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裏側の攻防

 





 アリスティードはここ数年悩んでいた。


 もうすぐ十六歳になるというのにちっとも喜べないのは、あの男爵令嬢のせいである。


 リュシエンヌの二度目の公務で姿を見るようになって早二年近くになるのだが、その間、あの男爵令嬢はアリスティードの前に度々現れた。


 公務の時だけならまだ良い。


 アリスティードは騎士達に守られているため、男爵令嬢でも容易に近付くことは出来ないからだ。


 だが街に身分を忍んで出掛けた時にも何度か見かけた。


 それも、自分が行こうと思った店や場所に、まるで先回りするようにいる。


 毎回ではないが、この二年近くで両手の指の数くらいは待ち伏せされた。


 アリスティードの気分で出掛けた先にもいたので、どこからか情報が漏れているというわけでもない。


 そこに来るのを知ってる風だった。


 もしかしたら自分と同じように夢を見て、男爵令嬢はその通りに行動しているだけなのかもしれないが、こうも何度も待ち伏せされるとゾッとする。


 ルフェーヴルは相変わらず男爵令嬢について調べさせており、報告がある度に読ませてもらうが、アリスティードだけでなくロイドウェルの行き先にも執拗なくらい現れているらしい。


 ロイドウェルに問うと、気味悪そうに「頻繁に見かけるから僕も会わないように避けているよ」と返ってきた。


 アリスティードはセリエール男爵家の受け持つ孤児院にも慰問に行くが、出来る限り、男爵令嬢と鉢合わせにならないように前以て闇ギルドに依頼して令嬢の予定がある日を選んでいる。


 幸い、まだ一度も直に話したことはない。


 だがロイドウェルいわく、男爵令嬢はかなり行動力があるので気を付けた方が良いとのことだった。


 ロイドウェルは既に一度接触している。


 王城で開かれたガーデンパーティーの場で背中にぶつかってきたらしい。


 それもわざとらしいほど驚いた顔をしていたそうだが、ぶつかってよろめくどころか後ろから抱き着かれたのだとか。


 自らぶつかってきたのではないかとロイドウェルは考えているし、アリスティードもそうだろうと思う。


 そこでロイドウェルは咄嗟に「いや、僕も周りをよく見ていなかったから」と言ってその場をすぐに離れた。




「婚約者でもない相手に貴族のご令嬢が自ら抱き着いてくるなんてありえないよ。気持ち悪い。……何よりあのご令嬢、自分の外見が可愛らしいと分かってて計算してやってるのが分かりやすくて白々しかった」




 珍しくロイドウェルが「何であんなご令嬢にレアンドルとアンリは引っかかってるんだろうね?」と側近仲間についても言及していた。


 それについてはアリスティードも同じ意見だ。


 確かに庇護欲を誘う可愛らしい外見はこの二年近くで更に磨きがかかり、たまに男同士の会話でも「あの子が可愛い」と名前を聞くこともある。


 しかしアリスティードとロイドウェルからすると、男爵令嬢は見た目は可愛らしいが、その行動から分かるように粘着質な人物だ。


 しつこいくらいアリスティード達に近付こうとしており、正直に言って、絶対に近寄りたくないし仲良くしたくない性格だと二人とも考えている。


 ロイドウェルにぶつかった時、男爵令嬢はロイドウェルに抱き着いたまま「ごめんなさい!」「大丈夫ですか?」と上目遣いで見上げてきたそうだ。


 本当に申し訳ないと思っているならすぐに体を離し、頭を下げて謝罪するはずだ。




「女性相手に失礼かもしれないけど鳥肌が立ったよ……」




 と、ロイドウェルは溜め息を吐いた。


 しかもその日のうちに謝罪の手紙が届いたらしい。


 ロイドウェルは返事をしなかったそうだ。


 元々誰かに紹介されて知り合ったわけではないため、手紙の返事を送らずとも礼を欠くことにはならない。


 返事をすることで繋がりを持ちたくない。


 女性に対してかなり紳士的なロイドウェルにしては非常に珍しいことだが、アリスティードも同じ立場の時にはそうしたので何も言うまい。


 そしてつい先日、王城での舞踏会であの男爵令嬢はアリスティードにも接近してこようとした。


 未成年なので恐らく持っていたのはブドウジュースだろうが、飲み物の入ったグラスを片手にふらふらと近付いて来たのだ。


 何も知らなければ間違えて酒を飲んで酔っ払ってしまったか、具合が悪いのではと思うような足取りだった。


 そのままアリスティードのいる方向へ近付いて来たため、アリスティードは何気ない動作で離れ、給仕の使用人に酔っ払いがいると言って男爵令嬢を無理やり下がらせた。


 後の報告で令嬢は酔ってもいなければ、具合が悪くなったわけでもなく、給仕に控え室へ連れて行かれると不満そうにしていたと知った。


 それを父と聞いた時には顔を見合わせてしまった。




「まさかとは思うが、飲み物を持ったまま王太子であるアリスティードにぶつかろうとしたのか?」




 父が頭が痛いと言いたげにこめかみを押さえた。


 アリスティードも眉間を押さえていた。




「恐らく、そうではないかと。以前はロイドウェルにぶつかったふりをして抱き着いたそうですが、すぐに逃げられたからではないでしょうか?」




 ロイドウェルの時には逃げられたから、すぐに逃げられないように、飲み物をかけて引き留めるつもりだったのかもしれない。


 それがただの平民同士なら謝罪して、服を弁償するくらいで済む話だろう。


 だが貴族、ましてや王族相手となれば話は別だ。




「衆人環視の中、王族にぶつかり飲み物をかけたとなれば本人の謝罪程度では済まされないぞ?」




 旧王家に比べて現在は大分穏やかな風潮になっているが、だからと言って何でも許されるわけではない。


 王家主催の舞踏会で、王太子にぶつかり、あろうことか飲み物をかけたとなれば大騒ぎである。


 しかも意図的にそれを行えば、王族への無礼と不敬で家の問題にもなる上に、本人はきっと養子縁組を解消されるだろう。


 謝罪くらいでは許されない。




「そこまで頭が回らないのでは?」




 アリスティードは先に気付けたが、突然抱き着かれたロイドウェルは驚きと不快さと気持ち悪さで最悪な気分だったに違いない。


 それ以降、ロイドウェルは男爵令嬢を徹底的に避けていると言っていた。




「……ですが、いっそぶつかっておけば良かったのではと少し後悔しています」




 みすみす男爵令嬢を表舞台から降ろす機会を見逃してしまったと後になって気が付いた。


 もしも男爵令嬢がアリスティードにぶつかっていたら、それを理由に令嬢を貴族籍から外すことが出来たはずだ。


 ちなみにこの二年近く、ルフェーヴルは男爵令嬢に顔を見られていない。


 舞踏会では王族のファーストダンスの時にだけ顔に認識阻害をかけ、それ以外は男爵令嬢に背を向けて顔を隠しているという。


 男爵令嬢はリュシエンヌに近付かないそうなので、ルフェーヴルはリュシエンヌにべったりしている。


 確かにリュシエンヌの傍にいる時は見かけない。


 男爵令嬢はリュシエンヌが苦手なのだろうか。




「しかし王太子であるお前にそのようなことがあれば、護衛の騎士達の責任問題にもなりかねん」


「はい、私もそれを考えて令嬢とは距離を置きました」


「……自分の欲望ばかり優先して何も考えていないとは、まるで前国王のようだな」




 ふと父がそう呟いた。


 男爵令嬢は相変わらずゴテゴテとしたドレスで着飾っており、そのせいかいつも周囲から浮いていた。


 あれでは恐らく同性の友人もいないだろう。


 貴族の女性にとって流行を追うことは大事な社交の一環で、現在の風潮を心得ておくことは貴族として当然だ。


 それが出来ない者は爪弾きにされる。




「大きな問題を起こせば処罰出来るんだがな」


「その辺りはまずいと分かっているようです」




 父と共に溜め息を吐いたのは記憶に新しい。


 しかも困ったことにレアンドルは当主である父親だけでなく、アリスティードからも忠告を受けたというのに、まだ男爵令嬢との関係を断っていない。


 思慮深いアンリは連絡を断った。


 いや、側近から外れるのを恐れてだろう。


 だがレアンドルはどうやら友人の名前を使わせて、家人の目を騙しているようだが、家紋のない封の手紙が混じっていれば逆に目立つ。


 当主はすぐに息子を叱責しようとしたが、アリスティードが「既に二度自分が忠告し、あなたからも忠告を受けたはずだ」と伝えると、当主には何度も謝罪された。


 けれどレアンドルもまだ未成年だ。


 間違った選択をしてしまうこともあるだろう。


 そこでアリスティード達は学院に入学し、その間の行動によって判断すると決めた。


 側近達の各家の当主にそれは伝えられた。


 ムーラン伯爵は慈悲に感謝する言葉と共に、より一層、厳しく息子達を叩き直すと手紙が送られてきた。


 男爵令嬢との手紙のやり取りは止めないことにした。


 それもまた判断材料の一つである。


 男爵令嬢と頻繁に手紙のやり取りをする一方、レアンドルはアリスティード達の言葉を守るように婚約者へ丁寧な対応をしている。


 婚約者の家にはムーラン伯爵が謝罪に行ったそうだ。


 もしレアンドルが学院でも変わらなければ、婚約は解消される。


 レアンドルの婚約者は貴族のご令嬢らしく淑やかで控えめな女性だが、同時に強かな女性でもあり、もし婚約が解消されたなら結婚せずに王城で働きたいと希望を出してきたほどだ。


 本人がそう望むなら王家としては構わなかった。


 それにエカチェリーナが学院を卒業したらアリスティードと結婚し、王太子妃付きの侍女を選ばなければならない。


 レアンドルの婚約者はエカチェリーナと面識があり、どうやら王太子妃となったエカチェリーナの侍女になりたいらしかった。


 レアンドルが更正すればそれでもいいそうだが、もしも更正しなかった際はそのような希望で通ることだろう。


 婚約者の家も、娘が王太子妃付きの侍女になるならば喜ばしいことだと受け入れている。


 後はレアンドル自身の問題である。


 そしてアリスティード達も今後、男爵令嬢に近付かれないように、更に警戒していかなければならない。


 だがそこで問題となるのがアリスティードの十六歳の誕生パーティーだ。


 成人するため、盛大なものとなるだろう。


 絶対に男爵令嬢は参加するであろうし、祝いの言葉を述べるという理由をつけて近付いてくるだろう。




「他の者と同様に扱うつもりだが……」




 何かあって欲しいような、欲しくないような。


 その微妙な心境にアリスティードは肩を落とした。


 アリスティード達の苦労は続く。







 

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