第57話「幕間:帝国領、国境近くでの出来事」
──帝国領、北に向かう街道で──
「ようやく機会がめぐってきた。長年、あの老人に仕えてきた
北方派遣部隊の隊長は言った。
彼の名前はアイザック・ミューラ。
年齢は24歳。ミューラ
10代の頃から軍務大臣ザグランに仕えてきた、側近のひとりでもある。
ここは、北へ向かう街道。
部隊長アイザックを先頭として、兵たちが列を作っている。
列の中央を進んでいるのは、ソフィア・ドルガリア皇女が乗る馬車だ。
「これは出世の機会だ……絶対に逃すものか」
アイザックは腰に提げた剣を握りしめた。
アイザックの家は祖父の代まで軍務大臣を出してきた名家だ。
だから彼は、ずっと父に言われ続けてきた。
『ザグランを追い落として軍務大臣になるか、家の
そして今回、功績を挙げる機会がやってきた。
高官会議からアイザックに、皇女と共に魔王領との国境の町に向かうようにと、命令が下されたのだ。
具体的な内容は、次の通り。
・ソフィア皇女殿下と共に国境の町に駐留し、定期的に軍事訓練を行う。
・魔王領に、帝国の強さを思い知らせる。
──それはアイザックにとって、功績をあげるための好機だった。
「……この作戦で
命令は『3年の間、定期的に軍事訓練を行うこと』。
だが、それでは足りない。
上の地位を目指すには、もっと功績が必要だ。
旅の間ずっと、さらなる功績を得る手段について考えてきたのだが──
「そういえば魔王領には……トール・リーガスがいるのか。魔王領ではトール・カナンと名乗っているそうだが……」
その情報は、軍務大臣ザグランから聞いている。
そしてアイザックは、帝国にいた頃のトール・リーガスと面識があるのだ。
数年前、貴族の子どもたちのスキル鑑定が行われたとき、彼は武官として立ち会った。そこにトール・リーガスもいたのだ。
ひとりだけ戦闘スキルを持たない少年だったから、よく覚えている。
そのトール・リーガスは今、魔王領にいる。
帝国から送り込まれた人質なのに、魔王や魔族から信頼されているらしい。
ザグランは「トール・リーガス──いや、トール・カナンには注意しろ」と言っていたが──
「それは……彼を利用して
アイザックも『魔獣ガルガロッサ討伐戦』のことは聞いている。
討伐戦の後、皇女リアナが「流れ者の錬金術師」──「トール・リーガス」を欲しいと言ったことも。
魔王が、それをきっぱりと断ったことも。
トール・リーガスが魔王領の者の前で「家名を捨てる」と告げたことも。
トール・リーガスの心は魔王領にある。
彼を引き抜いたり、
「けれど、こちらにはソフィア皇女がいるのでね」
ザグランはリアナ皇女の使い方を間違えた。
トール・リーガスを利用するなら、直接、皇女と話をさせるべきだった。魔族たちからは引き離して説得するべきだったのだ。そうすれば彼を心変わりさせることもできただろう。
聖剣が生み出す無敵の力を見れば、トール・リーガスも恐れ、ひれ伏し、帝国への忠誠を思い出したはずだ。
だが、ザグランにはそれができなかった。
リアナ皇女は
その彼女を、トール・リーガスと二人きりにすることはできなかったのだろう。
(なんとまぁ
部隊長アイザックは、声に出さずにつぶやいた。
(
──そんなことを考えながら、アイザックは背後を振り返る。
皇女がいる馬車から、旗が
馬車からは女性の兵士──ザグランの副官マリエラが降りてくる。
小走りにアイザックに近づき、彼女は告げる。
「ミューラ部隊長。皇女殿下の体調を考え、定時の
「もちろん。皇女殿下は重要なお方だからな」
「はい。お身体が弱いのに、長旅を我慢されていらっしゃいます」
「夕方には国境の町に到着する。そこで相談があるのだが」
アイザックは少し考えてから、提案する。
「数名の兵を、さきに町へと向かわせたい。町の者に、まもなく皇女殿下が到着する事を伝え、準備を整えるために。宿の部屋を整え、湯を沸かし、殿下がすぐに休めるように」
「よいお考えだと思います。ザグランさまの意にも
副官マリエラの言葉に、アイザックの表情がこわばる。
それには気づかず、マリエラは続ける。
「ザグランさまはソフィア殿下の健康を考えながら、定期的に軍事訓練を行うことを望んでいらっしゃいます。そして、魔王領に帝国の力を思い知らせることを」
「……そうだろうな」
「ミューラ隊長がザグランさまのお考えを理解されていることを、このマリエラはうれしく思います」
副官マリエラは一礼し、馬車に戻っていった。
彼女はアイザックを見張るために、ザグランがつけた副官だ。
だが、移動中の今は、彼女はソフィア皇女の側から動けない。今のうちに手を打っておくべきだろう。
すぐにアイザックは、
その中から動きの速い、軽装の騎兵を選び出す。
「命令を下す」
作戦は決まっている。
帝都では軍務大臣ザグランの目があるため、自由に動けなかった。
だが、気づかれずに準備をする時間はあったのだ。
「国境の町へと先行し、ソフィア殿下をお出迎えする準備を整えよ。殿下はお疲れだ。すぐに休めるように宿などを手配せよ。必要な資金を渡しておく。これの使い道は──
アイザックは金貨の入った袋を、
袋の中には羊皮紙も入っている。
そこには、こう書かれているはずだ。
『国境の町で金を配り、味方を作れ。
魔王領と繋がりがあるものを見つけ出せ。
国境付近には、休眠中の魔獣がいるという
確認し、居場所を探し出せ。
皇女殿下の魔術が使える今こそ、
「「「──
部下たちは馬に乗り、北に向かって走り去った。
アイザックが長年、
彼らなら国境の町の住人を、アイザックの味方にしてくれるだろう。
「軍務大臣ザグランどの。あなたが今の地位にあるのは、リアナ皇女殿下を手中におさめているからだ。あなたは聖剣使いの殿下をサポートすることで、ご自身の成果を上げてきたのだからな」
部隊長アイザックは、ぽつり、とつぶやいた。
「ならば、このアイザックがあなたと同じことをしても、文句はないだろう?」
やがて
先頭を進むアイザックの視界に、城壁が見えてくる。
国境の町を囲む、背の高い城壁だ。
「待っているのだ、ミューラ家の皆。
国境での任期は3年だが、そこまで待つ気はない。
長くとも1年、短ければ数ヶ月で成果を上げて、帝都へと戻る。
そうして──可能ならばザグランの次の軍務大臣に。
難しければ、家を公爵家に。
最低でも、一軍を預かる将軍になるのだ。
「小官の戦闘スキルも魔力も、そのために使おう。『重要なバトルなら収納ボックスの中身は惜しむな。出し惜しみせず世界を変えろ』──勇者が残してくれた言葉だ。北部派遣兵の部隊長アイザック・ミューラは、それに従う」
幸いにも、勇者と同じ『光属性の魔術』を得意とする皇女がいる。
彼女には十分に役に立ってもらおう。
代わりにアイザックは彼女に仕え、奉仕する。
彼女が帝国のために、十分な
ソフィア皇女も、勇者をあがめる帝国の姫君だ。
アイザックの考えを理解してくれるだろう。
魔王領にいる少年トール・リーガスも同じだ。
アイザックに従って帝都に
そのためならば、彼も魔王領から出てくるだろう。
「小官にこの任務を与えてくれたことに感謝します。軍務大臣ザグランどの。だから──」
(──敬意と尊敬を胸に、軍務大臣の地位から引きずり下ろして差し上げる)
アイザックは再び、声に出さずにつぶやいた。
魔王領はまだ、こちらの動きには気づいていないはず。
──そんなことを考えながら、部隊長アイザックは馬を進めるのだった。
──────────────────
「……あれは」
馬車の窓から外を見ながら、ソフィアは皇女はふと、つぶやいた。
「殿下、窓は閉じられた方が」
「マリエラ。今、外に誰かいませんでしたか?」
ソフィアの声を聞いて、武官マリエラが窓に顔を寄せる。
それから、首を横に振って、
「なにもいません。獣も魔獣も、我が精鋭部隊には近づかないでしょう。ご安心ください」
「いえ、そういうことではなく……」
ソフィアはまた、窓の外に視線を向けた。
「木々の間を、誰かが飛んでいるように見えたのです」
「お疲れなのですね。どうか、お休みください」
そう言ってマリエラは、ぴしゃり、と窓を閉めた。
「夕方には国境の町に着きます。旅が終われば、落ち着かれるでしょう。今後の使命のことも考えて、どうか、お心安らかに」
「……わかりました」
ソフィアは椅子に寄りかかり、目を閉じた。
疲れている。熱が出ている。自分でもわかる。
帝都からは遠ざかり、妹のリアナにも当分は会えない。
その不安と疲れが、おかしなものを見せたのだろう。
(……こんなところに、
そうしてソフィアは、短い眠りに落ちていった。
伝説にあるように、すべての服を脱ぎ捨てて──自由に。
数時間後、部隊長アイザックに率いられた部隊は、国境の町へ入った。
そして部隊は、ソフィア皇女の回復を待って、訓練地の視察を行うことになったのだった。
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