転生ヒロインの大誤算
ネビーは元気が取り柄の女の子。
いつも笑顔で、町のみんなを幸せな気持ちにさせてくれる。
両親は王都の下町でパン屋を営んでいて、ネビーは小さな頃から看板娘として両親の仕事をお手伝いしていた。
もみじのような小さな手足でとてとて歩き、「いらっしゃいませ!」と元気いっぱいの笑顔で迎えてくれるネビーに、訪れるお客さんは誰もがみんな微笑まし気な目を向けた。
両親にとっても働き者のネビーは自慢の女の子で、目に入れても痛くないほどネビーを可愛がっている。
町に住む人々もネビーの愛らしさにネビーのことがすっかり好きになり、今ではネビーの笑顔を見にお店に来るようになっていた。
そんな誰もに愛されているネビーが、神様に愛された人間だけが授かることのできる光魔法を授けられたと聞いたとき、町の人々は驚きつつもネビーならば当然だと受け入れた。
いつでも笑顔で愛らしいネビーは、どんな人にも分け隔てなく優しかった。道に困っている人がいれば真っ先に声をかけ、助けを求める声があれば何を置いてでも駆けつけた。泣いている子には優しく笑いかけ、少ないおやつを分け与えて一緒に食べたりした。
いくら下町でも人気のパン屋とはいえ、毎日おやつが食べられるほどネビーの家は裕福ではない。月に何度かもらえたらいい方で、その量だって決して多くはない。子どもにとっては宝石にも勝る大事なおやつを惜しげもなく差し出すネビーを見ていた大人は、その心根の純粋さに胸を打たれた。
慈悲深く、慈愛に満ちたネビーはまるで聖書に書かれる聖女様のようで、誰にでも我が身を削って分け与えてしまうネビーの為にと、大人たちはこぞって何かをあげるようになった。
それは売れ残りの果物だったり、端切れから作った帯だったり、余り物の菓子だったりと。同じ町民である以上たいしたものはあげられなかったが、それでも心を込めて贈られたそれらを、ネビーはとても嬉しそうに受け取ってありがとうと喜んだ。
謙虚で、驕ることを知らず、人々に優しさと笑顔を振りまくために生まれたかのようなネビー。彼女ならば神様だって愛したくなるのも頷ける。
寧ろ彼女のような人間こそが愛されて然るべきだ。
人々の間にはそんな感情が当たり前のように流れ、ネビーの資質を疑う者は誰一人としていなかった。
魔法を使える子どもは必ず入学しなければならない魔法学園への入学に関しても、皆が応援して入用な物を取り揃えた。ほとんど貴族しかいないような学園でネビーが恥をかいてしまわぬよう、貴族相手でも彼女の愛らしさが通じるよう、学園生活で必要になるだろうあれやそれやをネビーに贈った。
町の人々が総出で搔き集めてくれた資金に学用品。それから寮生活となるネビーの日用品。年頃の女の子なのだから、少しはお洒落もしなきゃと化粧道具や綺麗な服まで用意してくれた。
温かな贈り物の数々に、ネビーは初めて涙を見せてはにかんだ。
子どもの頃からどんなに辛いことがあっても泣かなかったネビーが浮かべた泣き笑いに、町の人々はますますネビーのことが愛しくなり、学園で何かあればいつでも帰っておいでとネビーを送り出した。
大勢の人に見送られたネビーは笑顔で手を振り、教会が用意した馬車に乗って学園へと向かった。
馬車に同乗していた女性の神官はネビーのために集まった大勢の人々を目にし、素敵な人達ですねと微笑んだ。
ネビーもにっこり笑顔で「私の自慢の人達です」と胸を張って答えた。
何故って、彼らはみんな、ネビーの都合よく動いてくれる駒だからだ。
お陰でネビーが何を言わなくても勝手に気を回して、ネビーの欲しがる物をすべて揃えてくれた。泥と汗にまみれたお金は一見すると汚いが、拭いて磨けば元通りの綺麗なお金だ。そこにどんな想いが詰まっていようと、どんな苦労の上に成り立っていようと、ネビーの心には一切響かない。
なにしろネビーはとっても元気で健気で愛らしい女の子なのだ。そんなネビーに心惹かれて町の皆がする苦労に、ネビーが忖度してやる必要などありはしない。
ネビーのためにと寝る間も惜しんで頑張った彼らには、感激の表情を浮かべて涙のひとつでも流してやればそれでいい。たった一粒の涙と笑顔で彼らは感動し、自らの行いに満足してネビーを見送ってくれたのだ。
そんな達成感を与えてやったのだから、ネビーが心の中で彼らをどう扱おうが問題ないだろう。その心の内さえ知らなければ、彼らは頑張り屋の女の子を助けてあげられたという自己満足に浸っていられる。
ネビーが「慈愛深いネビー」という偶像を作り上げなければ、一生得ることのなかった感情だ。それを得られただけでもネビーは感謝して欲しいくらいであるし、もっとネビーに貢いでくれてもいいとさえ思っている。
ネビーは傲慢だ。傲慢で、強欲だ。
手に入れられるものはすべて手に入れたいし、何もせずとも望むものの方からネビーの手の中に飛び込んできて欲しい。
地位も、名誉も、富も、何もかも。
ネビーの欲に際限はなく、人々の心さえも欲しがった。
誰も彼もがネビーを褒め称え、ネビーを愛し、ネビーを慈しむ心。
両親だけでは足りない。町の人々だけでは足りない。国中の人々でさえもまだ足りていない。
いずれは大陸中の、そして連綿と続く歴史の遥か彼方までも、ネビーはネビーを称賛する声を聞きたがった。
普通に過ごしていては決して手に入らないそれらをどうやって手に入れるか。その答えはネビーの脳にあった。
前世の記憶。
ネビーが住む国では妖精の悪夢と呼ばれているそれがネビーの頭の中にあると気づいたのは、およそ五歳の頃だった。
その頃から頑張り屋のネビーという偶像を作り上げていたネビーは、家の裏手にある井戸の水汲みを自ら行っていた。毎日朝早くから両手いっぱいに桶を抱えて水を汲みにくるネビーに、近所の人々はえらいえらいと声をかけ、水汲みを手伝ってくれたりした。
ネビーの思惑通りに動く人々に内心で更なる打算を働かせていたネビーは、ふと蛇口があればいいのにと思った。
『蛇口』と呼ばれるものがなんなのか、そもそもどこの国の言葉なのかはネビーにはわからなかったが、栓をひねるだけで水が出てくるものという概念だけは頭の中におぼろげに浮かんでいた。
これがあればわざわざ重い水を抱えて、毎朝井戸と家を往復しなくて済むのにと思う自分に気づいて、ネビーは違和感に首を傾げた。
見たことがないはずのものが頭に浮かぶ違和感。当たり前のように脳内で呟いた異国の言葉。一体これは何の記憶だと混乱するネビーが前世の記憶を思い出すまでに、さほど時間はかからなかった。
前世の記憶の中で、ネビーは人気のアイドルだった。
『テレビ』と呼ばれる映像媒体にネビーの姿が映らない日はなく、『ライブ』と呼ばれる演奏会では何万人という途方もない数の人々が押し寄せた。
ネビーの笑顔ひとつで歓声が上がり、ネビーの歌声に誰しもが聞き惚れた。
踊りで、歌で、笑顔で。
ネビーが一から作り上げた完璧な女の子像に世界中が魅了され、その熱狂は留まるところを知らなかった。朝も昼も夜もネビーはあちこちに引っ張りだこで、絶えることのない称賛の声の中で生きることにネビーはこの上ない喜びを感じていた。
だからネビーに恋をするあまり、思いつめたファンに背中を刺されたときも、ネビーは素の自分を見せることはなかった。
君の苦しみに気づいてあげられなくてごめんねと笑い、君だけの私は音楽の中にいるから、いつだって会いに来てと血溜まりの中で微笑んだ。
周囲が突然の凶行に騒然とする中で、最期までアイドルで居続けたネビーのことはきっと死後も語り継がれていることだろう。
伝説のアイドルとして名を残せたことに満足したネビーではあったが、それはあくまで前世での話だ。
前の自分の死に際を知ったからこそ、今世のネビーは同じ過ちを犯さない。
恋われるのではなく、愛される。
そして恋われたとしても、常に誰かに護られる。
そんな存在になるには、教会が支持する光の魔法使いは格好の地位だった。
そもそもネビーが光の魔法使いについて知ったのは、前世の記憶からだった。
アイドルとして日夜輝き続けた前世のネビーは、様々な作品の主題歌を依頼されることも多かった。その中には乙女ゲームを原作としたアニメもあり、ネビーは作品への知識を得るために実際にそのゲームを自ら操作したことがあった。
時間もないので攻略情報を参考にしてのものだったが、おおよその話は理解した。簡潔にまとめれば、平民の少女が神から授かった力で人々を癒し、世界を救うという話だった。前世の世界ではありふれた話だった。ネビーが今住む国にも、似たような伝承が残されている。
活発で笑顔を絶やさない主人公の少女は、ある日礼拝に訪れた教会で神様から力を授かる。それを目にした教会の人間が国に掛け合い、少女は魔法が使える者だけが通う学園に入学する。そこで様々な少年少女と出会い、時に対立し、時に力を合わせて苦難を乗り越えた少女は、学園という籠を飛び出して世界を救う旅に出る。
旅に出るのは少女と少女を愛する少年の二人だけ。世界に厄災をもたらす邪神が祀られている祠を見つけ出し、そこで世界の命運を懸けた戦いを行う。神より授かりし特異な力。およそ世界に少女だけしか持ち得ぬその力を使って少女は邪神を倒し、共に戦いに臨んだ少年と結ばれて、最後は平和に暮らしていた。
その少女が神より授かった力こそが、ネビーが神に贈られた光魔法だった。
ネビーは乙女ゲームという物語の中に登場する女の子だった。
そのことに気づいたネビーは、けれどさして衝撃を受けることはなかった。なにしろネビーはとっても可愛くて元気で、笑顔ひとつで誰にでも愛される奇跡のような女の子なのだ。それがどこかの世界のどこかの国で有名なお話として広められたとしても、ちっとも不思議ではないし、寧ろそうなるのが世界の摂理とさえ思っていた。
その物語通りに未来が進むなら、ネビーは神様の愛し子として光魔法を授かり、世界を脅かす邪神を葬る旅に出ることになる。邪神を葬るのは多少骨が折れそうだが、ネビーならば問題ない。
邪神も倒して、世界も救って、ネビーはより一層愛される女の子になる。
その為ならばネビーはいつだって笑顔でいられるし、涙の一粒だって効果的に流すことができる。例えネビーが世界中の誰一人として愛していないとしても、自身を愛し育んでくれた両親を自分に都合よく動かすための駒にしか見ていないとしても、愛に満ち溢れた女の子を演じることはネビーにとって造作もないことだった。
神様さえもそんなネビーの女の子像に騙されて、ネビーを愛し子として光魔法を授けてくれた。もしもネビーが心の中で、光魔法を行使することによって得られる利益について算盤を弾いていることを知ったら憤慨していたかもしれないが、知らなければそんな事実は存在しないも同然だ。
ネビーは何も悪意をもって人々を騙しているわけではない。
完璧な女の子像を作り上げて、完膚なきまでに騙してあげることで、人々を幸せにしてあげているのだ。その見返りとして捧げられる贈り物の数々を享受するのは、ネビーとしては至極当然のことだった。
この世は騙す方が悪いのではない。
騙される方が悪いのだ。
両親も、町の人々も、目の前の神官も、神様も。
ネビーのことを知りもしないくせにネビーの善性を信じて疑わない、彼らの方が、悪いのだ。
***
魔法学園での生活は、おおむね順調と言えた。
始めは平民の子ということでネビーを蔑視していた者達もいたが、ネビーの屈託のない笑顔と言葉に心を奪われ、すぐに考えを変えてネビーと仲良くするようになった。
学園での授業についても、地頭の良さと前世で身に着けた知識のお陰で理解を深め、早々に上位成績者として名を知られるようになっていった。
まともに教育を受けたことのないネビーに成績で負けたことを悔しがった生徒に難癖をつけられることもあったが、その頃にはネビーの信奉者とも呼べる人間が多くできていたので、ネビーが何を言わずとも彼らがネビーを守ってくれた。
男の子達は蔑みの視線からネビーを守り、女の子達は嘲りの言葉からネビーを守った。皆が皆、平民に過ぎないネビーを自分達の仲間として認め、ネビーが学園の中で不自由しないように心を砕いてくれていた。
ネビーもそんな彼らの行いを助長させるべく、より一層慈悲深く振舞った。
人は善行を成すときほど己の正しさを肯定する。
自分が善い行いをしているのだと思うほどに、その目は盲目となり自らの行いに疑いを持たなくなる。狭窄された視野は一点しか見つめられないからこそ集中し、善行を成す自分というものへの快感を高めていく。
ネビーという社会的弱者に心酔させることで彼らの矜持を煽て、自分より弱い女の子を守っているのだという英雄的行為で彼らの心を絡めとる。
ネビーを守らせることで自分は強い人間だと思い込んだ彼らは、良いことをしている自分への肯定感という快楽に溺れてますますネビーから離れられなくなるだろう。
そうしてネビーという偶像を信じたことが過ちではないのだと示すべく、ネビーは誰よりも輝く眼差しで前を向き、何者であろうとも恐れることなく立ち向かった。
自分の足で先頭に立つからこそ、その背を目にした人々が愛さずにはいられなくなるのだということを、ネビーは前世の記憶から知っていた。
こうして着々と味方を増やしていくネビーの噂は上級生の間にも広がり、見世物でも見に来るように上級生から声をかけられることが増えていった。
その中には前世で見た乙女ゲームの中で攻略対象と呼ばれる者達もいたが、ネビーは必要以上に相手をすることはなかった。使い手が神によって選べる、稀代の光魔法の使い手とあらば平民であっても貴族家に召し上げてもらえることもあるだろう。
実際ゲームの中の主人公も邪神を倒した功績によって、攻略対象の家に喜々として迎えられていた。
だがネビーは尽きることのない欲望を持つ女の子だ。一人の相手と生涯を添い遂げるならば、その見返りは最大限まで引き出せるような相手でなければ興味もない。
即ち、この国の最高位である王の妻。その座が得られる相手であれば、ネビーも恋に浮かれる振りをするのに吝かではない。
そして今この学園にいる生徒でそんな地位を与えられそうな人間といえば、第一王子であるヴァッヘル殿下のみである。
ならばネビーはヴァッヘル殿下に狙いを定めて、自ら恋に振り回される人間を演じるのかといったらそうではない。ネビーは自身が望むものにはそちらの方から飛び込んできて欲しいし、それは恋の相手であろうと同様だった。
何しろ望む相手は第一王子で、平民に過ぎないネビーは声をかけることすら憚られる。そんな相手と婚姻を結ばせるには、周囲をそんな状況に追い込むのが最適だろう。
ネビーが光魔法の使い手として功績を挙げれば、ネビーを国に囲い込むために自ずと王族との婚姻の話が持ち上がるはずだ。
ゲームでも王子が攻略対象として登場したのは入学一年目の終わり頃だ。しかもほとんど言葉を交わすこともなく、肩がぶつかっただけで去って行った。
現実でも平民と王族の上下関係は厳しい。同じ学園に通っているからといって、気さくに声をかけていい相手ではない。まずはネビーの名声を高め、押しも押されもせぬ立ち位置を得ることから進めなければいけない。
回りくどく見えるかもしれないが、これこそが自身の欲望を満たす為の近道だとネビーは知っていた。
学園での生活が一年が過ぎた。
この一年ですっかり学園の人気者になったネビーは、同級生だけでなく上級生からも目をかけられるようになった。他にも学園で働く者なら、教師も寮監も職人も下働きも、誰であってもその物覚えの良さで名前と顔を憶えて回った。
お陰でどこにいても誰かが声をかけてくれるので、ネビーを妬んだ他の生徒から迫害を受けることもなく、のびのびと暮らすことができていた。
そんなある日、ネビーは庭園の隅でさめざめと泣く女の子を見つけてしまった。ちょうど庭師のお爺さんの手伝いをしていたときだったので、ネビーはお爺さんに断りを入れてそっとその子の元へと近づいた。
「雨、止まないね」
「ひっく、う……、……?」
突然声をかけてきたネビーに、女の子は泣きはらした目で不思議そうな顔をした。
木立に囲まれた頭上を見上げても、さわさわと風に揺れる梢の音がするだけで、雨の音はひとつも聞こえない。それどころかまだ高い場所にある太陽の光が、木の葉の形に遮られて細かな鱗粉をまぶすように辺りを彩っている。
それなのにどうして雨が降っているかのように言うのだろうかと首を傾げた女の子に、ネビーはにこりと笑って手巾を差し出した。
「あんまり濡れると、風邪引いちゃうよ」
柔らかな手巾を濡れた目元に優しくあてがう。
ネビーの言う雨が自身の涙だと気づいた女の子は、止まっていた涙をほろりと流して手巾に細い指を添えた。
「あり、がとう」
礼を述べた女の子の目からはらはらと涙が落ちていく。
そんな女の子に何を言うでもなく、ネビーは近くの木陰に腰を下ろして、もう一枚持っていた手巾を広げて隣に敷いた。
「立ってると疲れるでしょう。こっちに座っておきなよ」
にかりとネビーが笑いかけると、その笑顔に吸い寄せられるように女の子はふらふらと近寄ってきた。
そうしてネビーに半分ほど背を向ける形で手巾の上に座ると、立てた膝に顔を埋めるようにして背中を丸めた。顔を覆う両手の隙間からネビーが渡した手巾が見えたので、ネビーは女の子の涙を手巾がすべて吸い取ってしまうまで梢のざわめきに耳を傾けた。
こんなに天気が良くて、吹き抜ける風が爽やかに頬を撫でる日に、女の子はどうしてこんなところで泣いていたのか。そんなことネビーはちっとも気にならないし、女の子にだって興味はない。でも使える人間も使える情報も大いに越したことはない。
だからネビーは女の子が泣き止むまでじっと座っていられたし、女の子の存在を無視して陽気な風と木々の香りを堪能することができた。
「……あの、手巾、ありがとうございます」
まだ声の端々を濡らした女の子が、ず、と鼻を鳴らして呟いた。
涙で濡れた顔を見られたくないのか、それとも人見知りの気があるのか。振り向かない女の子にネビーは気分を害することもなく、慈愛を感じさせる笑みを浮かべて言った。
「ここは風が気持ちいいからね、偶にはこうしてゆっくり過ごすのも悪くないよ」
「そう、ですか。……あの、あなたは……聞かないのですか?」
途切れ途切れの問いかけに、ネビーは穏やかな声で聞き返した。
「雨は止んだ?」
「…………はい」
「だったらいいよ。雨の音は嫌いじゃないけど、降りすぎると凍えちゃうからね」
「……貴方は、とても優しいひとなのですね」
「誰だって寒いのは辛いもの。それなら傘を貸してあげるくらい、大したことないんじゃない?」
「わたくしに傘を貸してくださったのは、貴方が初めてだわ」
吐息で笑うように告げた女の子の声は、もうどこも震えてはいなかった。
本当に、ネビーにとっては泣いている女の子に手巾を貸し、泣き止むまで側にいるなんて大したことではなかった。たったそれだけのことで、少なくない好感と信頼を得られるのだ。
ネビーにとって得することはあっても、損することは微塵もない。
いっそ学園中の女の子に泣いて欲しいくらいだと思っていると、ようやく顔を上げた女の子がぽつりぽつりと話し始めた。
「わたくし、学園を卒業したら婚姻することが決まったの。お相手はとても良い方で、わたくしにはもったいないくらいの素晴らしい人よ。でもわたくし、ずっと心に想っている方がいるの。もちろん貴族だもの、自分が想う方と添い遂げられないことは重々承知しているわ。そのために毎日贅沢をさせてもらって、学園にだって不自由なく行かせてもらえているのだもの。婚姻を決めたお父様に文句はないし、自分の生まれを恨むつもりもないの。だけど、わたくしの恋が、ずっとわたくしを支え続けてくれた恋が、誰に知られることもなくなかったことにされてしまうのが、ほんの少しだけ、悲しかったの」
所々声は途切れ、鼻をすする音も聞こえたが、女の子が口を噤むことはなかった。
想う相手と結ばれない悲哀はネビーの理解するところではなかったが、時としてそれが身を裂かれるほど辛いことだとは知っている。そしてそんな時の弱った心には、何の面識もないネビーが付け入れる隙が多分にあることも知っていた。
「なかったことになんてならないよ」
「え?」
凛としたネビーの声に、ずっと背中を向けていた女の子が振り返った。
頬に怪訝そうな視線が当たるのも構わず、ネビーは力のある声で言った。
「だってその恋は、あなたの人生の一部になってるんでしょう? だったらあなたが生きている限り、なかったことになんてならないし、それに、私があなたの恋を知った」
紺碧色の瞳に一等星を煌めかせて、ネビーは女の子を真っ直ぐに見つめた。
「だから私が言ってあげる。──あなたって、とっても素敵な恋をしてるのね!」
「っ」
弾けるようなネビーの笑顔に、泣き止んだはずの女の子の両目が急速に水気を帯びていく。
誰に話しても、否定されただろう恋心。きっと両親も、側に仕える使用人も、仲の良い友人でさえも、秘するように、あるいは捨てるように言っただろうそれを、とても素敵なものだと言ってくれた。
輝く笑顔で、煌めく瞳で、澄んだ声で。
その恋は間違いではなかったのだと肯定してくれた。それがどんなに得難いことで、それがどんなに嬉しいことか。
女の子は込み上げる涙を堪えきれず、長い睫毛に縁どられたまなじりを濡らして、随分と濡らしてしまった手巾を両目にあてた。
「ありっ、がとう……っ、ありがとう……!」
うずくまるように顔を伏せて、必死に礼を述べる女の子の背中をネビーは優しく撫でてあげた。
その眼差しは聖母のように慈愛に満ちて、その微笑みは女神のように慈悲深かった。
再び泣き始めてしまった女の子が泣き止むまで、ネビーはずっと彼女の側に寄り添い続けていた。
「初めて会ったというのに、みっともないところばかりを見せてしまったわね」
しばらくして顔を上げられるようになった女の子が、照れ臭げにはにかんだ。
その目元はすっかり赤くなっていたが、浮かべる表情はどこか憑き物が落ちたかのようにすっきりとしていた。
「私はただ傘を貸してあげただけ。それだけだよ」
片目を閉じて悪戯っぽく笑うネビーに、女の子もころころと笑い声を漏らした。
「貴方って本当に不思議なひと。こんなに晴れやかな気持ちになったのは久しぶりだわ、本当にありがとう」
「なんのことかはわからないけれど、どういたしまして」
あくまでネビーが惚けるのは、それが女の子の体面のために必要なことだからだ。女の子もそれをわかっているから、それ以上言及することはしなかった。
「さあ、もう日が暮れ始めてきたよ。夜に攫われてしまう前に、女の子は帰らないと」
木立の出口へと促すネビーを振り返り、女の子は手にした手巾を握り締めて言った。
「ねえ、ここに来たら、また会えるかしら?」
「雨の日も晴れの日も、私はいつでも大歓迎だよ」
笑顔で手を振るネビーに女の子も笑みを浮かべ、それから誰にも見られないようにひっそりと木立の向こうへと消えて行った。
互いに最後まで名を明かしはしなかったが、女の子はそれを咎めなかったし、ネビーも聞こうとはしなかった。直接顔を合わせたことはなくとも、その噂は知っている。良くも悪くも学園の中で評判となっているネビーのことをあの女の子が知らないわけがないように、ネビーもまた人形のように美しいあの女の子の名前を知っていた。
ピオニア・ラクティフ。ラクティフ公爵家のご令嬢であり、この国の未婚女性の中では王女に次いで二番目に地位の高い女性。
そして、第一王子の妻の座に最も近い令嬢と目されている女性である。
平民に過ぎないネビーが気軽に声をかけていい相手でも、宥めるためとはいえ背に触れていい相手でもなかったが、互いに名を明かさないことでピオニアはネビーの無礼を不問にしてくれた。
ネビーもピオニアが平民に泣き顔を見られたなどと不名誉な傷を負わずに済むよう、最後まで見知らぬ相手として貫き通した。
面倒に見えても、貴族とは名誉と建前が必要不可欠な生き物なのだ。それでなくとも、面子を重んじる相手の扱いは前世の頃から心得ている。
だからこそピオニアもネビーの意を汲んで自身の内情を吐露してくれたのだろう。貴族が大半を占めるこの学園で、貴族とは最もかけ離れた存在である平民のネビーであれば、ピオニアの婚姻を知ってもどうすることもできないと知っているから。
そして貴族のしがらみを知らないネビーであれば、ピオニアの恋を、少なくとも否定しないだろうと期待した。
その期待にネビーは応え、ピオニアからの信頼を獲得した。
この駒と今回得た情報が、今後どれほどの利益を生むかはネビーにもわからない。
第一王子との婚姻の内示をもらって泣いていたのか、それとも他の誰かと婚姻することになって泣いていたのかで話は大きく違ってくる。
学園に通う他の生徒は貴族の生まれであっても、まだ社交界に出たことのない子どもばかりだ。公爵家の婚姻などといった重大な事柄に精通している者はいない。精々両親から聞いた噂話の域を出ない程度だろう。
もしもピオニアが王子と婚姻することになったのなら、ネビーも狙いを変える必要が出てくる。ピオニアの心情はさておき、公爵家と王家の婚姻を翻させるとなると、どこかに禍根が残る可能性がある。
ネビーはとっても賢くて強い光魔法の使い手なので、邪神を倒して世界に平和をもたらし、公爵家との婚姻をご破算にさせて第一王子と結ばれることは簡単だが、それを逆恨みされては楽しくない。
仮にピオニアが第一王子に恋をしていて、他の男の所へ嫁ぎに行くのであれば何の遺恨も残らない。ネビーが第一王子と婚姻するに相応しい人間だと、ピオニアに認めさせればいいだけの話だ。
だが公爵家が王家と婚姻の話を進めているのであれば、公爵家と王家の人間の思惑や利権が絡んでくる。そこに割り込んでネビーの存在を納得させたとしても、欲にまみれた心までは完璧に絡めることはできない。
前世のネビーはファンに好かれ過ぎるあまり刺されて死んでしまった。
強い感情というのはそれだけで人を殺すことができる。前世の記憶からそのことを学んだネビーは、好かれ過ぎず嫌われ過ぎず、それでいて誰もに慕われる女の子になろうと決めている。
光魔法の使い手というだけで、人々の意識にネビーの印象は強く残る。残ってしまえば、ネビーの一挙一動に影響される。ネビーが何を言わずとも、人々は光魔法の使い手であるネビーに期待するし、神に愛されているのならば善人だろうと好意を持つ。
あるいは神から力を授かったネビーに悪感情を持つ人間もいるだろうが、それは仕方のないことだ。悪意と好意は表裏一体で、好きだから嫌いにもなるし、嫌いだから好きにもなる。
つまるところ、嫌われるというのも心を奪うという点では同じ事。嫌いだから側にいたい。嫌いだから自分を見て欲しい。
そういった人間は前世の時にもいたし、今の世界でもネビーの周囲には一定数存在する。
ネビーにとってはそういった人々も大事な駒だ。使い捨てても誰にも顧みられることがないのだから都合がいい。
しかし、個人的な感情ではなく全体の利益による怨みというのは、時としてネビーの手に余る事態を引き起こす。
常に誰かに称賛されていたいネビーにとって、そういった些事にかかずらっていることすら耐え難い。それくらいならば第一王子と結婚せずとも、教会から聖女の認定を受けて世界各地を行脚してもいいし、他所の国の王子や王と結婚してもいい。
何も人間のいる土地はここだけではないのだ。ネビーは自分が一国に収まる器ではないと自負しているし、いずれは大陸中に自身の名を轟かせるつもりでいる。
ネビーにとって重要なのは誰と結婚するかではない。
この世界の誰よりも光り輝くこと。
太陽すらも脇役にして、彼女の光で世界を照らすこと。
それこそが彼女の生きる意味であり、尽きせぬ欲望の源だった。
***
学園での生活も二年目に入り、危なげなく進級したネビーは学園の二年生になった。
表向き教育の下地がないまま学園に飛び込んだネビーは、周囲の懸念を大きく裏切って、今や成績上位者の常連だ。前世の記憶のお陰で勉強の要領はわかっている。それでなくともネビーは生まれつき頭がいい。記憶力も図抜けているので、初めて見る文字もすぐに覚えて習得した。
ネビーの習得があまりにも早いので実はどこかの貴族の落とし子なのではないかと疑われもしたが、教会で手伝いをしていたのだと言えばそれ以上食い下がられることもなかった。
実際にネビーは教会の手伝いも積極的に行い、簡単な読み書きであればそこの神官達から教わった。
教会の人間に敬虔な信者だと思わせておけば、下町での暮らして困ったことがあったときに多少の融通を利かせてもらえる。それに光魔法を授かった際は、喜んで後ろ盾になってくれるだろうという目論見もあった。
善行とは他者のために行うのではない。
自身の利益へと繋げるために行うのだ。
お陰でネビーは教会から定期的な支援を受けており、学業が向上するほどにその待遇は高くなっている。
さすがにドレスや宝飾品が送られてくるわけではないが、仕立ての良い服や高価な本、普段使いするのに必要な筆記具や小物などが送られてくる。物を書く必要のない庶民には筆記具ですら手を出しづらい高級品だが、破竹の勢いで成績を上げるネビーに教会も期待しているのだろう。光魔法の稀代の名手となってくれるよう、山となるほどの量をネビーに寄越していた。
もちろんそんな暑苦しい期待に気後れするようなネビーではない。
送られたものはすべて有効活用し、消費に供給が追いつかないほどあらゆる分野に手を出している。学園で学べることはすべて学び尽くすと言わんばかりに、貪欲に知識を飲み込むネビーはいつだって教師陣の称賛の的だ。
最早教師の中にネビーが平民だからと手を緩める者はおらず、誰よりも勤勉なネビーに触発された同級生は、ネビーに遅れを取るまいと学業に励んでいる。
それを良い兆候だと受け取った学園長は、ネビーの入学を心から喜んだ。今後も善く励みなさいと応援され、当然そのつもりでいるネビーはにこやかに微笑んだ。
魔法の授業も一年かけて基礎を学び、二年目からは遂に実践的な授業が始まる。
ネビーの光魔法は使用者が根本的に少ないので、教えられる教師は学園にはいない。光魔法について書かれた資料も伝承や伝聞ばかりで、どういった魔法なのかはわかってはいなかった。
ただ光魔法は奇跡の魔法とも呼ばれ、時にその使い手は神の代行者とも呼ばれるほどであると言い伝えられている。
具体的にどんな魔法なのか。それを在学中に研究し、ひとつでも解明させることがネビーの課題となった。
一介の学生が手探りで自身の魔法を調べるなど、生半可な努力でどうにかなるものではない。学園も教会も光魔法の情報は喉から手が出るほどに欲しているので、ネビーへの協力は一切惜しまない姿勢を見せている。
本音を言えば朝から晩まで付きっきりでネビーのことを調べたいのだろうが、神が愛した子どもに下手に手を出せばどんな天罰が下るかわからない。だがネビーが自ら調べて開示してくれれば、愛し子の意思で行ったことだからと神の怒りを免れられる。
だからこそネビーは教会に飼い殺しにされるわけでも、国の研究対象として幽閉されるでもなく、魔法学園という箱庭の中に入れられた。
どちらの魂胆もネビーにはお見通しで、ネビーをどうにか利用しようとしていることはわかっていた。その上でネビーも両者を利用して、びた一文たりとも払うことなく最上の施設を活用している。
それに光魔法に関する文献がなくとも、前世の記憶があるネビーは光魔法で何ができるかを知っている。答えのわからない計算式を求めることは不可能に近いが、最初から答えがわかっているのであれば最適な計算式を導き出すことは容易い。
故にネビーはおおまかな光魔法の使い方を把握しつつあったが、それを漏らすことはしなかった。
ネビーの真価を示すにしても、それ相応の舞台というものがある。
何より手の内の札を先にすべて晒しては、どんな勝負にも勝てはしない。
手札の数もその札の強さも、誰にも知らさないからこそより効果的に、より劇的にネビーを輝かせてくれるのだ。
この世は既にネビーの掌の上。
世界の命運も、人々の心も、神の愛も。
ネビーが作り上げたネビーという少女を中心に回るしかない。
それこそがネビーの幸せであり、それこそが世界の幸せなのだから。
「ネビー嬢、少し時間を取らせてもらってもよいだろうか」
夕方近くの学舎内。本日最後の授業が終わり、教室を出たその足で図書館に向かおうとしていたネビーは、低めの声に呼び止められて振り向いた。
「ミンツ君、どうしたの?」
ネビーに声をかけてきたのは、同級生の中でも背の高い少年だった。
切れ長の目に怜悧な相貌をした少年の名は、ミンツ・エイビス。エイビス伯爵家の跡取り息子であり、乙女ゲームに出てきた攻略対象の一人である。
理知的でどこか冷たさを感じさせる端正な顔立ちの彼は、昨年からネビーと首席の座を争う相手でもあった。
「これから図書館に行くのだろう? 学習室を予約しているから、よければそこで話をしたいのだが」
学習室とは、図書館内部にある扉のない個室のことだ。
扉がないのでやましいことは行えないし、小声で話す分には誰の迷惑にもならない。複数人で勉強する際に活用されているが、こうして密談をしたいときにも利用されることがある。
「いいよ、行こう。ついでに今日の授業について意見交換もできると嬉しいな」
「俺もネビー嬢の見解を聞きたいと思っていたところだ。少し遅くなるかもしれないが、大丈夫だろうか?」
「今日は日が落ちるまで図書館に籠もるつもりだったからね、問題ないよ」
「いつもながら、ネビー嬢の勉強熱心さには頭が下がるな」
「ミンツ君だって似たようなものだろうに、ちょっとは手を抜いて私に首席の座を渡してくれてもいいんだよ?」
「どうせ実力でもぎ取るつもりの人間が何を言ってるんだ」
「頑張りすぎるのも体に毒だって話だよ。こういうのは肩の力を抜いたくらいが一番いい成績を出せるものじゃない。私も君もね」
「肝に銘じておこう」
律儀に頷くミンツは、去年ネビーへの対抗心を募らせすぎて体調を崩しかけたことがある。
教育に厳しい家で育ったミンツは常に首席でなければいけないという強迫観念を懐いており、平民のネビーが首席の座に手をかけたことでそれがより顕著になった。
ネビーに負けてはならない。成績に一度でも泥がついてはならない。エイビス家のため。ひいてはエイビス一族のため。家門を背負う者として、ミンツはただの一度たりとも失敗することは許されない。
そんな思い込みに囚われたミンツは寝る間も惜しんで勉強にのめりこみ、食事も睡眠も疎かにしたせいで倒れてしまった。
ほとんどの生徒が帰ってしまった宵の口。図書館前の植え込みの陰という、夜が更けるほどに見つかりにくくなるその場所に隠れるようにして倒れたミンツを見つけ、人を呼んで介抱したのがネビーだった。
自分が一方的に敵視していた相手に助けられたと知ったミンツは、自身の不甲斐なさに打ちひしがれて落ち込んだ。体も弱り、心も弱ったミンツを救ったのもまた、ネビーだった。
『君は何が知りたくて勉強しているの?』
それはミンツを根底から揺さぶる言葉だった。
何が知りたくて。そんなことはもう何年と前から意識したことはなかった。
ただ領地のために、家のために、詰め込めるだけの知識を詰め込んだ。そこに楽しみはなく、何かに急かされるように一日中本に向かい続けていた。
いつからそうなっていたのかは憶えていない。だが今よりもずっと小さな頃、椅子に座るにも誰かの手を借りなければならなかった頃は、自分の意思で本をめくっていた記憶がある。
頁をめくればいくらでも未知がそこにはあって、それらをひとつひとつ知っていくのが楽しくて、食事の時間が来ても頁をめくる手を止められずにいた。
その頃の自分に比べて、今の自分はどうだろう。ひたすら良い成績を取ることだけに躍起になって、何の為に何が学びたいのかを考えたことはあっただろうか。
家のためにと首席を取り続けたところで、その後に領地へと還元できる知識が身についていなければ意味がない。学園が出す問いに満点を出し続けても、領民の生活を豊かにさせられるわけではない。
そんな当たり前のことに気づいたミンツは、体に無理を強いてまで勉学にのめり込もうとすることを止めた。
試験に合格するための勉強ではなく、人生に役立つような勉強をしよう。
勉強に対する意識を変えた途端、ミンツを常に追い立てていた焦燥感はどこかへ消えた。代わりに湧き上がったのは知りたいという欲求だった。
心が落ち着けば体の不調も薄らぎ、余裕をもって臨んだ次の試験では歴代でも最優秀の成績を収めた。
以来ミンツはネビーのことを切磋琢磨して高め合う友として、空いた時間に自主学習へと誘うようになっていた。
「それで、一体何があったのかな?」
互いに両手に抱えた本を学習室に持ち込み、四人がけの机に置いた直後にネビーが尋ねた。
何を聞きたいかではなく何が起きたかを尋ねるネビーの察しの良さに舌を巻きつつ、ミンツは一枚の地図を机に広げた。
「ここ数年、領地に出没する魔獣の数が増えている。野生の動物達も狂暴さが目立つようになり、各地の村々やその周辺に被害が出ている」
地図に書かれているのはエイビス領の地図だった。
王都から見て北東部に位置するエイビス領は、高山と荒れ地に囲まれた土地だ。作物が育ちにくく、人が住みにくい。冬になれば大地が凍り、雪崩が頻発することも珍しくない。
だがこの土地でしか育たない薬草が多くあることに気づいた何代か前の伯爵は、この地を薬草が根づく土地として開墾し直し、薬学と医学の先端を担う領にした。
その悲願は代々受け継がれ、今やエイビスなくして医療はないとまで謳われるようになった。
そんなエイビス領の村ともなれば、当然薬草で生計を立てている家がほとんどだ。どれほどの被害が出たかはわからないが、今後薬の入手が難しくなってくることは確かだろう。
「魔獣の被害だけではない。各地では天災も相次いでいる。災害時に備えてそれなりの数の薬草は蓄えてあるが、この調子では領外に持ち出す数にも制限をかけなければならなくなるだろう」
「状況はそんなに厳しいの?」
ネビーが問いかけると、ミンツは秀麗な額に深い皺を刻んで言った。
「我が領だけではない。国内のあちこちで似たような話を聞いている。噂では近隣の国々も同様の状況が続いているそうだ」
大陸のあちこちで魔獣が突如増え出し、それに呼応するかのように天災が多くなった。
歴史を紐解けば大陸全土での大飢饉や、魔獣被害などは何度とある。だが世界中に暗雲が立ち込めるほどの災いが起きたとき、そこには共通してとある人物達が歴史にその姿を現していた。
「歴史的に大災害と呼ばれる事態は、名を呼べぬ神が復活する前触れではないかと指摘した歴史家がいた。その説は民間に流布することなく消えてしまったが、その歴史家は続けてこうとも唱えている。『名もなき神の復活を阻むため、神が選び出した人間こそが光魔法の使い手なのだ』と」
地図に視線を落としたミンツの顔は静かだった。
歴史の闇に迫ろうとする興奮も、その悍ましさに怯えた様子もない。
何の感情も見えない顔で、深淵を覗き込むように地図を見据えたミンツは、ただひとつの問いだけをネビーに投げかけた。
「彼の神は、復活するのか?」
その問いかけは前世の乙女ゲームでも目にしたことのあるものだった。
そしてネビーが生きるこの世界でも、その台詞を最初に口にするのはミンツだろうとネビーは予想していた。
だからこそネビーは自分の言葉でミンツの問いに答えてみせた。
「大丈夫。何があっても、私がみんなを守るよ」
直接的な言葉をネビーは使わなかった。
しかし力強く放たれた言葉は、何よりも雄弁に起こり得る未来を語っていた。
「そうか」
沈思したミンツが重たげに瞑目した。
それから意識を切り替えるように目を開くと、何事もなかったように話し出した。
「前置きはそれまでにして、今日ネビー嬢に声をかけたのは他でもない。領内での魔獣対策について、ネビー嬢の意見を聞かせて欲しい。元々環境に難のある土地柄だ、自然災害より滅多に現れない魔獣被害の方が深刻でな」
「そういうことなら、朝までだって付き合うよ」
磊落に笑うネビーに、ミンツも僅かばかりまなじりをやわらげた。
しかしそれも一瞬で、すぐさま表情を引き締めたミンツは今後の被害が予想される地域について、地図で指を差しながら説明していった。
ネビーも前世の記憶から得た着想と、今世で学んだ知識とを活用していくつかの魔獣対策をミンツへと提案した。
これらの流れは前世の記憶にある乙女ゲームと大きく変わってはおらず、邪神の復活に関してもミンツが指摘した通りだった。
まだ王都には不安の声は届いていないが、ここ数年緩やかに物価が高くなりつつあった。特に外国からの輸入品は数が減り、ネビーが懇意にしている商家の人間も手に入り辛くなったとぼやいていた。
魔獣についても王都近辺は静かなものだが、ミンツの実家のような僻地では問題視され始めている。やがて国家単位で対策を打ち出されるのも時間の問題だろう。
ゲームでは次の冬を越えたあたりで、本格的に世界が混沌と化していく。当然学園も呑気に授業をしている場合ではなく、教師も生徒も自領へ呼び戻されたり、魔獣の討伐に駆り出されていくことになる。
ゲームの主人公も光魔法を役立てるべく教会に身を寄せるが、そこで邪神の復活と封印の方法を聞き、邪神を倒す旅に出る。
その際最も好感度の高い相手と旅に出ることになるのだが、今の時点ではミンツがその相手となる可能性が高い。
誰と行くにしても、ネビーの中で邪神を倒すことは決定事項だ。邪神が世にのさばっていては、ネビーを愛してくれる人間の数が減ってしまう。それはいけない。ネビーは常により多くの人に愛されていたいのだから。
結局この日はミンツと遅くまで話し合い、ネビーが寮に戻ったのは夜になってからだった。
それから数か月が経ち、魔法学園では毎年恒例の魔法実技演習の日がやって来た。演習と名がつく通り、これは学園内ではなく、王都近隣の森で行われる。
参加できるのは二年生以上。王都外に出ての演習になるので、全員参加ではなく希望者のみの参加になる。しかも野営訓練も兼ねているため、女子生徒はほぼ参加しない。
公爵家令嬢のピオニアも、周囲からの反対があって参加を見送った。ピオニアは一学年上の三年生になるので、来年が最後の機会になる。魔法学園は四年制で、飛び級制度もあるので早ければ二年で卒業できる。ピオニアは優秀な生徒なので卒業に必要な単位はすぐにでも取れるはずだが、意中の相手が学園内にいるからと、卒業を急ぐことはしていないかった。
ピオニアとはあれから三度ほど、同じ庭園の片隅にある木立で会っている。互いに忙しくしている身なのでたいした時間も共にできないが、それでも他の誰にも吐き出せないピオニアの恋の話をネビーは親身に耳を傾けていた。
具体的な情報は伏せられていたが、ピオニアの慕う相手が高位の人間で、幼少期から顔を合わせる間柄だというのは判明している。恐らく攻略対象二人の内のどちらかではないかとネビーは睨んでいるが、未だ確証と呼べるものは掴めていない。
ネビー自身さほど興味があるわけでもないので、無理に聞き出そうとはしていない。それよりも今はピオニアとの繋がりを強めて、将来の後ろ盾のひとつになってもらうことが優先された。仮にピオニアが未来の王妃になってもならなくても、ピオニアという少女には懇意になっておくだけの価値があった。
それでなくともネビーはすべての人に愛されたいのだ。折角転がり込んできた縁を、自ら反故にするつもりはない。
今回もネビーが演習に参加すると聞いたピオニアから、護り石を譲られている。平民では一生かかっても手に入れられないような代物だが、ネビーの安全を祈願したピオニアは惜しげもなくそれを差し出した。
護り石とは持ち主を守護する力が込められた特殊な石だ。自然に護り石となった物もあるが、民間に出回っている物の多くは魔法使いが魔法を込めてできている。
込められた力によって守護の内容も変わってくるが、ピオニアが渡してくれたのは命の危機を一度だけ救ってくれる特上の護り石だった。想い人にも同じものを贈っているらしく、ピオニアからの好感度の高さにネビーは心からの笑みを浮かべて受け取った。
こうして魔法実技演習に参加したネビーだったが、ゲームでもイベントとして扱われていたように、現実の演習でも問題が起きた。
森の中で魔獣に襲われたのだ。
王都近くの森で魔獣が出ることは滅多にない。出たとしても小型程度で、危険度も低い。
しかしネビー達の前に現れたのは獰猛な魔狼種で、群れを成して襲いかかってきた。卓越した連携で獲物を追い詰める魔狼と相対するには、同じく隙のない連携で迎え撃つしかない。だが森にいるのは個人技能に秀でた生徒ばかりで、統率の取れた軍隊に比べれば烏合の衆に等しい。
引率の教師達が盾になろうにも、突然の襲撃に驚いた生徒は散り散りになってしまい全員までは守れない。あちこちで怒号と悲鳴が上がり、遂に最初の犠牲者が出そうになったとき。
「──みんなは、私が守るんだ!」
その言葉を引き金に、光魔法を発動させたネビーが魔狼に噛みつかれそうになっていた生徒の前に光の盾を出現させた。その生徒だけではない、最前で戦っていた教師や最上学年の生徒の前にも盾が現れ、突進してきた魔狼が一斉に弾き飛ばされる。
驚愕に場が支配されるのを尻目に、ネビーはこのときのために磨き上げてきたとっておきの光魔法を魔狼達に向かって放った。
「我が意は楔、我が意は灯! 無間なる闇の彼方を穿ち、大輪燦然の星となる! 我が求めに応え至淵より来たれ《夢見の境を越える者》!」
直後、光の波濤が森を押し流した。
すべての影を押し潰す光に誰もが視界を奪われる中、発動者であるネビーだけは光輝を放つ無数の剣が魔狼達を貫いたのを見た。
柄を持つ手は人と似て人ではない。神では非ず、然して神代の国をたゆたう者達の御手だった。彼らの権能の一部を顕現させるこの魔法はかなりの魔力を奪う。ネビーもまた危機に瀕して実力以上の力を発揮させたものとして、その場に崩れ落ちて倒れた。
事前に体内の魔力量を調整してあったので、倒れたのは演技ではない。観客を魅了するならば舞台演出は劇的に、そして一切の嘘を取り除く方が望ましい。
嘘偽りなく魔力の枯渇で倒れるからこそ、ネビーの演出にも真実味が増し、他者を助けるために土壇場で覚醒したのだと思わせられる。
これでネビーに助けられた貴族の子息達は、ネビーに恩義を感じることだろう。そしてネビーの光魔法の使い手としての重要性に、国も教会も恐れ戦くことだろう。
ネビーは周囲に光魔法の使い手としての存在感を大きく示した。これにより、ネビーは最後の攻略対象と相見えることとなる。
即ち。
「今回の件、王家の一員として礼を述べるよ。皆を救ってくれて本当にありがとう」
王国の第一王子、ヴァッヘル・シユ・メデス。メデス王国の王太子殿下が、ネビーの元を直々に訪れた。
演習事件から三日後。二日間の安静を言い渡されたネビーは、医師から問題なしと言われて学園に復帰した。授業を受ける前に学園長室で事の顛末と、事件当時の聴取を受けて解放された。午前中の授業は大事をとって免除されていたので、ネビーは学園内で仲良くしている職員や下働きの人々に元気な顔を見せに行こうとした。
そこへ現れ、ネビーをお茶に誘ってきたのが、目の前で優雅に座るヴァッヘルだった。ヴァッヘルの後ろには、学園内で護衛を務めるクロメ・ナウツが立っている。
二人とも一学年上の先輩で、ピオニアも交えた三人ともが幼馴染だ。ネビーはこの二人のうち、どちらかがピオニアの恋の相手だと睨んでいる。
「今日君をお茶に誘ったのは謝罪がしたかったからだけど、他にも君に伝えたいことがある。寧ろ君にとってはこちらの方が重要になるかもしれない」
柔和な物言いで前置いたヴァッヘルの話は、簡単に言うと今後の活躍を期待しているというものだった。
「先日の一件で、王家も教会も君が光魔法の力を開花させたことを知った。その力が予想以上に強いこともね。聡明な君なら今後起こり得る最悪の未来についても気づいていると思う。王家も教会も、いずれはその窮地を君に救って欲しいと願っているんだ。君にはその力がある。逆を言うと、君にしかその力がない。この国の未来の為にも、君には是非とも力を貸して欲しい」
穏やかながらも真剣な眼差しでヴァッヘルが言う。
その表情に凄みはないが、言っていることは脅しと同じだ。協力を仰ぎながらも、その実拒否を許していない。
ネビーはすぐに答えることはせずに、ヴァッヘルの前で沈黙を保った。思慮深い目で自身を見つめる眼差しを受け止めたヴァッヘルは、纏っていた空気を霧散させて爽やかに笑ってみせた。
「と、ここまでは王家の意思だ。そして、ここからが私の意思」
春の風のようにやわらかで、夏の風のように涼やかな声がネビーの鼓膜を軽やかに撫でる。
「確かに君は素晴らしい力を持っている。けれど、だからといってたった一人の人間の肩に、国一つを背負わせたいなんて思っていない。私は君の意思を尊重したいし、そうすべきだとも思っている。君が逃げたいと思うのならそれを手伝うし、君が人を守りたいと願うのなら私が君を守ろう」
「……どうしてそこまで仰ってくださるんですか?」
国を背負って立つ人間ならば、言ってはならないだろうことまで口にしたヴァッヘルにネビーが問いかける。
ヴァッヘルの背後に立つクロメにも動揺した素振りはなく、最初からそれを言うつもりでネビーに声をかけたのだとわかった。
たかだか平民一人に何故そこまで言葉を重ねるのか。真意を訊ねるネビーの視線に笑みを返したこの国の王子は、誰よりも鷹揚に答えを返した。
「それは私がこの国の王子だからだよ」
日が高くなりきる前のやわらいだ日差しを受けて、黄金を溶かしたような金髪を煌めかせた王子にはなんの気負いも見られない。
ごく当たり前のように民の人生をその背に負うヴァッヘルを見て、ネビーは背負われる側の平民として静かに頭を垂れた。
「王子殿下のご配慮、痛み入ります。ですが」
伏せていた顔を上げたネビーは、揺らぐことのない灯を瞳に宿して言った。
「私は私の意思で、ここに生きる人達を守るつもりです」
不退転の決意を心から表明する。
当然ネビーの決意の裏には打算しか存在していないが、ネビーの心中を知らないヴァッヘルはその決意を恭しげに受け取った。
「そうか。それが君の願いならば、我々が君の盾となり、剣となろう。クロメ」
「はい」
それまで空気のようにヴァッヘルの背後に控えていたクロメが、初めてネビーに声を聞かせた。
「今後君の光魔法の訓練をする際は、彼の胸を借りるといい。こと戦闘に関して、彼は本職の騎士にも引けをとらない。皆を守るという君の願いに少しは役立てるだろう」
「クロメ・ナウツだ。家が武門の出なので実戦経験だけはそれなりにある。魔法の心得もあるので、貴殿が倒れてしまわぬよう見ておくこともできる。遠慮なく使ってくれ」
「さすがに二人きりでは君も困るだろうからね、女性の騎士も監督役としてついてくるから安心して欲しい」
「重ね重ね、ご配慮頂きありがとうございます」
こうしてネビーは無事に第一王子との邂逅を果たし、邪神討伐に向けて本格的に腕を磨いていくことになる。
光魔法の扱いについては影であれこれしていたのでそれなりに使えるネビーだが、生まれも育ちも王都の安全な下町の中だったので、実戦経験は皆無だった。
逃げるだけならば生まれ持った要領の良さで襲われない立ち回りができるが、戦うとなればそうはいかない。
この日から放課後はクロメと王子付きの女性騎士とを交えて、戦いの基礎を学んでいくことになる。ゲームでも旅に出るまではクロメと訓練して、主人公の能力を伸ばしていた。いわば修行期間だ。
他の攻略対象とは休日を使って好感度を上げるが、今を生きているネビーにわざわざそんなことをする必要はない。
魔法学園には他にも多くの有用な生徒や職員がいるのだ。何もたった数人の攻略対象にこだわらずとも、ネビーが仲良くしたい相手は大勢いるし、ネビーが何をせずとも向こうの方からネビーに寄ってくる。
ヴァッヘルも偶に訓練を覗きに来ては、女性騎士が止めるのも聞かずに訓練に混ざっていく。お陰でクロメとはもちろんのこと、ヴァッヘルとも砕けた会話ができるくらいには仲良くなった。
訓練は学園の訓練所を一つ貸し切っているので、ネビーがクロメやヴァッヘルに個人指導を受けていることは誰も知らない。
元々ネビーは光魔法の研究を期待されて学園に招かれている。訓練所の無期限貸与も入学時から決められていることだ。先日の一件で光魔法の力が開花したネビーが訓練所にこもるようになっても、それを不思議に思う人間は学園にはいない。
ミンツやピオニアのような情勢に敏い人間は、毎日夜遅くまで訓練に明け暮れるネビーに何かを察して、高価な護り石や貴重な薬を譲ってくれたりした。やはり持つべき者は資産が豊富な友人である。
四方八方から善意の支援を受けたネビーは、自身もさも善意の塊であるかのように訓練に臨み、着実に強さを身に着けていった。
そこらの魔獣なら相手にならないとお墨付きを受けるようになった頃、例年にない大寒波が国を襲った。
同時に餓えた魔獣があちこちで出没し、国内外で大きな被害が出た。国も教会もこの事態を見越して各地の冬の備えを厚くさせたが、それ以上に魔獣の数が多かった。またここ数年の不作や災害で思ったほどの対策が取れず、周囲から取り残されてしまう村や町が出た。
王都近辺にも魔獣が多数出没したが、それらは王家直轄の騎士団と魔術師団とが対処して事なきを得た。しかし冬が終わりに近づいても魔獣の数が減ることはなく、大地は凍てついたまま、あちこちで天災が巻き起こった。
ネビーも自ら魔獣退治に志願し、教会の神官達と共に魔獣を倒し、また傷ついた人々をその力で癒して回った。ネビーが操る光魔法には魔獣を倒すだけではなく、傷を癒すこともできる。
昼も夜もなく教会の施療院と王都外とを行き来し、戦いに出ては怪我人を癒し、怪我人を癒しては戦いに出ていくネビーはいつしか聖女様と呼ばれるようになっていった。血風がすぐそこまで迫る生活に不安と怯えを抱いた人々が、ネビーという神より力を授けられた少女に希望を見出だそうとするのは無理からぬことだ。
共に付き添う神官からも、彼等の希望の芽を摘まぬよう、殊更否定したりはしないで欲しいと頼まれている。
今や人々が縋り、祈り、救いを求めるのは神ではなくネビーなのだ。
その尊崇と礼賛のなんと心地良いことか!
もう一月くらいならばこうして一進一退の状況を繰り返し、流れた血の分だけネビーが掬い上げる暮らしをしてもいいと思えるほど、それは甘美な時間だった。
しかしこのままでは国が、いやさ大陸が魔獣と災害に飲み込まれてしまうとようやく重い腰を上げた教会上層部は、ネビーにひとつの真実を告げてきた。
「封印された神、ですか」
「ええ。貴方も気づいているでしょう。知識はなくともあなたに授けられた力が、その存在を強く知らせているはずです」
場所は教会の地下通路を抜けた先。どんな地図にも載ることのない、秘匿された礼拝堂で、ネビーは王都の教会を統べる大神官の言葉を聞いていた。
ここにいるのは大神官とネビーの二人だけ。魔獣の声も人々の愁いの声も聞こえないこの場所で、大神官の穏やかな声だけが寒々しく響いていく。
「人間にとっては遥か昔、神々にとってはほんの少し前の出来事です。神々が暮らす神代の国で、重い罪を犯して重刑を課せられた神がいました。その神は名と権能を剥奪され、地上へと堕とされることになりました。いわば流刑の地であるこの地上に縛られることになった神は、天上の神々を恨み、流刑の地を厭い、この地上に呪いを撒き散らしました。その呪いがやがて形となり、命あるものをただ狩り尽くす魔獣となったのです」
大神官の話をまとめるとこうだ。
昔悪さして地上に封印された邪神が、それを恨みに思って辺り構わず呪いを吐いた。その呪いから魔獣が生まれ、破壊衝動しか持たない魔獣は人間も動物も手当たり次第に殺していった。
それが更なる恨みを生んで、魔獣を呪う気持ちが地上へと蔓延していく。その呪いを取り込むことで自身の力を強めた邪神は、封印を脱して神代の国へと戻ろうとした。
その余波によって地上は魔獣で溢れ返り、邪神の怒りによって引き起こされた天災が次から次へと地上を襲った。
つまり現在の凄惨な有り様は、邪神が封印を解こうとする前兆だった。
自分が犯した罪と向き合うこともせず、地上を穢すだけ穢して去ろうとするとは、まったくもって傍迷惑な神である。
どうせなら他の神も地上になど封印せず、とっとと処刑なりなんなりすればいいものをと思いながら、ネビーは神妙な顔をして大神官の話に耳を傾けていた。
ここまでの話は乙女ゲームで読んだ内容と寸分違わないが、ひとつとして変わらないということは、邪神の討伐方法もまったく同じなのだろう。
「地上を覆い尽くさんとする魔獣を払い、各地の天災を鎮める為に天上の神は一人の人間に力をお与えになりました。それが貴方の持つ、光魔法なのです」
神が愛した人間に光魔法を授けるのではない。
地上に下りられない神の代わりに、邪神を封じさせるべく選んだ人間に光魔法を授けるのだ。
そこに愛はなく、あるのはただ、一方的に押しつけられた使命だけ。
「再び神を封じるには、神が封じられた祠を祓い浄めるしかありません。ですが当然呪いの源泉である祠の周囲には無数の魔獣がひしめき、常人であれば即座に狂うほどの瘴気が漂っています。それを防ぐためには、こちらの石をお持ちください」
大神官が祭壇の裏へと回り、鍵のついた鉄の小箱を取り出した。
鍵を開けて蓋を開けば、七色に光り輝く水晶のような石が二つ並んでいた。
「これは人々の神への祈りが結晶となった祈りの石です。これを持っていれば瘴気を遠ざけ、魔獣に襲われにくくなるでしょう。一つは貴方が。もう一つは、貴方が共に封じられた神を再び封じ込めるに相応しいと思う方へとお渡しください」
ネビーという少女を信じた大神官が、世界の希望をネビーへ託す。
目の前に差し出された箱に手を伸ばしたネビーは、掌に収まるほどの石を二つ手に取って、凛然と顔を上げて大神官へと告げた。
「この世界の安寧を、必ず取り戻すと誓います」
手の中に握り込んだ二つの石。
乙女ゲームではこれを誰に渡すかで攻略対象のルートが固定され、それまでに培った好感度とこなしたイベントの内容によって到達するエンディングが決まっていた。
邪神の封印が失敗すればバッドエンド。邪神の封印に成功すればグッドエンド。
だがネビーが求めているのは邪神の封印ではない。完全なる邪神の討伐だ。人間による神殺しという恐るべき大罪ではあるが、神の代理人たる光魔法の使い手に邪神を殺せる力が与えられているのだから、これは神による代理審判。地上に下りられない神に代わって、人間の手で邪神を断罪せよとの思し召しなのである。
乙女ゲームでも邪神を討伐するエンディングはトゥルーエンドとして描かれていた。
トゥルーエンドに至るには高い能力値と、共に戦う相手との極めて高い信頼性が重要となる。ネビーが生きているこの国でも、邪神討伐の相棒となり得る相手は数人いる。その中には攻略対象者もそうでない者もいるが、誰を選ぶのが一番ネビーにとって旨味があるのか。
それを吟味しようとしたネビーが秘密の礼拝堂から教会へ戻ると、そこには少数の護衛を連れたヴァッヘルが待っていた。
「王家にも教会と似たような話が語り継がれていてね」
教会から場所を移し、人払いをさせた王宮の一室でネビーは王子と共に茶を飲んでいた。
今日はいつぞやのときと違い、護衛のクロメも王子の背後に控えていない。給仕の女官と共に、半分ほど開けた扉の外に立っている。
「教会では封印についてまでしか伝えられていないだろう。伝えられていたとしても、教会では認めることができずに握り潰されている情報がある。神から直接力を授かった君ならもうわかっているはずだ」
繊細な意匠の茶器を片手に持ったヴァッヘルの言葉を受け、ネビーは潜めた声で答えた。
「……存在の消滅、ですか?」
人が、神を殺す。
それは神々を奉じる教会にとって、とてもではないが受け入れられない考えだった。
教会は遍く神々の善性を信じており、教義にもそれを織り込んでいる。神がまったくの善なるものだと信じているから、人々も神の目に適うように行いを正しくしうとする。
それなのに神の中にも悪神がいるとなれば、教会の教義が根底から間違っていることになる。これまで信じていたものが嘘だったと知った人々は、信心を裏切った教会を恨み、荒れた心はそのまま国を乱すことになるだろう。
そうなることを危惧した教会は邪神についての情報を伏せ、今回各地で起こっている未曾有の大災害についても邪神に関しては公表しなかった。
だからこそ独力で邪神の情報に辿り着いたミンツは生粋の本の虫と呼ばざるを得ない。例え辿り着いても眉唾物と一顧だにしないのが普通であるのに、ミンツはその可能性を排することなく各時代ごとの信憑性を精査した上でネビーに問いかけてきた。
研究者としての器は素でに十二分に備えているが、もしもミンツが歴史学者として邪神についての論を発表したなら、教会から社会的に抹消されていただろう。生まれる前から医学の道に進むことが決められていたミンツが史学の道に転向する可能性は限りなく低く、またその論を世に出すことの危険性を弁えているのが救いだ。
ネビーにとっては神の善性も悪性も、自分の利になるかならないかでしかないが、信仰を持つ者達にとっては重大だとわかっているので一笑に付すようなことはしない。
あくまで緊張した面持ちを保って、神妙な態度でヴァッヘルへと顔を向けた。
「神殺し、なんて口を出すのも恐ろしいのだろうね。教会は人の心を救うことが使命だから。けれども私達は民の命を守ることが使命だ。その為なら神様だって殺さなければならない」
「ですがそれは危険な行いです」
「神にご退場願うんだ。危険なことなど百も承知だよ。それでも私はこの国の安息を担う者として、後の世に続く脅威を見逃すわけにはいかないんだ」
柔和な顔をしているヴァッヘルだが、為政者としての芯は若くして出来上がっているらしい。
冬の空のような澄んだ瞳の中に、自身の信仰よりも王家の役目を選ぶ苛烈さと冷徹さが透けて見えた。
「そして命を懸けるのは光魔法の使い手ではなく、その者と共にゆく者だという話も聞いている。これが本当のことで、君が私の願いに手を貸してくれるというのなら、私は喜んで私の命を君に差し出そうと思う」
だから君はどうだろうかと、清濁併せ呑んで尚、澄明と輝く瞳でヴァッヘルが問いかける。
ネビーの覚悟を問う眼差しを正面から見つめ返したネビーは、美しいまでに背筋を伸ばし、畏れも怯えも飲み込んだ顔で言った。
「封印ではなく討伐を目指すのであれば、確かに殿下のお命を私が預かることになります。ですがその技が失敗すれば、殿下のみならず今を生きるすべての人達の命が脅かされることになるでしょう。もしも殿下が私に命運を託し、例え何が起きても私を信じてくださると言うのなら、私は私の全身全霊で後顧の憂いを断ってみせると断言します」
弱さを削ぎ落し、強さを掻き抱いて、前へ進むための言葉を紡いだネビーにヴァッヘルは頬を緩めた。
「そういう貴女だからこそ、私も命を懸けることができるんだ」
微笑んだヴァッヘルが椅子から立ち上がり、円卓を回ってネビーの側まで来ると、片膝をついて忠誠を誓う騎士のようにネビーを見上げた。
「ネビー、貴女の命と貴女の名誉、そして貴女の功績は必ずや私が守ると誓おう。我が、メデスの名に懸けて」
自身が持つ王国の名に懸けることは、その王家の人間にとって命を懸けるよりも重い意味を持つ。
それは果たされなければならない約束であり、死せる後も守り通さなければならない誓いである。決して不履行は許されず、それを果たせなかった者は祖霊のもとへ逝くことは叶わずに、霊廟の土の下でいつまでも苦しみ続けることになる。
死後の安息さえ秤に載せるほど重い覚悟は、故にこそネビーの今後の人生の安泰を保証するものとなる。
王太子であるヴァッヘルからその言葉を引き出した時点でネビーの未来は確約されたも同然だが、強欲なネビーはこれだけでは足らないしもっと欲しい。
命と名誉と功績だけでは足りない。地位も権力も富も財産ももっと欲しい。そしてその上で流石はネビーと称賛されたいし敬慕されたい。
すべての人の羨望と憧憬。それを一身に受けて生きていたいのがネビーだ。そのためならば王子の誠意だって利用するし踏み台にする。
これからヴァッヘルとどのような関係を築くにせよ、ヴァッヘル自らネビーを立てるような位置につくことにしようと内心思いながら、ネビーは自身の足元に跪いたヴァッヘルに恐縮した様子を見せつつも照れたようにはにかんだ。
その翌日、早速旅支度を整えたネビーとヴァッヘルは邪神が封印された祠へと出発した。
祠があるのは大陸の最北にある黒霧山脈。古の時代から魔獣と死霊が蔓延る呪われた山脈と言われ続けており、山脈を覆う黒い霧に触れた者は発狂して死ぬと伝えられている。
当然のことながら黒い霧は邪神の恨みつらみが封印から漏れ出たもので、霧に触れれば邪神の呪いに囚われ、死霊として他者を恨みながら山中を彷徨い続けなくてはならなくなる。
ネビーは山に入る前に大神官から預けられた祈り石をヴァッヘルに渡し、必要最低限の荷物を担いで山を登り始めた。
邪神が封印された祠は山の頂上にある。霧の最も濃い場所がそうだろうと、二人は魔獣や死霊に襲われないように注意しながら道なき道を進んでいった。
生命と呼べるものが死に絶えたような山脈は、岩と土があるばかりで草木の一本も生えていない。黒い霧が空を遮っているせいで光もなく、夜のような暗さがのっぺりと山肌に張りついている。時折魔獣の唸り声や死霊の叫び声が聞こえる闇は、肌に触れる冷気よりもおぞましく、寒々しかった。
「ネビー、大丈夫かい?」
「私は大丈夫です。ヴァッヘル様は?」
「私も平気、とはいかないけど、祈り石のお陰でなんとか。でも無理をしてはいけないよ」
「わかってます。ヴァッヘル様も、きつくなってきたら言ってくださいね」
「うん、ありがとう」
夜目も利きにくい闇の中、互いにはぐれないよう声をかけあいながら登っていく。
山頂から吹き下ろす風は冷気を伴って二人をなぶり、わずかな温もりも奪うように肺の中を凍えさせる。会話をするのも命取りになりそうな山中で、それでも二人は懸命に名を呼び合って上へ上へと歩を進めた。
祈り石のお陰で魔獣には襲われず、数歩先までの霧は薄まり足元くらいならば薄ぼんやりと見える。それでも自分達が山のどの辺りまで登り、頂上まであとどれだけあるのかは少しも分からない。重たい霧のせいで周囲の音はくぐもって聞こえ、反響音を頼りに地形を把握することもできなかった。
わかるのはどこに向かえばより霧が重く、暗く、冷たくなるかということと、そこへ近づくほどに肌が粟立つような不快感が強くなるということだけだった。
その感覚を目印に、前へ足を動かすだけの時間がどれだけ過ぎたのか。太陽がいつ昇っていつ沈んだのかもわからない山中では正確な日付もわからず、交代で眠った回数と持ってきた食料の減り具合から、おおよそ七日は経っただろうかという頃。
ネビーとヴァッヘルは、遂に霧の発生源へと辿り着いた。
「ここが祠……?」
二人が登り切った山の頂上。
粘りつくような霧に動きを取られながら目にしたものは、見上げるほどの巨岩からどす黒い霧が絶えず噴き出している光景だった。
よく見れば巨岩の底は地面にめり込んでおり、まるで蓋をしようと天から落とされたように二人には感じられた。
「神が封じられたのは古代の頃だという話だからね。周囲に社を建てていたのだとしても、手入れされずに朽ちてこの岩だけが残ったのだろう。もしくは煩わしく思った神が、魔獣を使って壊させたのかもしれない」
真実がどうであったとしても、目の前の巨岩に邪神が封じられていることに変わりはない。
この山脈に来るまで約十日。山の麓から山頂まで辿り着くのに約七日。王国では今も魔獣の被害は続いており、その防衛の一角を担っていたネビーとヴァッヘルが抜けた穴は大きい。一刻も早く邪神を倒して呪いを消し去らなければ、失われる命の数が生きている人間の数より多くなる。
特に王国の民の人生を一身に背負っているヴァッヘルの焦燥はかなりのものだろう。叶うならば邪神のいる祠まで駆けてしまいたかっただろうに、あくまでもネビーの護衛と補佐に徹して進行を急かすことなく歩いてきた。
自身に我慢を強いるその胆力と、決して表には出さない自制心の強さは王として大成する器を感じさせる。やはり数多の人間の中でもヴァッヘルはかなり使える方の人間だと認識を新たにしながら、ネビーはいよいよ邪神を討伐するべく巨岩へ向かって一歩踏み出した。
「準備はいい、ヴァッヘル様?」
「いつでも君の思うように」
ネビーから少し離れた場所に立ったヴァッヘルが鷹揚に頷く。
決意の灯火を瞳に宿らせたネビーは、噴出し続ける霧で黒く染まった巨岩目がけて詠唱を始めた。
「右天に衝くは銀覇の黎剣、左天に鳴らすは金覇の照剣。その切先は万象を穿ち、その征く先は森羅に開かる者もなし。されば至高より振り下ろさん《巨叡の嵐を拓く者》!」
詠唱が終わると同時、ネビーの背後が光輝を放ち、巨大な剣を掲げる手が二本現れた。
そのうちの右にある銀に輝く剣を持つ手が、噴き出る黒霧を掻き消しながら巨岩の上へと振り下ろされた。直後、山を揺らがすような轟音と共に、巨岩が木っ端微塵に砕け散る。
眩い剣の光に払われて、周辺の霧も吹き飛ばされた。頭上を覆う分厚い霧も途切れて、ほんの一瞬灰色の空が垣間見えた。
しかし霧はすぐに空を塞ぎ、山の中に瘴気をこもらせる。再び冷たく粘ついた霧が立ち込めていくのを感じながら、山を揺らす轟音が去るのを待っていたヴァッヘルが割れた巨岩へと声を張り上げた。
「名を奪われし古き神よ! すべてを怨み、地上に厄災を振り撒く其方に終焉を告げに来た! 其方の想い如何ほどであれ我らが大地に牙剥く所業、これ以上見過ごすわけにはゆかぬ! よって今日、其方のお命頂戴致す!」
ヴァッヘルが古い言葉で口上を述べるや否や、巨石の下にあった地面が裂けて、黒い瘴気が泥水のように噴き上がった。
【憎い!】
どん、と荒ぶる怒りに殴りつけられたかのように山が揺れる。
砂礫が宙に浮き、割れた岩石ががらがらと転がる。
【憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い!】
噴き出た瘴気が空中に留まり、怨の一文字に染まった憤怒を撒き散らす。
その怒りに呼び寄せられてか、無数の魔獣が山を駆け上がってくる地響きのような音と唸り声とが聞こえてきた。
「後ろは任せて」
腰の剣を抜いたヴァッヘルがネビーの背後に陣取り、岩石を飛び越えて来た最初の一群を魔法の炎で焼き払う。
背後で轟と燃え盛る音と断末魔の悲鳴が上がる。それが上空で不定形に蠢く瘴気の怒りに薪をくべたのか。憎悪を撒き散らす瘴気の一部がネビーへと襲いかかった。
「光よ!」
ネビーの前に現れた光の盾が、襲いかかる瘴気を霧散させる。
乙女ゲームでもおおまかな流れは描かれていた。巨岩の下に封じられた邪神は、名を奪われたことで自身の形もなくし、今や怨念だけの存在になっている。体と呼べるものは持たず、自身の恨みから溢れ出る瘴気といつしか混じり合い、目の前の黒い瘴気の塊と化していた。
形がないので心臓と呼べるような核を持たず、下手に突いたり斬ったりしても殺すことはできない。
倒すことができるとすればすべての瘴気ごと消滅させるか、依り代に追い込んで疑似的に肉体を持たせて殺すかのどちらかしかない。
だが邪神の怨念が混じった瘴気をすべて消すというのは、実質不可能だ。邪神の怨念はこの山脈全体に蔓延っており、しかも地中深くにまで根を張っている。目に見えている瘴気だけを払っても、却って地上に解き放つ結果になりかねない。そうなればまた地上に呪いを広げて力を蓄え、神代の国へと戻ろうとし、その道連れとして地上が崩壊するだろう。
となれば取れる手はただひとつ。目の前の瘴気を怨念ごと祓い清め、わざと邪神に逃げ道を残して依り代に封じ込めるしかない。
心臓という核を持たせた邪神を殺せば、他の瘴気も共に消え失せて邪神はこの世から消滅する。
そのための依り代こそがヴァッヘルであり、この邪神討伐は邪神に体を奪われたヴァッヘルをネビーが殺すことで完遂される。
邪神に体を奪われたといえ、心臓に傷をつければ当然ヴァッヘルも息絶える。
神が人間を救わない以上、奇跡を願っても意味はない。邪神を殺せばその依り代は必ず死ぬ。その現実が、これまでの光魔法の使い手達の決心を鈍らせ続けてきた。神から光魔法を与えられた者達は、邪神に立ち向かう使命感から逃げようとしない清廉潔白な者がほとんどだった。しかしその清廉さが仇となり、自分の手で人を殺すことより邪神を封印し直す方を選んでばかりだった。あるいはそれができた者もいたのかもしれないが、そのとき必ずしも祈り石が二つ手に入っていたとは限らない。
祈り石は人々の祈りの結晶。祈る人間の数自体が少なければ生み出される結晶の数も少なくなり、時には生み出されなかった時代もあっただろう。まして結晶を手に入れられるのはどこかの教会であり、その場所は決まっていない。
恐らくは光魔法の使い手が神から力を授けられた教会なのではないかと言われているが、明確な資料が残っていないのでその真偽は定かではない。その教会が魔獣の襲撃で破壊されていれば祈り石が光魔法の使い手のもとに届くことはなく、またその祈り石の効能を知った者が盗んだことだってあっただろう。
つまり今のネビーの状況は千年に一度あるかないかの機会だった。
祈り石が二人分も手に入り、しかも共に来た者は自身が依り代になることを承知でついてきている。
なによりネビーは光魔法の力を授かる前からその使い方を知っていた為、心臓が破れた直後であればそれを元通りにさせることができる。
乙女ゲームではお伽噺の魔法とされており、主人公がその魔法を成功させられたのも、邪神ごと攻略対象を斬り殺したそのときだけとなっていた。
だがネビーは違う。ネビーはその魔法を成功させたことがある。王都での戦いの日々で、死にかけた神官や兵士を何度となく助けてきた。ヴァッヘルもその話を聞いたからこそ、自らの命を懸けるという行為に出られたのだ。
その信頼を裏切る気はネビーにはなく、だからこそこの作戦は何があっても成功する。
何故ならネビーがそうすると決めたのだから。
「最早神とは呼べぬ悪しき者よ。自らの行いを悔いてこの地を去りなさい」
ネビーの背後には先程出現させた二本の手のうち、まだ左手が残っている。その手が握る巨大な剣は黄金に輝き、脈打つように光を放つ。
「貴方の恨みに、終わりをあげる!」
ネビーの背後の左手が剣を振りかざす。直後、光がネビーらの視界を覆った。
地上に太陽が生まれたかのような強烈な光が山脈を金に染め、巨大な金の剣に瘴気の塊が両断される。
【あアあアアアアアアアアアああああああああああああああぁァァアアアアアアアアあアアァああアアアアあああアアアアアアああああああああああぁぁああアアアアアアアアぁあアアあアアアアアああアアアアアアあアアアアアアアああアッッッ!】
金属と金属を擦り合わせたような悲鳴が、あらゆる方向から百の口で叫んでいるかのように幾重にも重なって耳を劈く。
頭蓋の中を掻き回すような音の洪水に、ネビーとヴァッヘルが頭を押さえてよろめいた。
その隙をついて地中に隠れていた瘴気がヴァッヘルの体にとりついた。
「ぐあっ!」
「ヴァッヘル様!?」
ヴァッヘルの体が瘴気に呑まれてもがき苦しむ。だがすぐに瘴気はヴァッヘルの体に溶け込み、やがてかくりと両腕を垂らして動きを止めた。
二人の目論見通り、邪神は瘴気であることを止めてヴァッヘルの体を求めた。先程の巨大な剣の一撃で、周辺の魔獣諸共大部分が消し去られてしまったのだろう。
形のない瘴気の姿でいては、ネビーの光魔法を裸で受けるようなもの。しかも名も権能も奪われた邪神にとって、神が人間に与えた光魔法は地上で唯一殺傷能力を持ち得る力。更にはネビーの弛まぬ修練と研鑽によって、必殺に近い力を有している。
乙女ゲームの主人公はもっと苦労していたが、所詮はゲーム。
ここは現実で、邪神と相対しているのはゲームの主人公ではなくネビーだ。
世界のすべてを手に入れてもまだ尽き果てぬ欲望を持つネビーが、光魔法の力を余すところなく手に入れないわけがない。
「……っは、ハはハはは! 手に入レタ! 遂ニ手に入れテヤッたゾ! 我がカラ」
「さよなら」
一突き。
ヴァッヘルの体を我が物として哄笑する邪神の胸先に現れた光の槍が、ヴァッヘルの心臓を串刺しにする。
それはただ光でできただけの槍ではない。光魔法とはそもそも人間の力が生み出す現象でも、術式を介して世界の理に干渉するものでもない。それ以前に魔法ですらない。
光魔法とは神の権能、その一部が地上に顕現された力だ。
では神の力を引き出す光魔法の使い手とは何者なのか。それは神の力を地上に伝える為の通路であり、力を吐き出す出口に過ぎない。その扉は神の意思によってのみ開閉され、人間の側からは開くことも閉じることもできない。
神の意に背くような使い方をすればその扉は閉じられ、二度とその力を使うことは叶わなくなる。逆を言えば、神の意にさえ背かなければ好き勝手に使えるということだ。
これまでネビーは自身の私利私欲のため、休むことなく人々のために魔獣と戦い怪我人を癒し、王都を護り続けていた。神の権能を、その一部とはいえ揮うなど人間の身には過ぎたることだが、何度も使えば体も慣れてくるし練度も上がる。
故に、詠唱せずとも神の権能を呼び出すこともできる。
例えそれが神々の中でも最高位の神が持つ、最古にして最初の神殺しの槍であっても。
「こノっ、ヤリはァ、この槍ハぁぁああアアアッッ!!!!」
怒りと憎悪で震えた咆哮が山脈に響く。
だがその声も怨みも無意味と言うように、眩く輝く槍の穂先が邪神の存在を滅していく。
邪神が自身の胸に刺さる槍を引き抜こうと柄に手をかけるも、触れた皮膚から黒煙が立ち上り、抵抗むなしく邪神はくずおれ、辞世の言葉を遺す暇もなく消えていった。
「ヴァッヘル様!」
邪神の消えたヴァッヘルの体が地面に倒れる。
胸を貫いていた槍は邪神の消滅と共に消え、穴の空いた胸から大量の血が溢れ出していた。
それを王都での戦場でもしてみせたように神の権能を呼び出して、すぐさま空いた穴を塞がせて一命を取り留めさせる。
「やっぱり君は女神のようなひとだね」
邪神が完全に消滅したことと、自身の命が無事であることを確かめたヴァッヘルが言った。山脈を覆っていた黒い霧も晴れ、日が暮れる前の黄金に似た色の空が眼下に広がっていた。
「すべては神々の御力によるものです。私自身はたいしたことをしていませんよ」
「たいしたことは、ね。だけど君がなんと言おうと君は私達の恩人だ。それだけは忘れないで欲しい」
山脈の向こう、夕日にあたたかく照らされた大地からは魔獣が消え去り、各地を襲っていた天災も止んだことだろう。
地上に残された爪痕は多くとも、これからは魔獣の脅威に怯えることなく暮らしていける。人も大地も弱くはない。やがては失った以上に発展を遂げて、世界に活気を取り戻していくだろう。その証明のように夕日の光が優しく地上に降り注ぎ、世界を黄金に変えていた。
「改めて礼を言うよ。君のお陰で国の平和は守られ、私はようやく私の好きな女性に好きだと言うことができる」
「え?」
振り返ったヴァッヘルが微笑む。
その表情は柔らかく、その眼差しは穏やかで。
「ピオニア・ラクティフ。彼女と結婚するために、君に邪神を討伐してもらった」
その瞳は、硝子玉のように熱がなかった。
「本当にありがとう。君ほど使えるひとは、きっとこの世のどこにも居はしないよ」
「……なに、を」
「ピオニアとは昔から婚姻することが決まっていたのだけどね、邪神の影響で大陸が荒れて、隣国との結束を固める名目であちらの王女と婚姻する話が持ち上がってしまった。その王女にも決まったひとがいたのにね。だけどそこへ君が現れてくれた。私達の国から出た神の愛し子が世界に平和をもたらせば、婚姻の話は白紙に戻され、君への援助という形で隣国からの支援を受けることができる。代わりに君には隣国を慰問してもらうことになるけれど、邪神討伐をたいしたことないと言う君だ。きっと断らないだろう」
滔々と語られる言葉はネビーの予想していたものではなかったが、それほど意外に思うようなものでもない。上に立つ人間ほど本音と建て前を分けるものであるし、ネビーのことを利用したいと考えるのも仕方のない話だ。
何故ならネビーはそれだけの輝きを持つ女の子なのだから。
強い光に惹かれて、あわよくばその恩恵に与りたいと考えるのは至極もっともなことで、ネビーもそんな考えを否定する気はない。
だからネビーが今感じているとてつもない不快感は、利用されたことでもそれに気づかなかったことにでもない。
「だって君は」
不快なのはただひとつ。
ヴァッヘルがネビーを見る、その目が。
「人間なんて、どうでもいいんだろう?」
ネビーに何の夢も見ようとしない冷めたその目が、ただひたすらに、ただどこまでも、ネビーの神経を逆撫でる。
ネビーはとっても元気で可愛くて、いつでも前を向くことを忘れないその姿で人々に夢と感動を与え続けてきた。前も今も、記憶があってもなくても、ネビーという存在は常に誰かの夢であった。
こんな風に生きてみたい、こんな人になってみたい、こんな人と出会ってみたい。きらきらと輝く憧れはネビーの背に一身に注がれ、その憧れに応えるようにネビーは更なる夢を見せる。誰よりも強く、美しく、ド派手で、活力にあふれて、ネビーが笑えば胸の内から熱が湧き出す。そんな最強に可愛く可憐なアイドルこそがネビーであり、ネビーの矜持そのものだ。
どんなに欲と打算に塗れた人間であっても、ネビーを見る目には必ず何かの夢を見ていた。それがどんな夢であれ、ネビーを少しでも目にした者でネビーに夢を見ない者はいなかった。
だというのに、ヴァッヘルのネビーを見る目にはそれがない。
ネビーを前にしておいてネビーに何の感情も感動も懐かないなど、これほどの屈辱を味わったのは初めてだった。
「……ヴァッヘル様が何を言いたいのかはわからないけれど、私は人が好きだよ」
胸中の怒りをすべて押し隠して、綺麗な笑みでネビーが微笑う。
その笑みに両目を細めたヴァッヘルは、熱のない笑みを唇に刷いて微笑み返した。
「君がそう言うのなら、そうなのだろうね」
さもネビーの中身を見透かしたような口調が気に入らない。
確かにネビーは人間のことを自分の欲を満たす道具としか見ていないし、個々人の人生や想いなど興味もない。すべての人間はネビーを愛すために存在しているが、ネビーが彼らを個別に愛してやる必要はない。
だからヴァッヘルの言うことは的を射ている。だがそれを知られたからといって、ネビーの作り上げたネビーという偶像に傷がつくことはない。たかだか一人の人間に知られたくらいで揺らぐほど、ネビーという少女の輝きは小さくないのだ。
地上において誰よりも輝き、太陽さえも見劣りさせる不滅の光。それこそがネビーであり、そんなネビーをまるで路傍の石のように扱われるのはただただ我慢ならない。
ネビーをここまで苛立たせたのだ。
であれば、多少の嫌がらせは受けて然るべきだろう。
「この光は……?」
「邪神を討伐した恩恵として、神様が国に戻る道を開いてくれてるみたい」
それぞれの足元に出現した光の輪が、淡い光を放ちながら二人を包み込んでいく。
もちろんこれは神の意思によるものなどではなく、転移の権能を無言で呼び出したネビーによるものだ。ネビーが神の恩恵を受けて呼び出したものなので、告げた言葉に間違いはない。
但し、転移の先がヴァッヘルの考えるものと同じであるとは限らないだけで。
「それじゃあ帰りましょうかヴァッヘル様」
「ああ、帰ろう」
先程のやりとりなどなかったように笑い合い、二人の体を完全に光が包み込んで、そうして二人は山頂から姿を消した。
***
「ネビー様ー!」
元気な少年の声が回廊に響き、ネビーは足を止めて振り返った。
「もうっ、私は平民なんだから様はつけなくていいって言ってるじゃない」
「ですが陛下の大切なお客人ですので」
恐縮した素振りを見せる少年に、ネビーは仕方ないなあという顔をして、それで? と話を切り替えた。
「私に何か用?」
「陛下からネビー様への贈り物が届いたとのことで、是非お受け取り頂きたいと」
「私は要らないって言ったと思うけど」
ネビーにしては珍しく謙遜ではなく本気で言っているのだが、その言が聞き入れられたことはない。
この国の人間は良くも悪くも純粋で、我が強い者ばかりだった。ネビーにとっては実に都合のいい人間ばかりではあるのだが、突き抜けて我が強い人間というものはどこの世界にもいるもので。
「そう言うな神子姫。気高いお前の願いはすべて聞いてやりたいが、お前の為にこそ在るものをお前に贈らぬわけにはいかぬ」
回廊の外側にいつの間に来ていたのか、褐色の肌の偉丈夫がそこに立っていた。
「陛下」
「ハシリだ。お前に呼んで欲しい名はそれだけだ」
「いいえ、陛下。この国で陛下の御名を口にしていいのは、奥方様だけだとお聞きしました。ですので陛下とお呼びすることをお許しくださいませ」
「さすがは神子姫だな、民間に出回っていない話もよく知っている」
「宮殿の皆様が一斉に教えてくださいました」
「……ルタ、俺に人望がなかったか?」
「いえ! みな、陛下より神子姫様の方がお好きですから!」
ルタと呼ばれた少年が元気よく答える。
そのきらきらとした笑顔に一切の嘘がないことはよくわかるが、この国の臣民として思いっきり国王を蔑ろにする発言をして大丈夫なのかと、ネビーは困ったような表情を作った。
内心としてはこの面倒な場をさっさと抜け出したい気持ちでいっぱいだったが、他国の王を目の前にして退去の許可も得ず置き去りにすることはできない。
本当に厄介なものに捕まってしまったと思いながら、ネビーはハシリという男を盗み見た。
邪神を討伐したあの日。
転移の力を展開させたネビーは、生まれた国ではなくそれよりも遥か南、大陸すらも違えた国に飛んでいた。元の国ではヴァッヘルが次期国王として妻を定めている以上、残っていてもたいして旨味はない。
ヴァッヘルの方は意趣返しも兼ねて隣国の辺境に飛ばしてやったが、あの王子はそれも織り込み済みでいるはずなのでネビーを悪く言うことはない。そうでなければネビーの内面を察しておいて、ネビーを利用したことを告白するはずがないのだ。
黙っていればあのままヴァッヘルの国に使われてやったというのに、わざわざ利が少ないことを打ち明けたのは、本当にネビーに恩義を感じているからだろう。ピオニアがネビーの友人であるというのもあるかもしれないが、恐らくはヴァッヘルもネビーを友人だと思っている。
だからこそネビーも隣国の辺境に送るだけに留めてやったし、ヴァッヘルも素知らぬ顔をしてネビーの仕返しを甘んじて受けた。今頃は隣国の王に世界の暗雲が晴れたことと婚姻の撤回を告げて、自国に戻ってピオニアとの祝言の準備を進めていることだろう。
何よりヴァッヘルはネビーに立てた誓いがある。王子としての矜持を持つヴァッヘルは、ネビーがいなくともネビーの偉業を讃え、教会と共に永くネビーの素晴らしさを語り継いでいくだろう。
ネビーが何もしなくても勝手に国民はネビーは愛してくれるのだから、これ以上ネビーが彼らに何かをしてやる必要はない。
それよりももっと多くの人に愛され、傅かれることを求めたネビーは新たな大陸をネビー一色に染め上げに来た。
魔獣の脅威は去ったとはいえ、魔獣のせいで狂った生態系まですぐに戻ることはない。本来なら生まれるはずのなかった獰猛な野獣や、呪いを受けて狂ったままの古代種を倒して回っていたら、ドラゴン退治に来たハシリとかち合ってしまった。
しかもネビーがドラゴンを倒す瞬間を目撃したハシリは、華麗に立ち回るネビーに一目惚れしてその場で求婚してきた。
まさか一国の王が傭兵のような形をして単身討伐に来たと思ってもいなかったネビーは、修行中の身であるからとその場で振って去ろうとした。だが国民を助けてもらった礼がしたいと言われ、あれよあれよという間にこの王宮に連れて来られて、連日歓待を受ける羽目になってしまった。
もしもハシリが凡夫の王であれば国を乗っ取ってやってもよかったかもしれないが、面倒なことにハシリは凡百の王が束になっても敵わないほどの、図抜けた英君だった。一周回って頭に馬鹿がつくような、豪気と英邁に溢れた男だ。
ネビーの思惑を見透かした上で、本気で惚れていると言ってくるような男。この手の男は本当に厄介だ。喜んでネビーに利用されるくせに、その身の内から迸る威光が強すぎてネビーの光を邪魔してくる。
離れて利用する分には問題ないが、隣にいられてはネビーの光と混じり合って、鬱陶しいことこの上ない。
もう少し愚かであってくれれば結婚も考えてよかったのだが、無いものねだりをしたところで事態が好転することはない。
「今日までのご歓待、心より感謝申し上げます。ですが各地ではまだまだ魔獣の残滓が残っています。神より力を授かった者として、これより一刻たりとも足を止める気は御座いません」
ご容赦ください、とネビーが頭を下げる。
つまりは問答無用で出て行くということだが、覇道の王は気にかけた様子もなくからりと笑って言った。
「ならば俺もついて行こう!」
「……は?」
「神子姫の手助けをすることは我ら凡百の使命である。何より国を守るは俺の役目だ。共に守るは道理だろう?」
猛々しく笑った偉丈夫からは南国の風が吹いているようで、ネビーはますますこの男が嫌いになった。
世界の主役はネビーひとりで十分なのだ。それをたかが数年で大陸を統一したような男に奪われるなど、そんなことはあってはならない。
「では競争をしましょうか、陛下」
「競争とな?」
「はい」
南海の覇者と呼ばれる男を前に、顎を引き、胸を反らし、凛と輝く目を向けて恐れも怯えもなくネビーが言う。
「貴方が私に追いつくのが先か、私が貴方を置いていくのが先か」
挑むような、試すような目を向けるネビーに、ハシリの目もまた爛と輝く。
「ちなみに、私は貴方を待ちません」
「手厳しいな、神子姫は。だがその話、受けて立とう」
太く笑うハシリの全身から王威が立ち上る。
他を圧倒するその威容にやはり目障りな男だと思いつつ、ネビーは華やかに、艶やかに、花より可憐に笑ってみせた。
「それでは陛下、ごきげんよう」
ふわりとした笑みに呼応するように、ネビーの足元に浮かび上がった光の輪が、一瞬でネビーを包んで王宮から別の場所へとネビーを飛ばす。
瞬きもせぬうちに惚れた女を見失った王は、膝を打って呵呵大笑し、集まってきた衛兵に指示を出してすぐさま追い駆ける手筈を整えた。