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12.革命

 昼なお薄暗い監獄の一室。

 独特の雰囲気をまとう男女に囲まれながら、クレメンスが真剣な表情で、最初に捨てるべきカードの検討をしていた。


 一国の中枢にあった者として、駆け引きの類は得意だ。

 そしてまた、長く野心を飼っていた者として、彼は大の負けず嫌いでもある。


 勝てば脱獄させてやるというこの勝負、たとえ囚人の戯言であったとしても、クレメンスに勝ちを譲るつもりはなかった。


(幸い手札は、強い役ばかり。これなら、造作もなく勝てる……)


 冷静に手持ちの札を見つめたクレメンスは、密かに周囲の表情を見回しながら、そんなことを思った。


 彼の対戦相手は、国の権力者に疎まれ失墜した元勇者と、思考能力をすべて筋肉に回してしまったような大男と、女のような青年、老人、子どもっぽい青年と、そして娼婦だ。

 どれも、宰相として海千山千の相手と渡り合ってきたクレメンスからすれば、たわいもないと言えそうな者たちであった。


 かろうじて、クレメンスと同類のように見える、物腰柔らかな老人――自分で言うのもなんだが、こうした穏やかそうな人間と言うのはたいていろくでもない本性を隠し持っている――と、表現しがたい迫力をまとっている娼婦のことは、警戒するに足る、と言えるが。


 クレメンスは、わずか数秒のうちに戦略を構築し、最初に捨てるカードに指を掛けた。


 じきに強力なカード同士の戦いになることを見越して、絵札や「2」の札は残しておく。

 慎重を期して、手札の中では最弱の「7」辺りを捨て駒として確保しておくのもよいが、プレイヤーが多い以上、何度順番が回ってくるものかわからない。 

 下手に余力を残すよりは、弱い札をどんどん切り捨てていくべきだろう。


 ハイデマリーの呼びかけから、最初は自分の番だと信じて疑わなかった彼は、おもむろに「7」の札を捨てにかかったのだが――


「革命」


 その横から、当のハイデマリーの声がかかり、同時に四枚の札が投げ出された。


「…………は?」

「あら、聞こえなくって、クレメンス? 革命よ」


 美貌の娼婦は、親切にも繰り返してくれるが、それでもなお意味がわからない。

 というか、クレメンスはぽかんとしてしまい、展開に付いていけなかった。


「……いや、そうではなく、私の番だと思ったのだが」

「あら、いやだわ。まさかご自身がゲームの親だと思っていて?」


 揶揄したつもりが、まるで自意識過剰の人間のように扱われ、羞恥でかっと頬が染まる。

 一瞬言葉を詰まらせてしまったその隙を突いて、ハイデマリーは艶やかに微笑んだ。


「というわけで、今からカードの強さはすべて逆転するから、よろしくね」

「……なんだと……!?」


 今度こそクレメンスはぎょっとした。


「どういうことだ……!」

「どうもこうも、同じ数字の札を四枚出すと、革命が起こって、強さがすべて入れ替わる。れっきとしたゲームのルールであり、技よ」

「そんな価値基盤を根底から覆すアクロバティックな技を、初手から繰り出す者があるか!」


 出会い頭に鉈をふるうかのような乱暴さだ。

 クレメンスはハイデマリーのあまりの暴虐ぶりに、思わず普段心掛けていた穏やかな物腰も忘れ、絶叫してしまう。

 が、周囲は慣れたように肩を竦めるだけだった。


「まったく、あんたって本当にこの手の攻撃が好きな女よね。まともな精神の持ち主なら、のっけから革命なんて起こしやしないわよ」


 唯一、クレメンスの側に立って嫌味を投げかけてきたのは、なぜかクレメンスが過去に会ったことのある気がする、女顔の青年である――もっとも、彼は単に、この娼婦に対抗心を燃やしているがためにそう言っているに過ぎないようだが。


 青年が大仰に肩をすくめてみせると、ハイデマリーは拗ねたように小首を傾げた。


「ひどいわ、【嫉妬】。なにも、わたくしだけが革命好きのように言わなくたっていいじゃない」


 彼女は、革命によって乱れた場を流すと、ハートの女王(クイーン)に口づけ、テーブルの中央に置いた。


「かわいいエルマだって、今頃、出会い頭に物事の根底を覆すような真似をしているかもしれなくってよ」


 なにを思ったのか、彼女はくすくす笑いながら、絵札の女王を愛おしげに指で弾いた。


「あなたが大切に育ててくれたあの子ですもの。会う人すべてに、必ず刺激をもたらさずにはいられないはずだわ――もちろん、いい方にね」

「ふん、珍しく持ち上げるじゃないの。言っとくけど、褒められても手加減はしないわよ」


 青年――リーゼルは、口では辛辣に返すが、その表情は満更でもなさそうである。

 並の女性以上に「母性」の強い彼は、それを認められると、心のガードが緩まずにはいられないのである。

 自慢の「娘」であるエルマのことを持ち上げられれば、特に。


「刺激といえば、あの子、ひとり暮らしになってもちゃんと肌の手入れはしているのかしら。人の骨格肌質を根底から変質させられるくらいの美容術は仕込んだつもりだけど、美の道は一日にしてならず。ヨガやストレッチを欠かさず行って、ときどきは強めに老廃物を流してあげないと、美のサットヴァには辿り着けないわ」

「……僕は常々疑問に思ってたんだけど、美の探究者が往々にして東洋系スピリチュアル世界にハマるのはなんでなんだろうね?」


 リーゼルが心配そうに眉を寄せれば、すかさず隣のホルストが半眼で突っ込みを入れる。

 それでも、人ひとりの骨格ごと変質させられる――それはもはや魔術だ――技能を一介の少女が持ち合わせている事実については、なんの疑問も無いようだった。


 なぜならば、


「ヨガよりもオペ、瞑想よりも脳幹手術だよ。精神力を云々するんじゃなくて、直接筋肉や神経にメスを入れれば、より確実に『美しく』なれると、僕は思うんだけどね」


 彼自身、医療技術を応用して、容易に人間の骨格ごと変質させられてしまうからである。

 リーゼルとホルストはちらりと視線を交わし合い、


「お黙り、坊主。人間の美は内面の輝きからよ」

「内面って、物理的には神経と筋肉の集合のことを言うんじゃないの」


 それぞれの信じる正義を戦わせた。

 ついでに、それをカードで体現するかのように、各々、ダイヤの10やスペードの7を乱暴に投げ捨てていった。


「やれやれ、よしませんか、お二人とも。【嫉妬】の精神的アプローチと、【貪欲】の身体的アプローチ。両者を吸収することで、エルマが至高の美の創造者になりえたのは間違いないのですから」

「ああ。エルマの作る酵素ジュースには、西洋の科学的メソッドと東洋の医食同源の精神、両者の融合を感じるな」

「あれは、うまいよな」


 穏やかに宥めるモーガンも、それに同調するギルベルトも、言葉少なに頷くイザークも、なにげなく6や5、4のカードを放り出しいく。


 それを見ていたハイデマリーは、「あら」と声を上げた。


「数字も(スート)も縛られてしまったわね。クレメンス、あなたもう、『3』のカードしか出せなくってよ」

「……なんだと?」


 会話に取り残されていたクレメンスは、呆然と顔を上げる。

 魅惑の娼婦は、長い睫毛を瞬かせると、ちょっと驚いたように小首を傾げた。


「いやだわ」


 そして、くすっと無邪気に笑う。


「まさか、初手からもう出すカードが無いのかしら?」


 彼女は、子どもの頭を撫でるようにクレメンスの頬に触れた。


「かわいらしい方ね」


 それは間違いなく、侮蔑の言葉だった。

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