入学までの準備
入学、飛び級試験から三ヶ月。
無事、合格の通知が宮に届けられた。
通知は飛び級試験の結果も載っており、わたしは入学して、そのままお兄様と同じ三年生から通うことが決まった。
その結果をまずはルルに見せた。
ルルは「良かったねぇ」と抱き締めてくれた。
それからリニアさんやメルティさんもお祝いの言葉をくれて、わたしはすぐにお父様とお兄様にも合格と飛び級の旨を手紙で報せた。
お父様もお兄様もお祝いの言葉を綴った手紙をすぐに返してくれて、その日の夜は三人で夕食を摂った。
お父様もお兄様も「頑張ったな」「さすがリュシエンヌだな」とそれぞれ軽くだが抱き締めてくれて、夕食も普段より少し豪華なものになっていた。
わたしのことを聞いた王城の料理人達が出来る限りメニューを変更して祝ってくれたのだと思うと、その心遣いが嬉しかった。
「これでお兄様と一緒に学べますね」
そう言えば、お兄様が破顔した。
「ああ、学院に通うのが更に楽しみになるな」
「学院の中を案内して欲しいです」
「もちろん、エカチェリーナと一緒に案内するよ」
お兄様とエカチェリーナ様はこの一年で更に仲良くなり、私的な場ではお互いに呼び捨てするほどだ。
どちらも恋愛感情はないそうだけど、仲間として、同志として、支え合い、そして何れは家族の情を持って接することが出来るだろうと二人は言った。
二人の間にはわたし達とは違う種類の、でも確かに強い絆があるようだ。
まだ確定ではないようだが、お兄様が二十歳に、エカチェリーナ様が十九歳になったら結婚したいと二人は話している。
学院卒業後すぐではないのは王太子の結婚式は盛大なものとなるため、準備期間が長めに欲しいのと、公務で忙しいのでエカチェリーナ様が二年は欲しいと言ったからだ。
お兄様も後半年もしないうちに十七歳になる。
もう後三年半で二人は結婚するのだ。
……わたしは後一年くらいだけど。
お父様とルルと話し合い、わたしが十六歳になった段階で婚姻届を出しておき、卒業と同時に受理される。
卒業後はわたしは宮を出る。
ルルと決めた家は見に行けていないけど、代わりにルルが定期的に様子を見に行ってくれている。
お屋敷は修繕され、模様替えもされ、この三年間で二人で選んだ家具達も運び込まれており、使用人達が先に数名住んでお屋敷を整えているという。
場所は王都の西にある街の外れ。
少々王都から離れているが、離れ過ぎているというほどでもない。
王都に行こうと思えば案外すぐに行ける。
しかし街からも離れているため静かな場所だ。
そういう絶妙な位置に屋敷があるらしい。
「内装は行ってからのお楽しみだよぉ」
と、ルルは言っていた。
その言葉通り、わたしはそれ以上は深く訊かずに楽しみとして取っておいている。
卒業後の話はともかく、わたしは無事に入学試験も飛び級試験も合格出来たのである。
残念なことにオリヴィエ=セリエールも入学試験を受けて合格したそうだ。
ただ成績はそこまで高くなかったようで、闇ギルドが調べた話では一番下のクラスに振り分けられたらしい。
原作のヒロインちゃんなら一番上のクラスの、それも上位に入っていたはずだ。
勉強が苦手なのか、ゲームの世界だからやらなくとも問題ないと考えているのか、どちらにしても彼女は攻略対象であるアンリとも悪役のわたしとも同じ教室にはなれないことが確定した。
ちなみにわたしは三年生の一番上のクラスだ。
合格通知と共にクラス分けも通知されているため、この時点で自分がどのクラスに入るかが前以て分かる。
クラス分けの紙にみんなが詰めかけるということはない。
お兄様の話によると一年は一階、二年は二階、そして三年は別の棟の二階になっているそうなので、一年のオリヴィエ=セリエールと会う機会は減る。
お兄様は三年からは昼食はお弁当にする。
そうして生徒会室横の休憩室でエカチェリーナ様やロイド様と共にみんなで昼食を摂ろうということになった。
生徒会室は用のない者は立ち入り禁止だが、隣の休憩室は生徒会役員の関係者なら入っても良いらしい。
カフェテリアに行くとオリヴィエ=セリエールに会うかもしれないから、極力避ける方向でお兄様はいくとのことだった。
カフェテリアは二階にも席があり、二階は生徒会や王族といった特定の人物しか利用出来ないので、もしわたしがカフェテリアを利用するなら上を使うことになるだろう。
でも何回かはカフェテリアで食べてみたい。
そう言うと、お兄様は「その時は一緒に行く。変な奴に絡まれたら大変だからな」と相変わらずの過保護さを見せた。
最後の一年だから、お兄様と一緒にいる時間は増やしたい。
わたしはお兄様のその申し出を受け入れた。
それから入学への準備が始まった。
そうは言っても地方から出て来る子達と違って寮に引っ越すこともなく、宿を取ることもなく、わたしは教材を購入するくらいである。
学院には制服がない。
ただ学生らしく派手な格好は控えるように、といった注意は合格通知の後の入学手続きで送られてきたパンフレットに書かれていた。
学院の生徒として恥じぬ装いや行い心がけるように云々とあったが、勉強しに行くのに派手な格好や化粧で来る者はそういないと思いたい。
そういう格好は夜会でやればいい。
……まあ、でも、結婚相手を学院で探す人も少なくないらしいし。
結婚相手を探す人からすれば出来るだけ綺麗な姿で良い人と出会いたいというのも分からなくはない。
現在の風潮を考えれば派手な格好は誰もしないだろう。
…………多分。
だけどオリヴィエ=セリエールは王家の主催する夜会やガーデンパーティーなどで、毎回、派手な格好をしている。
あれはハッキリ言ってとても目立つ。
もし似合ってなければ誰かが指摘しただろうけれど、困ったことに、その華やかな装いは彼女に似合っていた。
お兄様もロイド様も彼女が苦手らしく、近付かれそうになるとそれとなく逃げている。
エカチェリーナ様達は彼女に関知せずにいる。
どうやらオリヴィエ=セリエールは他の貴族の女性達からも敬遠されているらしい。
派手さや華美さを控える風潮は以前よりは緩んできているが、それでもあまり豪奢な装いや暮らしは未だ忌避されている。
それなのに彼女は毎回華やかな装いでいるため、他の貴族、それも若い女性達の一部からは顰蹙を買ってしまっているそうだ。
その女性達も本当は華やかな装いをしたいのを我慢しているのに、彼女だけがそのような装いをしているのが気に入らないようだ。
若い女性達は華やかな装いをしたいだろう。
どうしても、歳を取ったり結婚したりすれば、落ち着いた装いを求められる。
若いうちに出来ることをしたいと思うのは自然な流れで、今の風潮も、その影響を受けている。
年々、少しずつ、装いが華やいできている。
宝石などを散りばめるようなことはしないが、リボンやフリル、レースが増えていき、布を重ねたり、刺繍の範囲を広げたり、以前の派手なものよりはずっと上品な装いになっているそうだ。
南の国から輸入されたカメオも人気が出始めている。
宝石よりも安く、彫刻が美しく、装飾品としても見目がよく、使いやすい。
わたしもいくつか持っている。
繊細な彫刻が本当に綺麗で、ブローチやチョーカーだけでなくバッグなどにも付けると良いアクセントになるのだ。
国民の間でも何れ流行るだろう。
聞くところによると南の国では珊瑚や真珠なども採れるそうで、しかも値段は安く、わたしは白く綺麗な真珠が欲しいとお父様にお願いした。
ルルとの結婚式に着るウエディングドレスは白を選んだ。
この世界ではウエディングドレスの色は何色でも良いらしく、わたしはルルにだけ前世の結婚式を説明し、二人で白を身に纏うことしたのだ。
そのドレスに真珠貝を少しだけ散りばめる。
そして装飾品も真珠で統一する。
真っ白なわたしとルルはきっと、とても目立つし、人々の印象に残るかもしれない。
でも、どうしても白がいい。
前世のわたしの憧れでもあったから。
……オリヴィエ=セリエール。
彼女もわたしと『同じ』だとしたら同郷である。
この世界がゲームではなく現実だと理解して、行動を改めてくれないだろうか。
……もし彼女が原作のような人だったら。
わたしはきっと自分から話しかけた。
そして仲良くなれただろう。
しかし彼女は原作のヒロインちゃんとは違う。
わたしも原作のリュシエンヌとは違う。
「ねえ、ルル。わたし監視をつけてもらおうと思う」
ルルが目を丸くした。
「何で〜?」
こてんと首を傾げられる。
成人男性なのにかわいい仕草だ。
「もし男爵令嬢が原作通りに事を進めようとするなら、絶対にわたしに虐められたって言い出すから。わたしが虐めをやってないって証明出来るようにしたいの」
「王女相手に冤罪かけようとするかなぁ」
「しないと思いたいけど、今までの報告書を読んだ限り、男爵令嬢は自分以外の人を多分人間だと思ってない」
ルルが眉を寄せて、考える風に視線を斜め上に向けた。
すぐに否定の言葉が出てこないというのは、つまり、そういうことである。
ルルの了承を得てから、わたしはお父様にも話をすることにした。
「お父様、お願いがあります」
入学の二ヶ月前、わたしはお父様にお願いした。
「話してみなさい」
「わたしに監視をつけてください。お兄様やわたしが見た夢ではわたしは男爵令嬢を虐めていました。しかし、今のわたしはそうする理由がありません」
「だろうな」
お父様が頷いた。
わたしもそれに頷き返す。
「はい。でも、もし令嬢も夢を見ていたとしたら、わたしが虐めをしなくても『虐められた』と言い出すかもしれません」
それまで黙っていたお兄様が手を止めた。
「そこまでするとリュシエンヌは考えているのか」
「父上、あの令嬢ならばやりかねません」
お父様の問いに答えたのはお兄様だった。
お兄様はカトラリーを置くと深刻そうな表情でわたしを見て、そしてお父様へ視線を戻す。
「あの令嬢についての報告書は読んでいらっしゃるでしょう。執拗に我々を追いかけるだけではなく、後先の考えない行動をします。普通ならば王女に冤罪をかけるなどとありえない行為ですが、あの令嬢ならば自分の目的のためにリュシエンヌを陥れようとしても不思議はありません」
お父様も報告書を思い出したのか苦い顔をする。
「だが、監視というのは本来罪人につけるものだ」
「分かっています。ですが自衛のためにも、どうか、公正な目を持つ者にわたしを監視させてください」
監視は本来罪人や、その疑いのある者につける。
実際、オリヴィエ=セリエールには闇ギルドに依頼して監視と調査が入っている。
わたしにも監視がつけば、いざという時に何もしていない証明になる。
お父様は少し思案したが、最終的には頷いてくれた。
「分かった。では入学までに選んでおこう。誰が監視者かは伏せておいた方が良いな?」
お父様以外は知らない方がいい。
監視者と親しくしていたら、公正ではないと言われてしまうかもしれないから。
「はい、よろしくお願いします」
オリヴィエ=セリエール男爵令嬢。
彼女とは学年もクラスも違うようにした。
お兄様やロイド様との関係も良好にした。
見た目も性格も原作のリュシエンヌとは違う。
社交界の毒婦でもなければ、お兄様やロイド様に病的に執着しているわけでもない。
わたしには既に婚約者がいる。
婚約を破棄も解消も出来ないものだ。
だから彼女に嫉妬することはない。
虐めることも、出会うことも少ないだろう。
出会ったとしても王女と男爵令嬢だ。
関わりや繋がりを持つ可能性も少ない。
そして監視もつけてもらった。
さあ、原作の舞台がついに幕を開ける。
────第3章:王女編(完)────