15.「普通」の探し物(3)
すっかり頬を健康的なピンク色に染め、艶やかな小麦色の髪をきりりとポニーテールにまとめ上げた彼女は、声だけは甘ったるく媚びさせながら、エルマの前に跪いた。
「デボラ・フォン・フレンツェル、エルマ様のお呼びとお聞きし、風よりも速く馳せ参じましたわぁ!」
「今どういったメカニズムで出てきたのこの人!?」
「というか昨日からさらに人格が崩壊していないか!?」
イレーネとルーカスが、双方異なる観点から突っ込む。
しかしエルマは、ことりと首を傾げるだけだった。
「…………? 普通にお呼びしただけですが」
彼女は、疑問を持たれることこそが疑問だったようである。
「普通、仲良くなった相手が助けを呼んだら、急ぎ駆けつけてくれるものですよね? こちらが心を込めてお世話したことがあるなら、なおさら」
「ねえ急すぎない!? 到着速度どころか、キャラ崩壊の速度も急すぎない!?」
「そうですか? モーリッツもいつもこんな感じで、『
「おまえ、牛の言葉がわかるのか!?」
二人はいよいよ絶叫したが、エルマは「私が世話をすると、大体このように打ち解けてくださるのですよね」とこともなげに告げるだけだ。
母ユリアーナには、エルマにあまり世話を焼かれないよう忠言したほうがよいかもしれない、と思ったルーカスだった。
と、エルマは驚愕してばかりで一向に話を進めようとしない周囲に代わり、ちゃきちゃきとデボラへの事情聴取を始めた。
「お呼び立てして申し訳ございません、デボラ様。実はかくかくしかじかで、ヨーナス様がこの近辺を徘徊しているという噂の真偽と、仮に真実であるならば、その理由や経緯などをお聞きしたいのですが」
「なるほど……委細承知しましたわぁ。エルマ様たちがこの辺境の地まで足を運ばれたのには、そのような事情があったのですね……」
「おまえ今いったいどの部分から我々の事情を理解したんだ!?」
ルーカスたちはデボラの驚異のツーカーぶりに目を剥いたが、当人同士は深刻な表情で会話を続けるだけだった。
「まずは、私ごときにも事情をご説明賜りましたこと、感謝いたしますわ。このデボラ、けっして軽々しくエルマ様方の目的を周囲に言いふらしたりなどはいたしません。けれど……申し訳ございません、肝心の父の徘徊の理由についてまでは、わたくしにはわかりかねますの……」
「では、ヨーナス様が沼の近辺に夜な夜な出向いている、という噂自体は真実なのですね?」
「ええ。ただ、毎夜というわけではありませんわ。決まった周期で、というわけでもない。わたくしも、なにぶん最近まで引き籠っておりましたし、恥ずかしながら家族とは不仲でしたので、父がなにを目的に出歩いているのかを把握はしておりません……」
ただ、と、デボラは悩んだように唇を噛んでから続ける。
「ただ、……もしかしたら本当に、父は魔に連なるものに手を出そうとしているのかもしれませんわ」
「魔に連なるもの、とは?」
エルマが冷静に問うと、デボラは一瞬押し黙る。
それから、慎重に言葉を選びながら話しはじめた。
「……その、昨日エルマ様が浚ってくださった池、ありましたでしょう? そこには虫が湧いていて、しかも瘴気を帯びていたと」
「はい。厳密にはミドリムシは虫というより植物に近いですし、瘴気それ自体は大層微弱なものでしたが」
「それでも、瘴気を帯びた虫は魔蟲ということですし、魔蟲がいたという事実は我が家――瘴弱の私を抱えるフレンツェル家には重大なことですわ。実際には、今の私に魔蟲の瘴気は影響しなかったのだとしても、幼少時の私の虚弱さや、弟の病弱ぶりを知る父によって、屋敷には瘴の気配が立ち入らぬよう、徹底されていたはずなのですから」
魔と戦ってきた土地の主であるフレンツェル家では、屋敷中至る所に魔を祓うための鉄と銀が吊るされ、領主は本来、責任を持ってそれらを監督するのだという。
「それが侵されたということは、我が家によほど悪意のある人間がその環境を導いたか、……さもなくば、父本人が、それを許した、としか……」
前者の、領民によほど嫌われているという可能性も否めないが、しかしフレンツェルの人間だったら、腹いせに魔を導くような真似はまずしないとデボラは言う。
とすれば、瘴気の介在を屋敷に許したのは、領主本人。
屋敷内の池で魔蟲を飼うほどならば、領地の外れの池で、魔蛾を身にまとわせていた――つまり、魔蛾を使役していたという噂も、あながち外れではないのかもしれない。
「父は、幼少時には魔蛾を追い払う鳴鎖を発明した、神童だと評されておりました。もとは、発明や実験の類が好きな人なのですわ。母が生きていたころは、父の発明はもっぱら畑を豊かにするためのものでしたが、母亡き後は、ずっと自室に籠り……。もしかしたら、そうやって母を取り返すための実験や研究を、していたのかもしれません」
王都では滅多に姿が見られず、下等な魔物とみなされる魔蛾。
しかし、ぶどうの生産を主産業とするフレンツェルにとっては、魔族の滅びた今や、魔獣をも上回り、最大と言ってよい脅威だ。
この地に伝わる童話や伝承では、魔蛾は魔族の筆頭眷属として描かれる。
その魔蛾と親しげに触れ合っていたということは、それすなわち、強大な魔と契約を交わしたと目されてもおかしくないのである。
俯いて告白するデボラを前に、ルーカスは自らの顎に手をやり、情報を繋げ合わせながら告げた。
「池の魔蟲のことは手掛かりたりえるが、それ以外はすべて憶測の域を出ない。そう思いつめた顔をするな」
「……ですが、昨日エルマ様が磨いてくださるまで、我が家の鉄や銀の飾りはすべて錆びておりました。父は、瘴弱の私や病弱なケヴィンへの影響すら顧みず、瘴気を屋敷に持ち込もうとしていたのかと思うと……」
「王都では鉄や銀を魔避けには使わないし、ヨーナス伯もそうした験担ぎをしないタイプというだけかもしれないだろう。実際に沼を見てみないことには、現時点での断定は早すぎる。思いつめるな」
ルーカスが冷静に断じると、デボラは「そうでしょうか……」と眉を下げる。
しかし彼女は、エルマがすっと傍らにしゃがみこみ、その顎をくいと持ち上げてくると、はっとしたように目を見開いた。
「私からも申し上げます、デボラ様。思い込みというのは人の目を曇らせるもの。自分にとっては揺るがしがたい真実だと思っていたものが、実は周囲からすれば奇妙奇天烈な事象だった、といったことは、世の中に多々あります。どうか今の時点から決め込んで、ご自身を追い詰めませんよう」
「エルマ様……!」
今のは少なからず自戒を込めた言葉だったのだが、そうと知らぬデボラは、全幅の信頼を置いた教祖を見たかのように、うっとりとした眼差しでエルマを見つめた。
「はい……。わたくしの信じるたった一つの真実にして光、
桃色吐息、再びである。
デボラは頬に片手を当て、もう片方の手でエルマの腕の辺りをつんつんとつつくという、古典的な媚びスタイルまで披露して、甘い声を出した。
「本当に、エルマ様は頼りになるお方……。わたくし、こうしてあなた様にお会いできて本当に幸せ者ですわぁ。数日のみの逗留だなんて、寂しゅうございます。あなた様の生活はわたくしが保証いたしますので、いっそ一か月ほど……いえ、一年、いえ、一生このまま――」
が、
「――そのくらいにしろよな、姉さん」
デボラの妄言は、がさりと茂みを揺らして現れた人物によって遮られた。
少し癖のある金髪に、ほどよく整った小生意気そうな顔。
手足の細さと、体つきの薄さから、年齢以上に幼く見えるその人物は、フレンツェル家長男、ケヴィンであった。