4.手札
クレメンス・フォン・ロットナーは戸惑っていた。
(なんだ……いったい。これはいったい、どういうことなのだ……)
強引に座らされたソファは、身体の重みをしなやかに受け止める、艶やかな革製の一級品。
美しく磨かれた石床に敷かれているのは、足首まで埋もれそうな豪華な絨毯。
シャンデリアにティーセット、花瓶に絵画。
これまで大国ルーデンの宰相として、高級品を見慣れてきたクレメンスでさえ見とれてしまうような逸品が、この部屋には実になにげなく取り入れられている。
「はい、どうぞ。あなたのぶんよ、クレメンス」
耳に心地よい声とともに、渡されたのは七枚のカード。
ハートにダイヤにスペードにクローバー――四種類の柄と数字、そして王たちの絵柄が描き込まれたそれは、ところどころ金箔があしらわれ、それ自体が芸術品として鑑賞に堪えるような品物だった。
ここは監獄。
それも、常に囚人たちが劣悪な環境下で虐げられているはずの監獄だ。
なのになぜ、この場はまるで、王宮のように――いや、ともすればそれ以上に美麗で、快適に整えられているのか。
(いったいこやつらは、何者なのだ……)
監獄送りとなり、自我を取り戻してから二日ほど。
クレメンスは従順な囚人の態を装いながら、油断なく監獄内を探索してまわっていた。
そう、探索。
驚くべきことに、ここでは囚人たちが、鎖で繋がれることも、部屋に閉じ込められることもなく、いたって自由に建物の中を歩き回っているのだ。
それでも不思議なことに、それで獄内の規律が乱れているということはない。
建物は清潔に保たれ、食事は行き届き、囚人たちは皆勤勉に各々の職務に取り組んでいる。まるで、完璧に統制の取れた軍の寮内のようであった。
ただし、自由の許されているように見える囚人たちが、けっして近づかない一画がこの獄内にはある。
切り立った崖の上に建てられた監獄の、最上階。
眼下に荒れ狂う海を見下ろしているのであろう、元は独房が並んでいたその空間には、彼らが「大罪人」と呼ぶ者たちが集っている。
さすがにここでは、厳重に囚人が繋がれているのかと思いきや、その予想は大いに裏切られた。
広々とした空間に、贅を尽くした家具。いかにも座り心地のよさそうなソファの上で、六人の男女が悠々と紅茶を楽しんでいたのだから。
精悍な顔立ちの男、筋骨隆々たる巨漢、なぜか白衣をまとった年若い青年に、執事のような品を漂わせた壮年の男、女性と見まごう中性的な――ロットナーはなぜだか、彼のことをどこかで見たことがあるような気がした――青年。
姿かたちは様々だが、皆一様に、囚人では考えられないような、清潔で、美しく整った身なりをしている。
そして――
「ほぉら。手が止まっていてよ? 手札を並び替えなくてよいの? カードを配られたなら、すぐに作戦を考えはじめなくては。あなたの今後の人生が懸かっているのだから」
蜜を混ぜ込んだような甘い声で、そっと腕に触れながら告げる女を、クレメンスはまじまじと見つめた。
美しい女だ。
緩く波打つ銀の髪、血管が透けるような白い肌、蠱惑的な碧い瞳に、完璧な形の唇。
「大罪人」たちの紅一点、ネグリジェのようなドレスをしどけなく着崩した女は、まるでこの監獄の女王のように、悠然と、最奥のソファに身を預けていた。
かつて傾国と謳われた美貌の娼婦――ハイデマリーは、薄く笑みを浮かべ、歌うように告げる。
「カードの強さと役については、先ほど説明したとおりよ。順に強いカードを出して、手持ちの札を無くしていく。最初に上がれば
「…………」
この世の地獄と言われるヴァルツァー監獄からの解放を、なんでもないことのように語る女。
その言葉が真実であるはずがない。
あるはずがないのに――クレメンスは、彼女の碧い瞳に覗き込まれると、それだけで、その唇から紡がれるすべての言葉が真実であるように思えた。
「けれどクレメンス。わたくしたちは、なかなか強いわよ? 有り金をすべて毟り取られて、素寒貧になってしまわないよう、どうぞお気を付けになって」
猫のように気まぐれで高貴な瞳が、楽し気に瞬く。
さあ、と、彼女はクレメンスに呼び掛けた。
「手札はそろったわね。それでは――最初のカードを」
今回ちょっと短めだったので、お昼頃もう1話投稿しておきます!
エルマ活躍シーンまで、あと5話くらい…でしょうか?
見捨てずお付き合いいただけますと幸いです。