴンすら倒す強力な毒ガスを撒く?

 恐怖の海峡と名高いキルシュ海を、それも200海里に渡って泳ぎ、あとはなんと言った、あらかたの海洋生物と――会話?


(こやつら、先ほどからなにを言っているのだ……)


 到底、正気の発言とは思えない。

 冗談か妄言の類だろうと普段の彼ならば即座に断じるところだが――しかしそれなら、なぜ誰も突っ込まない。


(ボケを回収せずに会話を進めるなど、雑な進行をしおってからに……!)


 動揺のあまり、つい思考が斜め上にずれていく。

 己が突っ込みに回ってどうするのだ。


 いやだがしかし、そう、突っ込み。

 この、特別奇妙で、突飛もなくて、冗談のような会話に、誰かが突っ込まなくてはいけないのではないか。


 だって、そう、それが「ない」ということは、つまり――


(これらの発言がすべて、本当のことだと……?)


 一瞬、正体のわからない悪寒を感じ、クレメンスは顔を強張らせた。


 まさか。

 そんなはずがない。

 そんな常軌を逸した事態があってたまるか。


 すっかり、この監獄の異様な空気に呑まれてしまったクレメンスに、そっと触れるものがあった。


「あなたの番よ」


 ハイデマリーである。

 彼女は、優しい笑みを浮かべて、クレメンスに向かって首を傾げた。


「あなたが先ほどからぼんやりしている間に、一周回ってしまったけれど、大丈夫? わたくしの後に、なにか出せそうかしら」


 そう言って彼女が出したのは、ジョーカーだった。


 なんにでもなれる、最強のカード。

 この後に、出せる札などあるはずもない。


 ぐ、とクレメンスがハイデマリーを睨むと、彼女は優雅にそれを躱し、一度場を流した。

 そうして次に、三枚の女王を並べる。


「はい、上がり」


 今回も真っ先に、彼女が勝者となった。

 しかしそれだけでなく、ハイデマリーはクレメンスに向かってそっと問いかけてきた。


「ねえ、クレメンス。あなたの持ち札では、この後は出せないわねえ? ただ、わたくしの読みでは、他のみんな、この周で上がれそうだと思うの」


 その言葉通り、リーゼルが、イザークが、モーガンが、次々と三枚の札を出して上がっていく。

 あとには、未だ多くの札を抱えているクレメンスが残された。


「な…………っ」

「あらあら、今回も大貧民ね、クレメンス?」


 美貌の娼婦は、困ったように華奢な肩を竦めてみせる。

 彼女は、細い指先を唇に当てて、なにごとか考えるそぶりを見せた。


「そうねえ、四肢を切り離す類のことをしてもいいけれど、それには【貪欲】がいないと面倒だし。そもそも、あの子が棄権してしまった時点で、あなたを大貧民に確定するのも少しばかり可哀そうだし――」


 やがてハイデマリーは指を放し、ぱっと顔を綻ばせた。


「やはり、土地にしましょう」

「……なんだと?」


 既に、書物の間に隠し持っていた権利書まで奪われていたはずだ。

 だがしかし、ハイデマリーはうっそりと笑うと、クレメンスの足元を見つめた。


 元侯爵とは到底思えぬ、粗末な靴を履いた足。

 けれど、きちんと「靴に覆われた」足を。


「ねえ、クレメンス。昔はね、わたくしたち囚人は、獄内で靴を履くことを許されなかったの」


 懐かしそうに言いながら、彼女は傍らのギルベルトに視線で合図する。


「けれど、わたくしが看守に代わって、許可した。なぜだかわかって?」

「や、やめろ、なにを――」


 がっしりとした体格の元勇者に、なすすべもなく靴を奪われ、クレメンスは口調を乱して叫んだ。


「靴を返せ!」

「それはね、そうすれば、たいていの『新人』は、その靴底に大切なものを隠すようになるからよ」


 ハイデマリーはふふっと笑みを深め、ギルベルトが差し出した、小さく折りたたまれた紙片を受け取った。

 地名や署名が記された書類――地権証だ。


「まあ、――まあ。トレンメル地方の片田舎ね? のどかで自然深く、避暑や隠れ家にはうってつけ。引退後、または脱獄後、第二の人生をここで過ごすつもりだったのかしら?」

「返せ――!」


 ハイデマリーはそれには耳を貸さず、【怠惰】に札を切るよう頼んだ。

 優雅にソファに背を預け、足を組みかえる。


「さあ、次はもう少し頑張って頂戴ね、クレメンス」


 まさに女王の貫録で、そう嘯きながら。

<< 前へ次へ >>目次  更新