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28.「太陽」(2)

「害霊の正体が、親友かもしれない――?」


 グイドが告げた言葉を、ルーカスたちは瞠目して聞き返した。

 保健室に向かう道すがらのことだ。


 ラウルが訳した害霊の言葉を聞くなり、グイドは校内へと急いだ。

 それを、ラウルやルーカス、イレーネといったメンバーが慌てて追いかけ、問いただしたのである。


 グイドは険しい表情で先の言葉を呟いたが、それきり口を噤むと、足を動かすことに専念しだした。


「どういうことです?」

「後で話す」


 ラウルに尋ねられても、グイドは短く返すだけで、かなりのスピードで廊下を走り抜けていく。

 ルーカスを除く二名は足をもつれさせそうになりながら、そんなグイドに付いていった。


 そして、違和感を覚えはじめる。


 つい先ほど、チェルソに連れられて立ち去ったばかりのはずのエルマ。

 保健室に続く一本道のような廊下を、こんなにも早く追いかけているのに、彼らの姿が一向に見えない。


 ――ばんっ!


「留学生エルマ、チェルソ殿! 在室か!?」


 不安と緊張感が徐々に体内で膨らむのを感じながら、勢いよく保健室の扉を開ける。

 が、


「……いない……」


 清潔なシーツが敷かれた六台のベッドは、どれも無人だった。


 カーテンで仕切られた処置室を覗いても、エルマの姿はない。

 困惑顔のイレーネたちの横で、グイドが真っ青になりながら「まさか……」と呟いたので、ルーカスは改めて彼に事情を問いただした。


「グイド枢機卿。いったい彼女はどこへ? 先ほどの呟きの真意は? あなたはなにを知っているというのです?」

「…………」


 グイドはのろのろと顔を振るばかりで、答えようとしない。

 痺れを切らしたルーカスは眼鏡を外し、グイドへと詰め寄った。


「訳あって変装していたが、俺はエルマの安全を確保するために遣わされた、ルーデンの人間だ。彼女が危機に巻き込まれようとしているのなら、俺はあなたの話を聞き出す資格と義務がある」

「…………」


 グイドの青灰色の瞳が見開かれる。

 が、彼はわずかな間に驚きをやり過ごすと、唇を噛み、眉を寄せた。


 恐らく、ルーデンの人間に、彼の事情を話してよいものかを思案しているのだろう。

 が、ラウルやルーカスに再三促されると、彼はようやく口を開いた。


「俺には、当代一の聖術使いと呼ばれる親友がいた。名をレナートという。……もう、三十年も前のことだ」

「三十年前の、希代の聖術使い……。それはもしや、前代の聖術師の……?」

「ああ。トリニテート自体は成立しなかったが、唯一彼だけは、聖術師の座を与えられた」


 グイドがその鋭い目を伏せ、語るにはこうだった。


 レナートとグイドは、それぞれ聖術と剣の腕を見込まれ、十の年で学院の門を叩いた。

 五年に渡り研鑽を続け、その間に、二人には固い友情が芽生えた。

 聖術師として選民意識に凝り固まっていたレナートは、聖力はわずかでも、腕一本で魔獣を退治するグイドの力強さに心打たれ、聖力も教会もあまり信じていなかったグイドは、レナートの紡ぎあげる聖術陣の美しさに頭を垂れたのだ。


 三十年前、トリニテートの座は彼ら二人と、あとは学院内の適当な生徒によって埋められるものと思われていたし、二人はその誓いも交わしていた。

 が、聖鼎杯の数カ月前、とある少女が登場したことにより、その目算は崩れることとなる。


 教会が大切に秘匿してきたその少女は、驚くべきことに、まだ五歳を過ぎたばかりだった。

 しかし、その時点ですでに完成された美貌を持ち、また同時に凄まじい聖力をも持ち合わせていた。


 圧倒的で、暴力的とすら言える聖力。

 それは人の心を宥めるどころか奪いつくし、動植物と心を通わせるどころか、それらを隷属させてしまう――もはや、魔性へと傾いた力だ。


 聖力の崇高さを信じてきたレナートは、妬心もあってそんな彼女に強く反発した。

 一方、聖力よりも肉体や武技に重きを置くグイドは、五歳の少女の体に不釣り合いな力が収まっていることを心配した。


 五歳にして両親の姿も知らず、教会から一歩も出ないことを憐れんだのも、聖女となったのちには一生籠の鳥となることを同情したのも、グイドだ。


 だからこそ彼は、常に表情が無く、寡黙であったその少女が、目に強い意志を浮かべて学院からの脱出を願った時、まずそれを喜んだ。

 いや、もしかしたらその時点で既に、彼もまた、少女の藍色の瞳に絡み取られていたのかもしれない。


 かくして先の聖鼎杯の前夜、グイドは少女を逃がした。


 が、これに激怒したのはレナートだ。

 彼からすれば、自分たちの誓いや将来よりも少女の願いを優先したグイドの行為は、裏切りに他ならなかったのだ。


 グイドは最初、レナートに共に逃げないかと呼びかけた。

 トリニテートにならずとも、国や人々のために聖術や剣の腕を役立てることはできる。

 少女を追いかけ、ともに在野の聖者たろうと。


「俺はもともとレナートに比べれば信心深くもなかったし、五歳の少女を軟禁している教会の在り方にも疑問を覚えていた。それに、脱走の間際に彼女が言ったんだ」


 ――あなたと、レナート。

   いっしょに来る?

   そうでないと、すべてを奪われて、ばけものにされてしまうわ。


 それは、やけに真剣な声だった。

 グイドはその言葉を、一生自由を奪われることへの比喩表現として受け止めたが、それでもなお、聞いた者にひやりと冷たいなにかを突きつけるような、そんな口調だった。


 だから、グイドはレナートに誘いかけた。

 しかしそれは、彼を一層激高させ、意地にさせるだけだった。


 結局レナートはグイドの腕を強く振り払い、ひとり教会へと駆け込んでいった。

 罪の所在を明らかにし、トリニテート不成立どころか、グイドの聖剣士内定の取り消しも訴えて。


 彼ひとりだけで、トリニテートの一角ではない、単身の聖術師の座をもぎ取ったのだ。


「俺は、聖女候補を逃がした罪で、当初処刑も検討されていたようだ。が、奇しくもレナートが聖術師となったことで、不要な醜聞でその誕生を穢してはならないと教会に判断され、名ばかりの枢機卿の地位と学院講師の職を与えられた。要は飼い殺しだ」

「そんな……」


 病死とされていた聖女が脱走していたこと、元聖剣士候補という輝かしい実績を持つ恩師が、実は犯罪者で、三十年以上も学院に押し込められていたこと。

 次々と明らかになる事実に、ラウルが言葉を失う。


 グイドは教え子から視線を逸らすと、続けた。


「それでも俺には希望があった。次代のトリニテートを育成することだ。俺が壊してしまったトリニテートを、次こそは、俺の手で創りあげる。そうすれば、……多少の償いになるのではと、思ったんだ」


 聖術師となった後は、俗世との接触も許されず、ひたすら教会の奥に籠りつづけている友人。

 けれど、彼の後継者を、自分が育てられれば。代替わりの際にでも、一目会えれば。

 詫びを、変わらぬ友情を、一言でいい、告げられれば――。


「そう思って、この三十年過ごしてきた。……だが、あの害霊はなんと言った? 大地を操る聖術は、あいつの十八番だった。砂でできたあの顔は、どこかあいつの面影を残していた。古代アウレリア語を流暢に操れるのは、ラウルを除けば、レナートと……チェルソ殿くらいしかいない」


 グイドが、震える手で短い髪を掻き上げる。

 青灰色の瞳は、今や疑念と恐怖で見開かれていた。


「枢機卿も代替わりが進んだ。前回の聖鼎杯から今日まで残っているのは、俺を除いては、もう彼だけだ。聖術陣と、古代アウレリア語の第一人者。害霊すら巧みな聖術で調伏し、聖術師部門の課題設定まで任される、枢機卿チェルソ・ロベルティ――」


 ルーカスは顔を強張らせた。


「……彼は、今どこにいる」

「わからない。もとより保健室に向かったのではなかったのだろう。彼の真意はわからないが、もし俺の想像が正しければ、害霊の言葉を解したあの少女の存在は、彼にとって――」

「――邪魔」


 グイドの言葉を継いだイレーネが、さっと青褪める。

 彼女は、細かに震える両手を握り合わせた。


「無茶を止めないとは、たしかに決めたわよ。覚悟したけど……でも――」


 意識を失ったエルマ。

 いくらそれが単なる瞑想なのだとはいえ、物理的には、体の自由を失った状態に変わりはないのだ。


 ただでさえ、魔族(エルマ)とは相性の悪いこの土地。

 もしチェルソが、聖地に連れ込み、聖術を使ってエルマを害そうとでもしていたら――?


「心配かけすぎよ、あのばか……っ」


 イレーネは、ぎゅっと目をつぶった。


おかげさまで、シャバ難も100話の大台に乗りました。

いつも応援くださる皆さま、お祝いの言葉をくださった方々、本当にありがとうございます。

気付けばポイントの方も「無欲の聖女」を抜き、8万ptの大台に近々乗れそうです。

あ、今この瞬間にポイントを投じて、乗せてくださってもよいですよ!(ゲス顔)


長くなるとともに、思い入れも深まりつつある「シャバ難」を、

完結まで頑張ってお届けしてまいりますので、

引き続き温かく見守っていただけますと幸いです。

次話、エルマのターンに戻ります!

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